2-4 今のあなたは冷静ですね?

「報田、中々行動範囲が広いですね」GPSログを受け取った内藤翼はげんなりした顔だった。「渋谷、新宿、池袋、五反田、鶯谷……共通点は」

「ラブホ街だな」同じくらいげんなりした顔で紅子は応じた。

 放課後のロボット研究会部室。紅子はシングルボードコンピュータにケーブルを繋いで文化祭用ロボットの制御プログラムを修正しつつ、〈WIRE ACT〉の画面をぼんやりと眺めていた。一方の翼は〈WIRE ACT〉から無作為に抽出したプロフィール画像をサンプルに、普通の顔写真とプロフィール画像を照合するプログラムを単体テストしている真っ最中だった。

「援交説の外堀がどんどん埋まっていきますね。アインシュタインいわく、最も単純で説明しやすいものが真理に最も近いそうですが」

「科学が進歩し、人類の視野が広がれば。かつては複雑で説明しにくかったものも単純で説明しやすく、美しいものに姿を変えるさ」

「つまり部長はまだ、別の可能性を捨てていない」

「ものを知らないやつほど単純な回答に納得してしまうものさ。Eイコールmcの二乗だって、一〇〇年後においても真理とは限らんさ」

「部長、そんなに報田の援交説を信じたくないんですか?」

「女子高生が身体を売っているなど、信じたくないに決っているだろう。気に食わなさとは別の領域だ。あれだって、少し前まで中学生だったんだぞ」

「彼女の家庭環境は。調べたんでしょう?」

「メンヘラった過去の投稿を見るに、最近親が再婚している。父親とは血の繋がりがないようだ。自宅の住所から間取りを調べたが、一応子供部屋は確保できそうな物件だったよ。戸建ては持てないまでも、経済的にはそこまで困窮していないようだ」

「困窮しないために身を粉にしているのかもしれません」

「憶測で語らずエビデンスを集めろ」

「了解です。探索済みのカメラでかなりの範囲がカバーできると思います。繁華街は堅いカメラが多いですけど、緩いカメラも多いですから」

「任せる」

「ワイヤードの現場は、どうです?」

「不審な男とのやり取りはあるが、決定的なものは今のところ掴めていない」翼が咎めるような目つきをするので、紅子はつけ足した。「手心は加えていない。私はあらゆる可能性を排除していないだけだ」

「手詰まり感がありますね」

「釣り糸は垂らした。かかるのを待つだけさ。おかげさまで別件の開発が進められる」

「文化祭用のですか? あっちは僕の出番はなさそうだからなあ」

「引く図面はいくらでもあるぞ。ほれ」

 紅子は手書きの構想図を翼に渡した。これを3DCADに起こせば、後は備品の産業用プリンタで出力すればいい。仕上げや強度には不安があるが、文化祭二日限りのお遊びには十分だった。

 出力済みの部品と構想図を交互に見比べながら、翼が言った。

「周辺を調べましょうか。報田じゃなくて、仲間の方」

「仲間というと、荒木や……馬場えれなか?」

「ええ、そうです。馬場ちゃんは処女だから望み薄でしょうけど」

「確かに馬場ちゃんは、そういうのとは縁遠いだろうな」

 翼はやや眉を寄せ、目線を上げた。「そういえばこの前、日直一緒でしたよね。うちのクラスのクラス企画、何になったんです?」

「女装男装喫茶」

「うえ、マジすか」

「公正な投票の結果だぞ」

「部長は何に決まろうと我関せずなんでしょうけど、僕はそうでもないんですよ……」

「君の女装が見たいと馬場ちゃんも言っていたよ。もちろん私も見たい」

「中学の頃も似たような経緯で女装させられたことがあるんですよ、僕」

「へえ。写真とかあるのか?」

「燃やしました」

「もったいない」

「……馬場ちゃん、ね」翼は部品を図面の上に置いた。

「なんだ、文句あるのか」

 校内放送が知らない生徒を呼び出していた。

 翼は伏し目がちに言った。

「一応確認なんですけどね。部長、今のあなたは冷静ですね?」

「冷静だが。どうした急に」

「いえ。少女売春という現実を認めたくないあまりバイアスをかけた分析をしていないと、言い切れますか?」

「まさか。私を誰だと思っている?」

「どうだか。部長が他の女子を愛称で呼ぶなんて、初めてですよ」

「別に馬場えれなに特別な感情はないよ」

「対人経験値の少ない部長のために忠告しますが、向こうもそう思ってますよ。たぶんね」

 余計なお世話だ、と応じようとした時だった。

 部屋の扉がノックされた。紅子と翼は何もかもを水に流し、壁の相関図を消してPCのデスクトップを真っ当なロボット研究会部員のそれに切り替えた。目を合わせ、ひと呼吸。翼が「どうぞ」と言った。

 現れたのは、やはり音屋礼仁おとやれに教諭だった。片手に書類の束があった。

「今日はどういったご用向で」と翼。

「顧問が部活の様子を見にきちゃいけない?」音屋は首を傾げる。少女のような仕草だった。「どう? 文化祭の準備は進んでる?」

「ぼちぼちですね」紅子は部品を手に取る。

「圧空のアクチュエータと、スライドレールと……何かのブラケット?」音屋は眼鏡に手を添えつつ、テーブルの上の部品と図面を覗き込んだ。「そういえば羽原さん。先生、今年の展示の内容聞いてないわよ」

「言ってないですからね」

「報告を。部長」

「えーっと」紅子は翼へ目配せして応じた。「簡単に言うと、サイバー・メカトロニクス・アートです」

「へえ。現代アート的な作品にするの?」

「はい。一〇インチくらいのモニタに画像か何かを表示して、ソーシャルメディアの投稿に連動して画面を攻撃する機構を作ろうと思ってます」

「面白そうね。どんなテーマを?」

「それはまあ、考え中で。画像収集は思想によるので後回しにして、ハードの方を先行しています」

「へえ……感心感心」音屋は笑みを零した。「いい作品にしてね。ふたりともセンスがあるし、いい技術も持っているんだから、素晴らしいものづくりができるわよ」

「そりゃあもう」と翼が口を挟む。「テクノロジーの正しい未来を探求するための部活ですからね、ロボ研は」

「内藤くんも心構えが身についてきたみたいね。感心感心」音屋は満面の笑みだった。「この間のドローンを見た時は目眩がして……でもふたりがいれば栄光あるロボ研の未来も明るいわね」

 紅子は姿勢を正した。「はい先生。私たちは心を入れ替えました。もうストーキングドローンなんか作りません。テクノロジーの正しい未来のために、誠実で高品質な日本のものづくりの心を学んでいきたいと思います」

「そう。じゃあ期待してるわよ」

「もういいんですか?」

「ええ。あんまり見ちゃうと楽しみが半減でしょ?」音屋は書類の耳を揃えると、そのまま出ていってしまった。

 足音が遠ざかるのを確認してから、紅子と翼は顔を見合わせた。

「部長、僕は心が痛いです」

「私も自分に心というものがあったことを思い出したよ」

「痛みは人を強くします」

「そう信じなければ人は騙せないな……ん?」

「部長?」と翼は怪訝な顔になる。

 紅子はPCのデスクトップを元に戻し、通知を上げた〈WIRE ACT〉の画面を確認した。

 そしてこめかみに手を当てて言った。

「荒木まさみのアカウントにこれまでフォロー関係のなかったアカウントからメッセージが届いた。監視するぞ」

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