今すぐ会いたいです 1
朝、駅のホームに来た航は驚いた顔をした。
「どうした、遥」
また遥が待っていたからだ。
「課長、ポット入り、イカの足です」
と紙袋を差し出すと、
「……ありがとう」
と言われた。
昨日、真尋の店に行く前に買っておいたのだ。
袋の中を覗いた航に、
「三つもいらないぞ」
と言われたが、
「そんなすぐには腐りませんから。
お友だちとお呑みになるときにでもどうぞ」
と言うと、
「そうか。
ありがとう」
と言われる。
せっかく買ってきたのだから、受け取らないと悪いかなと思ってくれたようだった。
押し付けたようになってしまったな、と思いながら、あの、と訊いてみた。
「課長、まどかさんが遊びに来ることって、ないんですか?」
「……一人でか?」
いや、一羽でだろう。
というか、一人で来たら、それは、脱走、というのではなかろうか、と思いながら、
「いえ、まどかさんの飼い主がまどかさんを連れて遊びに来られることはないんですか?」
と訊くと、
「俺の友だちじゃないからな」
と言われる。
ああっ、そうだった。
まどかさんの飼い主は真尋さんの友だちだった、と思っていると、
「まどかがどうかしたのか」
と訊かれる。
うう……。
インコの名前だとわかっているのに、女性名なので、イラッと来ますっ。
恋愛中というのは、常時、錯乱中みたいなものだな、と心の片隅にちょっとだけ居る、トナカイの着ぐるみを着ていない冷静な自分が思っていた。
今、遥の心の大部分は、トナカイの着ぐるみを来て、航の一挙手一投足に動揺している。
「まどかに会いたいのか?」
と問われ、
「は……はいっ」
と答えた。
「なんでだ?」
と当たり前だが訊かれ、
「なにかこう、まどかさんに悩み事を相談したい気持ちなんです」
と誤魔化す言葉も思いつかず言うと、航は何故か、動揺する。
「……俺はまどかになんか、なにも相談してなかったぞ」
……言ってません、そんなこと。
話しかけてたんですか? 課長、と思いながら、
「すみません。
まどかさんとちょっとお話してみたかっただけです」
と言うと、
「話しかけても、まどかはオウム返しに返してくるだけだぞ」
と言う。
「インコなのにですか?」
沈黙が訪れたとき、程よく、電車も訪れた。
電車は今日も混んでいたので、いまいち話せなかった。
駅から一緒に歩きながら、そういえば、こうして並んで歩いたりして、課長にご迷惑ではないのでしょうか、と遥は思っていた。
そのせいか、なんとなく沈黙してしまったので、気まずく、慌てて話題を探して、口を開いた。
「あっ、あのっ。
そういえば、昨日、お義母さまにお会いしました」
と言うと、聞いた、と言われる。
「なにか余計なことを言ったかもしれないが、気にしないでくれ」
と言われたとき、気にしないでくれ、という言葉だけが、何故か、遥の頭に残った。
気にしてないでくれって、やっぱり、あれのことかな? と思ってしまったからだろう。
『付き合って、結婚なさい。
遥さんっ』
そうですか。
課長的には、あれはなかったことにして欲しいのですね。
そう思ってしまってからは、どうやって会社まで着いたのか、自分がなにをしゃべっていたのか思い出せないくらい、精神的にフラついてた。
廊下で航と別れるときに、
「大丈夫か?」
と問われるくらいに。
……まどかさん、脱走して飛んできてくれないだろうかな、と思いながら、遥は廊下の窓を見た。
どうしたんだ、あれは、と思いながら、航はよろめきながら去っていく遥を見送る。
うちの親がなにか余計なことを言ったのだろうか。
……本当に一言多い人だからな。
朝、母親が、遥と真尋の店で会ったといって電話してきたのだが。
真尋の店で会った、というところが癇に障って、朝だから急いでいると言って、すぐに切ってしまった。
だから、遥とどんな話をしたのか知らないのだが。
あとで確かめておくかな、と思ったが、忙しかったので、結局、そのままになってしまった。
「昨日、プロポーズされました」
いつものようにお茶を沸かしたあと、他の人が給湯室を去ったところで、遥は亜紀に言った。
「なんなの? その急展開っ。
付き合ってもないのに、いきなり?
さすが出来る男は違うわねっ」
と何故か盛り上がる亜紀に、
「いや、課長じゃないんです」
と言うと、亜紀は眉をひそめ、
「じゃあ、誰よ」
とドアを閉めながら言ってくる。
いや、そこ閉めると、また注意されますよ、と見ながら、
「課長のお母様です」
と言った。
「……お母さん?」
「すごい豪快な方で、貴女を逃したら、次はなさそうだから、貴女、航と結婚しなさい、と言われました」
千佐子の言葉を伝えているだけだとわかっていて、自分の口から、航という名前を言うだけで、緊張してしまった。
「すごい人ね。
さすが、課長のお母さんね。
なんというか、合理的というか。
一直線というか」
確かに、仕事中の課長のようだ。
「で、なんて返事したの?」
と問われ、
「いえ、返事もなにも。
だって、課長の意志はそこにはないんですから。
それに、真尋さんが止めてくださいましたし」
と言うと、亜紀が言う。
「ああ、課長そっくりなのに、小宮風にチャラいという」
いえ、そこまでではないです。
「……会いたいものね」
と亜紀は、しみじみと言ってくる。
「大魔王様の親族なら、小宮ほど人でなしではないでしょう」
いや……小宮さんも、そこまで人でなしというわけでも。
私にとっての、神ですし、と思っていたが、余計なことを言うと、怒りを買いそうなので黙っていた。
「でも、あれから、なにかもう、いろいろと考えちゃって。
さっき、課長に、昨日、親が言ったことは気にしないでくれ、みたいなこと言われちゃったし」
ふーん、と亜紀は、また眉をひそめ、相槌を打つ。
「こう、思い詰めて、課長のまどかさんにお話を聞いて欲しいなあ、なんて」
と言うと、
「ああ、インコの」
と言ったあとで、
「ちょっとあんた。
なんで、インコに話したいのよ。
私たちはインコ以下?」
と怒られる。
「いえ、長々と繰り言を言っていると、みんな嫌かなあと思って」
と言うと、
「そりゃ、嫌よ」
と言われた。
「でも、聞いてやるわよ」
と亜紀は言ってくれる。
亜紀さんっ、と感謝したとき、
「その代わり、私が愚痴るときは聞きなさいよ~」
と肩をつかんで言ってきた。
うう、長そうだ……。
「でもあんた、インコに愚痴を言うのはとりあえず、やめときなさいよ。
奴ら、言葉覚えて繰り返すから」
うっ、そうか。
「子どもの頃、お母さんに怒られたとき、親には言い返せないから、近所の大家さんちの九官鳥にお母さんの文句言ってたら、九官鳥が全部しゃべっちゃってさ。
九官鳥にまで親の文句を言うなんて、虐待か? って心配した大家さんにうちの親、疑われて。
あとで、更にお母さんにこっぴどく叱られたわ」
ははは……。
「奴らオウム返しに、全部しゃべるからね」
と言うので、
「それなんですけど。
なんで、オウム返しって言うんでしょうね。
インコでも、九官鳥でも」
と言うと、……知らないわよ、と言われる。
「でもそうだ。
まどかさんがオウム返ししてくれて、課長に、そっと私の気持ちが伝わるとかないでしょうか」
と言うと、
「意図的に覚えさせるの?
課長、好きです、とか?」
と訊いてくる。
「いやそんな、ストレートな。
恥ずかしいじゃないですか」
と赤くなると、じゃあ、なんて言うのよ、と訊かれたので、
「そうですね。
ええっと。
課長の側に座って電車で通いたいです、とか。
たまに本の貸し借りしたいですっ。
あっ。
真尋さんのお店にも一緒に行きたいですっ。
お義母様とも、また一緒に呑みたいしっ」
つらつらと願望を連ねてしまうと、
「長いわよ
そして、ささやか過ぎるわよ」
と言われてしまう。
「そんなことは口に出して言いなさいよっ」
もっと他にないのっ、と言われれた。
「課長、好きです、とか」
そんな恥ずかしい。
「付き合いたいです、とか」
それも照れるな。
「キスしてください、とか」
「あ、それは、もう大丈夫です」
とうっかり言ってしまって、
「なんなの、それーっ」
と叫ばれる。
「そうなのっ?
そこまでしといて、なんで話が進んでないのっ?
課長、実はチャラいの?
遊び人なのっ?」
「あ、亜紀さん、声、もれますっ、声っ」
と遥はドアの向こうを窺う。
案の定、誰かがノックしてくる。
「どうかしたのかね?
大丈夫かね?」
うっ、うちの部長だ。
慌てて遥はドアを開けた。
給湯室のドアが閉まっていたので、心配して、ノックしてくれたようだ。
一体、過去になにが……、と思ったあとで、亜紀の話を思い出していると、亜紀が案の定、
「大丈夫です。
なにもしてませんよ」
と冷ややかに部長に言っていた。
そうですっ。
亜紀さんは、私のことを心配して話を聞いていてくださってるんですっ、と言おうとしたが。
その弁解も、亜紀が疑われていること前提になってしまうので、どうしようかな、と迷っていると、亜紀が溜息をつき、部長に言っていた。
「いじめられているのは私の方です。
古賀さんが、再三、のろけたり、阿呆な相談をしてきたりして……」
「あっ。
阿呆な相談じゃないですよーっ。
のろけてもいませんっ」
「なによーっ。
一見、相談だけど、よく考えたら、単にのろけてるだけなんじゃないの? あんたっ」
「ちっ、違いますーっ」
二人で言い合っていると、部長は笑い、
「まあ、どっちでもいいけど。
そろそろ始業時間だから、戻って」
と言ってくる。
元通り、ドアを閉めてくれた。
それを見た亜紀が表情を止める。
「すみません。
亜紀さん。
……亜紀さん?」
「……ありがとう、遥」
「なにがですか?」
わかんなきゃいいのよ、と言った亜紀は少し泣きそうに見えた。
ああそうか。
ずっと無実の罪で。
いや、無実かどうかはわからないが。
亜紀の強い口調に、相手はいじめられていると思ったのだろうから。
でも、亜紀にしてみれば、相手のことを思ってやったはずが、意地悪な先輩に仕立てられて、本当はずっと辛かったのだろう。
「亜紀さん。
亜紀さんはとてもいい先輩ですよ。
私も亜紀さんのお陰で、迷いが晴れました。
とりあえず、まどかさんを手に入れなければっ」
と拳を握ると、
「……いや、あんたそれ、またおかしな方向に向かってるから」
と言われた。
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