おっと、そこまでですっ、大魔王様っ! 10


 呑み会は、何故か優樹菜の希望で、寿司ダイニングになった。


 自分で作る手巻き寿司は、お洒落な感じのお膳で出てきた。


 黒い大きな器に、うちではこんなの巻かないぞ、というような具も出てきて、目にも鮮やかだ。


 これで、日本酒で一杯とか最高だ。


 いろいろと吐かされるのは嫌だけど。


 でも、そうだ。

 真尋さんの店の宣伝はしようかな、とかいろいろ考えていたのだが、すべて余計な心配だった。


 早々に出来上がった亜紀が、遥を吐かすと言ったはずなのに、自分で吐き始めたからだ。


「それでさー。

 入社してすぐ、小宮にキスされたんだけどー」


 ええーっとみんなが盛り上がる。


「あの男、単に暗がりで二人きりになると、反射的にしてしまう男だったのよ。

 そんなこと知らない純情な私は舞い上がっちゃってさー。


 莫迦みたいー。


 でも、次の日、他の子とチャラチャラしてる小宮を見て、一瞬にして目が覚めたわ。


 そんな一晩でフラれたこととか知られたくなくて、普通に、まあ、小宮さん、いいんじゃない? 的な態度とってたけど。


 実は、いつも、はらわた煮えくり返ってんのよーっ」

とカラになったガラスコップを握りつぶす勢いでつかむのを見て、ひい、と思う。


 しかし、亜紀の話を聞いているうちに、だんだん遥も腹が立ってきた。


「純真だった亜紀さんをもてあそぶなんて、ひどい奴ですね、小宮さん。

 私が許しませんっ」

と手巻き寿司のしゃもじを握る。


「……うん。

 とりあえず、しゃもじは置いて。


 そして、『純真だった』って、あんたまで過去形にするのはやめて」


「いいえ。

 わかってますっ。


 亜紀さんはピュアな人ですっ」

と遥は亜紀の両手を握る。


「ちょっとー。

 誰か、新海課長呼んでー」


 酔ってる、酔ってる、とこちらを見て言う。


「この子持って帰ってもらってー」






 他の社員が帰ったあと、航がリストラ候補者のリストを見ながら、小会議室で部長と話していると、誰かがドアをノックした。


「はい」

と返事をし、立ち上がると、経理の若い男性社員、山村が立っていた。


「すみません。

 課長、まだお仕事中でしたか」


「いや、もう終わるところだよ」

と後ろから部長が言う。


「そうですか。

 いえ、まだでしたら、いいんですけど」

と言って去ろうとするその手には携帯があった。


「すみません。

 部長、ちょっと」

と航が振り返り言うと、


「ああもう、今日はいいだろ。


 ……そうだ。

 新海くん、例のコンパ頑張ってくれたまえ。


 円満に寿退社してくれる子が居るのなら、それに越したことはないし。


 幾らか、うちから差し入れてもいいから」

と笑って、部長は帰り支度を始める。


 誰だって、貴方のクビを切りますと言いたくはない。


 一応、リストラに関する業務は航が引き受けてはいるが、所詮、課長だし、一人で出来ることではないので、部長も無関係ではいられない。


「はい。

 では、失礼します」

と頭を下げると、部長は出て行った。


 山村も一緒に下げて見送る。

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「すみません。

 課長いつも此処でひとりで作業してらっしゃるので、大丈夫かと」

と遠慮がちに言ってくるその目は後ろのテーブルに置かれた青いファイルを気にしている。


 心配しなくても、君の名前はない。


 そう言いたかったが、教えるわけにはいかない。


 一応、社長からはあと十人とは言われているが、その程度やめさせたからといって、会社全体からみたら、たいした利益にもならない。


 かと言って、会社が苦しくないというわけでもない。


 これは、いざとなったら、リストラするぞという、言わば脅しだ。


 自分がこうして選考しているという素振りを見せるだけで、みな随分と真面目に働くようになった。


 まあ、それもこっちと同じで、そう見せているだけのことなのかもしれないが。


「あのー、課長。

 僕もよくわからないんですけど。


 古賀さんを迎えに来てください、と優樹菜ちゃ……和田さんが言ってます」


 自分の携帯の番号を知らないので、山村に言ってきたようだった。


「……わかった」


 なにやってんだ、遥は、と思いながら、帰り支度をしようとすると、

「あのー、課長。

 コンパ、僕も入れてくださいませんか?」

と山村が言ってきた。


「そりゃいいが……」

と言いかけて、感じのいい好青年、山村を見る。


「わかった。

 お前は必ず入れてやるから、もう誰にも頼まなくていいからな」

と念押しすると、は、はい? と不思議そうな顔をしていた。


 俺が聞いておくから、遥に電話番号は教えるなよ。


 そんなことを考えていると、

「あのー、今から古賀さん迎えに行くんですよね?


 寿司ダイニングで呑んでるみたいなんですけど。

 僕もついて行ってもいいですか?」

と訊いてくる。


 どうやら、そこに混ざりたいようだった。


「まあいいが。

 じゃあ、早く支度して来い」


 はいっ、と慌てて自分の部署に戻っていった。


 それにしても、迎えに来てくれって、なにをやったんだ、遥……と思いながら、小会議室の電気を消した。





 小洒落た寿司ダイニングに行くと、遥たちは個室に居て、いきなり拍手で迎えられた。


「リストラ大魔王様が子分を連れて、ご到着ですよーっ」


「あっ、なんで、子分、大葉さんじゃないんですかっ」


 失礼だろ、山村に、と思ってみると、山村は、はは、と苦笑いしていたが、メンバーが社内でもわりと綺麗な子が多く、ちょっと嬉しそうだった。


「遥さん、遥さん。

 人斬り新海さんがやって来ましたよ」

と遥とよく一緒に居る和田優樹菜が遥を呼ぶ。


 正気では言いそうにもないセリフだ……。


 相当呑んでんな、こいつら、と思った。


 誰が、人斬り新海だ。

 さっきはリストラ大魔王とか、俺に向かって言ってたな。


 お前ら全員クビにしてやろうか、と思いながら、数を数え、

「……ちょうど十人居るな」

とぼそりと呟くと、横に居た正気の山村だけが、ひっ、と息を呑んでいた。


 その十人には、もちろん遥も入っている。


「座ってください、人斬り様っ」

と和田優樹菜が遥の側の赤い座布団を叩く。


 遥はグラスに手をかけたまま眠そうだ。


 そこに行こうとすると、上を向いて自分を呼ぶ女が居る。


「人斬り課長」

「新海だ」


「遥を持って帰ってください。

 酔っていますっ」

と訴えてくるお前が酔っている、と思っていた。


 ちょっと来るのが遅かったようだ。


 正気の奴が居ない。


 遥が眠い目をこすりながら、

「わ、私は酔ってませんよ。

 酔ってるのは、亜紀さんですよっ」

と言い返している。


「いいや。

 あんたは帰りなさい。


 小宮さんに色目使ってないで、さっさと課長に持って帰られなさいっ」


「いやいやいや。

 今、小宮さん、関係ないでしょう。


 山村さん、亜紀さん持って帰ってくださいっ」


 ええっ? と唐突に遥に話を振られた山村が振り返る。


 今、まさに腰を据えて呑もうとしていたところだったからだ。


 話の流れがわかっていない山村は、

「小宮がどうかしましたか? 亜紀さん。


 そうだ。

 小宮呼ぼうかな。


 確かまだ会社に居たから」

と言い出す。


 ええっ? とみんなが山村を振り返る。


「や、やめてください、山村さん」


 止めようとする遥たちを押し退けるように

「よしっ、山村、小宮を呼べっ」

と亜紀が言う。


「なんなんだ、この無法地帯は……」

とその場に馴染めず、航はひとり呟いた。






「課長、呑み過ぎですよ。

 今日、まだ月曜なのに」


 航と二人、駅まで歩いて帰りながら、遥は言った。


 結局、小宮も来て、場所を変え、また呑んでしまった。


 それにしても、この人、私を迎えに来たんじゃなかったのかな?


 なんで私より呑んでんだ?


 二次会では、ほとんど酒が口に入らず、遥の酔いは、すっかり冷めていたので、そのあと、散々呑まされた航との間に、随分テンションの差があった。


「俺はお前を迎えに行ったはずなのに」


「そうですねー」


「なんであんなに人増えてんだ。

 もう今日のがコンパでいいんじゃないか?」


「そうですねー」


「お前、さっきから、そうですねしか言ってないぞ」


「そうですねー」


 いや、酔っ払いにはこの程度の相槌でいいと思っていたのだが、意外と聞いてんだな、この人、と思っていた。


「課長、ほんと呑み過ぎですよ」


「小宮がやたら、お前に酒を勧めるからだろ」


 そういえば、そんな小宮を鬼のような形相で亜紀が見てたな、と思い出す。


 あの顔を見た辺りから正気になってきたのだが。


 小宮が勧めるたび、航が、

『こいつはもう呑み過ぎだから』

と言って、その酒を自分が呑んでくれていたのだ。


 呑み過ぎですよ、ほんと、と思いながら、感謝して遥は笑う。

 だが、まあ、この酔いっぷりなら、亜紀の言ったことも聞いてはいまいと安堵していた。


 帰り際、亜紀は、

「人斬り課長、ちゃんと遥を送って帰ってくださいよ」

と言いかけて、


「遥、課長をちゃんと送ってよ」

と言い換える。


 ……ですよね、と苦笑いしていると、亜紀は、航に、

「課長、今日はどうもすみませんでした。

 一緒に呑んで楽しかったです。


 でも、今日、なんだかわかりましたよ。

 なんで、堅物の課長がなんで、遥なのか」

と言い、おやすみなさい、と機嫌良く戻っていった。


 まだ呑むつもりのようだった。


 ……課長がなんで、遥なのかって、なんだろうな。


 赤くなりながら、酔った航があの言葉を覚えていないことを願った。


 ちょっと……恥ずかしいから。





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