おっと、そこまでですっ、大魔王様っ! 8


「あれ?

 帰るの? 二人とも」


 他の客の皿を下げていた真尋がこちらを振り返り言う。


 航も遥ももう帰り支度をして、スツールから降りていた。


「ああ、閉店までまだあるだろ。

 電車で帰るよ」


「なんだよ。

 もうちょっと待ってくれれば……」

と言いかけた真尋はこちらを見、


「そうか。

 そうだね。


 じゃあ、気をつけて」

と何故かあっさり引き下がり、笑って手を振った。





 焼きそばは結局、航が奢ってくれた。


「お前、三分の二しか食べてないし、俺が食えと言ったんだからいい」

と言って。


「すみません。

 予想外に食べちゃいましたよね」

と帰る道道言うと、航は、


「いや、美味いから食べさせてやりたかったんだ。

 食べてくれた方がいい」

と前を見たまま言ってくる。


 いやでも、課長が食べる分、減っちゃいましたよね、と思ったのだが、あんまり言っても無粋かな、と思って黙っていた。


 ……食べさせてやりたかったとか、なんかちょっと嬉しいし。


 と思ったのだが、そこで黙ったのは失敗だった。


 そのまま、話題が途切れてしまう。


 えーと。

 二人きりだし、なんだか気まずいんですけど、と思ったのだが、航はそこで気を使ってしゃべり出すような男ではない。


 沈黙したまま、二人で、あの不思議な感じのする狭い路地を通った。


 青白いくらい明るい月の光に照らされた航の背中を見ていると、がっしりとした肩がスーツの上からでもよくわかる。


 さっきの制服フェチの話を思い出しながら、いや、スーツも似合うけどなーと思っていた。


 なんとなく空を見上げる。


「今日はあんまり星が出てないですね」

と呟くと、


「星が出てないんじゃなくて、月が明るいんだろ」

と言われた。


 なるほど、そうだな、と思って、もう一度星を見る。


「あ、オリオン座は見えますね。

 つていうか、あれしか見つけられないんですけど、私」


 ……返事がないな。


 星の話とか好きじゃないのかな、と思いながらも、また話題がなくなるのが怖くて、つい、そのまま話し続けた。


「私が年間通じて、唯一見つけられる星座なのに、オリオン座、そのうちなくなるみたいですね」


 なくなるというか。

 右肩の辺りにある星が超新星爆発を起こして消えてしまうらしいのだ。


「ベテルギウスだろ。

 もう爆発してるかもしれないな。


 地球で見られるまでは時間がかかるから」


 あ、喋った。


 やっぱり、こういう話も嫌いじゃなかったか、と思ったのだが、また航は黙った。


 なに考えてるんだろうなあ。


 真尋さんが居るときはわりと饒舌だったのに。


 私と二人で居るのが嫌だとか?


 やっぱり一人が先に帰った方がよかったのかな……。


 うるさいのかな?


 とか思いはしたのだが、まだ駅までは距離があったので、沈黙に耐え切れず、また、口を開いてしまう。


「寒くなってきましたよねー」


「そうだな」


「そうだ。

 コンパ、クリスマスコンパにしたらどうでしょう?


 盛り上がりそうじゃないですか」


「クリスマスって、まだそんな時期じゃないだろう」


「ハロウィン済んだらクリスマスですよ」


「ですよって、結構間空いてないか?」


「でも、百円ショップによると、ハロウィン済んだらすぐクリスマスなんですよ。


 っていうか、ハロウィンが近くなった辺りで、もうクリスマスグッズが並んでて、ハロウィングッズは隅に追いやられてますけどね」


 っていうか、一部、年を越しそうな勢いです、と百円ショップの品揃え情報を伝えてしまう。


「ハロウィンないときは、何処からクリスマスだったんでしょうね。


 今日のケーキ屋さんも、もう……


 あっ。

 明日も健康診断ありますよね?」


 二日に分けて健康診断はあるので、つい、そう訊いてしまうと、

「……明日のケーキはうちの部署の誰かが買いに行くからいいぞ」

と言われてしまう。


 いやいやいや。

 ケーキ目当てに訊いてみたわけではないのだが、と苦笑いする。


 そこで、はた、と気づいた。


「あのー、明日も課長が乗せていかれるんですか?」


 口から出してしまったあとで、うわー、なに訊いてんだ、と自分で思った。


 いやつい、明日は誰か自分のところの女の子を助手席に乗せて行くのかな、と思ってしまったのだ。


「明日は、忘れずに、定期便に乗って買ってきてもらうから、俺は乗せていかないが」

と特にそこに深い意味を見出さなかったのか、軽い感じで航は言ってきた。


「そうですか」

と言いながら、ちょっとほっとした頃、駅の明かりが見えてきた。





 狭い路地を歩く間、航はずっと考えていた。


 星の話が始まったが、こいつは星とか見るのだろうか。


 だが、一年通して、オリオン座しか発見できないとか言ってるぞ。


 さほど興味はないんだろうな。


 実は、祖母の家には、天体観測ドームがあるのだ。


 好きなら連れていってやってもいいんだが、それほどでもないようだしな、と話すかどうか迷って沈黙してしまう。


 すると、遥は唐突に、

「寒くなってきましたよねー」

と言ってきた。


 天候、気候の話題は、話につまったときに出てくるものだ。


「そうだな」

と答えてやると、


「そうだ。

 コンパ、クリスマスコンパにしたらどうでしょう?


 盛り上がりそうじゃないですか?」

と言ってくる。


「クリスマスって、まだそんな時期じゃないだろう」


「ハロウィン済んだらクリスマスになりますよ」


 遥はそんな強引なことを言い出した。


 そして、百円ショップ的には、ハロウィンが済んだらクリスマスだというよくわからない持論を展開し始める。


 待て。

 いつから、日本の行事は百円ショップが仕切るようになった、とか思っているうちに駅へと着いていた。




 駅に着くと、遥は何故か駅名を確認している。


 どうも覚えていなかったようだ。


 よく店までたどり着けたな、と思いながら、電車に乗ると、そこはいつもの空間で。


 その明るさにもほっとして、わずかばかりしていた緊張が解ける。


 普段通りに本の話などしているうちに、自分の降りる駅に着いた。


「課長、降りないんですか?」

と遥が立ち上がらない自分に訊いてくる。


 少し迷って降りなかった。


「えっ?

 あれっ? いいんですか?」

と遥は閉まる扉を見ながら、自分が立ち上がり、おたおたとしていた。


 どのみち、もう電車は走り出しているのだが。


「遅いから送っていこう」

と遥を見上げて言うと、彼女は腰を下ろしながら、


「あ、でも、大丈夫ですよ。

 私、このくらいに帰ることもありますし」

と言ってきた。


「残業でか」


「あー、いえ。

 呑みに行ったりして」

と苦笑いするので、


「不良か」

と言ってしまう。


「……課長、私、大人です」


 そんな話をしているうちに、遥の降りる駅に着いていた。





 こいつ、いつもこんな道歩いて帰ってんのか。


 街灯少なくないか? とついつい、余計なチェックをしながら、航は夜道を歩く。


 テレビで、女性が、すぐに110番通報できるように、携帯を握って歩いてるとか聞いたとき、やりすぎだろと思ったのだが、今は、遥の手を見て、なんでスマホをつかんでないんだ、と思ってしまった。


 ……待てよ。

 スマホ?


 そういえば、真尋の奴、遥の携帯の番号、自分だけが聞いて、俺に教えてなくないか?


「遥」

と呼びかけたが、


「え、はい?」

と間近に見上げられ、つい、


「……いや、なんでもない」

と言ってしまう。


 いざとなると、聞きづらい。


 コンパの打ち合わせもあるし、訊いてもおかしくはないはずだが、と思いながらも、うまく言葉に出せなかった。


「コ、コンパ……」

とだけ無理やり言葉を押し出したあと、此処で切ったら、変な人だな、と気づく。


 だが、そこで、遥が勝手にしゃべり出した。


「そうですよ、コンパ」


 こら、黙れ、と思った。


 お前、またなにか、全然違う話に持っていこうとしてるだろ~っ、と思ったら、案の定だった。


「やっぱり、クリスマスコンパにします?

 私、トナカイの格好とかしてもいいですよ。


 所詮、太鼓持ちですし」

と遥は笑う。


 何故、トナカイ? と思ったが、そころからいろいろ考えて、

「そうだな、トナカイにしろ」

と言った。


 着てろ、着ぐるみ。

 ミニスカサンタとか絶対、不許可だ。


 似合いすぎる。


「トナカイがいいだろう。

 あったかいし。


 お前、寒がりみたいだから」


 雪の日、もこもこに着込み、帽子を被って、口許も隠れるほどのマフラーをした遥が、会社のロビーで、同期に、

『おはよー』

と言って、


『誰っ!?』

と驚かれていた去年の冬を思い出し、そう言った。


「あー、そうか。

 毛皮ですもんねー」

と遥は頷く。


「……お前、トナカイの毛皮を剥いで着る気か」


 ポリエステルだろ、と言っている間に、遥の家が見えてきた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る