おっと、そこまでですっ、大魔王様っ! 5
渡り廊下の途中にある倉庫が一番目立たないかなーと思いながら、日当りのいい渡り廊下をケーキの箱を手に歩いていると、前から小宮が来てしまった。
目敏く、ケーキの箱に目を止め、
「あ、古賀遥がいいもの持ってる」
と言い出す。
「こっ、小宮さ~んっ」
と言うと、
「あっ、名前覚えた」
と笑う。
「あのっ、こ、これは大事な新海課長に買ってもらったご褒美なのでっ」
とケーキの箱を抱いて言い訳をしようとしたが、小宮は、
「へー、その『大事な』は何処にかかってるの?」
と言ってくる。
「え?
ご褒美ですよ」
とすぐに言うと、
「……わかった。
色気の無い古賀遥。
一口くれたら許そう」
と言ってきた。
何故、今の一言で色気がないと判断されてしまったのだろう、といぶかしがりながらも、仕方なく、二人で倉庫に入る。
スチール棚の並ぶ倉庫の隅で、遥はケーキの箱を開ける。
つやつやのチョココーティングに金の飾り。
中はチョコムースだ。
小振りで可愛い。
「ふふ。
美味しそうでしょ」
と選んだだけなのに、勝ち誇ったように言ったが、小宮は、
「じゃあ、見といてやるから、食べなよ」
と言ってきた。
「え?」
「仕事中にケーキ食べてちゃまずいだろ。
幾ら大事な新海課長にもらったものでも」
と言われ、
「いえいえ。
誰にもらおうと大事なケーキですよ」
と言って、
「本気で色気のない古賀遥。
さっさと食え」
と言われてしまう。
「じゃあ、半分こしましょう」
とついていたフォークで切ろうとすると、
「いらない。
ちょっとからかっただけだよ」
と言われたのだが、
「なに言ってるんですか。
一緒に食べて、共犯になりましょう」
と主張する。
「それにこれ、本当に美味しいんです。
せっかくだから、食べて欲しいです」
と小さく切って、フォークに突き刺し、
「はい」
と差し出すと、一瞬、止まった小宮に、
「ちょっと待って。
これって、世に言う、はい、あーんって奴じゃない?」
と言われた。
そう言われてみれば、そんな気も……。
「す、すみませんっ。
ご自分でお食べくださいっ」
とフォークを渡すと、小宮は、
「では遠慮なく」
と食べたあとで、フォークを返しながら、
「いいの、それ、僕が食べたあとのフォークだけど」
と笑う。
「あ、じゃあ、拭きますよ」
と笑って言うと、
「……いや、拭けって意味じゃないよ。
大丈夫?
女子として」
と同情気味に言われた。
あー、美味しかった、と倉庫を出て、小宮と別れた遥は、その辺のゴミ箱に証拠を隠滅し、機嫌良く廊下を歩いていた。
すると、いきなり腕を引っ張られ、給湯室に連れ込まれる。
ひいっ、と思って身構えたが、引きずり込んだのは亜紀だった。
「ちょっと、遥。
話があるんだけど?」
なななな、なんでございますかっ? と今、やましいことをしてきただけに怯えていると、
「あんた今、小宮と二人で倉庫から出て来なかった?」
と亜紀は訊く。
「で、出て来ましたね……」
「あの倉庫、普段取りに行くような備品ないでしょ」
しかも、他所の部署の男と、と言われてしまう。
「あんた、二人は許さないわよ。
イケメン二人も持っていくのは」
ひ、一人なら許されるのですね。
意外と心広いな、と思いながら、
「す、すみません。
……じ、実は新海課長にお使いのお駄賃にいただいたケーキを隠れて食べようとしたら、小宮さんに見つかって、一口あげたんです」
と白状した。
「死ぬ程くだらなかったわね……」
と言われ、手を離される。
「そう。
なら、いいけど。
小宮はやめときなさいよ」
「えっ?」
「あの男、見た目以上にチャラいから」
と言われ、いや、見た目で充分チャラいのですが、と思っていた。
真尋さんの上品なチャラさとはまた違うというか。
と、恐らく、真尋が聞いても、航が聞いても、
「……上品なチャラさってなんだ」
と言いそうなことを思ってしまう。
「そっ、それでは失礼致しますっ」
と頭を下げた遥は、慌てて給湯室から逃げ出した。
遥の方は心配ないか、とすごい勢いで居なくなった遥を見送りながら、亜紀は思う。
しかし、すたこらさっさって、こういうのを言うんだな、と思って、笑いそうになる。
遥と居ると、こういうことがよくある。
笑ってしまって、追求できなくなるというか。
まあ、遥は新海課長にメロメロのようだから、小宮は関係ないか、と思う。
……遥自身に、新海課長を好きという自覚はまったくないようだけど。
新海課長が好みなら、チャラい小宮には興味ないはずだし。
それにしても、二人で倉庫に居て、あの小宮がキスのひとつもしないとは。
遥が好みじゃないというわけでもなさそうなのに。
新海課長が怖いからか。
それとも……と考えたあとで、あほらしい、と自分で思う。
もうなにも関係ないのに。
そんなことを考えながら、給湯室から出たら、ちょうど航と出会った。
うーん。
いい男だが、私から見たら、面白みにかけるんだけどなー。
遥に言ったら、
『そんなことないですっ』
と猛反発することだろうが。
こういう朴念仁みたいな男でも、遥と上手くいってそうなのに、自分はなにやってるんだろうな、と思う。
いや、遥も新海課長も上手くいっている自覚はまったくなさそうだのだが……。
まあ、面白いから、このまま、もうちょっと見てるか、と思いながら、
「お疲れさまでーすっ」
と新海課長と一緒に居た他の男性社員にも頭を下げて、通り過ぎた。
その日の帰り、いつも通りの電車だったので、もちろん、航はおらず、遥は、じーっと窓から外を眺めていた。
この駅の辺りで課長と話をやめて、此処で本を読み始めて。
この辺りで勝ち誇って。
そうだ。
此処らで、課長が、
『ちょっと降りるか?』
と言ってきて。
次の駅名を確認した遥は、
「降りますっ」
と言って立ち上がってしまった。
なんだ? という顔で周囲の人が見る。
……バ、バスならまだ今のセリフも許された気がするのだが。
たぶん、みんな、降りろよ……と思っていることだろう。
赤くなって足早に開いた扉から降りる。
あー、恥ずかしかった、とホームに降りた遥は記憶を頼りに駅からの道を歩いた。
昔ながらの商店街を通り、閑静な住宅街へと出る。
よし、此処だっ。
間違いないっ。
何処からともなく、美味しそうな夕餉の匂いがしてきた。
魚の煮物っぽい。
醤油のいい香りがする。
こっちは、白菜の炊いたのかな。
む。
この家はカレーか。
……ちょっとカレーが食べたくなったが、今日は違うものを食べると心に決めてるからな、と思いながら、遥は足を速める。
なんとなく郷愁を誘う街だが、もうすっかり日は落ちているので、なんだか怖い。
振り返ると、街灯の下に猫が立ってこちらを見ていた。
すらりとした白い猫で、あの日の猫とは違うと思うが、なんとなく、他の世界に迷い込んだよな感じを受ける。
そのうち、すっくと立ち上がって、しゃべり出しそうなような。
猫は好きだが、いきなりしゃべられたら、怖いな、と思いながら、足を更に速めた。
狭い路地を通り抜ける直前、暗い住宅街に、ぽつんと明るい光が見えた。
ま、真尋さんの店だっ。
近づくと、店内の様子が窺えた。
会社帰りのOLさんらしい人影が幾つか見える。
ほっとしながら、遥は真尋の店の扉を押し開けた。
「いらっしゃ……」
カウンターの中で言いかけた真尋が言葉を途中で止める。
にやりと笑って言ってきた。
「さては、ナポリタン食べに来たね」
「なっ、なんでわかったんですかっ」
と言うと、
「だって、珈琲嫌いでしょ?」
と笑う。
い、いや、嫌いとは言わないのですが。
「座ったら?」
とカウンターの席を勧められた。
はあ、では失礼して、とスツールに腰掛けると、少し離れた位置に座っている綺麗にお化粧したOLさんがこちらを睨んできた。
さっきまで、かぶりつきで、真尋と話していたらしいその人が、
「誰?」
と真尋に訊いている。
「ああ、兄貴の彼女」
と言うと、コロッと彼女は態度を変えた。
「あ、そうなの?
初めまして」
とにこやかに話しかけてくる。
……さっき、睨みましたよね、と思ったのだが、彼女の中では、真尋さんのおにいさんの彼女、イコール将来は身内、という感じなのかもしれない。
なんかその変化もちょっと可愛らしくもあるし、これ以上睨まれても怖いので、彼女じゃないです、という一言は呑み込むことにした。
「兄貴に連れてこられてから、僕のナポリタンのファンなんだって」
へー、そうなのー、とにこにこと真尋の話を聞いている。
きっと仕事帰りに此処に寄るのが息抜きなんだろうな、と思いながら、眺めていた。
わかる気がする。
イケメンでやさしい店主が迎えてくれる美味しい珈琲のお店……いや、私は珈琲はちょっと苦手なんだが、それでも会社帰りにこんなお店があったら、寄っちゃうよな、と思う。
亜紀さんとかに紹介したら、だって、ストレス溜まってるのよーっと言いながら、入り浸りそうだ、と思っていた。
彼女はにこやかに遥にも挨拶して帰って行った。
「今日は、ひとり?
兄貴と待ち合わせしてるの?」
「いえ、ちょっと、あのナポリタンが忘れられなくて」
と言うと、
「へー。
嬉しいね。
でも、一口もらっただけたから美味しいってこともあるよね」
と真尋は言う。
「僕、昔、おばあちゃんの中華丼一口もらったらすごく美味しかったんだけど。
自分一人で一皿食べたら、全然美味しくなかったことがあるよ」
遥が笑い、
「真尋さんのナポリタンはそんなことないですよ」
と言うと、
「兄貴のを一口もらったから、美味しかったんじゃない?」
とからかうように言われる。
「そっ、そんなことはないですっ」
と手を振ったが、視線はちら、と外を見ていた。
まだ、航の仕事が終わる時間ではないと知りながら。
あっ、そうだ。
お母さんにご飯いらないって、連絡しなくちゃ、とメールを打っていて、迷う。
『友だちとご飯食べて帰る』
一人なのだが、一人で食べて帰るとか言うと、びっくりされるだろうな、と思っていた。
今まで、そんなこと一度もなかったからだ。
一人で外で食べるのは苦手だ。
でも、此処なら、真尋さんが居るし、それに……とまた後ろを振り返ってしまう。
だが、そこには街灯の少ない真っ暗な住宅街があるだけだった。
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