おっと、そこまでですっ、大魔王様っ! 7


「すみませんっ。

 真尋さんっ。


 スマホ忘れてないですかっ、私っ」

と飛び込んで、しばらくしてから遥は航が居ることに気がついた。


 ひゃーっ。

 なんで居るんですかっ、と思ってしまう。


「やっと来たよ、遥ちゃん」

とにやりと真尋が笑う。


 い、いえいえいえ。

 私は別に、課長に会いに此処に来たわけではないんですよ。


 いやいやいや、ほんとに。


 もしかしたら、居るかもなーって、まあ、……ちょっとは思わないこともなかったですけど。


「あ、ありがとうございます。

 すみません」

と航が遥のスマホをつかんだので、そう言い、頭を下げたが、航はこちらを見たまま、それを渡さない。


「あのー、課長」


 返してください、と手を差し出すと、航はそれを遥の手に載せかけ、ひょっと高く掲げてしまう。


「なにやってんですかっ。

 課長ーっ」


「なにか渡したくない理由があるんじゃない?」

と真尋が笑って言う。


「そんなものはない」

と言って、航は遥の手にスマホを載せる。


「あ、もしかして、遥ちゃん、兄貴に携帯の番号教えてないとか」

と言われて気がついた。


「そ、そういえば、教えてないです。

 っていうか、私も課長の番号知らないです」

と言うと、


「知る必要あるのか」

とすげなく言ってくる。


「……あると思いますね。

 コンパの打ち合わせできないじゃないですか」

となんとなく喧嘩腰に言ってしまう。


「貸して、遥ちゃん。

 俺が兄貴の番号入れてあげるよ。


 で、俺から兄貴に遥ちゃんの番号教えてあげるから」

と真尋が言い、航が、


「待て。

 なんでお前を経由しなきゃならんのだ」

と言う。


「いや、おにいちゃん、素直に教えそうにないから」


 貸して、と遥のスマホを受け取ると、真尋は自分のスマホから、いろいろ操作していた。


「……ちょっと貸せ、真尋」

と航は言い、真尋の手から遥のスマホを受け取る。


 勝手にスマホを見た航は、

「なんでお前の番号が入ってるんだ」

と文句を言っていた。


「ついでだよ、ついで」

と真尋は笑う。


「ほんとは兄貴の番号は入れまいかと思ったんだけどね」


「……なんでだ。


 っていうか。

 これ、男の番号ばっかりじゃないか」

とアドレス帳を見た航が遥に言ってくる。


「いやそれ、課長のせいですからね……」


 全部、此処、二、三日で増えたものだ。


 ほら、と航が投げて寄越したスマホを落としそうになりながらも受け取ったとき、真尋が航に訊いていた。


「兄貴、なんか食べんの?

 またナポリタン?」


「いや、今日は焼きそばな気分だ」


「それが晩ご飯?

 もうちょっといいもの食べなよ。


 どうせ、帰りにまたコンビニでなにか買って帰るんだろうけど」

と言いながら、真尋が準備を始めると、航は、


「ああ、焼きそば、二つな」

と言ってくる。


「大盛りにしようか?」

と冷蔵庫を開けながら言う真尋に、


「いや、俺のじゃない。

 遥がまた欲しそうにするだろうから」

と航は言う。


「ええっ?

 私、ひとつは食べれませんよっ」


 さっき、ナボリタン食べたのにっ、と言うと、

「残ったのは俺が食べてやる。

 食べてみろ。


 絶品だ。

 というか、ソースの焦げた匂いがし始めたら、絶対、お前は欲しがる」

と予言される。


 そして、その予言は、おそらく当たっている、と遥は苦笑いした。


「いや~、もう帰ろうと思ってたんですけどね~」

と言うと、真尋が、


「兄貴と最後まで居なよ。

 早めに閉めて、送ってってあげるよ」

と言ってくれたのだが、作っている間に、ちらほらと客が来た。


 今日は閉店までまだ時間があるからな、と思いながら、そっちに行った真尋を見る。


「いい弟さんですね」

と言うと、


「どの辺がだ」

と言われた。


「えーと……美味しい料理が作れるところ」

と言って、鼻で笑われる。


 いや、大事なことだと思うのだが。




 戻ってきた真尋がソースで焼きそばを炒め始めると、遥はつい、身を乗り出してしまっていた。


「ほらみろ。

 食べたくなったろ」

と航が言う。


「この店に漂う素敵な珈琲の香りをも凌駕するこの香り。

 たまらないですっ」

と拳を作ると、真尋が嫌な顔をする。


「そうなんだよ。

 だからさ。


 本当は作りたくないんだよ。

 ナポリタンとか、焼きそばとか。


 でも、此処、住宅街だから、需要が多くてさ。


 たまにうちのおばあちゃんも親も、この人も食べに来るし」

と真尋は眉をひそめる。


「ナポリタンとはともかく、焼きそばは最初メニューにはなかったんだよ。


 でも、押しの強いうちの母親が、

『あら、なんでないの、焼きそば。

 美味しいじゃないの、あんたの焼きそば』

とか言ってくるから。


 もう、此処は何屋だって感じなんだけど」

と言う真尋に笑うと、遥を見、


「紅茶しか飲まない新しい客も増えたしねえ」

と言ってくる。


「うう。

 すみません。


 珈琲、匂いを嗅ぐのは好きなんですよ」

と言うと、


「なんかヤバい人みたいだね」

と笑われた。





「はい、お待ちどうさま」

と鉄板に載った焼きそばがふたつ。


 遥と航の前に置かれる。


「いい匂い」

と深く、その香りを吸い込んでいると、


「頼んで正解だろ」

と航に言われた。


 はい、と箸を割ろうとしたとき、窓際に座っていたOLさんたちが、顔を突き合わせ、こそこそ話したあとで、恥ずかしそうに言ってきた。


「あのー、こっちにも焼きそばひとつ」


 二人で分けて食べるようだ。


「……了解」

と真尋が苦笑いして言う。


 そりゃ、この匂い嗅がされたら、食べたくなりますよねーと思いながら、ご機嫌で食べようとしたが、おやっ? と思った。


「あれっ?

 課長のと私の焼きそば、なにか違います」

と焼きそばを見つめると、


「そう。

 何処が違うでしょうか?」

と笑って真尋が言い、


「間違い探しか」

と航が嫌そうに言っていた。


 遥は、じーっとふたつの焼きそばを見比べる。


 なにか課長の方は鮮やかさが足りないような、と気がついた。


「……ニンジンがない」


「そう。

 正解ー。


 兄貴、ニンジンが嫌いなんだよ。


 残されるの嫌だから、兄貴のだけ、最初から入れてないの」

と真尋が言う。


 子どもか、と思っていると、横から航が、

「誰にだって、嫌いなものあるだろう。

 お前にはないのか、古賀遥」

と言ってくる。


 何故、そこで威圧的にフルネーム、と思いながら、

「そりゃありますけどね。

 でも、意外っていうか」

と遥は言った。


「課長は朝起きたら、まず、ミキサーに何本もニンジンを放り込んで、ニンジンジュースを作って飲んで、生卵を何個かジョッキに割って飲んで、走りに行くイメージなんですが」


「生卵を飲んでって、俺は蛇か……」


「そういえば、兄貴、子どもの頃、よく絵本読まされてたよねー。

 お野菜を残さず食べましょう、野菜たちが悲しんでいます、みたいなの」

と笑って真尋が言う。


「それで、本好きになったんですか?」

と言って、


「なるかっ」

と言われてしまった。


「でも、私、ああいうのって、ちょっと違和感があって。


 野菜が私を食べて~って泣いたりするんですよね。


 うーん。

 食べられたいですかねえ?」

と言って、


「そこ、突っ込む?」

と真尋に言われた。


「ニンジンは食べないで~って言ってると思います」

と苦しそうに胸許に手をやり、助けを求めるようにもう片方の手を突き出して言うと、


「……無駄に小芝居がうまいな、古賀遥。

 食べる気なくすじゃないか」

と航に言われる。


「まあ、ニンジンに私を食べてって言われても、この人、ガン無視するよね。

 遥ちゃんに言われれば、別だろうけど」

と笑った真尋に言われ、


「え?

 私がニンジンを食べてって言ったらですか?」

と言った遥は、


「……違うよ。

 女子力大丈夫?」

と言われてしまった。


 このセリフ、なんか昼間も言われたなーと思いながら、ようやく焼きそばを口にする。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る