1-8 彼女の事情
せっかく築いた監視カメラ網を駆使して片瀬怜奈を追跡していた内藤翼は、度々同じフレームに映り込む奇妙な男の存在に気づいた。たとえば通学路。あるいは休日の繁華街。表のWIRE関係を辿ってもそれらしい男は見つけられなかった。
「〈WIRE ACT〉でプロフィール画像を全数照合とかできませんか。そういう画像に特化した顔認証プログラムは僕が作りますから、アプリケーションとの連携はお願いしますよ」
「やってやれないことは、ないと思うが……」
「じゃあ是非に。個人とアカウントを紐づける手段は多いに越したことないでしょう」
「調子がいいのはいいことだがな」紅子は掌を下に向けた。「声を抑えろ」
ようやく差した日差しにガラスが輝く、駅前のファミリーレストランだった。今でこそ再開発も進み、賑わいを見せているが、その昔は郊外のベッドタウン。広がり続ける東京の最前線のような街だ。その休日、片瀬怜奈はひとりで映画館へ行った帰りにそのファミリーレストランに立ち寄った。ひとりかと思いきや、すでに四人がけの席に座り、彼女を待っている男がいた。
栗原涼太郎、という名前の四〇過ぎの男だった。片瀬怜奈の自撮りアカウントにしばしばメッセージを送り、片道でフォローしていた。しかし、個人的に会うような関係には思えなかった。だが、スパイウェアで携帯のGPSを監視していると、片瀬怜奈の出かけた先にほど近いファミリーレストランに彼の反応があった。そして夜のうちに片瀬怜奈と栗原の端末がWIRE通話した記録があり、紅子は翼を伴って急行したのである。
紅子はWIREのアップデートに偽装して栗原の端末にGPS発信やキーロガーのみならず、リモートコントロールを可能にするマルウェアまで感染させていた。失くした携帯を発見するためのアプリケーションなら多数出回っているが、それでは生ぬるいというのが紅子の見解である。
つまり監視体制は万全であり、わざわざ現場に足を運ぶ必要はない。
それでも向かった理由はひとつだ。
「……それなりにいい男だな、栗原」
「部長、ああいう器用そうな男が好みなんですか?」
「一般論だ、セクハラだ、黙って監視しろ」
了解、と翼は応じる。彼の手元には利便性と匿名性の高い観光客向けのWi-Fiルータがあった。
そのファミリーレストランは店内で無料Wi-Fiを提供しているが、使用開始時にブラウザでメールアドレスを入力する、アンケートに答えるなど煩雑である。そこで、紅子はそのWi-FiにIDがよく似た、_officialとつけた別のWi-Fiスポットを作成したのである。
電波は強く、パスワード入力なしで即接続できる。栗原涼太郎と片瀬怜奈も、罠にかかり接続した。
そしてそのルータを介して行われる通信を監視。滞在中に使ったあらゆるウェブサービスのIDやパスワードを盗み取るのである。
もっともそれはテストを兼ねた副次的なもの。たったひとつの理由は別だ。
片瀬に近づく男が、どんなツラかこの目で拝んでやる。
それこそが最大の目的だった。
通信監視は翼に任せ、紅子は栗原の携帯に仕込んだ盗聴アプリを立ち上げてイヤホンを着けた。テーブルの上にはほどほどに料理を残し、店員が声をかけてこないようにする。紅子らの席から栗原の顔は見えたが、片瀬怜奈の方は艷やかな黒髪が流れる後ろ姿しか見えなかった。
聞き耳を立てると、ややこもりがちな声だが会話の内容は十分に聞き取れた。
「……ですから、そのお話はお断りします」
「それはこの世の損失だ」と栗原は言った。「正直言って、原宿で初めて声をかけた時からずっと、私は運命的なものを感じています。怜奈さんを世に送り出すのが私の使命だと」
「ただの偶然でしょう。そういう人に声をかけられること、初めてじゃないですけど、必ずお断りしてました。名刺を渡されても捨ててました。あなたとこうしてお会いしているのは、母の知人だからです。それ以上のものはないですから、変な期待は持たないでください」
「でも来てくださった」
「それが変な期待だって言ってるんです」片瀬怜奈は肩を落とした。「芸能のお仕事に興味はありません。結婚した時、母が世間からどんな言われ方したか、私よりよほどご存知ですよね。私を出産してから仕事に復帰するつもりだったのに、できなかった。あなたたちが母をちゃんと守れなかったからです。小泉杏奈の名で検索すれば、当時のことはいくらでも遡れます。私だって、何があったのか、わからない歳ではないです」
「確かにあれは我々事務所のミスでした。ですが……」
「よくあることだって言うんですか。聞き飽きました。確かに母にも否はあると思います。でも、だからって、メンタル面の強さが足りなかった母が悪いって言いたいんですか。事務所の所属タレント、何人でしたっけ。そうやって何人の夢を食い潰して商売しているんですか」
「言い訳はしません。そういう仕事ですから」
「そうやって忘れていくんです。世間も、あなたも」
「そういう仕事ですから」
「ならあなたと一緒に仕事をするつもりはありません。どんなにおだてられたって、その気持ちは変わりませんから」
早速調べたらしい正面の翼からWIREが飛んでくる。
小泉杏奈。三八歳。元女優・モデル。建築家、片瀬怜一との不倫騒動でマスコミからバッシングを受け芸能活動を引退。片瀬怜一は多額の慰謝料を支払って妻と離婚し、後に小泉杏奈と再婚した。
つまりその時の不義の子が、片瀬怜奈ということになる。
小泉杏奈の方は、引退前後のストレスと産後うつにより心療内科に通院する姿を、当時の週刊誌に撮られている。片瀬怜一も一時は仕事が激減したが、今は東京の近代建築の保存プロジェクトや各地の再開発プロジェクトで主導的な役割を果たし、設計した建物がフランスの権威ある建築賞に輝くなど、今は当時の影響なく第一線で活躍している。
翼が「母親が芸能人ってマジだったんですね」「しかも父親は著名な建築家。やべーっすね」とWIREした。
栗原が居住まいを正した。「確かにタレントはいくらでもいる。でもね、本物はほんの一握りだ。単に可愛いとかお洒落とかスタイルがいいだけじゃない。その人が持っている資質、人前に立つ者に必要な、言葉にできない能力がある。それを見抜くのが私たちの仕事だと思っている。いつも見抜けるわけじゃないし、それを持っている人をちゃんと輝かせることができないこともある。……杏奈さんのように」
「私にもそれがあるって言いたいんですか? 何人の女の子に同じことを言ってきたんですか?」
「簡単には言わない」
「と、毎回言ってきた」
「敵わないな、あなたには」栗原は相好を崩した。「杏奈さん……お母様はお元気ですか」
「元気すぎるくらいです。最近は、早く男の子を連れてこいってうるさくて。勝手に見たんですよ、私のWIRE。信じられない。そう思いません?」
「男の子との? それは気をつけて欲しい。WIREのスクリーンショットで炎上して仕事がなくなった子もいますから」
「それなら大丈夫です。彼、スクリーンショットの撮り方も知らないと思うので。そもそも彼氏でもなんでもないですし」ひと呼吸置いてから片瀬怜奈は続けた。「気をつける理由もないです」
「……先程、私と一緒に仕事をする気はない、と言われましたね」冗談めかした空気を払うように栗原は声を低くした。「なら、別の担当をつけてもいい。関心がないわけではないでしょう」
「ないですよ」
「でもあなたは、普段遣い以外のWIREアカウントをお持ちだ。不特定多数の注目を集めることの心地よさも知っている。まずはファッションスナップで支持を集める07というアカウントの正体としてあなたを紹介するつもりです。お母様との関係は当面公表しません。それでも駄目ですか」
「嫌です。母は、私があなたと会うことも嫌がると思います」
「伝えていないんですか?」
「言えるわけないでしょう。自殺未遂までしたんですよ、母は」強まった語気。深呼吸で抑えて片瀬怜奈は続けた。「お話に、魅力を感じないわけではありません。さっき、映画を観ました。母が子役時代に主演した作品のリメイクです。全然、駄目でした。元の方が素晴らしかったし……私の方が上手くできるとも思いました。母の昔の仕事を知ってから、私はいつも、他人の前では、自分ではない誰かを演じていました」
「なら一度、事務所へいらしてください。社長に紹介したい」
「お断りします」片瀬怜奈は席を立った。「演じるのは教室の中だけで十分です」
後ろの席で息を潜める紅子と翼を一顧だにせず、彼女は店を後にする。
しばらくして栗原の方も出ていくのを見送ってから、翼が口を開いた。
「……彼女も色々大変なんですね」
「つきまといの正体がわかってよかった。危険はなさそうだ」
「それはどうでしょう」翼はPCに目を落としていた。「違うんです」
「何が」
「顔が。栗原は、クラスWIREで出回っていた『年上の恋人』疑惑の正体だった。でも僕がカメラのハッキングで見かけたつきまとい男は、栗原の顔と一致しません」
紅子は腰を浮かした。「どうしてそんな大事なことを黙っていた」
「僕の顔認証、実運用、初めてなんですよ? 画像処理のミスかと思ったんです」
「なら店内入ってすぐわかっただろ」
「画像が悪くて。顔を見ても、今ひとつ……」
「じゃあなぜ君は、今、ストーカー野郎ノットイコール栗原だと確信した」
「カメラ網に反応がありました」翼は監視カメラの映像が映ったPCを向けた。「僕らの最寄り駅前に、今、つきまとい男が待機しています。このままだと、片瀬怜奈と接触します」
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