これでは私が襲っています 8
航に連れられ、遥は駅から然程離れていない、夜景の綺麗なダイニングバーに行っていた。
眺めも内装も素晴らしいし、料理もお酒もメニューが豊富だ。
素敵だが、ちょっと不安だ、と思う。
大魔王様は、意外に良い店をご存知です。
……誰と来ているのでしょうか、と思いながら、グラスに口をつけつつ、ちらと窺うと、
「大葉とかと来るんだ」
と訊いてもいないのに言ってくる。
ひい。
超能力。
「此処のバーテンダーが美人だと言うので、一時期、小堺が通い詰めていたからな」
とカウンターを指差す。
なるほど、黒髪ロングヘアのすごい美人が居る。
「結局、子持ちの人妻だったようなんだが。
指輪してないなんて詐欺だと小堺が泣いていた」
「いやー、でも、今、結婚指輪してない人多いですよ。
ずっとしてると腰が悪くなるって言うし」
私も指輪、したことないです、とうっかり言ってしまう。
こういうことを言っていると、誰も私に指輪とかくれない気が、と気がついたが、遅かった。
ふーん、と大魔王様は流しているので、どのみち関係なかったか……と思ったとき、大魔王様の携帯が鳴った。
だ、誰だろう、と思ったのだが、大葉のようだった。
『新海、もう帰ったか?』
という声が少しこちらにも聞こえてくる。
「いや、ちょっと呑み足りなかったんで」
と航が曖昧に答えると、
『ひとりが呑んでんのか? 誘えよ』
と言ってきた。
仕方なくというように航が、
「……遥と居る」
と白状すると、えっ!? そうなの? と大葉の声が跳ね上がる。
『なんだ。
よかった。
じゃあ、余計な心配だったな。
いやー、小宮がさー、遥ちゃんに気があるみたいだから、気をつけろよって言おうと思ってたんだけど。
そうか。
邪魔して悪かったな』
いやー、よかったよかった、と安堵している声に、ほんとにいい人だな、大葉さんって、と思って聞いていた。
『ああ、そうだ。
遥ちゃんは鈍くて、全然気づいてなさそうだから、小宮が遥ちゃんに気があるみたいだって言うの、黙ってなよ。
じゃ、月曜な。
おやすみー』
と言って電話は切れた。
丸聞こえですけど、と思いながら、赤くなる。
いやいや。
小宮さんが私にとかないと思うけどな。
あの人、誰にでもあんな風だからな。
そんなことを考えていたとき、しまおうとした航の携帯にメールが入った。
「なんだ? 大葉じゃないか」
今、切ったのに、と言いながら、メールを読んでいるようだった。
どうも大葉は、邪魔しないように、メールで送ってきたようだ。
「遥に携帯を渡して、写真を開けさせてみろ?」
訝しげな顔をしながらも、こちらに渡してくる。
「え? なんでしょうね」
と言いながら、写真のところを開いてみた。
すぐに出て来た画像に笑う。
なにを考えているのか、クソ真面目な顔をしている航の頭にパーティグッズらしき、てっぺんに星のついた三角帽子がのっている。
本人は気づいていないようだ。
「なんだ、見せてみろ」
「嫌です」
と見ながら笑っていると、
「俺の携帯だろっ!?」
とキレる。
「嫌です」
と繰り返した遥の手から、携帯を取り返した航は、
「なんだ、これは!?」
と声を上げていた。
本気で気づいていなかったらしい。
「楽しかったんですね」
と言ったが、
「俺は知らんぞっ」
と怒っているので笑ってしまった。
「課長、意外とお似合いですよ」
と笑ったまま言うと、少し赤くなっているようだった。
わあ、こんな顔、初めて見てしまいました。
ありがとう、大葉さん。
大葉のお陰で、まだわずかにあったわだかまりも、もう消えていた。
「もう一杯呑んでいいですか?」
「ちゃんと自分の足で帰れるくらいにしとけよ。
……責任は持たんぞ」
と言われ、
「ええっ?
道端に捨てたりしないでくださいよーっ」
と言うと、
「そういう意味じゃない」
と言われてしまう。
じゃあ、どういう意味なんだ、と思いながら、次の一杯も美味しくいただいてしまった。
「遥。
俺は、ちゃんと歩いて帰れるくらいにしとけと言ったよな」
確認するように、航が言ってくる。
「歩いてますよ、ちゃんと」
ほら、車に乗ってないのに、景色が移動してますっ、と主張すると、
「……おぶってるんだよな、俺が」
と確認された。
おかしいな、電車に乗って、自分の駅に降りたところまでは確かに歩いていた気がするのだが。
知らない街で呑んでいたから、いつも見ている景色になって、ちょっと気が抜けたのかもしれないと思っていた。
そのとき、携帯が鳴った。
航の背の上でごそごそして、携帯を取り出す。
「もしもし?
あ、おかーさん?
うん。
もう家の近くに居るよ。
大丈夫ー」
と遥は笑った。
「うん。
もう家の近くに居るよ。
大丈夫ー」
と遥が笑っている。
人の背中に乗って大丈夫もないだろうが、と航は思っていた。
まるで、正気なのではないかと思ってしまう話しっぷりだ。
俺と居ることを家族に隠そうとしているのだろうかと思ったが、遥は笑いながら、
「今、課長におんぶしてもらってる~」
と言い出した。
やっぱ酔ってんな、こいつっ、と思いながら、
「電話、代われっ、遥っ」
と言う。
ええっ? と言う遥にしっかりしがみついているように言い、抱え直すと、片手で携帯を受け取った。
「遅くなりまして、すみません。
お嬢さんの足取りが怪しかったので、ちょっと送っていっています」
と言うと、恐縮した母親が、
『まあ、すみませんっ。
そこまで主人に迎えに行かせましょうかっ』
と言ってくる。
……ぜひ、遠慮させていただきたい。
丁重にお断りして電話を切った。
いい家族だな、と思う。
しかし、この家庭環境では外泊とか出来そうにもないなと思ってしまう。
まあこの家族が大事に守ってくれていたから、今の遥があるのだろうが。
「ほら」
と切った携帯を返すと、それを握ったまま遥が背中から、
「課長」
と呼びかけてくる。
「私ね。
今日、課長と帰りたかったんです」
「……なんでだ?」
「さあ……わかりません。
課長」
「なんだ?」
「爆発しました?」
「なにがだ」
「ベテルギウスですよ」
「当然のように言うな。
いきなり爆発しました? とか言われたら、ガス管かなにかだと思うだろうが」
「課長ならわかると思ったんです」
と言う遥に、
「……航だ」
と言う。
「はい?」
「航。
俺の名前だ。
知ってるか?」
「知ってますよ。
知らないわけないじゃないですか。
あれ?
どんな字書くんでしたっけ?」
おい。
「しんかい、わたる……。
あれ?
だいまおうは何処に入るんですか?」
「勝手にミドルネームを作るな」
何処にも入らない、と言う。
「航ってどんな字でしたっけ?」
「航海するのわたるだ」
「ああ、課長はいつも後悔してそうですね」
「それ、字、違わないか……?」
っていうか、嫌味か? と思っていると、遥は、
「課長、私の名前、ご存知ですか?」
と訊いてきた。
「……いつも名前で呼んでるだろうが」
「古賀です」
それ、名字だろうが。
「古い賀正の古賀です」
古い画商と聞こえるが。
「はるかはどんな字か、ご存知ですか?」
「心がいつも遥か遠くに飛んでる遥だろ」
「課長」
「なんだ」
「殴ります」
「背負われてる分際でか」
と言ったあとで、迷いながらも、
「背負ったのは失敗だったな」
と言ってみた。
「なんでですか?」
酔っているから、明日には覚えていないか、と思い、思ってるままを口にした。
「キスできないじゃないか」
すぐに返ってきた、
「そうなんですかー」
という適当な相槌に苦笑する。
やっぱり、ちゃんと聞いてないな、と思いながら。
まだ爆発してはいない星を見上げていると、遥が後ろから言ってきた。
「あ、そうだ、課長。
お姫様抱っこならできますよ」
「……お前、俺に路上でやれと言うのか」
お姫様抱っこでキスをか?
小宮とかならやりそうだが、と思う。
遥は深い考えもなく、本当に、ただ思いついたから言ってみたようだった。
「課長は背負う方が楽ですもんね。
いつも、重石を背負って山を登って、星見てるんですもんね」
と訳のわからないことを言い出す。
「誰が言ったんだ、それ。
大葉か?」
と問うと、
「大バカ?」
と言ってくる。
「……お前、明日、大葉にチクるぞ」
あれはあれでいい奴なのに、と言うと、
「大葉さん、いい人ですよねー。
実は格好いいし」
と手放しで絶賛するので、自分が振った話題なのに、ちょっとムカついてしまった。
いや、いい奴だし、いい男なんだが……。
「今まで大魔王様の影に隠れてて、格好いいとか気づきませんでしたよー」
酔っているせいか、遥は、しれっとそんなことを言ってくる。
「大葉さん、いいですよね」
と遥はこちらの感情を無視し、また言ってきた。
「でも、そんないい人な大葉さんがずっとお友だちをやっている大魔王様もいい人だと思うんです。
大魔王様は、お友だちを大事になさいます。
私、そういう大魔王様が好きなんです」
そう遥は言った。
…………今、好きって言ったか?
だが、遥の話はそこで留まらず、流れて行く。
「大魔王様はお友だちを大事になさいます。
みんなものこともリストラから守ってくれてます。
そんな感じで少しは私のことも大事にして欲しいかなあなんて」
と可愛いことを言ってくる。
「……大事にしてるだろ」
「してません」
いや、してないこともないだろうがと思いながら、
「じゃあ、どうしたら……」
と言いかけて、気がついた。
微かな寝息が聞こえ始めていたことに。
「おい、遥?」
ついに寝たのか、と思った頃、遥の家の灯りが見えてきた。
家の前に誰か居る。
遥の父と母だ。
つい、どきりと身構えてしまう。
近づき、頭を下げると、
「やあ、新海くんだったかね」
ありがとう、と遥の父に礼を言われる。
いえ、といいながら、やっぱり社長より緊張するな、と思っていた。
おとなしげな人だが、自分を見る目に力がある。
それは、娘を守りたいという力か。
遥は俺の眼力が怖いというが、俺なんかよりよっぽどすごい目力だ、と微笑ましくそれを見た。
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