1-10 どうせ咲くなら恋の花
「……わけがわからない」事の顛末を聞いた翼の反応は至って真っ当だった。「女の子が自殺した現場で片瀬怜奈は花をばらまいていた。ストーカー男はその女の子の父親だった。それはいい。わかりますよ。でも、どうして彼女はそんなことを?」
週明けの昼休みの部室だった。
先週までのぐずついた天気はどこへやら。窓の向こうには澄み切った秋晴れが広がっていた。だがロボット研究会の部室は天候にかかわらず日陰であり、紅子と翼の気持ちも晴れやかとはいかなかった。
なぜ、彼女はあんなことを。
紅子はしばらく考えてから応じた。
「まあ、君には、わからんだろうな」
「なら部長にはわかるんですか?」
そうだ、と即答はできなかった。
代わりにこう言った。
「君よりはな」
ここ数週間にわたり片瀬怜奈を監視し続けた結果、少しは、彼女が何を思っているのか、わかるような気がした。
きっと彼女は、人の死というものに普通よりも敏感なのだ。特にある種の、周りから追い詰められることによる死に。それは多感な時期に母親の過去を知ったことが強く影響している。
不謹慎かもしれないが、顧みられないものこそを顧みるスタンスは、死んだ名もない女子中学生に対しても、六〇年代の建築運動の産物であるビルに対しても、共通しているように思えた。きっと彼女は、誰もが忘れていくものにこそ、強く惹かれるのだろう。これも、世間に忘れられた母親の悲劇が影響しているに違いなかった。
「蕎麦はわからんが、建築は父親の影響なのだろうさ。片瀬怜一。知らなかったが、相当著名な建築家だそうじゃないか。好みが影響されるのは、理解できるよ」
「部長と同じですね」
「……そうか。確かに、私と同じだな」
「つまり読み違えているのかもしれない」翼は淡々と言った。「部長、共感は理解の対義語ですよ。彼女の肌に触れたことも、それどころか、言葉を交わしたこともないのに、なぜそれが正しいと?」
「覗いたからな」
「WIREをですか。あれで人の心まで暴けるとは、僕は思えないな」
「答え合わせの術はないさ」
「あるじゃないですか」翼は彼にしては珍しく、悪戯っぽく微笑んで言った。「本人に訊けばいいんですよ」
「はあ? そんなこと、できるわけがないだろう」
「同級生じゃないですか。それに僕が思うに、彼女には、同性の親しい友達が少ない。部長と同じように。来るものは拒まないと思いますよ」
「私は拒むぞ。それに、そういうのは、君の方が適性があるだろ」
「僕は顔だけ暴ければ十分です」翼は立ち上がり、部室の扉を開いた。「ほら、昼休み終わっちゃいますよ。そろそろ音屋先生もWi-Fiを嗅ぎつける頃です」
「……仕方ない」紅子は嘆息して立ち上がった。「君を愛しの女教師とふたりきりにしてやるさ」
「いや、だから、そういうんじゃないんですってば」
はいはい、と応じて校門の方へと向かう。彼女の行動パターンなら、昼休みが終わる頃に必ずそこを通るはずだった。
日陰の部室から、陽光の差す、校門へ繋がる中庭に面した渡り廊下へ出る。そこで待つつもりが、先客がいた。
片瀬怜奈だった。男子生徒と一緒だった。見てはいけない現場に遭遇したような気がして、紅子は柱の陰に身を隠した。
聞き耳を立てると、会話が聞こえた。
「彼岸花って、雨上がりの日に一斉に咲くんだって。知ってた?」
「薄気味悪いな」
「そういうの怖がる方なんだ」片瀬怜奈は、やけに声が弾んでいた。「さすがアナログ人間」
「いや、俺だってデジタルだ。携帯買ったからな」
「じゃあ、カメラ使える? ほら、カメラ」
それで思い出した。そういえば、夜な夜な片瀬怜奈の意味不明なWIREを投げつけられている、気の毒な、投稿に誤字脱字のやたら多い男子がいた。名前が思い出せなかった。
怜奈はその男子の携帯を覗き込むようにして、手を伸ばして代わりに操作していた。肩同士が触れていた。
「おおっ、できたできた。何を撮ればいいんだ?」
「綺麗なものとか、感動したものとか、好きなものとか、撮ればいいの。ほら、そこにも彼岸花咲いてるし」
紅子は、片瀬怜奈の関係者としてリストアップしていたその男子のアカウントを開いた。憂井道哉、という名前だった。
その憂井道哉は、中庭にひっそりと咲く赤い花にレンズをしばらく向けて、結局シャッターを切ることなく腕を上げた。
カシャ、と古式ゆかしいシャッター音が鳴った。
彼が撮影したのは、目の前にいる片瀬怜奈だった。
「え。ちょっと、急に撮らないで。消してよ」
「消す? 写真って消せるのか?」
「消せるよ! デジタルデータなんだから」
「いや、だって写真だし……」
「ああもう。あたし教室戻るから、ちゃんと消しといてよ」
言い捨て、怜奈は早足でその場を立ち去る。
紅子は慌てて立ち上がったが、遅かった。中庭から渡り廊下へ足を進めた怜奈と、まともに目が合った。
驚いた。
いつも険のある眼差しと愛想笑いを周囲に向け、あまつさえ教室ではいつも何かを演じているとまで言い放った彼女が、俯き加減に微笑んでいた。頬に朱が差していた。
作りものでない笑顔には年齢が出る、と内藤翼が言っていた。
ばつが悪そうに会釈して、怜奈は紅子とすれ違ってそのまま教室の方へと向かった。
見送る背中が遠ざかる。途中で小走りになる。
中庭では、憂井道哉が親指でタッチパネルを必死に叩いていた。
「どうせ咲くなら死人花より恋の花」紅子は深々と息をつき、秋晴れの空を見上げた。「私の勝ちだ、片瀬怜奈」
これで謎はすべて解けた――意気揚々と教室へ戻ろうとして、紅子はふと足を止めた。
「……いや、なんで蕎麦なんだ。さっぱりわからん」
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Tokyo GY Hackers episode 1[202609]
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