2-8 上手な嘘のつきかた
翌朝の教室でも、報田愛梨はいつも通りだった。いつも通りなことが、紅子には腹立たしかった。貸しでも作ったつもりなのかと、胸倉を掴みたくなったが、たぶん腕力ではあちらの方が上だった。
校内は二週間後に迫った文化祭に向けて、お祭りムードが高まりつつあった。下足箱正面の一番目立つ掲示板にはカウントダウンボードが貼られ、校門ではアーチ作りが始まっていた。廊下のそこかしこに教室を飾り付けるための資材が積まれ始め、妙な衣装を着た生徒の姿をしばしば見かけた。休み時間になれば、軽音バンドや吹奏楽部の練習音が方々から聞こえた。
昼休み、紅子は食事も取らずにロボット研究会の部室に籠もった。昨夜得られた情報を整理するためだった。自分でも驚くべきことに、一夜明けるまで、気が動転したままで何も手に着かなかった。一瞬でも気を逸らすと、翼とのキスのことを考えてしまったのだ。
その翼は、思うところあったのか、今日は部室に姿を見せなかった。その方が都合がよかった。
まずは事実と状況証拠の整理。
堂林幸一郎と鈴木瀬良は、あの後車で二〇分ほどの距離にある人目につきにくいラブホテルへ向かった。何をされたのかは盗聴するまでもなかった。
重要なのは、例の池袋のネットカフェではなかった、ということだ。
この事実で、〈A〉=平田颯介説が崩れる。彼が主犯であるとすれば、彼の目の届く場所で行うはずだ。自分が管理できるネットカフェならばともかくラブホテルにカメラを仕掛けるとも思えない。ネットワークが引けなければ回収の手間も生じる。そもそも、平田兄がクラウドサーバに保存していたのはすべて、例のカップルシートでの映像だった。そもそも平田兄を主犯とした場合に生じる違和感に説明がつく新たな事実はない。
すると、平田兄は何らかの方法で〈A〉らの行いを知り、協力を申し出る体であの映像の撮影と販売事業を始めたのだろうか。つまり〈A〉という基幹サービスに寄生するサードパーティだ。
調べられた限り、平田良華は兄の裏の顔を知らないようだった。報田の援交についても把握しているか怪しい。教室での会話を聞く限り、腹を割って話す仲には見えなかった。
推測になるが、おそらく、報田が日常会話からネットカフェでアルバイトする平田颯介の存在を知り、共同事業の話を持ちかけたのではないか。映像の中に平田良華はもちろん、報田愛梨の姿もなかった。あるいは場所の提供を少女らに持ちかけられた平田兄が、少女らには黙って盗撮を始めたのかもしれない。
いずれにせよ、重大なことではなかった。箇条書きで資料にまとめ保存しておく。
次の事実。初めてだ、という鈴木瀬良を男に引き合わせる際に、報田愛梨が同席していたこと。
後見人のような役回りを演じていた報田愛梨。愛梨先輩、と呼ばれていたことから調べてみると、なるほど報田の出身中学は鈴木瀬良が今通ってる中学と同一だった。
紅子はPCの前で眉間に手を当てる。
報田のWIREアカウントを表示し、昨夜のログを遡る。
あの時はつい冷静さを失ったが、よく考えれば過去に援交を匂わせる投稿をしている以上、鈴木瀬良は別に処女というわけでもないのだろう。だとすれば報田が付き添った理由がわからない。未経験の少女を男に引き合わせるから、ではないのだ。
あるいは。
「嘘ではないのか……?」と紅子は呟く。
初めて、という言葉が嘘ではないと仮定する。要は解釈の問題だ。〈A〉を介した援交が初めてだ、という意味なら筋が通る。
相手を欺くのに最も効果的な嘘は、必ずしも嘘ではない嘘。紅子は頭のメモ帳にそう書き残しておく。
だとすると、〈A〉の指揮する私製売春組織の中で、報田愛梨は一体どんな立場にあるのか。
考えてもわからない。
紅子は一旦メモリを抜いて報田のWIREを閉じ、堂林幸一郎の車から吸い出せた情報を表示する。
ブレーキ等の電子制御を狂わせるには至らないまでも、Bluetoothを破るところまでは成功していた。そして車載システムの比較的浅いところに連携させた携帯の情報が残っており、紅子の使ったマルウェアはそれらの一部を盗み出すことには成功していた。
コピーが間に合ったいくつかの写真や動画。よく立ち寄る場所の情報。車のメンテナンスログ。走行距離と燃費の記録。コネクテッドカーと携帯電話がドライバーに快適な運転を楽しませるために取り交わしたデータの数々である。
ハンズフリー通話のために、電話帳やWIREの情報も車と共有され、保持されている。すなわち紅子の携帯にコピーされている。
まずは写真を見てみる。
職場の高校で撮影されたと思しき校門周辺の草木。生徒たちの登校風景。Facebookへの投稿に添付されていた覚えがあった。そしてそれらの平和な画像と並び、関係したと思われる少女の首から下を映した写真があった。何枚かは、悪趣味なことに紙幣を持った堂林の手が写り込んでいた。顔は入れないから、あと数千円払うから、などと交渉している姿が目に浮かんだ。応じる方も応じる方だが、仮に交通手段の乏しいラブホテルなどに車で連れ込まれたら、言いなりにならざるを得ないのかもしれない。並ぶ画像のギャップと、透けて見える男の浅ましさに、紅子は吐き気を覚えた。少女たちにしても、〈A〉経由ではなく男から直接金を受け取れるという利点があるのだろう。いわゆる裏オプと同じ原理だ。
そして連絡先情報。職場関係や行きつけと思われるキャバクラのホステス、家族や友人のものがあった。
そしてひとつのグループに紅子は目を留めた。
リサ、あみな、ゆうか、ミナ、みゆ、セラ。これもホステスか風俗嬢のリストだろうと見過ごしかけたが、最後の名前が、紅子の手を止めさせた。
セラ。
鈴木瀬良だ。
すなわち、この六人は、堂林が〈A〉を介して関係した少女たちのリストだ。
椅子に背を預けていた紅子は、それに気づいて前のめりになった。
〈A〉と水面下で繋がった別のアカウントが、援交少女たちをリスト化して管理し、斡旋していると紅子は推測していた。だが、肝心の別のアカウントが不明であり、手がかりもなくリストの規模もわからなかった。
しかしここに少なくとも六人のリストがある。そしてここに、荒木まさみは含まれていない。
紅子はPCにメモリを挿し、〈WIRE ACT〉を立ち上げる。検索するのは、この六人と荒木を加えた七人をすべて含むコミュニケートラインだ。
堂林が重要なのではない。堂林が関係した六人の少女は、〈A〉が手引きする援交がなければ関係の薄い六人であることが重要なのだ。そして公開非公開を問わず、〈WIRE ACT〉ならば登録されたアカウントでCLを検索することができる。
各人のアカウントを入力しエンターキーを叩く。検索中のプログレスバーが、焦れる紅子と関わりなく緩慢に進む。校内のどこからかトランペットの音が聞こえた。あるいはサックスかフルートか何かなのかもしれないが、紅子にはそれらの区別がつかなかった。
五分ほどで結果が返った。ヒットしたのは一件。そのCLの作成者を確認し、紅子は舌打ちした。
「くそ、やられた。そういうことか」
勢い任せにPCを閉じ、教室へと向かう。
他の生徒とぶつかりながら廊下を走り、階段を一足飛びに駆け上がる。
そのCLの作成者は、報田愛梨。
これが意味することはひとつ。
〈A〉=報田愛梨なのだ。
報田は、普段使いの表裏アカウントを運用するものとは別の端末を用意して〈A〉を運用し、少女を買いたい男たちと連絡を取る。一方で、普段の端末で作成した援交少女のグループで募集を行い、マッチする少女を見繕う。条件や日時等の相談は、少女相手の窓口は報田の裏アカ、男たち相手には〈A〉で行い、生身の報田愛梨自身がそれらを繋ぐハブとなる。
女子高生が女子高生相手に日時や場所の相談をしていても何も違和感はない。今月厳しいんだよね、バイトしなきゃという文言が飛び交っていたところで、何も問題はない。そもそもパブリックラインではないのだから、普通の人の目に触れることはないし、ウェブブラウザから閲覧することもできない。インターネットのうちGoogleからたどり着けない領域へ、すべての若者は掌からアクセスできるという当たり前の事実に寒気がした。
そのグループは、あくまでひとりの少女が作った友達関係という体である。誰も咎め立てすることはできない。たとえ管理の厳しい親が娘の知らない間にWIREを覗いたとしても、露見することはない。
現場を抑えられたとしても、男は〈A〉が斡旋する少女たちの全貌を知らない。少女たちの方も、仕組みの全貌を理解しているか怪しいものだ。いざとなれば、報田は〈A〉を運用する端末を破棄するだろう。ここまで周到な仕組みを構築しているのだ。男の誰かが逮捕された時点で躊躇いなく破棄するに違いない。そして少女の方から報田に辿り着いたとしても、男たちとのやり取りの証拠はない。〈A〉宛の送金は追えていなかったが、追跡困難な暗号通貨にでも換金してしまえばいいのだ。
そして〈A〉=報田は、男から少女に支払われる金額の三割を中間マージンとして得ている。これまでに何件の援交が行われたにせよ、高校生にしては気の遠くなるような金額になることは想像に難くない。少なくとも、高級化粧品どころではない。
鈴木瀬良と堂林幸一郎を引き合わせる現場に立ち会ったのは、報田が責任者だからだ。ちょうど新人を得意先に紹介するように。
まずは内藤翼に知らせる必要があった。昨夜のことが思い出されたが、頭から弾き出されて思い出さなかったことにした。
だが、一年の教室がある階に登った紅子は、踊り場で足を止めた。
壁に背を預け、廊下の方から聞こえた声に耳を澄ませる。
「うわ、おっさんかわいそー。それ詐欺じゃね?」
「詐欺じゃねーし。実際、私が手引きしてさせたのは初めてだし」
「いくら取った?」
「一.五倍」
「詐欺じゃん」
「ちげーって。私は不手際があるかもしれないから、お得意さんだしお値引きって言ったっての。勝手に向こうが出すって言ってきたんだよ」
報田愛梨と荒木まさみだった。詐欺じゃん、とせせら笑う方が荒木、薄ら寒い理屈を並べる方が報田。紅子は音を立てないように深呼吸を繰り返した。息が上がっていた。走ったせいなのか、怒りのせいなのかわからなかった。
「で、あの校長先生、相変わらず処女の子とやりたいって言ってんの?」
「そうそう。処女じゃなかった、今度は本物を、って。キモくね? 処女にハメたいロリコン校長の生徒かわいそすぎね?」
「ウケるんですけど」荒木は笑い声を押し殺した。「〈A〉が愛梨だとも知らないんだよな」
「幹部みたいに勘違いしてるらしいよ」
「幹部て。意味わかんねーし」
「……でもさー、お得意さんだしさ。万が一タレ込まれても困るんだよな」
「じゃあ私行ってやろか?」
「それ無理ありすぎっしょ」
「は? 行けるし。心は清楚でピュアなバージンだし」
「ないわー」報田はため息をついた。「あー、どっかに処女転がってねーかなー」
すると荒木は「いるじゃん」と応じた。「本物の処女。うちらの身近にさ」
「あー……もしかして、えれな?」
「そうそう。えれなにさ、大人の階段登らせてあげようよ、うちらがさ」
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