2-14 グレイハッカーズ
公立校である以上地域貢献から逃れられず、烏丘高校の文化祭は一般に公開される。当日、午前中こそ人影疎らだったものの、午後からは父兄や近隣住民、他校の生徒らも多く訪れ、学校中が繁華街になったような大混雑だった。
そんな中、紅子ら一年二組の男装女装喫茶ではちょっとした事件が起こっていた。
まずは謎の麗人である。
長髪を後ろでひとつに束ね、執事服に身を包んだ年齢不詳の美青年の正体は、片瀬怜奈。胸元の名札には「怜」と一文字書かれていた。姿を現すと、普段から彼女を見慣れているはずのクラスメイトらの間にもざわめきが走った。ただでさえレンズの向こう側からやってきたような美少女である。衣装は同じでも、他の女子生徒の男装とは格が違った。磨き上げた革靴の靴音を鳴らし、背筋を伸ばして微笑を浮かべる様を眺める限り、彼女自身もまんざらではない様子だった。
そんな怜奈が、白手袋でメニューを差し出し、「ご注文は、お嬢様」とひと言。これで訪れていた三人組の女子中学生のひとりが卒倒して保健室へ担ぎ込まれた。来年受験を考えていたらしく、残されたふたりは「絶対烏丘受ける!」「あの先輩の後輩になる!」「髪伸ばす!」と志を新たにしたようだった。
そして謎の美少女である。
ヘッドドレスを欠かさないどこかで見たようなモノトーンのメイド服。スカートの裾を恥ずかしげに抑えたロングヘアの女の子が、たおやかな仕草でテーブルとテーブルの間を歩く。エナメルの靴の爪先を揃え、お盆を胸元に抱えて赤い顔で俯くその姿に、男子たちが色めき立った。もはや元の姿の面影はなかった。正体を伝えるのは、ハート型の名札に書かれた「つばさ」の三文字だけだった。
その美少女メイド内藤翼は、今にも息絶えそうな顔でロボット研究会の部室にいた。
「もう駄目です。死にたい。なぜ僕がこんなことを。僕が一体何をしたっていうんですか……」
「まあまあ。可愛らしいことはいいことだ」首尾よく男装しないポジションを勝ち取った紅子は、制服に白衣で科学部から拝借した薬品用のゴーグルを着けて、一応祭りのムードに乗っていた。「あれだな。いい匂いがするな。女子って感じだぞ。メイクもばっちりだ。どこで覚えた?」
「午前中に姉が来たんです。あのクソアマ、ひとを玩具にしやがって。死にたい……」
「言葉が悪いぞ、つばさちゃん」
「やめて、死にたい……」
「湿布の匂い隠しに姉上の女子大生メイクか。それにしても、やけに楚々として女の子っぽいと思ったら」
「痛いんですよ。全身。死にたい……」
「神は越えられない試練は与えないんじゃなかったのか?」
「主よ、なぜ我を見捨て給うたのか。キリストの言葉です。死にたい……」
「生きていればいいこともあるさ。確かにこの世は悪意に満ちているが、それを上回る善意もあると、私は信じているぞ」
「何いい感じにまとめてんですか。僕はこんなにも死にたいのに……」
「そう気を落とすな」紅子は嫌がらせのために声を上げて笑ってやった。「ちなみに内藤。今の君は、ソート順でどのくらいだ?」
「七位くらいですかね」
「大きく出たな」
「僕は自分を客観的に見ることのできる人間です」
「データの客観性ほど大切なものはない。いい心がけだぞ」
「お褒めいただき……」と翼が応じかけた時だった。
部屋の扉がノックされた。だが、いつもよりも弱々しく、探るような音だった。
先日まで、ここを訪れる人はひとりしかいなかった。今は違う。
紅子が「どうぞ」と声を張ると、おずおずと扉が開いた。
馬場えれなだった。制服の頭にテーマパークのマスコットの耳を着けていた。
「あ、やっぱここだった。羽原ちゃん当番の時間」
「そうか。忘れてたな」
「……忘れてないよね」睨めつけるような目になるえれな。
「誰も人の内心を暴くことはできない。私はすっかり忘れていたのさ。過失だ」
「委員長怒ってたよ。羽原ちゃんと……」えれなは机に突っ伏して死んだふりをしている翼へ目を向けた。「看板娘がいなくなったって」
「お? なんだ内藤、休憩じゃなくて職場放棄か。みんなで協力するのが文化祭だ。身勝手な行動はよくないぞ」
翼はむくりと身を起こす。「どの口が言うんですか」
「私は自分を棚に上げるのが得意でな」
「内藤くんこっち向いて」えれなは携帯のカメラを向け、写真を撮りまくっていた。「やば。超可愛いんですけど。PL流しちゃお」
「もう好きにして……」
「ちょっと待て」紅子は口を挟んだ。「PL? タグつきでか?」
「うん。もう送信しちゃった」
「それは、なんというか……まずいな」
どうして、と眉をひそめるえれな。
理由は、たった今、文化部合同企画室で稼働中の、ロボット研究会謹製サイバー・メカトロニクス・アートにあった。
「実はな、烏丘祭2026のタグつきPL投稿を抽出して表示するパネルを置いてるんだ」
「え? すごい! みんなの思い出を記録ってこと?」
「いや、そうじゃなくてだな。殴る機構をつけてる。ほら、あの時ドローンに懸架させてた窓殴り機構。あれは本来この企画用に作っていたものでな。クソみたいな祭りをワイワイエンジョイしやがるクソどもをぶん殴るために、タグつき投稿を検知したら画面に出して、それを殴るロボット一式を展示しているんだ」
翼が後を継いで続ける。「ついでにスピーカーを置いて、殴るたびにタランティーノ映画からサンプリングした音声が再生されるようになってる」
「一分間に一.七二回Fワードのある映画なんだ」
得心がいかないようで、えれなは相変わらず首が据わらない。
一〇インチのモニタに表示される、文化祭を楽しむ生徒や父兄、地域住民らが投稿した写真。それを自動で殴り続けるロボット。
同時に再生されるのは、ジョン・トラボルタの◯UCK YOU。
ブルース・ウィリスのF◯CK YOU。
サミュエル・L・ジャクソンのFU◯K YOU。
ヴィング・レイムスのFUC◯ YOU。
模型同好会のガンダムとエヴァンゲリオンを除けば生真面目な展示が多い文化部合同企画で、Fワードを連発しながら画面を殴り続けるロボット研究会の展示は明らかに異彩を放っていた。
「つまり現代アートさ。個人を特定できる写真を誰でも見られる場所へアップロードすることに警鐘を鳴らしたくてな。いいかね馬場ちゃん、サイバーセキュリティとは個々人の心がけから始まるのだよ。悪意ある何者かの存在を仮定しない無邪気さこそが、最大のセキュリティホールなのだからな」
「よくわかんないけど、ハッキング? こないだばーん! ってラブホの電気落としたみたいな」
「違うぞ馬場ちゃん。これはあくまで公開されている情報を悪意を持って利用しているだけで……」
「まあ部長の言うことは置いといてね」翼が内股に座り直して言った。「普通の人がハッキングって言うのは、悪意を持って他人のコンピュータに侵入したり攻撃したりするやつでしょ。そういうのは正確にはブラックハッカーって言うんだ。同じ技術でブラックハッカーの悪事を暴くハッカーのことは、ホワイトハッカーって呼ぶ」
「まあ我々のしていることはホワイトには程遠いがな。向こうもハッカーというわけではないし。……そうだ馬場ちゃん。いい機会だから伝えておくことがある」紅子は携帯を操作し、暗号通貨の振込状況を確認する。「今回の一件で、最終的に三〇〇万ほど手元に残りそうだ。馬場ちゃん、君はこの金を受け取る権利がある」
「え。なんで。お金?」
「それはその筋のアレで、ちょっとな」
「そうじゃなくて、なんであたし?」
「慰謝料だよ。安いくらいだろう」
「うーん」えれなはしばしネズミの耳を傾かせ、それから言った。「要らない」
「そうか? ならありがたく私が頂戴するが。何かと要り用でな」
「いいよ。だってふたりと仲良くなれたし。それであたしは十分」
「……馬場ちゃんはいい子だな」
「部長も少しは見習ってください」
なんだと、と応じ言い争う紅子と翼。
その様をしばらく眺めていたえれなは、唐突に口を開いた。
「グレイハッカー」
「何?」
「ホワイトでもブラックでもないなら、グレイハッカー。そうでしょ?」
紅子は翼と顔を見合わせた。
ブラックハッカーなら、無辜の市民や企業を標的とする。ホワイトハッカーなら、そんな市民や企業を守るために同じ技術を駆使する。なら悪を標的に技術を駆使し、汚い者たちを痛い目に遭わせて私腹を肥やす自分たちはどう言い表せるのか、紅子も翼も、端的な言葉を思いつかずにいたのだ。
「確かに。言い得て妙だな」紅子は首肯する。
「正確にはグレイハッカーズ、ですね。ふたりですから」
「細かいな」
「帰国子女なので。……それに、三人になるかもしれませんしね」
翼がえれなへ目線を向け、えれなはその目線に気づいて首を傾げて自分を指差した。
大東京の少年探偵団、グレイハッカーズ。紅子はその響きを反芻する。
もしかしたら、父はこうなることを望んでいたのかもしれない、と思った。
不意に、校内放送から流れていたBGMが止んだ。代わって生徒の呼び出しなどの時に使われる電子音が鳴った。
「部長、嫌な予感がします」と翼が言った。
奇遇だな、と応じる間もなく、聞き知った声が放送から轟いた。
音屋礼仁教諭だった。
「一年二組の羽原紅子さん、内藤翼くん。今すぐ職員室まで来なさい。繰り返します。一年二組の羽原紅子さん、内藤翼くん。今すぐ職員室まで来なさい。展示のことで話があります」
「やばいな」と紅子。
「主犯は部長ですからね」と翼。
「あたし教室戻ろっかなー」とえれな。
放送が続けて言った。「言っても来るあなたたちじゃないでしょう。どうせ部室でしょうから今から行きます。大人しく待っていること。先生は悲しいです」
「部長だけでも逃げてください。僕はこの身体ですから、裁きを待ちます」
「死ぬなよ、内藤。長寿と繁栄を」
翼は人差し指と中指、薬指と小指を合わせた右手で手を振り、何事か祈り始める。「天にまします我らの父よ、御名が聖とされんことを……」
すると、えれなが紅子の手を掴んだ。
「行こう、羽原ちゃん」
「行こうって……」
「逃げるんじゃろう?」えれなは口角を上げてにやりと笑った。
扉を開く。走り出す。何も知らない人混みが押し寄せてくる。首から提げたUSBメモリが躍る。
誰かに手を引かれるのは意外と心地いいのだと、紅子は初めて知った。
――――――――――――――
Tokyo GY Hackers episode 2[202610-11]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。