おっと、そこまでですっ、大魔王様っ! 9


 今時のモダンな家の前で遥が言う。


「課長、上がってってください」


「なんでだ。

 帰るぞ」


 門の前、階段の下まで来たとき、ちょうど、玄関が開いた。


 荷物を手に、子供を抱いた女と遥の母親が出てくる。


「あ、遥、お帰りー。

 遅いわよ。


 今帰ろうかと、あら、彼氏?」

とこちらを見て言ってくる。


 遥の姉のようだった。


「えっ?

 いやっ、課長が送ってくれて」


「あら、課長さん。

 遥がいつもお世話になってますー」


 いや、隣の課なんだが、と思いながらも挨拶した。


 いつもお世話になります、とあの感じのいい遥の母が頭を下げてくる。


「課長さん、どうやって帰るの?

 駅まで送りましょうか?」

と遥の姉が言うと、後ろから、ぬっと背の高い男が出てきた。


「私が送ろう」


「あ、お父さん」

と遥が笑う。


 は……遥の父親。


 メガネをかけて、背が高く、学者タイプ。


 温厚そうで、威圧感のある人でもないのに、社長を前にするより緊張してしまう。


 何故だ? と自分で思いつつも、頭を下げた。


 なにもやましいことなどないのに。


「そうね。

 隆弘さん待ってるから、じゃあ、お父さん送って」


 にやりと笑って遥の姉は言い、

「それじゃ、失礼しまーすー」

と大きな七人乗り車に乗って去っていってしまった。


「遥」

と航は小声で遥を呼ぶ。


「俺は自力で帰るからとお父さんに言ってくれ」

と言ったのだが、遥は、


「え?

 でも、もうお父さん、車出す準備してますよ」

と取り合ってくれない。


 察しろ、莫迦っ。

 お前、俺の母親と二人きりで車に乗りたいかっ、と思ったが、こいつ、意外と動じそうにないな、とも思う。


 まあ、別に俺と付き合っているわけでもないから、関係ないといえば、ないのだが。


 いや、そうだ。


 俺も遥の父親と二人きりになったからと言って、関係ない……


 関係ないはずだ……。


 そう思いながらも、遥の腕をつかんでいた。


「お前、ついて来てくれるんだよなっ?」


 ええっ? と遥が言い、会話が聞こえているわけでもないだろうに、遥の母親が玄関先で笑っていた。






 結局、遥に同乗してもらい、車で送ってもらったのだが、その間、遥の父親はまったくしゃべらず、一緒に後部座席に乗っている遥がひとりで阿呆な話をしていた。


 助かると言えば、助かるが、コンパの話とか今するなよ、と航は思う。


 ちらと窺い見たが、遥の父親は、特に表情も変えてはいなかった。


「あ、此処でいいです」

と大きな道の止めやすい場所で言ったのだが、遥は家まで送っていくと言う。


 結局、アパートの前に止めてもらった。


 失敗したなー、と何故か思っていた。


 ちょっと離れたワンルームマンションを借りるか、駅に近い普通のアパートを借りるか悩んで、駅に近い方を選んだのだが。


 ちょっと遠くても、見栄えのいいマンションにしておけばよかった、なんとなく……。


 そんなことを思いながら、

「ありがとうございました」

と車を降りて、遥の父に頭を下げる。


「それじゃ、失礼しまーす」

と窓から覗いて言う遥に、


「お前、後ろに乗ったままか。

 乗り換えないのか。


 父親に運転させて、後ろにふんぞり返ってるとか、王様か」

とつい、いつもの調子で言ってしまい、しまった、と思ったのだが、そこだけ、遥の父が笑ってくれたので、ちょっとほっとしていた。


 航は、去っていく車を見送りながら、


 あー、緊張した。


 遥の父親と居るというだけで、なんでこんなに緊張するんだろうな? と首を捻る。


 アパートの階段を上りながら、今まで、家なんて寝られればいいと思っていたが。


 ……引っ越そうかな。


 それとも、ちょっと親が小うるさいが、実家に帰ろうか。


 まあ、遥の父親に送ってもらうなんてこと、二度とないと思うが。


 そんな、今まで考えたこともないようなことを考えながら、振り返り、もう遥の父の車のない道を見た。





 月曜日、早めの電車に乗った遥は、ホームに航の姿を見つけた。


 やはり、この電車だったか、と思っていると、こちらに気づいたらしい航が違う車両に乗ろうとしていたようなのに、来てくれた。


「おはようございます。

 この間は、ありがとうございました。


 あれから、トナカイ探したんですよー」

と言うと、


「毛皮を剥ぐのにか」

と言われる。


「……着ぐるみですよ」


 いや、私の言い方も悪かったかもしれないが、生きたトナカイを探して歩くわけがないではないか。


 それとも、ジョークなのだろうか?


 真顔なので、此処で笑っていいのかわからない、と思いながら、並んでつり革をつかんでいた。





 駅からの道も航と二人で、しょうもないトナカイの話を続けながら歩く。


「だから、クリスマスのイベント、十一月の頭でもいいんですよー。


 ホテルとか十一月からクリスマス仕様になってるところもありますよ」


「……誰と行ったんだ、ホテル」


 そう唐突に訊かれ、

「え? ああ。

 去年行ったんですよ、十一月に。


 おばあちゃんと従姉妹の子のまさくんとー」

と答えていたのだが、途中から航は明らかに聞いていなかった。


「……あの、訊いておいて、興味ない顔するの、やめてくれませんか?」


 などと話しているうちに、あっという間に会社に着いた。


 エントランスに続く階段に足をかけたとき、ふいに後ろから航が呼びかけてきた。


「遥」


 はい? と振り返ったが、何故か足を止めている航はなにも言わない。


 なんだろうな、とその顔を見つめていると、

「電話番号」

と言ってきた。


「電話番号がどうかしましたか?」

とちょっと警戒しながら訊いてみる。


 今、遥の携帯には社内の美男美女の携帯の番号がわんさか入っている。


 だ、誰か個人的に知りたい番号があるとか? と思っていると、

「お前、俺に番号教えてないだろ」

と航は言った。


「え? ああ、昨日、教えませんでしたっけ?」


「お前、真尋にしか教えてないぞ」

と航はぶっきらぼうに言ってくる。


「あれ? 真尋さんから聞かなかったんですか?」


「……教えるのを忘れたようだ。

 急ぎの用があったら困るから教えろ」


 そんな背後から銃を突きつけてるような口調で言わなくても、と苦笑いしながら、

「あ、じゃあ、課長の携帯に今からかけますねー」

と携帯を取り出す。


「ちゃんと登録してくださいよ」

と笑いながら、すぐ目の前に居る航の携帯に向かって発信した。





「面妖なものを見たわ」


 朝、給湯室で、亜紀が言ってきた。


「は? なんですか?」

と遥は健康茶の袋を手に振り返る。


 朝だけは関連会社が作っている健康茶を全員分淹れることになっているので、同じ給湯室を使っている他の部署の人たちと一緒に、それを煮出していたのだ。


「あんた、朝、新海課長に携帯の番号訊かれてなかった?」


「……訊かれましたけど?」


「なんで今頃教えてんの?

 付き合ってるのよね? あんたたち」

と確認するように言ってくる。


「いえ、そのような事実はありませんが」


「だって、今朝も一緒来たじゃない」


「たまたま一緒になったんですよ」


「あんたいつも遅刻ギリギリなのに、なんであんなに早く来たのよ。

 課長と一緒に来たからじゃないの?」


「ええっ?

 遥さん、課長とお泊まりだったんですかーっ?」

と給湯室の入り口から、優樹菜が言ってくる。


 声がでかいっ。


 そして、何処から湧いてきたっ、と思っていると、優樹菜は、

「すみません。

 黒の極太マジック六本ください」

と備品伝票を突き出してきた。


「……多いわよ」


 事業部、備品の持ち出しが多いな、と思いながら、

「っていうか、違うわよ」

と言う。


「本当にたまたま朝、一緒になっただけよ。

 話してたのも、コンパの打ち合わせしてただけ」

と言うと、優樹菜は、


「楽しみですねー、コンパ。

 結局、何処でやるんですか?


 ホテルとかで豪勢にやったりしないんですか?

 会社が費用出して」

と言い出した。


「いや……リストラしようかって言うのに、そんな余分な経費は出してくれないんじゃないの?」


 そう言うと、

「それなんだけどさ。

 うちの会社って、そんなに切羽詰まってる?


 リストラしなくても、新入社員を減らせばいいだけの話じゃないの?


 今、人数が多い世代の人たちがどんどん定年になってってるんだから」

と亜紀が言ってきた。


「どっちかって言うと、見せしめっぽいですよね。

 見せしめ、違うか。


 ダラダラしてると、リストラするぞ、みたいな。


 脅し?


 リストラさせる方はたまらないですけどね」

と言ったら、すぐさま亜紀が、なに言ってんのよ、あんた、と言ってきた。


「させられる方がたまらないわよ。

 なに、人事寄りになってんのよ。


 っていうか、気をつけた方がいいわよ。

 課長とか逆恨みされない?


 刺されたりとか」


「な、なに脅してんですか。

 コンパやるほど気を使ってるのに、そんな恐ろしいこと言わないでくださいよ~」

と訴えると、


「あら、遥さん。

 新海課長とはなにも関係ないんでしょ?


 じゃあ、別に課長が刺されてもいいじゃない」

とからかうように笑って言ってくる。


「いやあの、誰でも刺されてよくはないですよね……?」


 自分と課長の間に、本当になにもないのか、なんとかして、吐かせたいようだった。


 ……何故だ、と思いながら、

「ほんっとに関係ないんですってばっ」

と言うと、


「あらそう。

 じゃあ、私がコンパで新海課長を狙ってもいいってことね」

と言い出した。


「……亜紀さん。

 この間、新海課長は最下位だって言ってませんでした? イケメンランキング」


「あんたのものなら用はないって言っただけよ。

 フリーなら、課長が一位よ」


 そ、そんなに評価高かったんですか、新海課長。


 ああいう人をいいと思うのは私くらいかと思ってた……。


 いやいや……。


 別にいいと思ってるわけではないのだが。


 いや、ほんとに、と自分の頭の中のことなのに、自分で自分に言い訳していると、

「嘘よ。

 いらないわよ。


 なに渋い顔してんのよ。

 ちょっとからかっただけじゃない」

と亜紀は言い出す。


 そして、

「そうだ。

 今日、みんなで、呑みに行かない?


 遥を吐かせる会でもやりましょうよー」

と言ってくる。


 いいですねー、とみんなで勝手に盛り上がり始めた。


 ……吐くことなんて、なにもありませんからねーだ。


 せいぜい、内緒でトナカイの毛皮を探してることくらいですよ、と思いながら、お茶をそそいだ。






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