1-7 第2の噂:年上の男?

 秋時雨。その週は断続的に雨が降った。

 週明けのロボット研究会部室。内藤翼は「いくつか申し上げることがあるのですが」と口火を切った。

「まず、先週金曜日。僕らが追跡に失敗した日ですが……監視カメラのアングルからの消去法で彼女が向かった先を調べたところ、やはり蕎麦屋があることがわかりました」

「根拠が弱くないか」

「その蕎麦屋、金曜日にしか営業しないんです」画面をじっと睨んだまま翼は続ける。「脱サラした夫婦が自宅で営業しているんですけどね。営業は金曜だけで一日一〇食限定。そういう少数ロットで、人件費を度外視すれば採算が合うんでしょう。脱サラ開業モデルの数少ない成功パターンです」

「やはり無類の蕎麦好きなのか……」

「もうひとつ。僕らに尾行されているとも知らずに彼女が眺めていた例のビル、静岡新聞・静岡放送東京支社のビルだそうです。その筋では有名な建築物みたいですね。代謝し、有機的に成長する都市という概念を、個別の建築物の設計へ反映させる、一九六〇年台の建築思想だそうです。オリンピックが無限の成長という夢を東京に見せていた時代の遺産ですね」

「築六〇年以上じゃないか。大丈夫なのか?」

「という話が出て取り壊しも検討されたらしいですが、中銀カプセルタワービルなどの同様の建築物とひと括りに文化遺産として保存されつつ、現在も使用されています」

「やっぱり筋金入りのビルマニアなのか……」

「それと最後にもうひとつ。土曜日の片瀬怜奈の徘徊経路と、立ち止まっていた地点を分析した結果、一か所だけ周りにめぼしいビルがないし写真も投稿されていない場所を発見しました。その場所なんですが……」

 立て板に水のように喋っていた翼が急に口ごもった。

「どうした。何か都合が悪いのか」

「いえ、僕は何も都合が悪くないんですが……喫煙所なんですよ」

「へえ。タバコなんか吸うのか、彼女は」

「意外ですよね。今どき珍しい。まあ、私服なら一六どころか二六でも通りそうなくらい大人びていますし、見咎められることはないと思いますが。……笑わない限り」

「どういうことだ?」

「作り物じゃない笑顔には人の年齢が出るんですよ。人の感覚の神秘ですね。画像処理ではどうも、そのあたりが勘所がわからない」

「私は君の勘所がわからんよ」

 とにかくですね、と翼は応じた。「これでひと段落ってことで、いいですよね」

「何がだ」

「片瀬怜奈の調査ですよ。彼女が霞を食っているわけじゃないことも、昼休みの行き先もわかった。第三のアカウントの正体も。これ以上、何かありますか?」

 それは、と応じて紅子は口ごもった。

 食事も趣味も、彼女のいち側面に過ぎず、不十分だと紅子は感じていた。調査の過程で知り得た不可解な事実について、まだ完全に解明できたわけではなかった。とりあえずの結論で妥協するのは、技術的には正しくとも科学的には正しくなかった。そして何より、父から与えられた力を、まだ存分に振るえていなかった。

 紅子は胸元に提げたリング型のUSBメモリに触れた。

「私はまだ、彼女の心までは暴いていない」

「僕は顔だけ暴ければ十分です。……が」翼は深々とため息をついた。「気にはなるんですよ」紅子が黙って続きを促すと、翼は渋々という様子で続けた。「彼女に、心を許す相手はいるのか」

「なんだそれは」予想外ではないが、想定した言葉ではなかった。

「僕には部長がいますし、部長には僕がいます。人の輪から外れた者には、そういう相手が必要なんですよ。その人とウェルネスな関係を維持していれば、孤独を堪え忍べる。そういう相手です」

「彼氏がいるのかっていうことか?」

「部長にしては安直で大雑把ですね。ですがそう理解してもらっても構いません。……一応言っておきますが、僕は部長にそういう感情は持ち合わせてないです」

「それは私もだが」

「即答ですか。傷つきますよ」

 紅子は深呼吸し、USBメモリをチェーンから外してPCに挿した。「君の言っていることは理解できるよ。どうも彼女の周りはキナ臭いからな」

「何か見つけたんですか?」

 まあな、と応じつつ〈WIRE ACT〉を立ち上げる。

 あまり翼には見せたくなかった下世話なパート。だが彼自身が気にかけるのならば話は別だった。

 クラスの女子の上位陣らによるWIREグループを開く。

 片瀬怜奈を含むものと、含まないもの。

 そんな周りの雑音を意にも介さない少女というイメージを片瀬怜奈には抱いていたし、ここ数週間の調査で明らかになった彼女の実態はそのイメージを裏づけた。だが。

「人間は人間である以上人間であることから逃れられない。彼女がどんなに浮世離れしていようとな。自分と友達面しているやつらが根も葉もない噂をせっせと捏造して笑いものにしていると知って、傷つかない人間はいないさ。気づいていないとは、考えにくいしな」

「聡い子ですよね。成績もいい」

「そうなのか?」

「一学期の期末試験、学年二位でしたよ。理系科目は部長の方が上でしたけど……」

「言うな。私は国語が苦手なんだ」

「作者の気持ちより回路の気持ちの方が多少はわかるでしょ、部長」

「小説の人物やら評論文の作者より私の方が論理的なんだよ。だから私の回答が間違いになるんだ」

「しかしまあ、女の子って怖いですね」紅子のPCを操作しつつ翼は言った。「他人のひと言、一挙手一投足、よくもまあネタにしますよね。よく先生のこととか言ってるのは耳にしますけど、同級生にも言うなんて」

「そういうものだよ」

「つまり彼女は、教室で孤立している?」

「そうかもしれないな」

「かけがえのない人になりたいのなら、人と違っていなければならない。ですが人と違うことは孤立に繋がります」翼は目線を上げた。「そして部長は、彼女が孤立していても平気な理由が知りたい」

「知りたい、というのは少し違うかもしれないな」紅子は腕組みになって応じた。「これは私と片瀬怜奈の戦いだ」

 翼は、また変なこと言ってる、という顔になった。「なんすかそれ」

「ベンチマークだよ」と紅子は応じた。

 何になれるのか。何ができるのか。神か悪魔か、探偵か怪盗か。

 あの不可解で謎めいた、険のある眼差しの少女の正体をどこまで探ることができるかがすなわち、〈WIRE ACT〉の力を得た自分の限界のような気がしていた。

 それでふと思った。現実から浮遊した何者かになるための、〈WIRE ACT〉なのだと。まるでワイヤーアクションのように。

 しばらく互いに押し黙ってから、翼は紅子のPCを押して戻した。

 それから珍しく、紅子の目を真っ直ぐに見て、翼は言った。

「実は僕にも、隠し玉がひとつありまして」

「……隠し玉?」

「黙っていようかとも思ったんですけど、そのエレガントでない女たちのやり取りを見て、決心がつきました」

「気に入らん女には本当に辛辣だな、君は……」

 紅子の呆れ口を無視して翼は応じた。「彼女、妙な年上の男につきまとわれています」

「年上の男って、まさか……」

「そうです。片瀬怜奈の噂その二、年上の恋人に貢がせている。これ、マジかもしれません」

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