おっと、そこまでですっ、大魔王様っ! 3


 今日は残業もないし、用事もない。


 遥はいつもの電車に乗っていた。


 居ないとわかっていて、なんとなく航の姿を探す。


 段々電車も空いてきて、空いた席に腰を下ろした遥は、ぼんやり止まった駅の駅名を眺めていた。


 ……何処だったかな、真尋さんの店がある駅。


 確か、降りたことのない駅だったが、覚えてないな。


 大魔王様がいきなり降りろと言ってきたり、手を握ってきたり。


 動転したせいか、大魔王様の言動以外の記憶があまりない。


 そういえば、店の名前も……なんだったっけかな?


 喫茶マヒロとか。


 いや、違うな。


 サロン・ド・マヒロとか。


 美容院か。


 真尋さん、もっとセンスのいい名前つけそうだし。


 そんなことを考えているうちに、自分の降りる駅に着いてしまった。





 いつもの時間に航は電車に乗った。


 少し車内を見回したあとで、空いていた席に座り、本を広げた。


 遥が貸してくれた本だ。


 それを見ながら、笑う内容でもないのに、少し笑う。





 翌日、遥はスマホのアドレスを確認しながら、職場の廊下を歩いていた。


 参加者のリストでも作ろうかな、と思っていたのだ。


 結構大変そうだな。


 だいたいの年齢とか部署とかも入れた方がいいだろうし。


 でも、仕事じゃないから、仕事中はできないしなー。


 彼氏も居ないのに、太鼓持ちをやれとか言われて、ちょっとむなしいのに、この大作業。


 新海課長が残業代出してくれないだろうか。


 お金じゃなくてもいいんだが。


 本とか、真尋さんのナポリタンとか、と考えていると、前から、航が来た。


 一瞬、どきりとしてしまい、いやいや、なんのどきりだ、と自分で思いながら、

「おはようございます」

と頭を下げる。


「おはよう」

と言ってあっさり航は通り過ぎた。


 思わず、足を止め、振り返る。


 なんなんですか。


 なんなんですか、その態度は~。


 いや、隣りの課の課長としては、それでいいのだが。


 こんなに課長のために頑張ってるのに~、と頭の中で、航の後頭部にナポリタンを投げつけたとき、


「古賀遥」

とよく響くいい声で呼ばれ、ひゃっと身を竦めそうになる。


 航が足を止め、こちらを見ていた。


「お前、今、暇か?」


「……は?」


「いや、お前に訊いてもわからないよな。

 お前の上司に訊いてこよう」

と言って、総務に入っていってしまった。


 なななな、なんでございましょうっ、と思っていると、すぐに航は出て来た。


「ちょっと来い。

 外に出るから」

と言う。


「は?」


「うちの女性社員は、秘書の手伝いに行ったり、定期便に乗って出てったりして、居ないんだ」


 決まった時間に決まった会社を回ったり郵便局を回ったりする会社の車があるのだが、それに乗って行ったりして、みな、出払っていると言う。


「健康診断用のケーキ頼むの忘れた。

 お前、ついて来い。


 俺じゃわからないから」

と航は言った。


 そういえば、今日、健康診断だったな、と思い出す。


 お医者さんや看護師さんたちにあとでケーキを出しているという噂があったが、本当だったのか。


「本当は、看護師さんたちのお茶に付き合う人事の分しか買っちゃいけないんだが、お前にもひとつ買ってやるから、ついて来い」


 はっ。

 ありがたき幸せっ、とまた言いそうになったが、ぐっ、と堪えた。


 しゃべりが時代がかっていると言われないようにだ。


 いやいや。

 大魔王様の前以外では、そんなしゃべり方したことないんですけどね、と思いながら、


「ありがとうございますっ」

と頭を下げる。


 でも、そうか。

 人事だとそんなイベントがあるのか。


 ……人事に行きたい。


 年二回の健康診断。


 ケーキ二個のために、人事に行きたい、と阿呆なことを考えながら、航と一緒にエレベーターに乗った。




 航は自分の車は持ってきていないので、会社の車を借りるようだった。


 助手席に乗るのは気が引けたが、だからといって後部座席に王様みたいに座るわけにもいかない。


「お、お邪魔致します」

と言いながら、助手席に乗ったが、特に航からの返事はなかった。


「買いに行くお店は決まってるんですか?」


「いつも同じところだから」

と素っ気なく言ったあとで、


「何処か他にいいところがあれば言え」

と会社から車で十分くらい行ったところにある美味しいケーキ屋さんの名前を航は言った。


「あ、美味しいですよね、あそこのお菓子。

 あんまり甘くないチョコ系のケーキと、レーズンバターサンドが特に」


「他の店でもいいぞ。

 看護師さんたちは新しい店の方が喜ぶかしもれない」


 そう前を向いたまま航は言ってくる。


「いえ。

 今日、あそこに行ったら、あの店のケーキが食べられるから頑張ろうっ!

 と思って、朝から頑張って仕事してる看護師さんが居たら悪いので、変えない方がいいかと思います」


「お前はそういう妄想して頑張ってそうだな」

と半笑いで言われたが、


「はい」

と遥は怯むことなく答える。


 別になんら恥じるところはない。


 なにを理由にしようと、頑張って働いているのだから。


「今日、看護師さんたちに訊いてみられたらいいですよ。

 たまには、違うお店がいいですかって」

と言った遥は、はた、と気づく。


 看護師さんって美人が多いよね、と。


 あの白衣がまた二割増に綺麗に見えるし。


 にこやかに……


 いや、そんな新海航は見たことがないのだが。


 妄想の中では、にこやかに美人看護師たちと、お茶をし、話している航の姿が頭に浮かんだ。


 なんかケーキ買いたくなくなってきた……。


 いやいや、待てよ。

 確かにうちに来る看護師さん、ほとんど、おばちゃんだったよな。


 ああでも、おばちゃんでも美人だったかもっ、と妄想の中でのたうちまわっている間、航は前を向いて、黙って運転していた。


 ちょっと不安になってくる。


「……あの~、課長、なんか機嫌悪いんですか?」


「いや、今、お前を連れてきたことを猛烈に後悔しているところだ」


 ええっ。

 なんでですかっ、と思っていると、航はやはり前を見たまま言う。


「お前とはいえ、女性社員と二人きりなんて、緊張するじゃないか」


 お前とはいえってなんだ? と思いながらも、

「そ、そうなんですか?」

と訊く。


 いつも何事にも動じてないように見えるんですが。

 

 もしや、大魔王様でも、おじさんたちが言うように、

『いやあ、若い女の子に話しかけられたら、仕事とはいえ、どきどきしちゃうなー』

 みたいな感じなのでしょうか。


 ってことは、ご自分の部下とかいろんな女の人に話しかけられるたび、どきどきしてるとかっ?


「……なに無言になってるんだ」


「いえ、ちょっと瞬時に妄想が駆け巡りまして」

と言うと、どういう意味に受け取ったのか。


「別に此処で襲いかかったりしないぞ」

と言ってくる。


「そ、そうではなくてですね……」

と弁解しようと思っている間に、近すぎるケーキ屋についてしまっていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る