好きになれとは言ってない

櫻井彰斗(菱沼あゆ・あゆみん)

通勤電車は恐怖の時間 1

 




 うっ、リストラ大魔王様。


 いつもより遅い時間に品川から、京急線に乗った古賀遥こが はるかは、あ、あそこが空いている、と座ろうとした場所から後ずさる。


 そこには先に座っていたリストラ大魔王こと、新海航しんかい わたるが居たからだ。


 航はまだ若いが、人事の課長だ。


 何故、彼がそんな役職につけたのかと言うと、リストラに関する業務の一切を引き受けているからだ。


 ついたあだ名はリストラ大魔王。


 またの名を『人斬り新海』。


 そうまでして出世したいかとみんなに嫌味を言われているようだが、本人は、さして気にしている風にもなかった。


 というか、若くして役職についても、特に嬉しそうでもない。


 なにを考えているのかよくわからない男だ。


「古賀、なにを後ずさっている」


 広げようとしていた文庫本から顔を上げた航がそう言ってくる。


「座れ」

「はい?」


「座れ」

と繰り返される。


「……はい」


 無礼討ちにされても困るので、遥は仕方なく隣に座った。


 近い、近いな。


 座れはしたが、それなり混んではいるので、座席はぎゅうぎゅう詰めだ。


 航とも、隣のおじさんとも腰が触れていて、ちょっと困る。


 座れ、と命令してきた航だが、特にこちらに話しかけてくるでもなく、ただ本を読んでいる。


 こうしてると、普通の……


 いや、かなりのイケメンなんだがな、と遥は暇つぶしにその横顔を眺める。


 でも、ちょっとガタイが良すぎるような。


 自衛隊か消防署の人みたいだ。


 事務仕事にはもったいない肩幅だ。


 そんなことを考えていると、ふいに航は集中力を欠いたように本を閉じ、こちらを見た。


「……何故、俺の顔を凝視している」


「いや、暇だったので」


 というか、滅多に間近に見ることのない人なので、物珍しく、眺めてしまったのだ。


「だからって、至近距離から見るな」

という航は珍しく赤くなっているように見えた。


 へー、この人でもこんな顔するんだ、と思い、また眺めると、完全に本を読むのをやめたらしい航がこちらを見て言った。


「お前は仕事中でもよく一点を見てるな」

「そうでしたっけ?」


 さすが切れ者の人事課長、よく見てるな、と思っていた。


 遥の居る総務と人事は同じフロアにある。


「でも、課長、本とか読むんですね」

「読んじゃ悪いか」


「いえ、なにかこう、お休みのときとか、もっと違うことしてそうなイメージだったので」


 違うことってなんだ? と見られる。


 いや、身体を鍛えるとか、身体を鍛えるとか、身体を鍛えるとか、と思っていると、溜息をついた航に、

「お前の目は本当に口ほどに物を言うな」

と言われた。


 目がついつい、筋肉で張りすぎているスーツの肩の辺りを見ていたからだろう。


「……身体を鍛えるのが趣味なんだ」


 やっぱりか。


「でも、それだけじゃないぞ。


 本も読むし、映画も見る。

 友達と温泉行ったり」


 意外だな、と思っていた。


「課長、お友達居たんですねえ」

と言うと、お前、どんだけ失礼なやつなんだ、という目で見られた。


「まあ、社内にはあんまりな」

と言うが、そういえば、大葉さんとか、小堺さんとか、社食には一緒に来てるか、と思い、何故かちょっと、ほっとした。


 リストラ大魔王なんて呼ばれているせいか、航にはあまり近づかないようにしている人も多いのを知っていたからだ。


 変に目をつけられたくないからだろう。


 そうかと思えば、航の父親くらいの年なのに、変に彼に媚びを売る者も居て、彼は、いつも鬱陶しそうにしていた。


 こうして話していると、普通の人なんだがな、と思いながら、

「あのー、課長はなんで、リストラする役を引き受けられたんですか?」

と訊いてみる。


 特に出世欲があるようには見えなかったからだ。


 すると、航は、

「誰だって嫌だろ、リストラするのなんて」

 他に引き受け手もないようだったからな、と航は言う。


 ……意外だ。


 みんなが嫌がっているから引き受けたんだったのか、と思った。


「まあ、出来るだけ、後の仕事がどうにかなりそうな人にお願いしてはいるんだけどな」


 そういえば、遥の居る総務でリストラされた人は、実家の家業を継ぐと言っていた。


 出来るだけ、後の受け皿がある人を選んでいたようだ。


 それにしても、気持ちのいい仕事ではないだろうに。


「女子社員なら、相手が居て、結婚退職するタイミングを窺ってそうなのとかな」


「まあ、結婚後も仕事続けたい人と、そうでもない人が居ますもんね。

 じゃあ、盛大にお見合いパーティとかやるといいですよ」


「コンパでいいだろ。

 お前、手配しろ」

と航が言ってくる。


 ええーっ? と声を上げると、少し笑った。


 わ。

 大魔王様が笑った、とちょっと、どきりとしてしまう。


「まあ、俺もひとりなら引き受けられないこともないが」


「え?」


「結婚退職だよ」

と大真面目な顔で言いながら、本を鞄にしまいかけ、ふと思いついたように、航は遥の膝にそれを放った。


「じゃあな、古賀遥」


 あの……フルネームで呼ばれると、リストラ宣告されたようで怖いんですが。


 だが、扉の側でそう言い振り返った航を近くの女子高生が見ていた。


 まあ、見た目だけなら、そうなるよな。


 つい見ちゃうよな。


 ……社外の人には、『人斬り新海』なんて関係ないもんな。


 それにしても、なんでこれ貸してくれたんだろう。


 読めってことだろうか。


 なんとなくページを捲った遥は、そのまま車庫まで行ってしまった。






 朝、大魔王様は電車に居なかった。


 出会えたら、本を返そうと思ったんだが。


 会社では話しかけにくいからな、と思いながら、遥はひとり扉の近くに立っていた。


 そういえば、朝、電車で一緒になったこと、一度もないな、と気づく。


 違う車両に居るのかもしれないが。


 もしや、私より早い電車なのだろうか。


 会社に一番乗りとかしてそうだもんな。


 遥の頭の中では、何故か、航は、朝一の電車の横を同じスピードで走っていた。


 昨日の、身体を鍛えるのが趣味、という話が頭に残っているせいだろう。


 いやいや。

 電車に乗ってたじゃん、と考え直す。


 今度は、空いている早朝の電車の網棚をつかんで、懸垂したり、吊り革を持って、吊り輪の演技をしていた。


 いかんいかんいかん。


 大魔王様に頭の中を読まれたら怒られるな。


 そんなしょうもないことを考えながら、すぐさま渡せるよう持っていた航の本を手に、外の景色を眺めていた。



 

 はっ。

 自販機の前に大魔王様がっ。


 仕事中、総務から一歩出た遥は、廊下の自動販売機の前に居る航に気がついた。


 慌てて本を取りに戻り、なんとなく、気配を殺して航に近づいて行ったのだが、ふいに、航が振り向く。


 ぎゃーっ、と悲鳴を上げそうになったが、なんとか堪えた。


「古賀か。

 おはよう」


「お、おはようございますっ。

 昨日はありがとうございましたっ」

と頭を下げながら、突き殺しそうな勢いで、本を差し出すと、


「もう読んだのか」

と航は受け取らないまま言う。


「は、はい。

 面白かったですっ。


 そのまま車庫に入っていくほどっ」

とついうっかり言ってしまったので、仕方なく、昨日、航に借りた本を読んているうちに、車庫に入ってしまった話をした。


「車掌さんやお掃除の人に驚かれました」


 見つかったとき、まだ本を読んでいたからだ。


「それで、線路沿いを途中まで歩いて帰ったんです」


「それは災難だったな」


「いえ、ありがとうございました。

 読み終わったので、返上致します」

ともう一度、突き出してみたのだが、航は、


「返上……?

 ああいや、もう読んだから、貰ってくれてもよかったんだが」

と言う。


「ええっ?

 それはありがたき幸せっ」

とうっかり言ってしまい、


「……お前、若い娘のわりに言葉遣いが時代錯誤だな。

 それだと、俺が、うむ。苦しゅうない、とか言わなきゃいけなくなるだろ」

と言われてしまった。


 それは貴方のせいですよ……。


 この人と話していると、つい、

 ははっ。

 大魔王様っ、とか言って、かしこまりそうになる。


 なんか緊張して、息苦しくなってきたな。


 逃げよう。


 此処から逃げ出そう、と遥は、

「そっ、それでは、失礼致しますっ」

と航からもらった本を手に、手と足を一緒に出すくらいのぎこちなさで、その場を立ち去った。





 珈琲を飲みながら、航は、なんなんだ、あれは、と思いながら、遥を見送っていた。


 ありがたき幸せってなんだ? と思っていると、

「なに笑ってんだ、新海」

と前から来た同期の小堺が訊いてきた。


 自分の視線を追ってか、遥を振り返っている。


「いや、別に」

と言いながら、航は缶を捨て、自分の部署へと戻っていった。







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