3-3 無意味な物証

 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい――。

 見ているだけで気が滅入る同じ単語の羅列。そのWIREのアカウントのフォロー数はゼロ、キー数もゼロ。ただ一方的に野崎が同じ言葉を投稿するためだけに使われていた。しかし意外とフォロワー数は多い。不定期に死にたいとだけ投稿するアカウントを面白がって見続ける人の心理は理解できた。他でもない紅子自身がそういう人種だからだ。

 だが、仮にも同級生とあっては話は別だった。

 放課後、西日の差すロボット研究会部室で、紅子はひとり、PCの画面を睨んでいた。無事、学年末試験が終わって、休み前の登校日だった。

 試作中の二足歩行ロボットが長机の上を歩いていた。ブリキの玩具のような外観だが中身は最新鋭の教育キットである。もちろんキットのままではなく、制御に少しの改造を加えていた。

 長机の端まで歩くと、ロボットは一八〇度転回して今度は反対側の端へと歩き始める。

 調査記録を当たると、野崎悠介のことは既に一度調べたことがあった。昨年の一〇月、片瀬怜奈かたせれいなのストーキングに精を出していた頃だ。彼女の周辺・関係人物として、野崎悠介の名が挙がっていたのだ。

 もっとも、関係といっても、出身中学が同じであることくらい。片瀬怜奈があまりにも謎だったため、そんな薄い繋がりまで調べざるを得なかったというのが真相だ。

 そういえば、と紅子は呟いた。

 思い出すことがあった。片瀬怜奈と出身中学が同じといえば、あのアナログ人間の大男だ。憂井道哉うれいみちやという名前だった。実家は古武術の道場で建物は重要文化財。祖父は最後の文豪とも呼ばれた昭和の作家、憂井宗達である。両親はなく、道場は親類が所有するもの。それとは別に親から継いだ平屋の邸宅を持っている。どうにも浮世離れした人物だ。いかにも片瀬怜奈の趣味に合致しそうな。

 その憂井道哉の、相変わらず誤字脱字が泣きたくなるほど多いアカウントを眺めながらぼんやりしていると、部屋の扉がノックされた。クセから安全だと判断し、紅子は「どうぞ」と応じた。

「羽原ちゃんおいっすー」

「お待たせしました。自供になりそうなものは出ましたか?」

 馬場えれなと内藤翼だった。彼らは紅子の向かいに並んで座ると、各々携帯やPCを鞄から取り出して並べる。

 ロボットがまた机の端まで進み、転回して反対側へと歩き始める。

 えれなが黄色い声を上げた。「うわあ、ロボットだ。可愛い」

「レーザーセンサの反射率が閾値を跨いだら一八〇度転回ですか?」と翼。

「少し変えていてな。一度跨いだらまず右へ回転して、規定の反射率に戻るまで動く。検知し次第今度は逆方向に回転し、もう一度閾値に戻るまで動く。この時の移動幅を記憶していて、その半分だけ更に動く。一八〇度転回のアルゴリズムを動的にしているんだ。この方がただ一八〇度より往復運動がロバストになる」

 なるほど、と頷く翼ときょとんとしているえれな。

 あまり受けはよくなさそうだった。話題を戻すことにして、紅子は言った。

「一応、根気強く監視はしているが、さっぱりだな。まあ他愛もないWIREいじめ、仲間外しのようなものはあるが」

 紅子はPCをふたりへ向けた。

 佐竹らのプライベートラインだった。話題は春休み中の遊びの段取りだった。それに野崎が既読マーカーをつけないことを誰からともなく咎め、最終的には友達を大事にしない最低のやつだ、という趣旨の罵詈雑言が飛び交っていた。一方では野崎を加えない別のPLが立ち上げられており、ファストフード店内と思われる画像が上げられていた。つまり野崎以外のメンバーで集まって、野崎の反応を見て遊んでいるのだ。

 誰かが詫びろと言い、他の誰かが土下座しろと言う。WIRE越しにどうすればいいと野崎が応じると、写真を送れと言う。すると数分して、野崎は律儀にも土下座した自分をタイマー撮影した写真をアップロードする。

「まあ、こういうのなら」ひと通り確認した翼が嘆息して言った。「馬場ちゃんの方が経験豊富だと思います」

「そりゃ言わんといてえな、旦那」えれなは平手で翼の肩を叩く。

「少なくとも、佐竹から他の誰かへのいじめの教唆と思われる投稿は見当たらない」

「休み前に決着をつけたかったんですが」

「休みになれば会わなくて済むしいいことじゃん。クラスも変わるし」

「えらく実感が伴った発言だな……」

 えれなは以前より少し伸びた髪の毛先を弄りながら、曖昧な笑みで「そりゃあまあ」と応じた。

「さておき、今週分です」今度は翼がプレゼンモードに入り、丸眼鏡をかけた。

 教室から放り投げられた落書きだらけの教科書。ゴミ箱に叩き込まれた体操着。鞄に染み込んだ蛍光ペンのインク。机に油性マジックで書かれた「帰れ」の文字。教室で後ろから羽交い締めにされ首を絞められる姿。いずれも証拠としては不十分な情報であることに変わりはなかった。

「野崎、教科書も捨てちゃったみたいなんですよ。体操着は普通に回収してましたし」

「あれ先生見てたよね。酷くない?」身を乗り出すえれな。

「よくある話だろう」紅子は嘆息して応じる。

 もしもいじめではないと解釈できる余地がひとつでもあるなら、いじめと断定して動くことはしない。その合理性は理解できたが、感情が許すかは別の話だった。

「僕からはこれくらいです。収穫といえば、わからないことがわかったくらいで」

「……どういうことだ?」

ですよ」と翼は応じて、丸眼鏡に片手で触れた。「佐竹、特にあれやれこれやれとか、言ってる様子ないんですよね。最初は、教科書が窓から投げられたらおもしれえだろうな、と口にするような仄めかしをして周りに忖度させているのかと思っていたんですが。それもない」

「じゃあ何か。元木やら芝浦やらが、勝手に考えてやってるってのか?」

「おそらくは」

「だがリーダー格は佐竹だろう」

「そこなんですよ」翼は腕組みになった。「リーダー格なんですけど、自分はただ構えているだけで、周りが自発的に積極的に考えて、野崎をいじめている。そんな感じです。まるで理想的な指導者と部下みたいな……。部長の方で、佐竹のこと、何かわかりましたか?」

「調べてはみたがな」と紅子は応じた。

 まずは佐竹のアカウントから同じ端末でログインしているアカウントを改めて調べた。すると見つかったのは、友人らとやり取りするための、クラスWIREにも登録されているアカウントがひとつと、家族や親類らしきものと繋がっているものがひとつ。更に裏アカがもうひとつ。

 二番目のアカウントから判明したことがあった。

「佐竹、ひとり暮らしのようだ。父親と定期的に会っているが」

「お母さんは?」えれなが訊いた。

「わからん。父親……佐竹弓彦さたけゆみひこという男も都内在住だが、同居していない理由も今のところはっきりしない」

「死別か、離婚でしょうか?」翼は腕組みを崩さない。「男の子なら父親に引き取られても不思議じゃない。別居はわかりませんが……」

「父親には普通に妻と娘がいる。関係は良好とはいえないが、まあある程度歳のいった妻や娘と良好な関係を築いている男の方が珍しかろうて」

 翼が難しい顔で言った。「佐竹と、その妻と娘は?」

「接触している気配はないな」

「じゃあ後妻とその連れ子かもしれませんね。夫の方の連れ子とはいえ、他人の若い男を家に置いておくことに抵抗があってもおかしくない。金銭的に余裕があるなら、ひとり暮らしさせるでしょう。というか僕がその父親ならそうします」

「えー、それ可哀想だよ」

 なぜかむっとした様子のえれなに、翼は肩を竦めて応じる。

「それはほら、男は狼だから」

「……それはわかる」えれなは翼をじっと睨んだ。

「なんにせよ、佐竹純次は佐竹弓彦の息子だが、母親とは血の繋がりがない。腹違いってことだな」

「複雑な家庭なんですね」翼は無感動に息をつく。

「もうひとつの裏アカは?」

 えれなの真っ直ぐな目に少したじろぎながら、紅子は応じた。

「これがまたよくわからなくてな。大半が在日コリアンやその二世、三世たちなんだ。道場を通じて知り合ったのだろうが……」

「道場?」怪訝な顔になる翼。

「佐竹くんテコンドーやってるんだって。めっちゃ強いらしいよ」

「そういえば技真似みたいなのしてるところ見たことある」翼は丸眼鏡を取り、紅子を見た。「道場関係の人間関係は、学校と分けてるってことですか?」

「かもしれない」

 すると翼は、ひと呼吸置いて言った。「これは僕の意見なんですが……佐竹純次のこと、もう少し突っ込んで調べてみませんか?」

「気になるか?」

「ええ。彼が何をしているのか。彼はどんな人間なのか。それを詳らかにしないと、この件は片づかない。そんな気がします」

「随分執心するじゃないか。男だぞ」

「顔がね。佐竹、いつも笑いを堪えているような顔なんです」

「何だそれは」

。野崎がいじめられる姿を見ながら」

 机の縁で転回していたロボットが、バランスを失って床に落ちた。

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