1-3 ダークウェブで30ドル
噂。
学校いちの美少女にまつわる噂。
〈WIRE ACT〉の鍵を渡された時に父が言っていた様々な「なれるもの」の中から選ぶなら、噂の真相を探るのは、探偵だろうか。
午後の授業中ずっと、内藤翼の美少女ソートで不動の頂点を極めているというクラスメイトが、気になって仕方なかった。
席が後方の紅子には、片瀬怜奈の、背中へ流れる長く艷やかな黒髪がとにかく印象的だった。そして、彼女が髪に触れるたびに覗く、退屈そうな横顔。肌理の整った肌。つるりとした爪。入学式の頃から彼女は目立っていたし、目立っていたから紅子も名を覚えていた。
目鼻立ちのはっきりした美人だった。少し眼差しに険があるが、それがかえって魅力を引き立てている。とにかく可愛い一年が入ったと上級生の間でも騒ぎになったらしく、入学当初は休み時間のたびに見物客で教室前の廊下がごった返していた。現在は落ち着いたが、彼女を取りまこうとする男子は後を絶たなかった。
しかし、誰かと親しげに話している姿を、ほとんど見ない。
紅子が作り上げた一年二組のWIRE相関図によれば、片瀬怜奈は一番派手で始終男の話をしているグループと、文化系の部活に所属するグループと親しいようだった。だが前者の中には片瀬怜奈を加えないもうひとつのグループがあり、後者の方は明らかに彼女を特別扱いしていた。
誰も片瀬怜奈を放っておかないし、いつも誰かが彼女と言葉を交わしている。だから気にしていなかったが、もしかしたら、いわゆる友達のようなものが彼女にはほとんどいなくて、だからこその妙な噂なのかもしれない。
翌日から、紅子と翼は、片瀬怜奈の噂の検証に着手した。
その一、霞を食べて生きている。
これはどうやら、彼女が学内で食事をしないことに由来するようだった。
体育の授業があっても、水のひと口すら飲もうとしない。昼休みは、三々五々弁当やコンビニの袋を広げる中、どこかへふらりと消えてしまう。校外に出ているとわかったのは三日目だった。最初の二日は、紅子と翼のふたりがかりでも、チャイムが鳴った後の一瞬の隙に見失ってしまったのだ。
それ以上の手がかりはなし。
放課後、ロボット研究会の部室に集まった紅子と翼は、PCを広げ携帯を並べ、揃って頭を抱えることになった。
「どうします、部長。もしかしたら本当に、霞を食っているのかも……」
「ありえない。見るからに人間だ」
「そうですか? でもあの可愛さは常軌を逸してる。僕のAIもそう言ってます」
「君のご自慢のAI氏には悪いが、それがなんだ」
「片瀬怜奈より可愛い女子がいないと、いつまで経っても彼女が一〇〇点なんですよ。つまりそれ以上どんなに機械学習を重ねても成長できないってことです」
「ログを吐かせて処理を追えよ」
「そうもいかんのですよ……」
「信用ならんな、人工知能ってのは」
翼は少し言葉を尖らせた。「じゃあ、尾行でもしますか」
「我々はアマチュアだぞ」
「じゃあ学びましょうよ。完全スパイマニュアルみたいな本で」
「君のそういうところは買うが……」
「何かないんですか。僕は段々腹が立ってきました。片瀬怜奈を九〇点に、いや、この際九九点でもいいから、何かマイナスをつけられる要素を見つけなくては、沽券に関わります」
「このままでは癪に障るという点では同意だ。……まったく」紅子はUSBメモリのリングに指を這わせ、小声で呟く。「これでは神どころか、探偵にもなれん」
「片瀬怜奈の裏アカウントとか、ないんですか?」
「あるにはあったぞ」紅子は〈WIRE ACT〉の画面を開いた。「登録時の名前で追えたアカウントが二。ひとつはクラスWIREやクラス内のグループに登録されているもの。もうひとつが、私服のファッションスナップみたいな自撮りアカウントだ」
「なんですかそれ。そんな画像、欲しがるやつが山ほどいますよ」
「顔は隠しているがな」携帯からURLを飛ばす。
受け取った翼は、小さい画面に齧りついた。「うわ、フォロワー数すげえ」
「他人の服見て何がありがたいのか、私にはさっぱりだ」
「ファッションって正解がないですから。お洒落な誰かの真似をするしかないんですよ。部長はそういうの、あまり興味ないですか?」
「何がありがたいのかわからんと言っているんだ」
「じゃあこれ、こういう形の服、なんて言うか知ってます?」携帯の画面を向ける翼。
顔をスタンプで隠した、姿見の前に立つ少女の写真。確かにどう呼ぶのかよくわからない形の服だった。
「知らん。というか君は詳しいのか。男子はそういうのに疎いイメージだったが」
「姉に鍛えられたんですよ。別に、知りたくて知ったわけじゃないです」
「倫理観も鍛えてもらうべきだったな、姉上に」
「そのふたつ以外には?」
「……摩訶不思議なアカウントがひとつ。登録時の名前が適当な偽名だったのだが、同じ端末からアクセスされていた」
摩訶不思議って、と翼が応じた時だった。
部屋の扉がノックされた。
部員はふたりとも室内。ならわざわざこの部屋を訪ねてくる人物といえば、ひとりだけだった。
紅子と翼は目線を交わし、表示させていたウィンドウやアプリをすべて最小化した。
紅子が「どうぞ」と言うと、丁寧だが有無を言わさず扉が開いた。
「やっぱりふたりともいた。職員室のルータにどう見ても職員じゃない端末が接続されてたから。それも四つ。また破ったの?」
いつもセルフレームの眼鏡をかけた、地味だが理知的な印象の教師だ。茶色の髪は白髪染め。よく髪を染めた女子生徒に、先生は白髪だからいいの、と言って指導している姿を見かける。とっつきにくい理系科目の、とっつきやすい女性教師ということもあってか、生徒には親しまれていた。歳のほどは三〇代の半ばで、もうすぐ結婚する、という噂が浮かんでは消えているとか。
そして紅子らにとっては、ロボット研究会の偉大なOGでもあった。
「職員室のネットが遅くなるとすぐロボ研だロボ研だって言われるんだから、勝手に繋ぐのはやめなさいって言ってるでしょう」
「回線は十分太いですから、古いPC使ってるせいですよ」と紅子。
「我々は無罪であるぅー」銃を向けられたように両手を挙げる翼。
「たぶん君たちが正しいけど、そうもいかないのよ。わかるでしょ?」
「これだからネットリテラシーの低い人々は困りますな、部長」
「じゃあこの部屋に固定回線を引いてください」
「ロボ研だけ優遇はできないわ」
「じゃあ生徒用の無線環境を整備してください」
「我が国はフリーWi-Fi後進国でありますからな、先生」
「内藤くん、その変な喋り方はやめなさい。……そんな予算はつかないわよ」
はい、と応じたきり翼は悄気げて黙る。
「……うちも昔は強豪だったんだけどね。面目ないわ」音屋は壁の写真と、置物と化したロボットに目を向けた。
音屋の在籍時代、烏丘高校は高校生ロボコンの本戦常連、連覇を成し遂げたこともあるほどの強豪だった。だが部員の不祥事を機に瓦解。予算はカットされ、部室は物置のような部屋へ追いやられ、部だったものは人数が少なくても成り立つ同好会へ格下げになった。
今でも、無数のパーツや制御のバックアップディスク、バージョンは古いが十分使えるCADやPLCソフト、画像処理開発ライブラリに、副賞で手に入れたという高校生には分不相応な産業用3Dプリンタなど、全盛期を窺わせる備品は揃っている。だがその時代の生き証人は音屋ひとりであり、紅子らが入部しなければ部員もゼロだった。
「……で、どうやって破ったのかしら。一応パスワードは変えたんだけど」
「インターネットの暗黒が我らに力を授けたのです……」
「内藤くん?」音屋の分けた前髪から覗いた額に青筋が浮かんでいた。
「すみません……」今度こそ黙る翼。
「ツールを買ったんです」
「どこで」
「まあ、わかりやすく言えば、ダークウェブで。五〇ドルでした」
「セールだったので三〇ドルですよ」と翼が口を挟む。
「まったく。ロボット研究会は、テクノロジーの正しい未来を探求するための部活です。そういうグレイなものには、今度一切手を出さないこと。いいわね?」
「破れるような脆弱性丸出しの機器を更新しないのも問題だと思いますけど。あと、最初の一回は職員室に行った時に、付箋でパスとIDが貼ってあったのを見ました」
「そこは先生も同じ意見だけど。使う人の意識含めてね」音屋はため息をつく。「利便性とセキュリティはトレードオフの関係だけど……この間も、商店街の監視カメラがIP入れるだけで見られるようになってたって、ちょっと問題になったのよ」
「なんですか、それ」
「ほら、オリンピックの時に、外国人観光客が安心して滞在できる街作り、とか言って都が補助金を出して、あっちこっちに監視カメラを設置したでしょう。それが設置時も適当で、以降の保守もろくにされていなくて、ほとんど無防備な状態で放置されてたの。当時は最新だったとしても……」
「六年も経てば、どんな機器も陳腐化しますね」
「でも商店街の人たちにとっては、六年なんてあっと言う間でしょ。危険性も理解できないし。結局、見られて困ることもない、なんて話でそのままだし。……とにかく!」音屋は紅子と翼のPCと携帯を順々に指差した。「タダ乗りは禁止。パスワードも変更するから。いいわね?」
はーい、と生返事する紅子と翼。
それから下校時間についていくつか注意をして、音屋はロボット研究会部室を後にする。
足音が遠ざかってから、紅子は言った。
「……今後は端末名を偽装するツールを噛まそう」
「奇遇ですね。同じこと考えてました。……それと部長。今の話、使えますよ」
「今の? 君が音屋先生の前だと挙動不審になることか?」
「んなっ、それは、別にそんなことは」
「頑張れよ、青少年。ただ捕まるのは先生の方だから、節度は弁えたまえ」
「僕のことはどうでもいいでしょう!」耳まで真っ赤になった翼は、これ見よがしに大きく咳払いして続ける。「……監視カメラの話ですよ。この街の監視カメラに、外部ネットワークから侵入容易なのが多数あるってことは」
数秒考えてから、紅子は首肯する。
「……なるほど。君の顔認証の、ザッカーバーグじゃない方を使えば」
「片瀬怜奈を追えるかもしれません」
「そう上手く運ぶか?」
「まずやってみましょう」翼は丸眼鏡のテンプルに中指で触れて言った。「Done is better than perfect.ザッカーバーグの言葉です」
「発音がいいな」
「こう見えて、僕、帰国子女なんです。言ってませんでしたっけ?」
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