今すぐ会いたいです 4
帰りの電車、遥は航と並んで座り、不思議だな、と思っていた。
この人と一緒に座っているだけで、こんなに嬉しいなんて。
最初に横にはべらされたときは、緊張のあまり死ぬかと思っていたのに。
あのときは、腰が触れるくらい真横に座っていても、なんとも思っていなかったらしい航が、今は少し距離を空けている。
確かに自分も、今の方が近づきにくい。
そんなことを考えながら、
「そういえば、課長は、デザート召し上らなかったですね」
と言うと、
「母親のロシア式教育法により甘いものは好まないからな」
と航は言う。
「なんですか、それ?」
「例えば、甘いものをあまり食べさせたくないなと思ったら、満腹のときなどに、嫌になるまで、食べさせるんだ。
すると、甘いものを欲しいと思わなくなり、嫌いになる。
俺はそれを実践されたんだ」
……どんな教育法だ、と思いながら、
「そんな教育法があるんですか。
すごいですね」
と言うと、航は眉根をひそめ、言ってきた。
「それが大人になって、調べてみたら、どうもそんな教育法はないようなんだ」
どうやら、騙されていたようだ、と。
騙されていたのは、あのお母様か、課長か。
課長っぽいな、と思っている横で、航が
「俺はつい最近まで信じていた」
と言い出す。
貴方ほどの人が何故……と思ったが、まあ子供の頃に植え込まれた記憶とか知識って、普段使わないものならあえて考えないし、疑わないもんな、と思う。
ってことは、真尋さんも甘いものは好まないのだろうかと思い、訊いてみると、
「いや、真尋のときは、既に子育ても手抜きになっていて、あいつは、やりたい放題だったから」
と言ってくる。
そこでこの性格の違いが産まれたのだろうか。
いや、性格って、持って産まれたものだろうかな。
そそんなことを考えている間に、航の駅に着いてしまった。
あーあ、と思っていると、航が、
「降りるか?」
と訊いてきた。
えっ、とつい赤くなって、止まっていると、
「冗談だ、おやすみ」
とあっさり言って、降りていってしまう。
えーと、と思いながら、反射的に、ホームに立つ航に頭を下げたとき、扉は閉まってしまった。
あっという間に、その姿は見えなくなる。
もう景色しか見えない車窓を見ながら、遥は固まっていた。
降ります、とすぐに言うべきだったのでしょうか……。
いや、でも、それもなんだか、と今更なことを悩みながら、電車を降り、ひとり夜道を歩いていると、携帯が鳴り出した。
その着信表示を見て、
かかかかかかか、課長だっ、と慌てふためく。
まるで爆弾のように携帯を持て余していたが、でっ、出なければっ、と何故か震える指でそれに出た。
「ももももももっ、もしもしっ。
もしもしっ!」
と死にそうな声で出ると、どうしたんだ? とでも言いたげな間のあと、
『大丈夫か?
ちゃんと帰ってるか?』
と航が訊いてきた。
「はははっ、はいっ」
はいっ、教官っ! という勢いで答えると、
『いや、夜道は心配だから。
やっぱり付いて帰ればよかったなと思って』
でも、お前の親がまた送ると言い出しそうで悪いから、と航は言ってきた。
そのあとで、
『ああ、そっと後ろをついていけばよかったのか』
と言い出したので、それはそれで変な人です、と思う。
だが、想像して、ちょっと笑ってしまった。
『家に着くまでしゃべってろ』
と航は言ってくる。
『お前の妄想話はどうせ尽きないだろ』
と言うので、妄想ではないが、今朝の夢の話をした。
すると、案の定、呆れたように、
『お前は夢もとりとめがないな』
と言ってくるので、
「じゃあ、課長の夢は筋が通ってるんですか?
課長は、どんな夢見るんですか?」
と訊いてみたのだが、何故か、一瞬、沈黙し、
『……教えない』
と言ってきた。
「……意地悪ですね」
と言ったあとで、空を見上げる。
弾みに吐き出した息が白く、もうすぐ冬だな、と実感した。
冬か。
クリスマスだな。
クリスマスコンパが終わっても、課長は、もう用なしな私に、声をかけてくれるでしょうか。
結婚退職を希望している人がうまく話がまとまってくれるといいんだけど。
……そしたら、きっと、課長も会社を辞めないでいてくれるから。
そんなことを思いながら、夜空を見上げ、唯一、それしか発見できない星座を見つけた。
「課長、今日も、爆発してません」
と報告すると、阿呆か、と言われたが、
「だって、いつしてもおかしくないとおっしゃってたじゃないですか」
と笑う。
なんだろう。
課長は居ないのに、一緒に歩いてる感じだな、と思っていた。
『遥、絶対、携帯を離すなよ。
今度、スタンガンを買ってやる。
いや、それより……』
それより、なんだろう、と遥は思う。
それより……
送らなくていいよう、一緒に暮らそうか、とか。
なーんてっ、と一人で勝手に考えて勝手に赤くなっていると、
『どうした?
大丈夫か?』
と航が言ってきた。
「す、すみません……」
ほ、本当に大丈夫か、私。
どうやら、話している途中なのに、妄想の世界に入り、沈黙してしまっていたらしい。
「あっ、課長っ。
白い猫がっ」
と目の前を、あの真尋の店の近くにいつも居るのと似た猫が横切っていったので、報告すると、航は何故か、
『……不吉だな』
と言う。
なんでだ、と思っているうちに、家の明かりが見えてきた。
「課長、家が見えましたっ」
と言うと、
『油断するな!
玄関を入って、鍵を閉め、家族の存在を確認するまで、電話は切るな』
と強い口調で言ってくる。
いや……何処の戦地ですか、此処は。
やはり、自衛隊に入りたいのか?
と思いながら、ただいまーと帰ると、ちょうど出て来た母親が、
「あら、今日はひとり?」
と訊いてきた。
「課長も一緒。
あっ、電話だけど」
と笑ったあとで、
「課長っ、無事にお母さんに遭遇しました」
と言って、遭遇ってなんだ? と言われる。
いや、すみません。
頭の中では、もう迷彩服を着て、ジャングルに居ました。
いや、課長のせいですよ……と思いながら、
「今日はありがとうございました。
おやすみなさい」
と言うと、
『……おやすみ』
と言って電話は切れた。
母親が居るので、笑うまいと思っているのだが、顔が、にまにましてしまう。
そして、母親は、そんな自分をずっと眺めている。
「お母さん、なんでそこにずっと居るのよ」
と赤くなって言うと、
「いや、最近、太っちゃってね」
と唐突に言い出した。
は?
「おねえちゃんのとき着た留袖は入らないんじゃないかと思うのよ」
「留袖?」
「いやね。
あんたの結婚式で着るのよ。
ああ、教会なら、服でもいいわよね」
と言い出す。
だ、誰が結婚するんですか……と思いながら、貴女は今、そんなこと考えて、ぼうっとしてたんですか。
私は実は母親似なのでしょうかね、と思っていた。
「まあ、最近はレンタルでもいいのあるけど。
でもそうね。
式場のレンタルだと、会場で着て脱いで帰れるし、楽よね」
と勝手な算段をしている。
「お母さん」
と行こうとする母親に呼びかけた。
「そういえば、最近、私の外食が多くてもなにも言わないね」
と言うと、
「だって、今が大事なときじゃない」
と言ってくる。
「好きな人との外食も或る意味、婚活みたいなもんでしょ」
えええええ。
「就職活動だって応援してあげたじゃない」
それと同じよ、と言ってくる。
「いや、私、別に毎日課長と居るわけじゃないんだけど」
と言うと、
「もちろん、相手は、他の人になってもいいのよ。
でも、お母さんは、あの課長さん好きかな。
何処となくお父さんに似てるし」
といつかと同じことを言ったあとで、
「遥に合ってる気がするから」
と笑う。
そして、顔を近づけ、小声で言ってきた。
「遥、お父さんには、あんたの口から、課長はお父さんに似てる気がするって言っといた方がいいわよ。
そしたら、きっと、機嫌よく認めてくれるから」
な、なるほど……と苦笑いしながら、母親の授けてくれた知恵に感謝しつつ、
「ただいま、お父さんー」
と遥はリビングの扉を開けた。
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