おっと、そこまでですっ、大魔王様っ! 11


 電車に乗っている間、航は饒舌だった。


 好きな本の話から、身体を鍛える話から、大学時代のサークルの話まで。


 天文のサークルだったのか。


 山に負荷かけて駆け上がって星見てそうだが、と思いながら、はいはい、と聞いていた。


「あのー、課長の降りる駅は次なんですが。


 真尋さん呼びましょうか?


 それとも、一緒にうちまで来て、またお父さんに送っていってもらいましょうか?」

と言うと、


「いや、この間、お前の父親に送ってもらって、かつてないくらい緊張したからいい」

と言ってくる。


 あのー、社長とも対等に渡り合っているのを見た事があるのですが。


 何故、温厚なうちの父親ごときで緊張するのでしょうか、と思っていると、駅に着く直前、航がいきなり手を握ってきた。


 ええっ? と思っていると、

「一緒に降りよう、遥」

と言ってくる。


「は?」


 結婚しよう、ぐらいの勢いだった。


「えっ?

 あの、これって、降りて次の電車、ありましたっけ?」

と言っている間に、扉が開く。


 結局、引きずり降ろされ、手をつながれたまま、鼻歌など歌われている大魔王様と駅前の繁華街を歩くはめになった。


 航の降りる駅は、真尋のところと違い、駅前はこの時間でも賑やかだ。


 いつも帰りが遅くなるから、夜、寂しくないように此処なのだろうか。


 って、この明るい中を手をつないで歩くとか恥ずかしいんだが。


 しょ、正気に返ってください、大魔王様。


 いや、この人酔ってるの、私のせいなんだが、と思いながら、遥は、がっちり手を握っている航の大きな手を見下ろし、言った。


「あのー、課長は酔うと積極的になるんですか?


 あ、でも、最初に降りようって言って、真尋さんところに連れていってくれた日は、酔ってなかったですよね?」

と確認するように言うと、


「相手に特に気がなければ、積極的に出れるんだ」

と言ってくる。


「……あのー、帰ってもいいですかね?」

と言ったのだが、航の手は外れそうにない。


 相変わらず、体温高いな、と思っていると、

「あのときは、という意味だ」

と航は言う。


 では、今は多少は私に気があると? と深読みしている間に、アパートの下まで来てしまった。


「課長、無事におうちに着きましたよ。

 ちゃんと鍵開けて入ってくださいよ」

と言って手を振りほどこうとしたのだが、航は、


「なにを言ってるんだ、お前も来るんだ」

と遥を持ち帰ろうとする。


「えっ?


 いっ、嫌ですっ。

 帰りますっ」

と手を引っ張られながらも、その場に踏ん張っていると、サラリーマンらしき人がアパートに向かってくるのが見えた。


「下の階の人だな」

と航が言うので、抵抗をやめる。


 あの人、女の子を連れ込もうとして揉めてたよ、なんて、ご近所さんで噂になったら悪いかな、とつい、思ってしまったのだ。


 よく考えたら、自分を襲おうとしているかもしれない相手に対して気を使う必要などなかったのだが。


 どうもー、と笑顔で頭を下げると、向こうも挨拶してくれた。


 一階の角部屋のドアがパタンと閉まると、航が、

「よし、行くぞ」

と言う。


 遥は溜息をつき、観念して言った。


「はいはい。

 じゃあ、部屋まで着いていきますよ」


 鍵開けるときとか、靴脱ぐときとかに手を離すかもしれないから、そのとき、逃げようと思いながら、コンクリートの階段をついて上がる。


 だが、航は小器用にすべてを片手でこなしてしまった。


 やれやれ、と思いながら、玄関から航の部屋を見る。


 普通の片付いている部屋だ。


 特に面白くはないな、と思った。


 イメージ通りというか。


 よし、部屋も見たから帰るか、とそっと手を離そうとすると、

「待て」

と言われ、手に力をこめられる。


 航は振り返り言った。


「部屋に入ったから気を抜いているなんてこと、俺にはないぞ」


 そ、そうですね。

 さすがは大魔王様です。


 まったく手が緩んでませんでしたね、と思いながら、はは……と苦笑いする。


「座れ」

「はい?」


「座れ」

と繰り返される。


「……はい」


 デジャヴだ。


 こんなこと前もあったぞ、と思いながら、怖いので、玄関入ってすぐの床に座ろうとしたが、航と違って器用でない遥は片手では靴を脱ぐことはできなかった。


 すると、航が片膝をつき、片手で、遥の靴を脱がせてくれた。


 ひーっ。

 大魔王様が片膝ついて、ホストのように靴を脱がせてくださるとかっ、と固まってしまう。


 いや、ホストの人ってこんなことするのか知らないけどさっ、とか思いながら、なんとか床に上がり、冷たいそこに正座すると、航も目の前に正座した。


 二人で正座して向かい合う。


 緊張したまま、なにか剣道の稽古でも始まりそうな感じだ、と思っていると、

「古賀遥」

と大魔王様が、おごそかに名前を呼ばれた。


「は、はい」


 航は、逆らえば斬るっ! という目で真正面から遥を見つめ、訊いてきた。


「キスしてもいいか?」


「は……はい?」


「今、はいと言ったな」


「はいっ? って、訊き返したんですよっ」


「では、もう一度訊こうか。

 キスしてもいいか」


 しっ、してもいいかって既に、肩、つかまれてるんですけどっ、と航から逃げようとして、体勢を崩し、後ろに手をつく。


「なっ、なんでですかっ。

 なんでこうなるんですかっ」


 遥は片手で航を押し返しながら、訴える。


「あのっ!

 課長、今、酔ってるんで、誰でもいいんじゃないですかっ?」


「そんなことはない」


 本当か? と思いながら、

「いつも呑んだら、そうやって女の子を連れて帰ってるんじゃないですかっ?」

と訊いてみた。


 だが、航はまた、

「そんなことはない」

と繰り返す。


「この部屋に入った女は母親とインコとお前だけだ」


「インコ!?」


 逃げかけた体勢のまま、遥は訊き返す。


「インコのまどかだけだ」


「……誰ですか、まどかって」


 なんだ、その、唐突に現れた女の名は、と思っていると、

「真尋の友だちの昔の彼女だ。

 別れたから、これ以上名前を呼びたくないというので、真尋は細かい事は気にしないからもらってきたんだが。


 あいつ世話しないから、実家に居た頃から、俺が飼ってたんだ」


「……そのまどか、何処行ったんですか」


 今居ないが、本当か? と思いながら訊くと、

「就職したあと、営業に行った先で再会したらしく、やり直して結婚することになったというので返した」

と言ってくる。


「なにかこう、壮大な物語ですね」


 ちょっといい話になったな、と思っていると、

「だから、此処に入ったのは、まどかとお前と母親だけだ」

と航は言ってくる。


 なんとなくその並びに入りたくないんですが……。


「かちょ……


 課長っ。


 ちよっと待ってくださいっ」

と航を手で押さえるが、そのままキスしてくる。


 んーっ。

 ど、どうしたらいいんだ、これっ。


 見た目通りに航の力は強く、逃げられそうにはない。


 だが、遥は必死に抵抗して……


 いや、自分でもなんで抵抗してるんだか、よくわからないんだが、と思いながらも訴えた。


「あのっ、私、酔った弾みなんて嫌ですっ」


 そう言った遥の顔を見つめた航は、この人、本当に酔っているのかな? とふと思ってしまうほどの大真面目な顔で、

「わかった」

と頷く。


「酔いをさましてくるから、ちょっと待ってろ」

と立ち上がると、冷蔵庫から出した冷えた水を飲み、上着を脱ぐと、外に出て行った。


 こ、この隙に逃げた方が……?

と鞄をつかんだが、いや、置いて帰るのもな、と思い直す。


 逃げたら、明日、怒られそうだし。


 いや、覚えてないかもな、とか考えながら、立ち上がろうとしたのだが、突然のことに、腰が抜けたのか、立ち上がれない。


 我ながら間抜けすぎる、と思いながら、這って戸口近くのキッチンまでいき、シンクを手でつかんで、立ち上がった。


 小さな窓から下から見える。


 航は外に立ち、空を眺めていた。


 さ、寒くないのかな?


 風邪ひかないだろうか、と航が今脱ぎ捨てた上着を手に取ると、まだ航のぬくもりがそこにあった。


 持っていってあげようと、ようやく動くようになった足で玄関に行き、ノブに手をかけたとき、航がドアを開けた。


 すっきりした顔をしている。


 本当に酔いがさめたようだ。


「ああ、遥。

 まだ居たのか」


 ……まだ居たのか?


 航は外を振り返り、駅の方を見ると、

「終電はもうないか。


 駅まで送ろう。

 タクシーが居るから」

と言い出した。


 ……どうやら、本当に正気に返ってしまったようだ。


 そのまま航に送られ、駅へと戻った。


 タクシーに乗せられ、お金を渡される。


「気をつけて帰れよ」


「お金いりませ……っ」

と握らされたそれを返そうとしたとき、もうドアは閉まっていた。


 仕方なく行き先を告げ、走り出したタクシーから後ろを振り返る。


 航はまだこちらを見送っていた。


 何故だ。

 どうしてこうなる。


 いや、別に襲われたかったわけではないのだが。


 いやいや、ほんとうに……。







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