2-11 ホテル・キャナリークライ
同じ待ち合わせ場所。同じ時間。恐らく同じホテル。〈ホテル・キャナリークライ〉という名である。甲州街道から少し外れたところにあり、公共交通機関ではアクセスしづらい立地だ。人目を避けたい利用者の需要には合致しているが、連れ込まれた女子高生らには、土地勘のなさと地図アプリで検索しても馴染みのある土地まで素早く移動できる手段がないことから心理的な圧力が働く。
調べたところによると、〈ホテル・キャナリークライ〉の開業は一年ほど前。休憩も宿泊もシティホテルより少し高価格だ。その理由は新しさと、セキュリティにある。利用者のクチコミ情報を探したところ、多くのシステムが自動化されていることが見て取れた。部屋の鍵はもちろん、窓や入退室管理、空調まで電子制御。利用者の入退出中は他の部屋は鍵が開かないようになっているのだという。いわゆるスマートビルディングだ。IIoTによる最適化、生産性向上のノウハウがそのまま流用された、最新鋭のラブホテルである。
だからこそ付け入る隙がある。
調べを進める過程で、製造現場の生産性改善を請け負うコンサルタントでデータサイエンティストである男のWIREへの投稿が引っかかった。それはラブホテルという耳目を引きやすい場所での自身の仕事の適用例であり、半ばエンジニア笑い話のように拡散されていた。だが、ぶら下がっていた立地、価格、営業開始時期などの情報から、まさに〈ホテル・キャナリークライ〉のことであると推測できた。
そして男が運営するコンサルタント会社の取引先情報から下請けの業者を特定。ホテルの駐車場の監視カメラを割り、その業者のロゴが描かれた社有車が停まるのを確認した。そして降りてきた男の顔を〈WIRE ACT〉と翼の顔認証プログラムで走査。担当者のアカウントを特定した。
ここまで来れば後は時代が移ろえど変わらない古典的な手段が使える。
買収である。
紅子は〈B〉という名のアカウントを作成し、山井に接触した。日本円換算で一五〇万円の暗号通貨の支払いを約束し、次の〈ホテル・キャナリークライ〉のメンテナンス時に統合監視システムへあるマルウェアを感染させるよう持ちかけたのである。
山井は話に乗った。それは必ずしも金銭の問題だけではなかった。これまでの捜査で得られた組織売春の情報を、ある程度山井へ開示したのだ。つまり何らかの機密情報の漏洩や企業への攻撃を目的としたものではなく、少女を守るためのホワイトハッカー的な行動であることを山井へ伝えたのだ。正義の一翼を担えるのみならず、現金まで手に入る誘いは、山井にとって魅力的に映ったのである。
紅子にとっては幸運で予想外なことに、山井は遠隔でのメンテナンスを行う権限を有しており、次のメンテナンスを待つことなく、遠隔でマルウェアを感染させることに成功した。
そして当日。
紅子と翼はまた、回数を重ねるたび上手くなる変装に身を包み、先日と同じファミリーレストランに陣取った。
今度は報田愛梨が付き添いに現れる様子はない。同じ日に、彼女は平田颯介と待ち合わせの約束をしていた。何かの打ち合わせなのか、それとも特別な関係なのかはWIREを追っても判然としなかった。それよりも眼前の堂林幸一郎と馬場えれなの方が重大だった。
衝立と観葉植物越しに窺うえれなは、タートルネックにロングスカート姿。髪は解いていた。頭頂部のあたりに地毛の黒が見えていた。傍らに大きめのトートバッグを置いていた。
「まずはプランA。堂林が現れたら、偶然居合わせた知人という体で声をかける。それで失敗するようならプランB。ホテルの現場を抑える。最初は僕が行きます。いいですか、部長。くれぐれも言っておきますが……」
「しつこいぞ。我々の身の安全が最優先、だろう」
可能な限りこちらの姿を晒さず、手の内を明かさない。向こうは犯罪者だ。事が露見したとすれば、どのような行動に出るか予想がつかない。向こうの破れかぶれのために警察沙汰になれば、こちらも不利になる。それ以前に、堂林が凶器のようなものを所持していないとも限らない。
故に、身の安全を最優先で行動する、というのが翼のプランだった。えれなのために全力を尽くしたい思いはあったが、紅子も賛同せざるを得なかった。片瀬怜奈の時は結果的にストーカー男でもなんでもなかったが、今度は児童買春犯であることが明白なのだ。
「来たぞ。堂林だ」とPCで位置情報を表示させながら紅子は言った。
「いよいよですね。なんて声かけよう」
「決めてなかったのか」
「僕は即興性を大事にする方でして」
「私が最も憎む言葉のひとつだな・……ん?」
「どうしました、部長……あ、やばい。部長ちょっと」
「どうした。こっちも……」
「馬場ちゃんが席を立ちます」翼は半ば腰を浮かせた。「くそ、店内待ち合わせじゃないのか」
翼の服の袖を掴んで紅子は言った。「待て。おかしい。報田愛梨と平田颯介の反応がある」
「どこに」
「ここに」
翼は中腰のまま周囲を見回す。紅子も辺りを窺うが、店内にそれらしい人影はなかった。
えれなが電子マネーで手早く会計を済ませ、店外へ出る。
「プランBですね」翼は荷物を鞄に放り込む。
「いや、まずはプランA#だ」紅子も同じく荷物をまとめて席を立った。
会計を済ませ、急ぎ足で店を出る。
表通りにちょうど、堂林のドイツ車が停車した。路肩で待っていた馬場えれなが会釈して乗り込み、走り去る。
プランA#も失敗。思わず駆け出そうとした時だった。
紅子と翼の前に、ひと組の男女が立ち塞がった。
報田愛莉と平田颯介だった。
「翼くんと……羽原さんだっけ?」と報田が言った。「二度目ってことは、偶然じゃねーよな」
「困るんだよな、覗きなんかされちゃさ」平田颯介が続けて言った。「バレてないとでも思ったか? たかが高校生がさ」
「部長、行って」
「だが……」
「いいから早く!」
剣幕に押され、紅子は駐輪場へと駆け出す。
後悔するようなことが起こらないよう祈る余裕はなかった。
意外にも、報田と平田兄は紅子を追わなかった。
代わりにふたりは、内心の読めない笑みを浮かべながら、その場に残った翼へにじり寄った。
翼の額に汗が滲んだ。無言のまま少しずつ後退し、駐車場の暗がりへと追い込まれる。監視カメラの死角になる位置だった。
翼は唇を舐めて湿らせて言った。「ねえ報田さん。参考までに教えて欲しいんだけど、どうしてわかった?」
「俺のクラウドストレージに不審なアクセスがあった」応じたのは平田兄の方だった。「そんであのおっさんがセラちゃんと援交した時に、お前らがここにいた」
「でー、最近えれなが羽原と妙に絡んでるからさあ」報田が言葉を継いだ。「前も羽原。今度も羽原。しかもパソ研の部長なんだろ? もしかしたらと思って張ってたってわけ」
「ひとつ訂正。僕らはパソコン研究会じゃなくて、ロボット研究会ね」
「どうでもいいんだよそんなん!」
報田の前蹴りが飛んできた。咄嗟に受け身をとったが、よろめいた翼の背中が駐車場の壁に当たった。
「そこの違い、結構大きいんだけどなあ。優れたソフトウェア技術者は、ハードウェアに知悉してなきゃならない。逆もまた然り。彼らはソフトだけだから、僕らロボ研とは全然違うよ」
「どっちにせよさ、愛梨ちゃんたちの邪魔するのはやめて欲しいんだよね」平田兄が一歩間合いを詰める。
「なんのことだかさっぱりなんですけど」
「とぼけんじゃねーよ。じゃあどうしてここにいんだよ、お前ら」
「逢引かな」去勢を張るも、平田兄が腕まくりで更に近づいてくる。翼は両手の掌を向けて言った。「わかった。取引しよう。そちらの要求は?」
「黙って、忘れろ。うちらのすることに口出すな」と報田。
「それはできない相談だね。報田さんが売春組織のようなものを作っていて、それにそっちのお兄さんが手を貸していることも調べはついてる。調査方法は秘密だ。高度に技術的な内容を含むし、僕らの機密だ」
なんだと、と凄んだ報田が前に出る。
その肩を叩いて引かせ、今度は平田兄が言った。
「俺のストレージからコピーしたもの。その調査とやらの記録。今ここで全部削除しろ」
「断ると言ったら? あ、これ一回言ってみたかったんですよ。なんて、あはは……」
「颯介、例のホモのおっさんとかどう?」
「愛梨ちゃん名案。紹介してくれって言ってたしね。そんで写真とか動画とか撮っちゃうか」
「マジ最高。翼くん可愛いしちょうどいいじゃん」
「いや、それはちょっとご遠慮願うよ。僕だって黙ってやられはしない」左右を窺う翼。通行人の姿はなかった。
「一応言っとくけどさ」報田が口を挟む。「この人こう見えて空手の有段者だから、言うこと聞いといたほうがいいと思うけどなー」
「まあまずは、自分の立場をわかってもらおうか」
逃げる暇もなかった。
平田颯介の拳が翼の下腹部に沈んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。