1-5 〈猫〉を追う

 週明けから、片瀬怜奈監視システムの本格稼働が始まった。

 昼休みになるやいなや紅子と翼はロボット研究会の部室に集合。教諭の名前を適当にもじった端末名で偽装して職員室からの電波を拾い、週末の調査で明らかになった侵入可能なネットワークカメラを学校周辺に限りリアルタイム監視し、片瀬怜奈の顔と、立ち姿を検出する画像処理プログラムを走らせる。

 初日は立ち上げに手間取り追跡に失敗した。

 二日目は翼がクラスメイトの女子から一緒にご飯食べようと誘われて断る間に行方を見失った。

 三日目は気温が急に下がり、片瀬怜奈が制服の上に黒いカーディガンを身に着けていたことから画像処理が追従できずに失敗した。

 そして四日目。やはり気温は低めだったが、片瀬怜奈の服装は長袖のブラウスにグレーのベストだった。

「これなら余裕ですよ部長」と二時間目の休み時間から翼は興奮気味だった。「昨日は画像処理が髪とカーディガンを識別できなかったんです。今日なら余裕です」

「気を抜くなよ。何があるかわからんからな」

「美しい顔を追うときの僕の辞書に油断の二文字はありません」

「君は一貫性があっていいな、政治家とか向いているぞ」

「いいですね。公約は女子高生の野暮ったいスカート丈の禁止と痴漢の厳罰化です」

 紅子は呆れて物も言えなくなった。

 そして昼休み。ロボット研究会の部室は作戦本部となった。

「今校門を出ました。行き先は……西側の商店街の方ですね」

「リストを三番に切り替える」

 大型モニタに並ぶ監視カメラ映像が校門周辺から商店街方面へ一式で切り替わる。同時に横で地図が立ち上がり、現在表示中の監視カメラの位置がプロットされる。

「対象の氏素性がはっきりしているなら、GPSで追跡した方が楽だな」

「発信機でもつけるんですか? ネットで買えないことはないと思いますけど」

「足がつきにくいように店頭で現金決済の方がいいだろうな。それにそもそも、発信機なら彼女自身がもう持っている」

「持ってるって……もしかして携帯ですか?」

「そうだ。上手くすれば気づかれることなくスパイウェアを潜り込ませることができると思う」

「どうやるんです」

「具体的には検討中だが……」

「できないとは思っていない?」

「私には〈WIRE ACT〉があるからな。よそのハッカーより技術的ハードルは低い。……部屋の戸締まりは? また音屋先生に乱入されては敵わんからな」

「万全ですよ」翼は揉み手しながら画面を睨む。「さあて片瀬さん、霞以外に何を食べているのか、見せてもらいましょうか」

 そして待つこと五分。

 固唾を呑んで見守る紅子と翼の存在にも気づかず、片瀬怜奈は商店街を少し外れたところにある一軒の店に入った。

 その姿を捉えたカメラの位置と向きから、地図で店を確認する。

 〈藤乃屋〉、という名前の蕎麦屋だった。

 紅子と翼は顔を見合わせる。

「蕎麦か」

「蕎麦ですね」

「隠れた名店なのか?」

「レストランレビューサイトによると……そうでもないですね」

「学食よりは美味いんだろうが……なぜだ?」紅子は腕組みになる。「面倒なだけだろうに、なぜわざわざ、外へ足を運ぶ? 金もかかる」

「いや、僕に訊かれても」困惑しているのは翼も同じだった。

 翌日金曜日。今回は二手に分かれることにした。

 翼はロボット研究会部室で待機。紅子は仮病を使い、昼休みになるや否やいの一番に校門を潜った。向かう先は商店街の蕎麦屋〈藤乃屋〉である。片瀬怜奈が日参するほどの常連であるなら、偶然を装って接触を試みるつもりだった。もしも彼女が現れなければ、店主に話を聞いてみようと思った。目立つ少女だ。印象に残っているに違いなかった。

 携帯をハンズフリーにし、耳元にインカムを装着してスクーターで移動する。これなら確実に先回りができる。

 電話口から翼の声がした。

「〈猫〉がケージを出ました。ひとりです」

「方面は?」

「昨日同様、西側ですね。同じ店かもしれません」

 〈猫〉は片瀬怜奈を示す符牒だった。いつもひとりで、どこかをふらふらとさまよい歩いていることから、翼がつけた名前だった。

 原動機の力で、学校から〈藤乃屋〉までは五分とかからなかった。店の軒先に停め、降りたところで翼が言った。

「あれっ……こっちじゃないのか。おかしいな」

「どうした」

「いや、次のカメラに映るまでがやけに長くて……すみません部長、見失ったかも」

「それならそれで構わんさ。事態が動いたら連絡してくれ」

 了解です、とひと言応じて通話が切れた。

 紅子は店に足を踏み入れる。

 ごくありふれた、どこにでもあるような、個人経営の蕎麦屋だった。どこの蕎麦を使っているとか、蕎麦の健康効果を謳う張り紙が、日に焼けて色褪せていた。

 昼時で店は混雑していたが、座れないほどではなかった。五〇代と思しき夫婦と、まだ若い息子で経営しているらしく、案内担当は夫婦の妻の方だった。入り口が見える席に座り、消費税が引き上げられるたびに手書きで書き換えられたメニューの中から、温かいなめこおろし蕎麦を注文した。

 客は地域住民らしき人や地元の工事業者らしき数人組など様々だったが、烏丘高校の制服を着た少年少女の姿はなかった。首尾は上々といえた。もしも、目が覚めるほど可愛い女子高生がひとりでここを訪れたとしたら、はっきりと店主らの印象に残っているに違いない。

 一〇分と待たずに出された蕎麦を、一〇分と少しで食べ切る。平凡な味だったが安心感があり、地元に愛される店であることは想像に難くなかった。

 そのままさらに一〇分ほど待ったが、片瀬怜奈は現れなかった。携帯には「完全に見失いました」という翼からのWIREが来ていた。

 紅子は席を立ち会計を済ませた。七〇〇円だった。

 意を決し、レジに立つ店主の妻らしき女性に訊いてみることにした。

「あの、昨日ここに、この制服着た女子が来ませんでしたか」

 するとその女性は破顔して応じた。「ああ、怜奈ちゃんね」

「常連なんですか?」

「ええ。よく来てくれるの。モデルさんみたいに可愛いから、お客さんがみんなあの子の方見ちゃってね。お母さんが昔モデルだったんですって。知ってる? お友達?」

 親が芸能人、という噂は当たらずとも遠からずだったらしい。「そんなとこです。彼女の薦めで」

「あらあー、嬉しい。一緒に来てくれればよかったのに」

「結構来ますか、彼女は」

「二週間に一度くらいかしら。いっつも学校のお昼休みに……あ、でもこの間は休みの日にも来てくれたっけ」

「この間?」

「うん。先週末だっけね」

 紅子は思わず身を乗り出した。先週末と言えば、呪いの歩道橋の上で彼女を目撃した日かもしれないのだ。

 歩道橋の一件は翼には伝えていなかった。見間違いかもしれないし、彼女本人だったとしても、翼に伝えるのはある種の禁忌のような意識があった。あれは、彼女の私生活の中でも、特に見てはならない、彼女自身が知られたくないと思っている部分であるような気がしていた。

 歩道橋に立ち、行き交う車の群れを見下ろす片瀬怜奈は、教室でそつなく当たり障りのない会話を交わす片瀬怜奈と、まるで別人だった。交錯は一瞬だったから、そう思いたいという紅子自身の意志が働いていることは否定できないが、それでもだ。

 何かを憐れみ嘆くような、冷たい目。まるで冬を連れてきたかのような、ぞっとする美しさを、歩道橋の彼女は身に纏っていた。

 そして、噂通りに飛散していた血痕。

 別の客が後ろで会計を待っていた。

「私が来たこと、怜奈には黙っておいてもらえますか」紅子は手を合わせて言った。「実は、一緒に行こうって約束してたのに、こっそり来ちゃったんです」

「あなたは?」

「え?」

「お名前」

「あ、えーっと……」咄嗟に浮かぶ名前はひとつしかなかった。「つばさ。内藤つばさです」

「つばさちゃんね。もちろん。また来てね」

 この分では秘密は守ってくれそうになかった。もう一度訪れることは難しそうだった。

 ごちそうさまでした、と頭を下げて、店を出た。

 学校まで戻るのが億劫だった。徒歩圏内に住んでいるならともかく、短い昼休みにわざわざ来て、七〇〇円払って食べるほどの蕎麦でもなかった。

 もしかしたら、と紅子は思った。

 片瀬怜奈は、あの教室に一秒たりともいたくないのではないか、と。

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