今すぐ会いたいです 2



 ……給湯室が人事の前だということをわかっているのだろうかな、こいつらは、と自分の席で仕事をしていた航は思っていた。


「あっ。

 阿呆な相談じゃないですよーっ。


 のろけてもいませんっ」


「なによーっ。

 一見、相談だけど、よく考えたら、単にのろけてるだけなんじゃないの、あんた?」


 ……丸聞こえだ。


 前の席の部下が。


 この男は本当に自分より年下なので、素直に部下と呼べる後輩なのだが。


 ノートパソコンを打ちながら、俯き笑っている。


「なにのろけてるんですかね?」

とこちらに向かい、小声で訊いてきた。


 知るか、と赤くなる。


 しばらく静かになっていて、聞こえなかったが、最後に遥の絶叫が聞こえた。


「とりあえず、まどかさんを手に入れなければっ」


「ま、まどかさんって誰ですか?」

と何故か手に汗握って、部下が訊いてきた。


 ……インコだよ。




 




 社食に行く途中の遥に出会った。


「まどか捕獲計画はどうした」

と遥に言うと、ああっ、なんで知ってるんですかっ、という顔をする。


「……声、デカ過ぎだ」


「こ、今度からロッカーで話すことにします」

と遥は言うが、ロッカーは部署と直結している。


 やめろ、と思いながら、エレベーターに乗ると、かなりいつもの調子を取り戻している遥が言ってきた。


「そういえば、新聞で見たんですけど、リストラ宣告した人が刺されかけたそうですよ」


「俺に報告してくるな」


 などと物騒な話に花が咲くエレベーターの中は、社食に行く人や外に出る人でいっぱいだった。


「大丈夫ですかね」

と心配そうに遥は小声で訊いてくる。


「報復で刺されたり、リストラが終わったら、口封じに殺されたりしませんかね?」


「なにを封じるんだ。

 っていうか、その場合、封じるのは、あそこに居る人か?」

と航は、扉の一番前に居る人の良さそうな顔の人事部長を手で示した。


 苦笑いして聞いている。


「ああっ、すみませんっ」

と遥の言う声がエレベーター内に響いた。


 エレベーターを降りたとき、待っていた部長が笑って言ってくる。


「なにかあっても新海くんは大丈夫だね。

 あんなに君を心配している人が居るんだから」


 はあ、と曖昧な返事をしてしまう。


 心配してるのか?


 ただ、いつもの妄想を口から出しているだけなんじゃないだろうか、と思いながら、他の女性社員に、

「あんたなに言ってんの、もう~」

と言われ、周りの人に笑われている遥の背を見た。





 




 は、遥ちゃんだ。


 社食に行こうとした小宮は、柱の陰に隠れた。


 正面からやってきた遥と他の女子社員が笑いながら、社食に向かっている。


 その少し後ろに、新海航が小堺たちと話しながら歩いていた。


 なんで、さりげなく、その位置を取ってるんですか、大魔王様、と思いながら、物陰からそれを見る。


「小宮」


 ぽん、と肩を叩かれ、ひっ、と息を呑んで振り返ると、よりにもよって、大葉が立っていた。


 そっ、そういえば、あっちに居ないっ、と航たちの方を確認して思う。


「なにやってんの?」

と訊かれ、


「……な、なにもやってません。


 やっていませんが、僕が此処に居たことはご内密に」

と言うと、わかった、と笑われた。


「君でも挙動不審になるんだね」


 そう親しみを込めて言われる。


 じゃ、と肩を叩かれた。


 ひとりになり、大葉が敢えて、呑み込んだ部分の言葉を考える。


『恋をすると、君でも挙動不審になるんだね』


 そう言われた気がした――。






「いらっしゃい……」


 真尋は言いかけた言葉を止めた。


 自分の姿を見た瞬間、顔が強張った気がする、と航は思っていた。


 真尋はすぐにいつもの顔で、

「いらっしゃい」

と言いかえる。


「一人?」


 カウンターに行くと、そう訊かれた。

 ああ、と短く答える。


 少し離れて横に座っていた居た女が真尋に訊いていた。


「あれっ?

 もしかして、噂のお兄さんですか?」


「わかる?」

と真尋が笑って言うと、


「そっくりですー」

と女は言っていたが。


 そうか? と思う。


 双子でもないのに良く似ていると子どもの頃から言われていた。


 だが、自分が筋トレが趣味になった頃から、あまり言われなくなっていたのだが。


 まあ、他人よりは似てるかな、と思う。


 単に、今、真尋と似ていると思いたくないだけなのかもしれないが。


「なにしに来たのー?」


 真尋は軽い感じで訊いてきたのだが。


 何故かそれが、

『なにしに来た、帰れ~っ』

に聞こえた。


 遥の妄想癖が移ったのだろうか……。


 それとも、真尋の放つ気配を感じての想像か。


「この間まで、比較的仲の良い兄弟だったと思うんだがな……」


 頬杖をつき、横を向いてぼそりと言うと、

「今も仲いいでしょ。

 どうする? ニンジン」

と嘘くさい笑顔で真尋は訊いてくる。


 焼きそば食べるって言ってねえだろ、と思いながら、

「お前、遥をお袋に紹介したのか」

と訊くと、


「紹介したっていうか、勝手に来たんだよ、あの人」

と真尋は言う。


「たまにフラッと寄るときあるから」

と言ったあとで、ふと気づいたように悪い顔で笑う。


「ねえ、それ、どんな嫉妬の仕方?

 俺が紹介したかったのにとか?」

と言うが、


「キャベツ持って言っても、なんだか格好つかないぞ」

と言ってやった。


「……美味しいよ、このキャベツ」


「じゃあ、焼きそばもらおうか」


 もう作ってる、と真尋が言いったときには、もうソースの焦げるいい匂いがし始めていた。



 この匂いを嗅ぐと、遥を思い出すな、と思う。


 嬉しそうに焼きそばを食べる遥。


 ……の映像から、嬉しそうに焼きそばを食べる遥が、

『美味しいですっ』

と真尋に微笑む遥の映像に頭の中で切り替わる。


 焼きそばが嫌いになりそうだ……。


 おのれ、真尋め、餌付けしおって、と思っていると、

「兄貴はさー。

 此処来て、俺に嫉妬したり、釘さしたりする前にすることあるでしょー」

と忠告じみたことを、ぼそりと言ってくる。


「なんだかんだで、遥ちゃんが今一番好意を抱いているのは兄貴なんだからさ」


 『なんだかんだ』と、『今一番』に限定されたことが気になるが、と思いながらも、この状況で、自分に忠告してくれる弟に感謝もしていた。


「なんで遥なんだ?」

と小さな声で訊いてみる。


 女性ばかりの周りの客に配慮してのことだ。


 あのあと母親と電話で話して、確信した。


 真尋は遥に気があるのだと。


 此処に幾らも美人でまともな女性が溢れているのに。


 しかも、我こそは、と思って、みんなマヒロに声をかけられるのを待っているのに。


 いや、あの隅のカラオケ帰りらしい陽気なおばさんの集団とかは違うかもしれないが……。


 それなのに、よりにもよって、あんな落ち着きのない、妄想で突っ走って、インコを捕獲しようとしたり、トナカイを撃ち殺しに行こうとしたりする女を。


 何故だ……と思っていた。


 いや、それを口にすれば、いや、あんたこそ、何故なんだ、と訊かれるところだろうが。


「別にそんなんじゃないけど」

と前置きしたあとで、真尋は、


「休日なんていらないと思ってたんだけど」

と野菜を切りながら、こちらを見ずに語り出す。


「休日、なにもせずに、遥ちゃんとゴロゴロできたら、ちょっと幸せかな、とか思ってる」


 それだけだよ、と言いながら、

「はい」

と焼きそばを出してきた。


 相変わらず美味しそうな焼きそばを見ながら思う。


 ……どうしようか。


 かなり重症な気がしてきた……。




 





 やはり美味しかった焼きそばを食べ、航は夜道を歩く。


 真尋がまさか、遥を好きになるとは。


 あんな頓狂な女を好きなのは、俺くらいかと思っていたのに。


 そういえば、小宮にも気をつけろ的なことを大葉が言っていたし。


 何故、モテる遥、と航は腹を立てていた。


 確かに可愛いし、スタイルもいいし、脚も綺麗だし、面白いが。


 自分にとって重要なのは、面白いところと気が合うところ。


 それだけだ。


 綺麗な女なんて、幾らでも居る。


 現に今も真尋の店には、びっくりするような美人もたくさん居た。


 でも、なんだか遥は特別だな、と夜空を見上げる。


 吐いた息が白くて驚く。


 もうこんなに寒くなっていたのかと。


『やっぱり、クリスマスコンパにします?

 私、トナカイの格好とかしてもいいですよ』

と自分の隣りで言った遥の顔を思い出しながら、笑う。


 遥の言う、白い猫が必ず居る小道を抜けたとき、月明かりの下に人影が見えた。


 突っ立ってこちらを見ている。


 自分の父くらいの歳の年配の男。


「……新海課長」


 いつか自分がリストラを宣告した男がそこに立っていた。








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