3.灰色、灰に還る 202612-202705

3-1 チェーホフの銃

 それはまさに、快進撃、という言葉に相応しい三ヶ月だった。

 二〇二六年一二月。年の瀬も迫るある日、紅子と翼は校内に不審なWi-Fi通信を発見。発信源を探索したところ、女子の更衣室として用いられている空き教室の壁に架けられていた何かの絵の、額縁の装飾に偽装された、超小型カメラを発見する。

 不審に思った羽原紅子がさらに調査を進めると、同様のカメラが廊下の消火器の下や女子トイレに設置されていた。明白な盗撮である。

 話を聞いた馬場えれなは「許さん! 捨てる!」と息巻いたが、紅子の考えは違った。それは白い側にいる人間のすることだ。紅子はえれなに命じ、見せパンを履かせて件の消火器の横に立たせた。そしてカメラへの通信を監視。ほどなくカメラの設置者が判明した。派遣の学校事務員だった。

 紅子はその派遣の事務員のWIREアカウントへ、匿名のアカウントから盗撮の事実を知っているようなメッセージを送信。同好の士として穏便に事を済ませ、できれば映像を共有したいという趣旨の文章に事務員は騙され、さりげなく添えたURLを見事に踏んだ。すると彼の端末はランサムウェアに感染。報田愛梨事件で〈A〉にリストアップされていた男たち同様、自身が盗撮した少女たちの着替えやスカートの中、トイレの映像が延々と流れ続ける最悪の端末になった。

 首尾よく男は請求通りに一〇〇万円相当の仮想通貨を支払った。端末内のファイルの暗号化は支払いの確認と同時に解除されたが、盗撮映像だけは元に戻らなかった。

 二〇二七年一月。烏丘高校にほど近い総合書店で商品を万引きをする生徒を馬場えれなが発見。最初は乗り気でなかった紅子だったが、えれなの鼻息に負けて調査を開始。程なくして、その少年グループが盗品をフリマアプリで転売して利益を得ていることが判明する。

 事ここに至って内藤翼が激怒。なんでも盗品の中に彼が贔屓にしている作家の作品があったらしい。

 紅子がほぼ何もしない間に、翼は覚醒剤密売グループが作成した宅配便の送り先偽装技術を入手。これはドライバーの持つ端末に侵入して架空の荷物を増やすことで、覚醒剤の運び屋にしてしまうものだったが、翼はさらに改良を加えた。その少年グループらが発送した荷物の送り先を、すべて窃盗元の書店に書き換えるのだ。

 加えて万引き実行犯とリーダー格の少年のネット通販サイトのアカウントを乗っ取り、盗品の発送一件ごとにオナホールを購入するプログラムを組んだ。

 仕込みが済んで二週間。フリマアプリの利用者からは購入品が届かないという苦情が少年らに殺到。一方で彼らのもとにはオナホールが届き続ける。腹立ち紛れに万引きのため書店に繰り出した彼らは、匿名の情報提供により待ち構えていた私服警備員によって犯行現場を抑えられ、警察に引き渡された。匿名の情報提供者とは、もちろん羽原紅子とグレイハッカーズである。

 二〇二七年二月。報田の事件を教訓に烏丘高校在校生のWIREを監視していたところ、ネット上で知り合った男に自画撮りポルノ画像を送信している女子生徒を発見。一年一組の生徒であるその少女は、相手が男であると気づいていなかった。同じような性の悩みを共有できる同世代だと勘違いしていたのである。

 その男のアカウントを掘ったところ、別の女子中学生に交際を匂わせつつ言葉巧みに下着姿や、局部を隠した裸の写真を送信させていた。彼は同様の手口で収集した大量の自画撮りポルノ画像をメディアに焼き、ネットやアダルトショップなどで直接声をかけた相手に販売していた。

 紅子は、以前にそのポルノメディアを購入した客を装ってWIREで接近。顧客リストの提供を匂わせ、実際に報田事件の時に平田颯介のクラウドストレージから掠め取ったエクセルファイルを送信した。だがそのエクセルファイルには紅子が入手したランサムウェアが仕込まれており、男はどこで感染したのかもわからぬままに、ゲイポルノビデオの古典を大音量で再生し続ける自分のPCを前に頭を抱えることとなった。

 まずはPC内のファイルを人質に二〇〇万円。そして被害者へ一連の顛末を知らせると脅してさらに三〇〇万円。合計五〇〇万円相当の電子マネーや仮想通貨を奪い取った。

 並行して、紅子は〈WIRE ACT〉の広告機能を悪用し、不特定多数のパブリックラインへ、このような善意ある何者かの悪意によって挫かれた悪行について記した被害者目線の匿名ブログをばら撒いた。毎日楽しく盗撮画像を収集していたら謎のハッカーによって台無しにされた、ネットには諸事情あって通じていたはずの俺のPCが淫乱テディベアとパンツレスリング無限再生機になってしまった、等々。完全な創作も多数混ぜた。だがワイヤードのバズは『もしかしたら真実かもしれない』という期待と共に不特定多数へ受け入れられ、やがてアナログな噂へと姿を変えていく。

 自分の行いが決して褒められることではないと、紅子も、翼も自覚していた。だからこそ、インターネットの密室を利用して悪事を働く者たちへの抑止力になれるのではないかと思った。昔の人が『お天道さまが見ている』と語ったように、グレイハッカーズが何も見逃さないのだというプレッシャーを与えたかった。

 人知れず、悪意によって、善を成す。

 それこそが〈WIRE ACT〉を与えた父・羽原蒼一郎の望みであると、紅子は解釈していた。

 とはいえ、三月に入ったある日、部員でもないのに気づけばロボット研究会にすっかり馴染んでいた馬場えれながこう言った。

「ちょっとぐらい、ご褒美があってもいいと思うんだけど!」

 実際、活動を通じて得た金は、使い切れるはずもなく有り余っていた。一部、ドローンを買い増すなど有効活用したが、それでも高校生の想像力を上回るほどの金額が洗浄され、暗号通貨から日本円へ換金される時を待ち侘びていた。

 そして三人は、ファミリーレストランの四人席を囲い、メニューを前に額を突き合わせていた。

「じゃああたし、ペペロンチーノ……じゃなくて、パスタの一番高いやつ。一番高いやつ! それとドリアの……なんか上に載ってて高いやつ!」

「炭水化物を重ねるとは愚か者め。私はステーキとサラダの一番高いやつにするぞ」

「ふたりとも、単価に騙されていませんか? 僕は数で攻めますよ。サイドメニューを制覇してやります。なんてったって今日は豪遊ですからね」

「豪遊。いい響きだ。一番好きな日本語だな」

「豪遊!」

 駅ビルに入っているイタリアンのファミリーレストランだった。低価格でボリュームがあり、ドリンクバーもあるためよく近隣の学生が居座っていた。だが、いくら低価格といえど、並ぶメニューの中から安い順に注文してしまうのが常。なぜなら金がないからだ。普通の高校生が自由に使える金額には限りがある。

 しかし、羽原紅子とグレイハッカーズは、もはや普通の高校生ではなかった。

「まったく金というやつは最高だ、いくらあってもいい」紅子はほくそ笑んだ。

「全面同意です。何をするにも金の心配をしなくていいというのは最高です」翼が頷いた。「金がないならアイデアを出せとザッカーバーグは言いましたが、今の僕らには両方ありますからね」

「何かスイーツをもう一品……」えれなは注文用端末をしばし睨み、そして意を決して選んで注文ボタンを押した。

 そして一斉に席を立ち、ドリンクバーから飲み物を取って戻る。紅子はコーヒー、翼はメロンソーダ、えれなは思うがままにドリンクを混ぜた奇々怪々な液体だった。

 夕刻ということもあって店内は混雑していた。同じ制服の生徒の姿も見え、紅子らは声を抑えた。

「それで部長、お金はあるんですよね」

「もちろん」紅子は鞄から封筒を出す。「とりあえず二万」

「あれ? 羽原ちゃん昨日二〇万持ってくるって……」

「正直に言おう。ビビった」

「部長でも怯えることがあるんですね。覚えておきます」

「えー、せっかく洗浄したのに」とえれな。

 近頃、紅子は面倒な仮想通貨ロンダリング作業を、マニュアル化してえれなに預けていた。えれなも意外と覚えがよく、紅子が名前を聞いたこともない通貨を発見しては日本円への匿名換金ルートを見つけてくる。こういうのは日々新しいもの・ルートが生まれるため、誰かが見つけた方法にタダ乗りするより長けた人間を養成する方が都合がよかった。

 そして同時に、金ならば失くしても惜しくない、という冷徹な判断もしていた。馬場えれなを友人としては信頼していたが、裏稼業のパートナーとしてはまだまだだった。

 店員が料理を運んできたので一同黙り、店員が去ると一斉にフォークやスプーンを取った。

「まあ、今後金を使うこともあるだろうしな。貯金だ、貯金」サラダにフォークを突き刺す紅子。

「何に使うんです。もう買ったマルウェアでちょっとしたライブラリができますよ」鉄板のチョリソーの辛さに難儀する翼。

「実包と、パーツをいくつかな」

「実包って」翼は顔をひきつらせた。「まさかあれを本当に使う気なんですか」

「ライター買うの?」ドリアをスプーンの上で冷ましていたえれなが口を挟んだ。「お主も悪よのお、羽原ちゃん」

 そうじゃない、と応じて紅子はフォークを置いた。

 代わりに鞄の中から黒い樹脂の塊を取り出し、テーブルの上に置いた。

 ネット上で配布されていた図面から部室の3Dプリンタで出力した、自動拳銃の部品だった。

 強度が必要ないくつかの部品だけ金属に置き換えれば実弾の発射も可能。烏丘高校ロボット研究会の3Dプリンタは登録制が開始される前に導入されたものであるためリスクも低い。いつもマルウェアを調達しているようなネットの深部では麻薬や覚醒剤に並んで平然と弾丸も売られており、用心は必要だが購入は容易だった。

 これも、得た資金の使い道のひとつだった。

「内藤がボコボコに殴られたから、こういうものも用意したんだ。今後、活動に危険が伴った場合に備えて、身を守る手段のひとつくらいあってもいいだろう」

「ふーん。なんかプラモみたい」えれなは袋に入ったバラバラの部品を指でつついた。「うちの弟がこういうの好きでさー」

 今度はキャベツのアンチョビ炒めをつつきつつ翼が応じた。「手段を持つこと自体は、否定しませんけどね」

「持つだけ持って、使わなければ捨てればいい。おかげさまで金ならある」

 ですが、と翼が何か言おうとした時だった。

 店内の一角から騒がしい声が聞こえた。

「あ、佐竹くんたちだ」とえれなが言った。

 烏丘高校の制服を着た男子生徒のグループ。みな一年生だ。紅子も知っている顔がいくつかあったが、名前となるとデータベースを開かなければ怪しい。

 だが、グループの中でふたりだけ、紅子も名を覚えている生徒がいた。

 ひとり。野崎悠介。背が低くて顔のパーツがやや離れ気味な、眼鏡をかけた男子生徒。覚えているのは、彼が一年二組に存在する無形の序列の最下位にいるからだ。すなわち彼は、暴行・恐喝・脅迫・強要等のいじめ行為を同級生から日常的に受けていた。

 仲のいい生徒も数人いるにはいるが、いじめグループの生徒が野崎に近づくと、皆蜘蛛の子を散らすように遠ざかった。彼の味方はいても、仲間はいないようだった。彼も、関わっている少数の生徒もアニメや漫画好きの底辺、いわゆる負け組であることに変わりはなかった。きっといじめる側からすれば、ほんの些細なきっかけがあっただけで、誰でも大して変わりはしないのだろう。たとえば手が汗ばんでいるとか、しきりに口元を触るとか、仕草が多動気味で落ち着きがないとか。時々教育番組で話題になる、注意欠陥多動性障害や学習障害のようなものの要素が、彼にはあるように見えた。もちろん、見えるだけだ。実際にそのような専門医の診断を受けたわけではないのだろう。あるいは、世間的に完全で正しいとみなされる発育をした少年とそうでない者の中間領域にいる、というのが真実なのかもしれなかった。いずれにせよ、教室で力を持つ誰かが、あいつは変だ、気持ち悪いなどと言って、排除の御墨付を与えれば、あっという間に最底辺へ転落してしまうタイプの生徒だった。

 そしてもうひとり。佐竹純次。問題の、力を持つ側のグループの頂点に君臨している男子生徒だった。

 蛇のような冷たい、一重の、感情の読み取れない鋭い目が印象的な生徒だ。長身ではないが、細身の身体は筋肉質。何か格闘技をやっている、という噂を小耳に挟んだことがあった。そして日常的に誰かと衝突している者に特有の慇懃さと押しの強さがあり、グループは皆、佐竹の顔色を窺うように行動していた。

 今はともかく、かつては報田愛梨のグループと固まっていることも多く、馬場えれなは何度か言葉を交わしたことがあるようだった。何が根拠なのかはわからないが自信に満ちた表情と低い声、そして肌が綺麗でどちらかと言えば美男子に入る部類の容姿のためか、女子生徒には人気があった。紅子にとっては理解し難いことに、その人気は、普段の行いを見ている同じクラスの女子でも変わらないようだった。あるいは、そう思うことを強要する無形の圧力が教室に存在するのかもしれなかった。

 紅子は彼に、日頃から恐怖と、脅威を感じていた。たとえば文化祭の時も、彼が一番楽な役回りを引き受けることを誰も反対しない。たとえば教室で彼が野崎を突き飛ばしても、誰も謝れと言わない。それどころか、佐竹とすれ違いそうになると、気の弱い男子などは横に退いて道を譲る。彼に対して態度を変えないのは、全く興味がなさそうな片瀬怜奈くらいのものだ。紅子自身も、教室で、たまたま用を思い出したかのように、彼とすれ違わないように動いた覚えが何度もあった。他人を気にしないことでは相当優れているという自負を持つ紅子ですらも。

 ファミレスのボックス席に、その野崎と佐竹を含む、六人組の姿があった。

 詳しい会話の内容は聞き取れないほどの距離があった。だがどんな言葉が交わされているのは、その様子を見ているだけでも想像がついた。

 携帯を手に、何かのアプリゲームに興じているかのような一団。ほぼ常に誰かが、野崎を小突き回している。そして野崎は、時折席を立ち、店を出る。しばらくして戻ってくると、コンビニの店頭で買えるようなマネーカードを数枚携えている。佐竹がそれを受け取り、自分の携帯に何かを入力している。野崎が代金を受け取っている様子はなかった。

「……恐喝ですよね、あれ」と翼が言った。

「ちょっと酷くない? あれ幾らなんだろ」とえれな。

「お幾ら万円かは知らないが、まあ恐喝だよな」紅子はやってきたステーキにナイフを突き立てて言った。「しかしなあ内藤。これ、恐喝であると、立証できると思うか?」

「イリーガルな手段でなく入手した、彼らの会話の録音があれば……」そこで翼は少し考え、チョリソーを一本口に入れ、咀嚼し、飲み下し、それから言った。「いや、それじゃ難しいかもしれませんね。別に、殴るぞとか、お前の姉ちゃん犯すぞとか、そういう誰が聞いても脅しとわかることは、言ってないでしょうし。あ、これ辛い。めっちゃ辛い」

 するとえれなが自毛と同じ色の眉をひそめた。「えー、でも可哀想だよ。野崎くん助けてあげようよ。羽原ちゃんと翼くんの力で」

「次の標的とすることなら、僕は賛成です。そろそろ男の顔にも興味が出てきたもので。部長は?」

「何ができるのか、何をするのか、何をもって我々の目標達成とするのか。その検討からだな。最終目標は、野崎へのいじめ行為をやめさせるということ。これに異存はない」

「人助けですか」

「別に野崎はどうでもいい。ただ、目障りでな。誰かが誰かに上下関係を思い知らせている現場を毎日のように目にするのは、面白くない」

「またまた、羽原ちゃんてば正義の味方」

「うるさいぞ馬鹿えれな」

「え、ひどい。それひどい。小学生の時に男子に言われて以来なんですけど」

「じゃあ援交少女」

「未遂だし!」

「正義の味方は銃を持たんよ」紅子は、テーブルの上に出したままだった部品袋を鞄に入れた。「ちまちまと証拠集めするより、背中から撃った方が話が早いかもしれんな」

 すると翼がフォークを置いた。「部長。チェーホフの銃という言葉をご存知ですか?」

「なんだそれは」

 その日、紅子らの滞在中だけで三度、野崎はコンビニへ走らされていた。

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