おっと、そこまでですっ、大魔王様っ! 1


「あれっ? 課長、どうしたんですか。

 珍しいですね。


 この電車だなんて」

といつもよりかなり遅い電車に乗った航は、遭遇した古賀遥に言われた。


 寝過ごしたのだ。


 明け方まで考え事をしていたせいだ。


 っていうか、お前、いつも、この電車なのか。

 遅刻ギリギリじゃないか、と思う。


「わかった。

 朝まで本読んでたんでしょう」

と遥が勝ち誇ったように言ってくる。


 ……お前のせいだろうが。


 と思ったのだが。


 遥のことを考えていて朝になった、などと言おうものなら、あらぬ誤解を呼びそうなので、口にはできなかった。


「ところで課長。

 昨日、真尋さんに、あの店の雰囲気にあった美人を紹介しろと言われたんですが、誰を紹介したらいいですかね?」


 なんとなく、遥の隣のつり革を持ちながら、航は言う。


「美人を紹介しろじゃなくて、美人に店を紹介しろだろ。


 そうだな。

 ……管理の岡崎さん辺りかな」


「えーと。

 元社員で、今、臨時で、いらしてるおばあさま」


「落ち着いて、店の雰囲気にあった美人だ」


 遥が笑う。


「じゃあ、社食で会ったら、言っときます。


 あ、これ、昨日の本です。

 お貸ししますよ」

と遥が本を差し出してくる。


「もう読んだのか?」


「はい」

と言った遥は、何故か、そこで、にんまり笑う。


「あ、課長。

 そこ空きましたよ」


 リストラ大魔王じゃなかったのか、と思いながら、遥が課長と呼ぶのを聞いていた。


「お前、座れ」


「あ、ご老人が居ました」


 そんな、なんてことない会話をしているうちに、品川に着いた。


 いつもより随分早く感じたが。


 まあ、きっと、気のせいだ、と航は思った。





「もう読んだのか?」

と航に言われた遥は、にんまり笑った。


 昨日あれから、半身浴をしながら頑張って読んだのだ。


 のぼせて、ひっくり返りそうになったことは内緒だが。


「あ、課長。

 そこ空きましたよ」

と言うと、リストラ大魔王じゃなかったのか、という目で航が見る。


「お前、座れ」


「あ、ご老人が居ました」

と言いながら、ほっとしていた。


 航が離れて座っても、自分が座れと言われても、なんだか嫌だな、と思っていたから。


 なんでだろう。


 大魔王様と朝一緒になるなんて、レアなことだからかな?


 きっとそうだ。


 でも、そうか。

 大魔王様の思う落ち着いた美人って、岡崎さんなのか。


 自分が将来年をとるなら、あんな風にとりたいなと思わせる品のいいおばさまだ。


 そのまま、大魔王様と話しながら、会社に向かった。





 職場に着いた遥は、朝からお賽銭を数えていた。


 会社の管理している土地にある観音様のお賽銭を数えるのも総務の仕事だ。


 八枚、九枚、十枚……と数えていると、横から余計な声が混ざってくる。


「……一枚、二枚、……三枚」


 ん? 今、何枚だ?


「一枚足りない~」

と言ったその声に、


「もうっ。

 邪魔しないでくださいっ」

と振り返ると、大葉が立っていた。


「あっ、すみませんっ。

 大葉さんでしたかっ。


 って、もうっ。

 何枚数えたか、わからなくなっちゃったじゃないですか~っ」


 ははは、と笑った大葉は、

「ごめんごめん。

 人が数数えてると、やりたくならない?」

と言う。


「ところで、噂のコンパは、いつなの?

 楽しみにしてるからね、遥ちゃん」

と肩を叩かれた。


 はあ、と曖昧な返事をしているうちに、大葉は、部長にハンコをもらって出て行ってしまう。


 すると、後ろの席の亜紀先輩が、すうっと椅子を滑らせてやってきた。


「例のコンパ、やっぱ、大葉さんも来るんだ?」

とカムフラージュのように、特にいらない資料を手に小声で訊いてくる。


「そのようですね」


「じゃあ、私もメンバー入れといてよ」


 モテるな、大葉さん、と思いながら、

「それは大歓迎ですけど。

 でも、あのコンパ出ると、時代錯誤にも、結婚退職させられちゃいますよ」

と小声で返すと、


「ほんとにそんなことさせられるわけないじゃない~」

と亜紀は笑って、軽く言う。


 いやいや。

 奴はやりますよ、と、


『……あと十人だからな』

と呟いて、場を凍らせていた大魔王様を思い出していると、


「そんなのあんたの彼氏だけよ。

 みんな普通にコンパに来るわよ」

と言ってくる。


「……誰ですか、私の彼氏って」


 生まれてこの方、私は、私の彼氏とやらに、会ったことがないのですが、と思っていると、


「いやあね。

 人斬り……


 失礼。


 新海課長に決まってるじゃないの」

と亜紀は言ってくる。


 今、人斬り新海って言おうとしましたね……。


「あ、ってことは、遥はもう結婚退職かあ。


 やあねえ。

 一から仕事教えて、やっと使い物になってきたところだったのに~」

と勝手にもう辞めるていで話が進んでいく。


「まま、待ってくださいっ。

 私、課長と結婚しませんしっ。


 会社も辞めませんよっ」

と亜紀の肩をつかむ。


「あんた声が大きいわよっ」

と抑えた声で、亜紀は言ってくる。


 確かに、何人かがこちらを振り返っていた。


 なんでそんな話になってるんですか。


 この会社では、ちょっと電車でしゃべって、本を貸し借りしただけで、付き合って、結婚しなきゃいけない決まりでもあるんですかーっ、と言いたかったのだが、亜紀はもう自分の仕事に戻っていて、遥の弁解など聞く気はないようだった。





 まずいな。

 このままでは大魔王様との噂により、相手が寄って来なくなる。


 いや、もともと来てはいないのだが……と思いながら、廊下を歩いていると、


「あ、遥。

 私もメンツに入れてね」

と通りすがりの先輩女子にいきなり声をかけられる。

 

 え? は? と振り返っていると、今度は、


「おい、そこのリストラ課長のコンパ係」

と通りすがりの男性社員が手を挙げて来た。


 誰がですかっ、貴女はっ、と思っていると、真尋ほどではないが、今風に整った顔のその男は、


「男は課長が集めんの?

 もし、人数足らないようだったら、俺も入れて」

と言ってきた。


 いや、だから、まず、貴方は誰なんですか……。


 何度か見たことはある気がするのだが、とそのまま行ってしまおうとする男を振り返る。


「すみません。

 あの、お名前と住所と電話番号を」


 もし、と旅のお方に話しかけるように言ってしまうと、男は戻ってきた。


「なにそれ。


 街頭アンケート?

 ナンパ?


 っていうか、古賀遥、俺の名前知らないの?」


 ショック、と額を指で弾かれる。


 そこのリストラ課長のコンパ係とか言うから、こっちの名前は知らないのかと思っていた。


 私だけ知らないとか無礼だったな、と思っていると、まさにそのまま口に出された。


「古賀遥。

 総務のくせに、社員の名前、知らないの?」


 へー、と言われてしまう。


 いや、幾ら総務でも、全社員は把握できないんですけどね、と思っていると、

「この俺を知らないとは。

 さすがリストラ大魔王の彼女だね」

と言われた。


「い、いや、待ってください。


 私は大魔王様……じゃなかった。


 新海課長の彼女じゃないですしっ」

と訴えると、


「じゃあ、なんで、あんな上から目線で使われて、コンパの世話とか頼まれてんの?」

と男はもっともなことを言ってくる。


 いや、私もそう思ってるんですけどね、と思いながら、

「……私は、ただの大魔王様の小間使いですよ」

と答える。


「そうなの?

 じゃあ、ああいう自衛隊員みたいなのが好みってわけじゃないんだ?


 へー。

 じゃあ、なんで、俺に興味ないの?」


 筋肉フェチかと思った、と男は言い出した。


 自分に興味がないのは、身体の好みが違うからだろうとか、どんな自信過剰だ。


 っていうか、偏見だ。


 新海課長は、見かけが体育会系なだけで、本とか好きなんですよーだ、と思っていると、

「おーい。

 遅いぞー」

と小会議室から顔を覗けた人が男を呼び出した。


「あっ。

 お前のせいで遅れかけたじゃないかっ」


 いやいや。

 私のせいですか? と思ったのだが、


「じゃあな、古賀遥」

と男は気安く頭を叩いて行ってしまう。


 結局、誰だったんだ……と思いながら、見送っていると、


「あ、遥さんっ。

 例のコンパ、私も呼んでくださいよーっ」

と階段を上がってきた後輩の優樹菜ゆきなに言われた。


「でも、きっと、もう人数オーバーだよー」


 大魔王様がどの程度の人数を想定しているのか知らないが、もう結構入れてくれと頼まれたからな。


 抽選にするのだろうか、と思っていると、えーっ、と優樹菜は文句を言ってくる。


「だって今、企画の小宮さんとコンパの話、話してませんでした?」


「ああ、あの人、小宮さんって言うんだ?」


「小宮さん、知らないんですか?

 もう~、さすがは遥さんですねー」


 さすがはってなんだ……と思ったが、優樹菜はまるで気にする風でもなく、

「あ、それと、イベントに使うんで、ロール紙ください」

と言いながら、総務までついてきた。

 



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