これでは私が襲っています 2
「急ぐわよっ」
と亜紀に駐車場に連れていかれた遥が車に乗ろうとしたとき、誰かが、
「あっ、何処行くの?」
と声をかけてきた。
小宮だ。
彼も友人たちと食べに出るようだった。
典子が店の名前を告げると、
「あ、俺も行く行く」
と言い出した。
「あんたの分は予約してないわよっ」
と亜紀が怒鳴ったのだが、
「入れなかったら、近くの店に行くよ。
女の子、誰かこっち乗るー?」
と言ってきたので、亜紀は早々に、
「誰も乗らないっ。
はいっ。
出して、典子っ」
とドアを閉めた。
「小宮さんの前で格好つけるの、やめたんだ?」
と典子が笑っている。
「もういいの。
ありのままでも、ありのままでなくても、どうせ上手くはいかないから」
と悟ったように言い出した。
「……今の私の希望は、あんたのコンパだけよ、遥」
と呪いのように呟かれる。
ひい、期待が重いですっ、と思いながら、
「あ、あのー、亜紀さん、昨日、恋が叶うパワースポット、テレビでやってましたよ」
と誤摩化すように笑いながら言ってみたのだが、
「なによ、その神頼み。
私は行動あるのみよっ」
と力強い言葉を聞かせてもらった。
行動あるのみか、と思いながら、仕事のあと、遥は書店で時間を潰していた。
今日に限って友だちが捕まらない。
意味もなく、ブラブラしながら、こんなことするのに意味があるのだろうかと自分で思う。
いやいや。
これだって、亜紀さんが言うように、行動してるわけだし。
……課長を好きだとか、そういうわけではないんだけど、と往生際悪く思いながら、遅い時間に電車に乗ってみたが、またも航は居なかった。
「兄貴。
今日は随分早いねー」
航がカウンターでメニューを見ていると、真尋がそう言ってきた。
遥め。
何故、いつもの電車に乗ってない。
ちらと総務を見たら、もう居なかったので、帰ったと思ったのだが。
渋い顔でメニューを眺めていると、
「なんにする?」
と訊かれた。
「焼きそば。
……ニンジン入りで」
と言いながら、食べないでーっ、と胸を押さえて叫んだ遥を思い出し、笑いそうなような、切ないような、不思議な気分になる。
「はい、了解」
とまるで、自分がなにを考えているのか見透かすように笑って、真尋は言った。
用もないのにブラブラしていた自分が莫迦みたいっていうか。
なんかむなしいというか、恥ずかしいというか。
眠る前、そんなことを考えながら、遥は枕を叩いていた。
枕の神様に、起きたい時間を頼むのだ。
起きたい時間の数だけ叩けば、その時間に目が覚めると小学生のときに聞いて以来、実行している。
みんなに言えば、いや、目覚ましをかけろと言われそうだが。
叩く手を五回で止めかけ、いや、と思い直し、七回叩く。
明日はギリギリまで寝てやる。
宮司さんの嘘つき、と会ったこともない宮司さんを罵った。
これでは、あとでパワースポットに行ったところで、ご利益はなさそうだ……と思いながら。
「もう京都に行こうかと思います」
翌日の夜、真尋の店のカウンターで、そう唐突に呟いた遥に、はあ? と真尋が返してきた。
行きは普段通りに乗ったのだが、帰りはやはり、遅めにずらしてみた。
だが、結局、航とは一緒に乗れなかった。
まあ、当たり前か。
あれだけ走ってる電車の中で、一緒に乗れる確率なんて、といじける。
インコのまどかさんは毎日、あの部屋で課長と過ごしていたのだろうに、私は結界があるかのように課長に近づけない。
おのれ、まどかさんめ。
遥の中では、最早、まどかさんは、航の元カノくらいのポジションだった。
「なんで、京都」
と言われたので、例の番組の話をすると、真尋は笑い、
「人間って、上手くいかなくなると、スピリチュアルなものに頼るよね」
と言ってきた。
「真尋さんはそんなことなさそうですね」
と言うと、
「だって、そんなことするより……」
と言いかけた真尋は何故かやめた。
「そうだ。
兄貴、昨日、ニンジン食べてたよ」
と言ってくる。
「えっ? 昨日、課長来てたんですか?」
なんというすれ違い。
遥は思わず戸口の方を振り向いた。
今からでも来るかも、と思ったのだ。
真尋は笑い、
「閉店まで居たら?」
と言ってくる。
「兄貴来るかもしれないし。
兄貴と一緒に送っていってあげるよ」
「あ、いえ。
大丈夫です。
この店にも一人で来て帰れるようになりましたし。
途中で白い猫に遭遇したら間違いないです」
と言うと、
「いや……猫、移動してるよね」
と言われた。
「こんばんはー」
陽気な声がして振り向くと、いつぞやカウンターで真尋と話していた女性が入ってくるところだった。
「あ、真尋さんのお兄さんの彼女さんですよね?」
と笑顔で話しかけてくる。
いや、違うけど、と思ったのだが、否定するのもなんなので、そのまま彼女と話す。
ちょっとだけ気が紛れた。
「ありがとうございました」
と笑顔で女性客を見送ったあと、真尋はレジから夜道を見る。
送っていってあげるって言ったのに、帰っちゃったな、と思いながら、遥が座っていた場所を見る。
夜道は大丈夫だろうか。
家に着いた頃、電話してみようか、とか考えたあとで、ふと思う。
なんでさっき言わなかったんだろうな、と。
食洗機を開け、乾燥が終わっても、少し水滴の残っている皿を拭きながら思い出す。
『真尋さんはそんなことなさそうですね』
と遥に言われたとき、
『だって、そんなことするより……』
と言いかけて、やめた。
なんで言わなかったんだろうな。
『だって、そんなことするより、一緒に帰ろうって言えばいいじゃん』
『兄貴が来るか、電話してごらんよ』
そのどちらも何故か口から出なかった。
なんでだろうな。
俺が遥ちゃんを好きとかないと思うけど。
これだけモテるのに、たった一人の女を兄貴と取り合うとか勘弁だしね。
そんなことを思いながら、皿を棚に戻した。
アマゾンで幻の蝶を見つけたときは、こんな気分だろうか、と遥は思った。
電車に課長が乗っている。
ああっ。
でも、真尋さんの店からだと、課長の降りる駅は、すぐか、と気がついた。
はっ、話しかけなきゃ、話し……
そう思っている途中で、いつものように本を読んでいた航が顔を上げた。
宮司さんっ、どうしたらっ!?
と会ったこともないうえに、夕べ罵ったばかりの宮司さんにすがろうとする。
なにか妙な気配を感じる。
気とかオーラとかよくわからないが。
今、不穏な気配を感じる、と思いながら、航は本から顔を上げた。
すると、何故だかわからないが、両の手で拳を作り、ふるふると震えて、こちらを見ている古賀遥が扉近くに居た。
その様子に、どうした? と思ってしまう。
だが、遥は、物言いたげにこちらを見ているだけだ。
こいつ、なんでこの時間に電車に乗ってるんだ?
しかも、さっきまで乗ってなかった気がするんだが……。
車窓を確認し、もしかして、真尋の店に行ったのか? と思ったのだが、遥につられたように、自分も言葉が出なかった。
タイミングを見失い、黙って見つめて合っているうちに、自分の降りる駅へと着いてしまう。
しょうがなく、本を閉じ、扉付近まで歩いて行くと、その近くに居た遥が切羽詰まった声で言うのが聞こえてきた。
「……ニ、ニンジン……」
……ニンジン? と振り返ったとき、もう扉は閉まっていた。
遥を乗せ、そのまま電車は行ってしまう。
……ニンジンがどうした、と思いながら、電車とともに、消えゆく遥を見送った。
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