3-2 死にたい、死にたい、死にたい
まずは関連する人物のリストアップとWIREアカウントの把握、そして端末を支配下に置き、金と指示の流れを明らかにすること。報田愛梨の時と、やることは同じだ。
「なんだか刑事みたいだね」とえれなは能天気だった。
「いや、どちらかというと、検事に似ていると思うがな」
「どゆこと?」首を傾げるえれな。彼女は紅子の前だと首を傾げてばかりだった。
「犯人が誰かは、もうわかっている。その犯人が有罪であることを立証できる、客観的な証拠を収集しストーリーを構築することが目的だからな」
被害者は、野崎悠介。
加害グループのリーダーは、佐竹純次。
それは誰が見ても明らかなことだ。だが明らかであるにもかかわらず、それを立証し、告発するには、根気強い調査と情報収集が必要になる。
教室とは奇妙な場所だ。たとえば暴行や恐喝、脅迫等が行われたとしても、まず、友達同士のふざけあいと区別することが難しい。そして、それがふざけあいの域を越えているか否かを裁定することは、誰にもできない。もしも、生徒たち全員が内心では域を越えていると思っても、集団としては、あれはいじめではないと思いたがる圧力が働く。もちろん教師にも。そして警察にも。
だからこそ客観的な証拠が必要だ。被告人が一二〇パーセント無罪であると仮定して話す弁護人を打ち負かし、裁判官も、陪審員も、誰もが安心して有罪であると判断できる証拠が。弁護人は教師で、裁判官は警察。陪審員はクラスメイトだ。
「軽はずみに、野崎を守るような言動はするんじゃないぞ」と、紅子はえれなに強く言い含めた。
元々報田愛梨のグループではいじられキャラであり、もしも目をつけられたら容易にいじめられる側にカテゴライズされてしまうえれなを守る必要があることがひとつ。そして調査していることが佐竹らに知れれば、紅子や翼の身にも危険が及ぶからだ。あくまで匿名性を維持し、証拠を集め、噂のグレイハッカーズとして告発して追い詰める。それが紅子の設定した、この一件の勝利条件であり終結へのシナリオだった。
「じゃあ黙って見てなきゃいけないってこと?」
問うえれなに、紅子はそうだと応じた。
たとえどんなに凄惨ないじめが行われていたとしても、まずはそれを記録し、客観的な証拠を集めるに留める。俯いて目を逸らすだけのクラスメイトを装いながら、携帯のカメラだけは向け続ける。告発に十分な証拠が集まるまで、決して手は出さない。
不承不承という様子のえれなだったが、最後には納得したようだった。彼女は理屈ではなく、本能で理解しているのだ。教室という場の特殊性と、恐ろしさを。
「インターネットがある限り、この世にプライバシーなどないと思い知らせてやる。この私がな」
「おおっ、羽原ちゃん、ハッカーっぽい」
そんな会話を交わしてから一週間。
着々と、事実の記録は集まりつつあった。
学年末試験後の休みを利用して、紅子らはカラオケボックスに集まった。以前にも、翼とふたりで、同じ目的で利用したことのある店だった。
薄暗い照明の室内で、口火を切ったのは翼だった。
「注視してみると、結構ろくでもないことばかりです。これが、水曜日に撮った野崎の下足箱の写真」
翼はPCを一同へ向けた。写真を貼りつけたプレゼンテーションソフトが立ち上がっていた。
至って古典的な手段。中敷きに両面テープを貼り、画鋲を並べたものだった。
翼はここ一週間、試験対策と言って他の生徒より早く登校していた。すると、佐竹グループのひとりである
「普段の時間だったら、周りに人の目がありました。野崎の下駄箱をわざわざ開いて記録なんかしていたら、あっという間に佐竹に知られていたと思います」
写真は二枚。接写と、それが野崎の下足箱であることがわかる引いた写真だった。前者だけでは、証拠の能力はなかっただろう。
「やったじゃん翼くん。物証だよ。物証」
えれなが握り拳を作る。
いつの間にか、えれなは翼のことを下の名前で呼ぶようになっていた。より付き合いが長い紅子としては引っかかるところがないではなかったが、悪い気分ではなかった。
紅子は手元のPCで篠塚和未のアカウントを表示する。プロフィール画像は変顔をした彼自身の写真だった。逆立った短髪の、身体が大きい男子だ。教室でも、脂肪が溜まった腹を佐竹に小突かれている姿をよく見かけた。仲間内での愛称は『シノ』だった。
だがな、と紅子は応じた。
「篠塚の犯行であると立証できるものはあるか?」
「そこなんですよ」翼は腕を組む。「僕が確認できたのは、その日、篠塚が早く登校していたことだけです」
「どうして? それじゃ駄目なん?」
困惑した様子のえれなを横目で見てから、紅子は言った。「前日の夜までに誰か別の人間が仕込んでいた可能性は?」
「それですよ。いじめがあるという事実はともかく、物証を抑えたところで誰がやったかはわからない。たとえ篠塚であることが火を見るより明らかでも」
「他には? 何か集められた証拠はあるか?」
ではこちらを、と翼がPCを操作し、写真が切り替わる。
「これは月曜日ですね」
野崎の机だった。だが、椅子と机が、紐のようなもので何重にも固定されている。足元には、逆さになった指定の通学鞄があった。
「これって……肩提げ用のストラップ?」とえれな。「ほとんど使ってる人いないよね。ダサいし」
「野崎は使っていたな」と紅子。「休み時間の間に彼の鞄のストラップを外し、目一杯伸ばして机と椅子を固定した。やったのは誰だ?」
「
写真が切り替わる。芝浦はニキビの目立つ角ばった顔に坊主頭。中学の頃から今まで硬式野球部に所属している。ポジションは捕手。捕手らしい体型だった。仲間たちからの愛称は『シバ』『イサオ』等。一方の元木大飛は比較的細身でよく日焼けしている。こちらはサッカー部で髪が長く、明るめの色で染めているためか、後ろからのシルエットは甘皮つきのアーモンドのようだった。愛称はもっぱら『ヒロ』だった。
そのふたりが、野崎の机に取りついて、鞄のストラップを手に固定しようと試みている様子の写真だった。
「どうよ羽原ちゃん、これなら犯人決まりだよ」えれなはしたり顔だった。
「鞄のストラップを巻きつけたから、なんなんだ? ただのふざけあい、よくて教師から注意されるくらいさ」
「で、告発した側が報復を受けておしまい、が関の山でしょうね」翼は肩を竦める。
「あ、あたしもゲットしたよ。証拠」えれなが携帯をテーブルの中央に置き、動画を再生する。
木曜日の昼休み。教室での映像だった。佐竹グループの数人が、空いた窓から外の木へ向けて何かを投げていた。
「これ、野崎くんのペンケースの中身」とえれな。
投げているのは四人だ。
まずは
次に
そして
そして最後が、野崎悠介自身だった。
「やらされているのはわかるが……」
「区別はできませんよね」と翼が後を継いで言った。
野崎のペンケースの中身を、一本一本、窓の向こうの木を的にして投げ捨てる三人。楽しげな彼らに野崎が乾いた笑みで歩み寄る。すると松井が彼にペンを渡し、高橋が背中を押して窓際に追いやる。木村が、俺が狙った女は百発百中で俺は最強、という意味合いの歌で盛り上げる。野崎は、自分のペンを、外へ向かって投げる。何本も。
「投げるだけじゃなくて投げさせてるのがなんがすっごい性質悪いなーって思って、つい撮っちゃった」
「性質悪いってのは同意だが」
「彼ら、ワイヤードはどうでした?」翼が表情を変えずに言った。
紅子はPCをテーブルの中央に押し出す。「比較的シンプルだな。いわゆるWIREいじめのようなものは、本邦では女子の方が手が込んでいるようだ。だが……」
「なんか隠し玉?」えれなが首を傾げる。
「隠し玉というか、胸糞悪くなるものがひとつ。野崎の裏アカだ」
紅子は〈WIRE ACT〉でそのアカウントを表示させる。
何これ、とえれなが絶句し、翼が無言のまま画面を睨んだ。
そこには、ある同じひとつの単語が大量に並んでいた。
「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい……水曜日と木曜日、翌月曜だったか。野崎に対する激しいいじめ行為があった日に、このアカウントは稼働するようだ。野崎はご覧のように、ひたすら『死にたい』とだけ投稿し続けている」
「止めなきゃ」とえれな。
「悠長に構えてはいられなさそうですね」と翼。「早くなんとかしましょう。ミスよりグズを嫌えと、ザッカーバーグも言っています」
「まったくだ」紅子は、野崎の裏アカウントが表示されたままのPCを閉じた。「本当に死なれでもしたら、寝覚めが悪すぎるからな」
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