応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 恥じて明けゆくへの応援コメント

     探しもとめていたものかが、やさしさで、それは夜の暗がりにあり、いや、夜そのもの?そして、陽のあたらない陰として、電信柱の片隅に残る。そこにしかない情景の描写として沁みました。
     恐らくは、この心象に共感する(とくに若い)ひとはけっこういるんじゃないか、と。そんな気がします。

  • 悼みの季節への応援コメント

     毎年巡ってくる悼み、その重さが伝わる作品ですね。

  • 文字烈への応援コメント

     別々の鉢に入っている、というところ。何気ないことに厳然たる現実がある。だからって僕はきみになれないし、きみは振り向くこともない。解ってしまうことの残酷さ。巷によくあるけれど、答えのでないこと。結局はこんな感想。申し訳なく。

  • 愛は正。への応援コメント

     愛は正義の部分集合なのか、正義は愛の部分集合なのか、それとも等価なのか、表裏なのか、なんて考えながら読んでいました。なんだか愛も、何らかの価値を与えられて、相場ができ、売買される。そんな予感めいたものを感じながら。支離滅裂です。

  •  あなたの顔の表情は見えなくて、そのことがわたしと言葉との位置関係を、辛い気持ちでもって伝えているように思えました。決然と立ってはいるのだけれど、月あかりは仄暗く、なかなかつかめない、もどさかしさ。

  • ガラスペンの君への応援コメント

     ガラスを通して見えるものはすばらしい、という気持ちにさせてくれる作品ですね。しかも、そのペンが吸いあげるのは、冷たく冷めた人の血のよう。だからその文字は永遠にちかい長さで消えないのかも知れない、そんな気持ちになりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    聖人認定は、亡くなった後。誰かを神格化して見るということは、相手の生を否定することでもあるのかもしれませんね。永遠を求めるのならば、美しい死をも同時に求めている。
    素敵に読んでくださってありがとうございます。

  • 振動への応援コメント

     たしかに振動は怖いですね。はるか彼方まで伝わっていきますから。エネルギーといってしまえばそれまでですけれど、伝わるには、波のかたちをとるんですね。

  • 回向の街への応援コメント

     作品ぜんたいが、ひとつのかたまりとなって、街に消えていく。そんな印象を持ちました。街と、作者の、存在感でしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    主人公の「僕」はいるけれど、文の主体がどこにあるのか曖昧な、詩になりました。
    それを「作者」と捉えていただいたことは、意外でしたが、
    光栄です。

  • 水の沙漠への応援コメント

    とても、とても美しい詩だと思いました。
    私も、こんな美しい詩を書きたいです。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     お褒めいただき、光栄です……!
     じつは、始めの2行だけ書いてあった状態で、一年くらい放置されていたものでした。後に付けた文が、不相応なものに見えなければいいな、と願っております。

  • 水の沙漠への応援コメント

     水でみたされているのだけれど、泳ぐのではなく歩いていく。それは、そこが沙漠だからか、歩くというひとの性なのか。足音のしない靴をえらんでまでも。なんだか、一つの風景以上に、そんな、時間までも感じさせてくれる詩篇でした。一つの思いのなかに展開する風景のような。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     歩くことを選んだのは、おそらく、旅人の執念のようなものなのでしょうね。旅人は、旅人でなければならなかったのだと、勝手ながら考えております。
     沙漠と旅人を映すカメラをどう動かすか、というところに、癖が出てしまった詩だと思います。素敵に読んでいただき、ありがとうございました。


  • 編集済

    嫌っているからですへの応援コメント

     難しいですよね。こういうテーマって。色々な人がいるから。そこには、色々な理由があって。それぞれに正義がある。でも、どこかで、なにか小さくても小さなひとなりに発しなきゃ始まらない、とも思います。
     色々なことは、相対的なんだろうな、と、いつも思います。相対的なんだけど、思いは通じるはず、と。楽観的ですね。
     感想になっていません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    どうにも厳しいところで、詩になりきらないままに投稿をしてしまいました。
    他人の正義だとか、共感だとかを、気軽に見ることのできる世の中になりました。

    それらが行き過ぎてしまったとき、私たちはどこでそうと気付かなければならないのでしょう。正義や共感は、どこで止まるべきなのでしょう。

  • 光よ君よへの応援コメント

     確かに産まれ落ちる生命は母を裏切り父を裏切っているのかも知れません。他の生命はそれを受け入れているのに、人間だけが執着している。裏切ることこそ、と思いたいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    自我は生命と、視界は世界と相反する。そういうものなのかもしれません。須く、そうあるべきと思いながら、生まれてくる生きものなのかもしれません。


  • 編集済

    見なくていい日への応援コメント

     だんだん強くなっていく世界。最後に見るのは君の黒目のような月。優しく想像していった先にバチンと黒い月なんて。うわっ。っていう感じです。なにかが違うんだっていうことはしっかりと伝わりますね。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     「だんだん強くなっていく世界」とのご感想、私も納得してしまいました。
     目を逸らしたはずのその先に、変にドメスティックというか、生々しいというか、そんなものが見えてしまって、本当に見たくなかったものってなんだったのか分からなくなって、しまう。
     どんどん近づいてきてしまう「見たくもなかったもの」というイメージでしたが、「強くなっていく」は、同じ事の視点違い、という気がいたします。

  • 朝以前への応援コメント

     あなたが太陽でその向こうにまた太陽がある。そのイメージがおもしろいな〜と思いました。わたしとあなたと太陽が直列する線上にあってわたしの迷いがある。やっぱりそのやり取りが面白いです。自分だったらどうするかなと。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     手塚治虫の「火の鳥」から来たイメージだと思うのですが、大きいものの認識できる世界にはさらに大きいものがあり、さらにその大きいものの認識には……のような、無限の入れ子構造が好きです。

     自分の矮小さを認めたくなくて、でも誰かに「矮小だ」と言って欲しくて。
     ほんとうは、「ぼく」のいる世界だって、無限の中のどこかでしかないはずなのに。


  • 編集済

    にがくへの応援コメント

     毒は毒なんでしょうけれど、なんだかパラダイムシフトが起きた感じですね。価値のないはずのものに価値がつく、って、こういう感じなのかなと思いました。不思議な感覚です。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     だれかが毒と言うのなら、全てのものが毒なのです。……と、思わなくもありません。
     たとえそれが、なんの効果も無いとしても、毒と言うなら、その言葉こそが毒なのです。
     ……なんて(笑)


  • 編集済

    でえだらぼっちの独白への応援コメント

     でいだらぼっち、から見たせかい、さいこうです。わたしはかぜになって、お供をしたい。置いてけぼり、は、嫌ですよ。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     かぜ! いいですねぇ。不可算で、大きさも小ささもなさそうで。
     いつか、巨大な足跡などが、歴史を語らなくなるまで、でいだらぼっちの肩のかぜとなりましょう。


  • 編集済

    水摩礫への応援コメント

     ものすごいという表現は感情が入りすぎていてこの作品には合わないと思いますが、他に適当な語彙が?そうですね、大幅に、がいいでしょうか、大幅な喪失感で、いま、をとらえられていて、見事、と思います。いま、を生きていく、ってこういうことなんだ、と改めて思いました。結局、最後かどうかわかりませんが、最後は欠けた自分をただ見つめるしかないんだなって。時間が必要なんですが、まるで、生物がもう一度進化し直すくらいの時間が必要なのかも、です。
     長々とすみません。これでも書き足りないくらいでしょうか。時間が進むのがあまりに遅くて。うまく言えなくてすみません。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     流れに晒された転石のように、全てのものは外側から削られることしかできないように思います。生きものは、同時に内側から膨れ上がる、というだけで。
     削られることに対しての感覚は、痛みとは限らないはずです。排泄にある種の快感が伴うように、生きものはそれに適応して来たはず。どのようにも、慣れてきたはずなのです。
     意図したものだったかは曖昧なのですが、この詩は触覚に重きをおいて書かれています。
     痛みではなく、快感でもない、「削られる」ことそのものの感覚が、どこかにあればいいと思っております。

  • うなさかへの応援コメント

     うなさか、という言葉をはじめて知りました。神話のようなスケール感。リメイク版のようですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    うなさか、海坂という言葉は、私も最近知ったところです。
    検索してパッと出てくる「水平線の丸みの意」というのは誤解だそうですが、私には、こちらの方が神話的であると思っております。

    なんにせよ、大和言葉らしい、神秘的で素敵な言葉ですね。


  • 編集済

    サグレートへの応援コメント

     確かに。重いほうに気を使って生きるなんてもうたくさん、と思ったのですけれど、でも、落ちる速度で対等なんて、うれしい、あなたがどんなに偉くても、わたし対等なんです。って。やっぱり。うれしい。有難う。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    物理法則はもしかしたら絶対的で、それを知らない人々の上にも、落ちかかるものですね。

    この詩の語り手は、(今の科学で知られている)物理法則の解釈を部分否定したい立場ですが、それを上回る絶対的な者として、法則そのものや「先生」がおります。
    その祝福に、彼はいずれ気がつくのでしょうか。


  • 編集済

    インペーシュへの応援コメント

     最後まで読み切るのが大変でした。息ができなくて。笑。ほんとうです。でも我々って、名前をもらってはじめて息をすることのできる生き物なのかなって。でもそれってどうなのかなっ、て思いましたが、いいもわるいもなく、色々なことがギザギザと進んでいきます。コメントになっていません。すみません。正直な気持ちではあるのですが。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     また、返信が遅くなり申し訳ありませんでした。

     息苦しさ、体感していただきありがとうございます(笑)

     自分を表す言葉を知ったとき、ようやく息ができた気分になって、初めて、それまで息苦しかったことに気がつきます。それまでの生活を貶めるような罪悪感は、たぶんこれからも少しづつ喉を締め付けるのでしょうね。


  • 編集済

    ぴいひょろうへの応援コメント

     確かに、トンビさんもハンググライターさんも上昇気流を捕まえたら旋回して昇っていきますよね。案外、ピーヒョオロロロ、と言って空をみあげているのは、わたし一人ではないのかもしれません。森のあちらこちらから聞こえてくる、そんな気がします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    真理であるからこそ、真理であるのならば、真理であるためには、
    自分以外の視点というものは想定に入れねばならないのでしょうね。

    たまたまそれが、自分の身体を持ち上げるほどの大きな力を持っていたとしても、その大きさにかまけて思考を止めて仕舞えば、弱った鼠や屍肉を啄むことしかできなくなります。
    思考を続けるのならば、私たちも、ぴいひょろうなのでしょうね。

  • 瘡蓋の月への応援コメント

     月食の夜、家にあった小型の望遠鏡をのぞいたときは、月の円周より大きな影がずんずんひろがっていくのを見て地球の大きさを思いましたが、月を汚していくとはまたあらたな発見でした。確かに、いまの地球からみればおおきなことは言えない。どこか狼狽えた夜だったのでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    あの夜、私は焼酎など片手にベランダへ出ておりました(笑)
    陰になってゆく月の暗いところが、案外赤くて驚いたのを覚えております。

    私たち、老人も子どもも、鳥も獣も虫も魚も含む私たちの影が、確かに月へと落ちている。
    科学的な知識から来た先入観であるかもしれませんが、私たちから投射されるそれは、あまりにも汚れに見えたのです。

  • ぴいひょろうへの応援コメント

    ふふふ 最後のピーヒョロロローは、ご自分で言ったのかな(笑)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ここでいきなり鳴きたくなってしまったのでしょうねぇ(笑)


  • 編集済

    むくじゃらへの応援コメント

     背中に虹がみえて、それが毛むくじゃらで、最後は草原になる、なんて、不思議な疾走感に取り込まれて、なんだか、仄かな幸福まで感じてしまいます。僕が幸福だったからでしょうか。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     朝露の中を走り、細かな水滴をたくさんつけた、けむくじゃらの生きものは、毛の無い人間のことをどう思っているのでしょうか。
     早く生きて、早く死んで、そうして季節の度に草原へ消えてゆく、けむくじゃらの生きものを愛おしく思います。


  • 編集済

    あいのしょうめいへの応援コメント

     ものの愛はちかく濃くしめっていて、いきものの愛はとおく淡くかわいている。それをいきものの作者が語ることに寓意を感じ、順番として、前者が先で後者が後であることに、宿命的なさびしさも感じたと言ったら、意訳のしすぎでしょうか。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     「とにもかくにも」と「あっけらかんと」の差異、深く読んでいただきありがとうございます。
     同じように愛を語るはずなのに、身体をすり合わせることができる生き物たちは、語る言葉を脇に置いてしまいがちに感じます。
     身体でくっつき合って、狭く小さく愛し合うことのできる生き物は、そうでないモノたちよりも、愛の言葉は乾いているのかも。

  • Damreyへの応援コメント

     熱量が、何故一頭の象なのか、はわからないんですが、ただ、熱量は作品全体から伝わってきます。作品は言葉でできているのですが、もはや言葉以前のものとなり、作品全体が一頭の象みたいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    蛇足ながら元ネタを書かせていただくと、台風の名前です。
    あらかじめ140個用意されている、台風のアジア名リストの、一番始めに「Damrey(クメール語で”象”の意)」があります。
    これを元に想像を膨らませていった結果、インドの神話や、どこかで読んだ詩と結びついて、こうなりました。

    砂埃やスコールの只中を去って行く、あまりにも熱い象の背中が、私の脳裏にはあります。


  • 編集済

    ブラウン・スポットへの応援コメント

     茶色という色からはpmに親和を覚えていましたが、これは、主役で、amで、しかもmorning。更にマグカップに彼女に(あなた、とありますが、わたしには彼女、女性に思えます)静寂とは。静寂という言葉が効いている。彼女が立ち去った後に残る、何というか、失礼でなければ、生き物としての体温?気体というか、何だろう、それが作品を支えている。というか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    茶色とp.m.の親和性。目から鱗の落ちるようです。私の内にも、そのようなイメージがあったかも知れないと、納得する思いです。
    そうだとすれば、恐らくそれは「疲労」や「痛み」などと近しくなって、一日の気怠さを家に持って帰る色なのだとも感じてしまいます。
    けして、バナナの甘さを可視化するための色などではなく。

  • ウォッチャーへの応援コメント

     諦めは我慢と同義語で、飲み込もうとして、諦めは我慢と反対語で、前を見る、だから眼鏡をかけて、いいですね。この詩(うた)。完成度のある言葉がじんじんときますね。どんな朝にも、と書いてありますが、冷え込んだ冬の朝に読みたいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    完成度のある言葉といっていただき、嬉しいばかりです。
    最近は、いろいろな朝がやってきますね。突然寒かったり、暑かったり、嵐を伴っていたり。
    KIKI-TAさまの過ごされるような、冷え込んだ冬の朝には、きっと遠くのものたちまで、よく見えるのでしょうね。


  • 編集済

    プラネタリウムの夜はへの応援コメント

     失礼な言いかたかもしれませんがこういった思いを抱きながらプラネタリウムの星々をながめている作者はとても可愛らしいと思います。そしてそんな光景を提供している都会?も。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    可愛らしい! なるほど……!(笑)

    偽物に憤るとき、”私”はどれほどまで”本物”を求めてしまっているのでしょうか。求めているということに気が付かないままだとすれば、傍から見て、どれほどに滑稽な姿でしょうか……(笑)

    たぶん、隣にあってもよかったはずの熱量は、失われてしまったのでしょうね。


  • 編集済

    吸血鬼の詩への応援コメント

     細い糸と糸が繋がってそしてぐちゃぐちゃになっているなんてせつないです。でも血液の全部がこうもりになる、って迫力がある。全体としてはエネルギーを感じる作品ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    気になって調べたら、全身の血液は約5リットルとのこと。
    なんだか、もっと多くあって欲しかったという気もします。
    私たちを巡る水分が、外に出れば、バケツ1杯くらいなのだということ。やっぱり少し寂しいです。

  • ささやかに光への応援コメント

    僕は何歳くらいなのか、と思いながら読んでました。いいよ、わかった、そうしよう、と言ってあげたい、ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    何歳くらいなのか! その視点は欠けておりました。
    藪の奥の秘密基地で蹲る、小さな少年だったのかも知れませんね。

  • 愛のないところまでへの応援コメント

    そうだろうな。愛のない処は、乾いているのかもな、なんて思いました。一度は行くべき処なのかも知れません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「湯水の如くに使う」という言葉がありますが、身近に溢れているものを溢れるような量で期待されてしまうことに、嫌悪を感じることもあります。
    たとえば砂漠の湯水であれば、無くても仕方ないと思えるのかもしれません。

    それが、有り難さを知る、のようなありふれた結末になるとしても、愛のないくに、行ってみたいのです。

  • 尸の沓への応援コメント

    やさしさ、に対する藍染様のひたむきな気持ち。靴のゴムの臭いまで。感じられそうです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ”やさしさ”を考えていたいと思う出来事がありまして、
    いかに”やさしさ”であろうと、全てに対して貫けない”やさしさ”では、どうしようもないのだと、考えを深めた次第です。


  • 編集済

    散乱への応援コメント

    青色を散乱し尽くしたから、青い鳥が、絶滅した、っていうところは格好いいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    格好良いとのこと、恐縮です。
    籠めた意味の一部なのですが、「Twitterの雑多な情報が飽和しても、現実・物理の法則や美しさは崩壊しない」がありました。


  • 編集済

    さみしい蕾への応援コメント

    まがる、まがる、とあうイメージがすごいな、と思いました。まがる、から、まえ、であり、ふるえて、大声で、恥じている。でも、最後に、すっと一瞬だけ真っすぐになる、そこ、すごいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    くねくね、ぐるぐる、視線を気にして身を捩る、そんな蕾のことを、蕾であると知っている視点が欲しかった詩です。

    最後に真っすぐになる一行は、私の詩作の癖かもしれません。捩れて、拡散して、最後に美しい一本になる。
    ……なってればいいなぁ(笑)


  • 編集済

    炎色への応援コメント

    確かにそうだった(いまは失われている)ことについて話すには、それは赤色が相応しい、そんな印象を持ちました。そういえば、赤は有り触れた色、けれど赤にしか話せない内容がある。そう言えば、以前の藍染さんの赤い作品も思いだしました。その時も反応してしまい。赤に反応したのかな。なんだか無責任なコメントですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そこに残るべき、まだ漂っているべき感情には、赤色がよく似合うように思います。
    感情についての話はいつも難しく、美しいです。太陽がすっかり沈んだあと、一条だけ残る赤い雲のような、あんなものを見ながら。


  • 編集済

    残光のころへの応援コメント

    君と鳥たちが同量の質量を持っていて、髪はみえるけれど顔はみえない、鳥は冷たい君(彼女?)の血は温かくながれている、そんな印象を持ちました。(作者の)寄せる思いがいいいですね。なんだろう。微かな悲しみがあるようにも。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    髪の揺れるさまを傍で見ながら、
    手首の血流に耳を当てながら、
    湿度を増していく夕暮れの森に、呼吸を苦しくしながら、
    きっと本当には触れることができないでいるのでしょうね。

  • 翠雨への応援コメント

    かえるの声を聞きながら飲む、水道水の味と、ヘッドホンを付けたまま飲む、水道水の味は、違うのか、なんて、妄想しながら、やはり聞こえるのは目の前のコップに注がれる、水道水の音。誰かがつくった音なんですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「透明さ」をつくる、というのは、あんまり自然に感じませんね。
    それなのに、私たちは「自然」に純粋さを求めてしまう。
    雑音も、色の雑じりも、ないことのほうが正しいように思ってしまう。
    味は違うのでしょうか。
    それとも、味を感じている私の脳が、透明を求めているだけなのでしょうか。

  • そのそれへの応援コメント

    そのそれ、って言い切る声が、最初は強く、どっしりと感じたのですが、何回か読むうちに、果たしてほんとうは違うんじゃ、と、いまは、少しずつぐらつき始めている。そこが、この作品の肝なのかなあって、想像を膨らませています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    断言したい、という思いは、常々私を蝕みます。
    しかし、断言できる確かな事こそ、私の生命活動の煩雑さの中を生きていられない。
    まっすぐで重い、そんなものを、長く抱えては生きられません。

    丁寧によんでくださって、ありがとうございます。

  • 翠雨への応援コメント

    此の地では、最早、カエルの鳴き声がしていません。
    と、気付いたのは、この詩を読んだからでした。

    だから、
    いつ、カエルが鳴き止んだのか、定かではありません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    水道水がいつから透明だったのか、私は知りません。
    透明でない水を飲むことも、井戸水を汲むことも、たぶん、ありません。
    贅沢なことだと、誰かに言われることでしょう。
    カエルの声に気づくことだって、その色を緑と思うことだって、同じかもしれないと、思います。


  • 編集済

    みどりの声への応援コメント

    不思議な詩ですね。カエルのいない街から聞こえる、シュレーゲルの声だけが響く街。少しずつ声の個数が増えていく。まともに生きようとしても裏切られる。知らない間にミスマッチが起きている。何か大切なものに齟齬がある。そんな感覚を覚えます。個人的なものですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    古い幻想はゆっくりと変化して、あるいは唐突に殺されて、
    新しい幻想になっていゆく。
    現実というものはそこにしかなくて、救いもなくて、
    だれもが殺されつつある「あまがえる」の声の只中を生きている。
    隣の誰かとは、そもそも、なんにも共有していない。

    ということかな、と思っております。


  • 編集済

    終末論者たちの春への応援コメント

    号令も、ピストルの音もない朝を、さざ波は待っているんですね。そういう朝がやってくることを心の底から願っています。作りだしたのは人なのだから。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    夏から秋へと変わる諸々すら、ぼくらが叙述したものであること。昨日と今日の違いさえ、ぼくらが創り出したものであること。
    忘れては思い出す、それさえも、ぼくらであって、ぼくらでないこと。
    順番に訪れます。どれだって。なんだって。

    編集済

  • 編集済

    遠望遠望への応援コメント

    こういう作品大好きです。出逢えてよかったと思います。君の目を通して、ぼくの奥底に眠る、希望が高らかに歌われている気がするから。奥底っていうところが、ミソなんですよ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    望み得ないほど遠くまでまっすぐ見つめる視線は、同じだけの距離で深く手の届かないところから、来ているのかも知れません。

  • 小川はへの応援コメント

    手相のように/小川はとけて流れていく、でこの作品のステージがばっと決まっている、と思いました。生めかしさで、明晰、という言葉が生きるんでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    生物的な柔らかさ、曖昧さの中に、一見するだけでは分からない緊密な繋がりが、存在すること。
    時はあたかも春で、いちばん柔らかいこの季節に、これまでも永存してきた緊密な繋がりが、最も輝くこと。
    そんなことを書きたかったのですが、力不足が悩みどころです。素敵に読んでくださって、ありがとうございます。

    「生めかしい」という、素敵な表記を知れたことにも、感謝です。


  • 編集済

    ろくろくへの応援コメント

    当たりまえ、と思っていた自由が、実は首がのびることだったなんて。抑えつけても、潰したと思っても、粉々に破壊したつもりでも、盲目的に四方八方にのびるものだったなんて。それが首なんですね。首は死なない。まさにいま、心の底から渇望していた言葉かもしれません。有難うございます。これでまた一日生き延びられる。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    妖怪のろくろ首に関して、「束縛された現状からの逃走」という考察を見たことがあります。
    現状肯定的な意見ですが、首が伸びる、それだけで良いじゃないか、と思います。自由、それだけで良いじゃないかと。
    自由というのは”当然そこにあるモノ”ではないと、思いはしますが、首が伸びる、それだけの自由、それだけのことで見れば良いじゃないか。
    椿事。首ごと、自由があるべきじゃないか、と。

    編集済

  • 編集済

    白昼の楽音たちへの応援コメント

    花の一つ一つは小さいものですが花が語ろうとしているもののスケールは大きく、繰り返されてきているものとは何だろう、と読み込みましたが、小生の読解力ではここまで。全体的には難解で、他の方々が直ぐに反応し応援されているのには頭が下がります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    耳ばかりが鋭敏になり、聞くべきではないかもしれないことまで聞こえるときがあります。
    意味は分からずとも、己がそこに属していない、ということは分かってしまう。

    そんな意味不明の音たちを、書いてみたつもりでございました。

  • 東京透明日常への応援コメント

    真ん中の、めだまをつくこと、はじかれること、が傘の芯で、前半と後半は、傘をひろげて寝かせて横からみた、傘の部分にみえました、と言ったら、変な読み方でしょうね。無機質に集まる傘たちを吸い込むのはビル群が似合っている、のかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私の想定していなかった、とても興味深い読み方だと思います。
    捨てられた傘は上に向けられてはいませんから、横向きが似つかわしい。
    傘の構造というそれ自体が、倒れて転がるためにあるようなものですね。


  • 編集済

    東京透明日常への応援コメント

    これは、印象として、ザ・東京、って感じがします。

    藍染乃さん、この >かむとける雨 ってどんな雨なんでしょう。
    この、かむとける、って感じがどんな感じなのかな、って。


    追記です。
    藍染乃さん、丁寧お答えいただきありがとうございました。

    酸性雨かどうかは別にして、>「神が溶け込んでいる」雨 なんて素敵です。

    >人間以外の大きな意思のようなものに包まれた東京
    って感じも、そんなに大げさじゃなく、すんなり受け入れられる感じがします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

     ご質問いただきました「かむとける雨」について、即興で詩を書いたときに現れた、音優先の造語です、ということを前置きにした上で、思うことを書きます。

     おおむねは、以前に書いた『かむとけ』という詩からの発展だろうと思います。「神解け」とは雷のことであるという辞書的な事実を知り、そこから「神がとける」→「空に溶ける」→「酸性雨」のように連想した結果が『かむとけ』でした。そのため、今回の「かむとける雨」も、物理的には酸性雨のことを含むと思われます。何かを溶かし入れて、降りかかるものです。
     雨の勢いはさほど強く感じません。恐らく「神が溶け込んでいる」ということが重要になってきて、雷自体や、雷雨であることにはこだわる必要がなくなったものと思われます。ただ、ビニール傘が捨てられていくということからは、台風の日のような風の強さを連想するところもあります。
     また、詩の中で既に崩れていますが、「かむとける雨の東京」までが最初のインスピレーションだったかと思うので、「かむとける雨」が「東京」に掛かっていたのが始まりでした。人間以外の大きな意思のようなものに包まれた東京、くらいの意味に取れるでしょうか。雨の様相ではなく、雨粒を含んだ東京の空気全体を指して、「かむとける」と言っているようです。

     思いついた範囲ではこのようなところですが、いかがでしょうか。追記など、お気軽にくださればと存じます。
     いつもお読みいただき、ありがとうございます。


  • 編集済

    清冽の翊への応援コメント

    著名な監督が撮ったフィルムのようですね。それは大陸の奥の乾いた空気のなかで、透明になった自身がひとり列車に乗り、朝の空気に紛れていく。有難うございます。相変わらず、ピントは合っていませんが、読んでるだけで、紛れるだけで幸せです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    映画のワンシーンのように読んでいただけるとは、ありがたいかぎりです。
    無数にやり過ごさねばならない、朝が、清冽でなければならないと決められている。このことの哀しさは、時間経過と共にしか感得できないのかもと思います。


  • 編集済

    青なんだろうへの応援コメント

    指を絡めさせながらも迫ってくること、辛いですね。わたしは現実を、いまだに受けとめられていません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私も、どう言葉にするべきなのか、今も分からないでいます。
    とにかく書くべきだと思いはしましたが、中途半端な文になりました。


  • 編集済

    合皮への応援コメント

    不思議です。硬い、という文字の下に、遠い春が固めて詰め込まれている、ような。そんなことあたりまえのりすたちは、ぐっすりと寝ているんですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私が「硬い」と思っているものは、ほんとうはそうではなくて、りすも、地面も、空も、海も、ただゆったりと春を待っているだけなのかもしれません。
    靴を履いて立っていなければならないのは、私だけ、というだけで。


  • 編集済

    音の踏切への応援コメント

    おとの踏切、声の子どもら、文字の配置を変えただけで視えるものがまったく違いますね。音の正体に肉薄していく、というか。このわくわく感。嬉しいです。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    夕方、ざわざわとしだす駅前を、どうにか描いてみたいと思った詩でした。
    「音の正体」。音でも、目に見える物でもない、なにかを、
    錯視的にでも描けていればと思います。
    お読みいただき、ありがとうございます。

  • 合皮への応援コメント

    早く春が近づいて、柔くなるといいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    雨の降るごとに、木々が水を飲む音が聞こえるようです。
    春の湧水は、きっと柔らかく、川も海も薄めてくれるはずだと思います。

  • くまへの応援コメント

    森の話しなんですが、あなたの身の周りで起きうることでもあるんですよ、っていう、警告が隠れているようにも読めて、書いてあることにとどまらない雰囲気がありますね。気になってまた戻ってきてしまう、というか。うまく言えませんが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    熊や鹿は、人間の生活圏ではあまり見かけませんね。関係が無い、という関係も、あらゆるところで生まれているように見えます。

    世の中にある全ての出来事は、ただそうあるだけなんだ、という思いがあります。そこに「未来」という寓意を感じてしまうのは、それ自体が、人の業かもしれません。


  • 編集済

    やまゆりの味への応援コメント

    布ずれの音までも感じさせる白い色。植物の青臭い匂いがゆりの濃厚な匂いに混ざって全体に感じられるのはさすがの力量と思います。それが乾いた墓石の感触と対比され、墓が祖母の墓であることも。森を象徴するゆりを噛じらざるを得なかった主人公の気持ち。膨らみますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ヤマユリの白は、生命力溢れる夏の山中において、不自然なくらいの脱生命感があるように思います。
    里山の宝石であるヤマユリが、祖母をつよく想起させる花だった場合、このように貪ることしかそれを殺害する術が無かったのだろう。
    そのように、好意的な一面には、思います。


  • 編集済

    君が鬼だからへの応援コメント

    君に語りかける詩とは思うんですが、いままでとは違う、鬼に語りかける現代って何なんだろうと思いながら、読んでいました。高層ビルの屋上からみえる一つ一つのビルに話しかけるように。一歩間違えば転落なんですけどね。深読み過ぎです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    新年明けてからこちら、鬼のことばかり考えております。
    「君」へ話しかけるべきなのか、「鬼」へ話しかけるべきなのか。
    「君=鬼」と言い切ってしまうには、ほんとうは裏付けが足りていません。

    鬼こもれりと聞くはまことか。

    尋ねる「ぼく」も、鬼でない証拠なんてありません。
    古代より、中世より、「人」と「鬼」との距離はゼロに近い。未来って、そんな時代だと思います。


  • 編集済

    君は片翼への応援コメント

    学ぶことは孤独な作業。誰にもとどかない孤独な音が聞こえてくるようですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    誰かの耳に届いてしまったなら、それが孤独。
    誰にも届かない空気の震えは、たぶん孤独でも、音でもないのだと思います。

  • はなればなれの双子たちへの応援コメント

    メンソールユーザー故、マイセンの味は、喉の奥で反芻しようとしても、もう、忘れてしまいました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    メンソール系、思えば吸ったことがございません。
    スゥッとするのでしょうか……。
    冬の夜空の下で吸ったなら、肺の縮まる思いをするのだろうか、と、勝手に思っております。

  • 人世紀の詩への応援コメント

    最後の1行が前の全部を受け止めているかのような面白さというか、啖呵を切っているというか。面白いです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ぐっちゃぐちゃな書き方なのですが、少なくとも、なにかブレない部分があるな、と投稿しました。
    ぜんぶの責任を知らない煙草へ、そして海へ。

  • 朝を飲み込むへの応援コメント

    何故か解りませんが。遠く中原中也の朝の歌を思い出してしまいました。何が共鳴したのか。空かなぁ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    中也の「朝の歌」読んでまいりました。
    たしかに、どこか共通するところがあるように思いますね。どこなんでしょう……。

    「朝の歌」は、さまざまの風物を織り込みながら、忘却の感覚を見ている、と読みました。(恐れ多くも)単純に比較するなら、私の詩のほうは、要素少なく、より温度の上がらない言葉を選んでいるように思います。
    温度感はだいぶ違いますが、忘却を寝起きの時間に結びつける感覚が似ているのかも知れません。

  • やまぶきの花への応援コメント

    やまぶきの花が咲いているからでしょうか、この雨は天気雨に思えてなりません。降りどおしなのでそんなはずはないのですが。作者は横断歩道を渡れるのでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    明滅するものと続いているもの。横断歩道は、白黒の明滅ですね。
    道路の、あちらに居るべきなのかこちらで良かったのか、一つだけ浮いた山吹色に、拠り所を見たくなってしまいます。


  • 編集済

    とぼとぼへの応援コメント

    とぼとぼ、という言葉が印象的というか、作品のスピードを決めている、そんな気がします。僕のメッセージ。半分は風か持っていってしまい、半分が君に届いたのか。とにかくコンビニに駆け込んだときの気持ち、なんですね。

    作者からの返信

    KIKI-TAさま

    コメントありがとうございます。
    返信を何か月もサボっていてすみません。
    モチベーションが下がって、予約投稿するだけのbotになっておりました。

    半分を僕が持っていて、もう半分が君に届かない。
    そういう寂しさを、当然としていかなければならないのなら、せめて、詭弁でも愛を歌っていたいのです。


  • 編集済

    しえんへの応援コメント

    雨に打たれる傘のなかで煙草を吸っているのでしょうか。傘はビニール傘で透明の布から透ける上の景色は雨粒でぼやけて。空の雨雲と紫煙の雲が二層になっている。煙りに閉じこめられる。煙草のフィルターが伸びている。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    いろいろな条件によるのでしょうが、たばこの先から昇る副流煙は、青白く見えることがあります。もしかすると、私の精神状態もあってのことかも知れませんが。
    幽霊のようにも見えて、あんな煙に、私の選択の残滓が乗っているようにも、思えてしまいます。

  • 投げ落としたらへの応援コメント

    橋で慌てるところを橋のたもとでもう1人、自分が見ている、何かそんな、デスマス調のせいなのか、少し乾いてユーモラスな詩ですね。でも、歩道橋が感じている重さは、案外見かけよりは重いのかも知れません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    もしかしたなら、ディズニー帰りの子どものような、何かを象った風船がその辺へ結んであって、それを心と呼ぶかも知れません。
    バッグを漁る背中から、風船が浮いていたら、間抜けで面白いでしょうか。

    なんにせよ、「わたし」と心とはどちらも歩道橋の上にあったのだと、そういった解釈は素敵ですね。

  • アンマスクドへの応援コメント

    案外いつのまにか吸い込んでしまったものたちで 
    肺は汚れているのかも知れません。素敵なもの、素晴らしいと思って吸い込んでいたはずなのに。結局熱を出してささやかに免疫を造る。生きのびていくこと、について思いました。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    目には見えない、善くないもの。当然に多すぎて、例を挙げるのにも今更です。
    名前が変わったからなんだというのでしょう。
    においが変わったからなんだというのでしょう。
    現実肯定的な上っ面被せても、もはや私たちは吸い込んでしまっています。

    KIKI-TAさまが免疫と生存について想われたのなら、それは一番前向きな、この詩の読み方だと思います。

  • 刃物じゃないかへの応援コメント

    なんだかグサグサきました。
    同じ刃物なら、何回もしつこく動かさなくてよい切れ味ある刃物にしたい、かな。
    でも、わからない、です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    日本刀のような、スッパリ斬ってしまう言葉を使えたら、かっこういいとは思います。
    でも、重くて振り回せないんだろうなぁ、とも思います。

    この詩はだいぶ痛そうな、切れ味の悪いノコギリを目指しています。

  • 先輩への応援コメント

    ご無沙汰しております。この作品、個人的にグッと来ました。「先輩」という言葉がすごくシャープに脱構築されているというか……明らかに妄執じみたものを描きながら、妄執の主体をきれいに取り払っている感じが、すごく巧みだなと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    おそらく、執着の育ちきった末路とは、対象を見つめる視線になることなのでは、と愚考します。己を無くして、見るという行為に成り切ること。
    この詩については、視野を狭く狭くしていった結果の産物ということになるでしょうが……。

    忠臣蔵さまのコメントには、毎度“ぐい”と引っ張りあげられるような心地でおります。ありがとうございました。

  • 末法到来への応援コメント

    最初にプラスチックという文字を見てしまったからなのか、全体がプラスチックのような軽さ、空気を含んでいるような軽さ、に感じます。君もリカちゃん人形のような可愛さ。だけど、まっぽーとーらい、の硬質さ。

    作者からの返信

    KIKI-TAさま
    いつも真摯に読んでくださって、ありがとうございます。


    わざわざ書くほどのことでもないのでしょうが、中世仏教史に関わる単語を多用した詩、になります。

    どんなにカワイイと言ったところで、「末法到来」のその時に、全ては正しくなくなってしまったような恐ろしさを感じています。
    プラスチックの安っぽさ、上滑りするカワイイは、何処にも無くなってしまった正しさの、何を表せるというのでしょうか。


  • 編集済

    すあしへの応援コメント

    沼のようなものに踏み込む感覚から、帰ってこれないのではないかという怖れを抱いていたことを思いだしました。それは生物としての淡い思いだったのかも知れず、泥とともに生きる小さな生物たちへの共鳴だったのかも知れず。ジグザグに記された文字からそんなことを思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    泥の中には、見えないくらいに小さな生き物が、無限にも潜んでいるように思えます。
    それらが生きているのか死んでいるのか、ふつうに見ているだけでは判断などできないのでしょう。
    いずれ、長い長い時間が経って、化石になっても地層の奥深くへ隠れていることと、今泥の中を生きていること。区別など、する意味があるでしょうか。
    あんまりにも極論なのですけどね。


  • 編集済

    何かが複数同時に叫んでいる気がします。それが流れやまない生命の繋がりだとか、打ち寄せることをやめない波だとかを想起させて。蟹のなかみが白色っていうのが妙にリアルで。読みがいのある作品ですね。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    昔から、蟹という生き物への嫌悪感があります。
    白い肉のひくひくと動くこと。硬いとも軟らかいとも言い難い殻の中で、命らしきものが脚を動かす気配……。甲殻類恐怖ということになるのでしょうか。

    古い嫌悪感と、目の前の嫌悪感と。
    尽きせぬ波だと読まれたのでしたら、たしかに、ご慧眼です。


  • 編集済

    あきらめたのですへの応援コメント

    光る港と光る島という光景が怪しく、そこに響く笑いが遠くから聞こえる。どのくらい遠いのだろうと、考えましたが、案外すぐ横の気もして。こんな乾いた笑いもあるんですね。もの凄く長い時間と一瞬が同時に記述されているのかなあ。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    書いた時にはそうでもなかったはずなのに、読み返してみればたしかに、「光る港の向こうに光る島が」の行は胡散臭さがあります。(いや、自分ではたどり着けない場所を、胡散臭いと思いたいのかも?)

    感情を単語で細切れにして、入れ替えて、そうしたらどんどん遠くなる。の、詩です。


  • 編集済

    翡翠への応援コメント

    死ぬものと、死なないものの対比がいいですね。やはり腹をくぐらせるには、蛇くらいの体温、皮膚(ウロコ)がちょうどいいんだなあ、と妙に納得してしまいました。自然は絶妙な存在を組み合わせるものですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    蛇が獲物を飲み込むとき、うろこの隙間が少しづつ広がって、胴回りがゆっくりと大きくなっていきます。
    精密な作り物を見ているような気分で、やっぱり彼らに体温が乏しいことは、正しいことのようにも思えてきます。
    そして飲み込まれて消えてゆく獲物たちは、蛇の中でかたく無生物になる。

    翡翠、カワセミのキラキラとした美しさは、どこかへ隠れてしまうことによって完成するのかも、と思います。


  • 編集済

    すすきへの応援コメント

    送電線を流れる電気はとても強く、その強力な何かが、といってもエネルギーなんでしょうけれど、それが風を、涙を上から見下ろしている、なんて勝手に想像してしまいました。それにしても、風はとても強く、揺れるすすきの穂は、せつないです。

    作者からの返信

    KIKI-TAさま

    コメントありがとうございます。
    とても大きな雨の予感が、立ち尽くすススキと僕を包んでいます。
    春の陽気の下で見れば、枯れススキだって結構力強く見えるんですけどね。


  • 編集済

    おどるへの応援コメント

    この指のかたちは拳銃なのかなあって想像です。中指でとんとふれる、にクラッとしてしまい。こちらからは見ていませんが相手の視線に熱を感じて。縁があればどこかで。ふっと!がやってくる気がします。相変わらず諸事雑感です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    少数民族の祭だとかに、憧れます。
    どんな意味があるのか、どんな歴史があるのか。
    傍目からでは分かりませんが、見るだけで「いいなぁ」と思えるものがあります。
    それがどこかで行われている、それだけでも。


  • 編集済

    わすれぐさに送る三十一字への応援コメント

    わすれ草はユリ科の花で和歌にずいぶん詠まれているんですね。知りませんでした。鈴虫が絶えないとは切ないですね。どんな虫も突き動かされるように懸命に生きているから切ないのかも知れません。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     ワスレグサ、キスゲの仲間は、分類が見直されてユリ科ではなくなりました。花はユリにとてもよく似ているのに、不思議ですね。

     古来、嫌なこと、特に悲恋を忘れたいときなどに、花や蕾を摘んで食べたそうです。
     現代で、わすれぐさの名を聞くことは多くありません。まるで花そのものが忘れられてしまったようにも思います。それでもわすれぐさは海岸に、田の畔に、あるいは庭の隅にひっそりと、夏のあいだ咲いています。
     忘れたいことは、無くなってしまったのでしょうか。それとも、それを必要とする人自体が居なくなってしまったのでしょうか。
     もう明けるかも分からない夜に、すず虫の声が響きます。すず虫ばかりが、絶えずにいます。


  • 編集済

    Naへの応援コメント

    海のことをこんなかたちで書くのは素敵ですね。Naと書いただけで何億年という月日の流れで。地球のまばたきに会えたのでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「Na」と「な」の間にはいろんなものがありますね。
    海のことを書いた、というわけではないのですが、たぶん、間違いではない何かです。


  • 編集済

    嫌い、をなくしてへの応援コメント

    藍染様のなかではめずらしく愚痴っぽい語りで親近感が湧きます。丸くのマルと玉葱のカーブと涙の曲線が相似しているところが何とも素敵です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    小恥ずかしい語りになってしまいました。
    親近感、と仰っていただけるならそれも良かったのかもです……。

    もう一つ、と言ってはなんですが、涙越しの光は☆マークのようにとんがって見えた、ような気でいます。

  • 河原にてへの応援コメント

    「排水口」は文字の配列が上下対称で、「河原にて」は三角形が見えますね。
    文章だけでなく、目でも楽しめます(^^)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    詩の場合、一目で引き込む/世界を作る、ことができるのも大切なのではないかと考えております。
    詰め込んだ四角い文字列でできること。コンクリートポエトリーやアスキーアートでできること。それぞれに表現の幅も隙間もあるはずだと思うのです。

    言語の差がそのまま詩の差になるのも、つまらないですから。

  • はいずりへの応援コメント

    これは凄いですね!「螺旋星の夜」もそうでしたが、型に捉われない発想が素晴らしいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    カクヨムは基本横組み縦スクロールなので、長細いものと相性がいいかもしれないと思い作った詩でした。

    お褒めいただき、ありがとうございます。
    ……今はもう、ここまで柔軟にはできないかもですが( ̄▽ ̄;)


  • 編集済

    自分の書く詩なんてシューズで踏む砂利の音程度かも知れない〜読みながら思いました。でもその音を聞きに外に出ようと思います。生まれては消えてしまう音こそが、とそんな気がします。

  • ファラオの詩への応援コメント

    冷ややかにしか安らぎを共有できない。しかも、あなたの仮面はやわらかいと、痛烈にファラオに言われている気になりました。ピント外れかも知れません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ファラオの仮面(というか棺)は重く硬いものですが、私たちにはそこまでの物は必要なさそうです。
    表情を隠すのにも、病から逃れた気になるのにも、薄いマスク1枚で事足りますから。


  • 編集済

    桐の眼への応援コメント

    源、という文字が入り口に見えてしまう。何の入り口、何処への入り口?本来は、源から此方へ流れてくるはずなんですが。源、の向こうに行きたい衝動。能舞台でも見ている感覚です。作者の力量でしょうね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    源から此方へ流れてくるはず……。
    本当にそうでしょうか。
    みずの始まる場所は、もしかすると森の彼方へ出ていく出発点かも知れません。何せ、源というのは何処にでもありますから。


  • 編集済

    鉄に似ているへの応援コメント

    身近なこと、人のことを書かれている、それと鉄をスライドされている、と思うのですが、どうしても地底のこと、マントルのこと、熱く溶けて動き回っていたいた頃のこと、やがて冷えて年輪となってしまったこと、から離れられません。離れられなくしてしまう処が作者のワザ?それは嬉しいこと?。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    うろ覚えですが、はじめはもっとケミカルというか物理的というか、KIKI-TAさまの書かれたような方向に寄った詩でした。
    それを「赤熱」の変形を挟んで人間らしくしたのだったと思います。

    地底の圧力下で固く冷たくなっていくことが、喜ばしいことかは分かりません。
    ただ、この「ひと」のように星空を足蹴にして沈んでいくという選択は、小気味いいものかも知れません。


  • 編集済

    カーゴ・カルトへの応援コメント

    変わらずコメント魔ですみません。聞き流してくださいね。面白いな~と思って読みました。白黒つけようとする世のなかこういうクタクタした雰囲気、好きなんですね。夏はからだのなかに冷たいものが入り外は熱い。冬はからだのなかに熱がこもり外は冷たい。逆のことが書かれているように見えて、全体が8の字に見えて、面白いんです。失礼お許しを。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    正反対のことをごたまぜに書いてみました。
    白で薄まった色に黒を混ぜても、元の色に戻るわけじゃないですよね。彩度がなくなって、くたくたになるだけ。

    寒いなら家に帰ればいいのに、そうすると熱も分からなくなりそうなんです。

  • 御使いへの応援コメント

    夜の中で確かに感じていた何かを、朝になると見失ってしまうような感覚が私にはあります。
    そして不安になるような…。

    だからなのか、この詩はどことなく身近に感じられました。

    前作の夜の散歩もですが、心に響く詩です。


    あと別件ですが「踊り詩〜」へ星を下さりありがとうございました。
    とても嬉しく、励みになります。

    今後ともよろしくお願いいたします。


    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    朝の忘却感って、ありますよね。
    なんだか、朝が来る前の夜がとても素敵なものだったような気がしてきて、そこにあったものがとても大切だったような気がしてくる……。

    素敵だったはずの夜を書きたくて、最近このモチーフを書きがちかも知れません。 (^^;


    『踊り詩』、読み返させていただいていたのですが、どうして自分が星をつけていなかったのか分からない作品です。確実に、理由なく忘れてただけですね。
    今後も楽しみにさせていただきます。


  • 編集済

    遵粋への応援コメント

    コメント魔ですみません。■、純粋、が何を指すのか考えるのも楽しいですね。遠くから見ると、作品が全体が近代的なビルに見えるから不思議。考えすぎ?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    返信無精してまして申し訳ありません……。

    さほど深い意図は無いのですが、全体の形はビルっぽくしております。御慧眼です。

    縦読み交じりな辺りでお察しかと思いますが、上から順に読んでいくだけではない、縦横無尽な詩を書こうとしてみた実験作です。

    内容は……コンセプトとは逆かもしれません。


  • 編集済

    への応援コメント

    マンホール、恥、暗い人。ちょっと怖いイメージが重なるのですが、マンホールってどこに通じているんだろう、という気持ちが背後に流れていて、中断するような、ゴつん、という音。やっぱりすごい、感覚。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    マンホールを踏んだ音、その下の空間を感じてしまって、たまに怖くなります。
    落ちることがというよりも、そこに真っ暗な空間がある、その事実が怖いのかもしれません。

    大泥棒が世界中のマンホールを開け放してくれたら、照らされる場所はあるはずなんです。


  • 編集済

    トウへの応援コメント

    スカイツリーから見ればわれわれは総て塵。塵の行き着く浜辺なんてあるのでしょうか。でも、あろうとなかろうと、塵は掃き寄せられますね、いつか、どこかで、ごそっと。塵。いいテーマですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私としては、浜辺のごみを見るたびに、川と繋げて考えずにいられません。砂浜の一面にこびりつくごみのいくらかは、街から川を通って流れ着いたものに違いないので。

    細長い流れの先の大きな海。そこからさらに、浜辺まで戻ってきてしまうものたちにはどのような意味があるのでしょうか。
    あるいは、意味などないのでしょうか。


  • 編集済

    君は怪物への応援コメント

    透明ゆえ影もつかない存在、その輪郭は美しいでしょうね。周りの存在が汚れているから輪郭は不定形に動いていく。透かしてみえる景色。
    ps やっと最前列にたどり着きました。とても楽しかったです。有難うございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    夜にだけ目に見える、美しさの輪郭。そのはかなさ。
    読んでいただけて幸いです。

  • 鳴き殻の冬への応援コメント

    冬から夏(蝉)を眺める視点が新鮮で、冒頭2行で一気にスクリーンが広がり、広がっているからこそ、そこに雪が降る、と思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「広がっているからこそ」とはいいご感想をいただきました。
    漏斗を滑り落ちるがごとく凝縮した季節が、マリンスノーのような冬を降らせる……のかも知れません。


  • 編集済

    出立への応援コメント

    何か大きなものが猛禽に象徴されている気がします。残ったものは確かに新しいのですが。我々は何を失ったのでしょう。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    去ってしまった猛禽は、わけが分からないくらい大きかったという気がします。
    鳶か、鷹か、鶚か、それともどれとも違うのか。

    しかし猛禽が森の王であることには変わりないのでしょう。


  • 編集済

    ぎんいろの鉤への応援コメント

    星がきんいろに輝いてそれが餌とは。初めての感覚です。考えてみると学舎に釣り上げられ続けていたのかも知れず。っったくよ~と吠えたくなりますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    他にもコメントいただいていたのにすみません!
    しばらくカクヨムを弄る気が無くなってしまっていました。読むだけはしていたのですが。

    学舎というのは、ある意味で私たちを盲目にしますね。餌しか見えない、まっしぐらな子どもに。
    でも振り返れば、学舎そのものも何処かの誰かに釣られていく最中であったのかも、知れません。

  • ハレンブミへの応援コメント

    最高ですね。こんな詩を書けるものなら書いてみたい。と言うのも、前からも後ろからも上からも下からも突っ込める詩。アメーバのように動き回れる詩。楽しいんです。いくらでもどくだみの畑に突っ込みたい。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    一行一行の繋がりを薄めてみた、一種の試みの詩でした。

    青臭いどくだみの群は私にとって、文脈を亡きものにするかのような力があります。


  • 編集済

    ぶりきの唄への応援コメント

    余韻のある作品ですね。ページの裏で寝るところや秘密もなければホントもないところ、作品にアクセントが付いて素敵だと思います。 最後は玩具の本音でしょうか。うんざりしている相手は雨だけではなさそうです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    秘密にしているってわけじゃないのに、隠し事みたいになっちゃって、言い訳もうまくできなくて、はずかしくなってきちゃって、いっそ金属製の顔ならよかったのにって思ったりした。そういう詩です。


  • 編集済

    永遠の竜への応援コメント

    想像と想像上の動物が重なり、クジラのように悠然と泳ぎ去る竜に会ってみたいですね。しかもそこは雨も雪も降らない想像上の土地。そこにはちょっと距離を感じる大きさと遠い時間が流れている気がします。何だかワケわからんコメントですね。陳謝。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    二重三重の空想、現実から浮きまくりのメルヘン。
    そんなものになりきることで、冬の寒さを忘れられるのかも知れません。


  • 編集済

    肌いろの月への応援コメント

    背中に月を感じるところ、それも動きながら、面白いですね。青くなった空に燃え尽きたような月。 月を唄った詩歌は多いと思いますが、 灰となった空の月、この切り口、面白そうですね。
    ps 脱皮したてのコオロギたち、はタイトルでなく、「雨後」(カクヨム 詩の輪郭)のなかの1フレーズです。恥ずかしながら。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この月は生(なま)のようにして書いたつもりでした。
    しかし前提として、かつて燃え上がるような熱量を持っていた、ということは確かです。
    そこまで見透かされたのなら、もうKIKI-TAさまの読みに脱帽です。

    「雨後」再読させていただきました。思い出さなかったのは痛恨です。
    私の“ちいさな命たち”とは違って、あくまでひろがる展望といったように使われているのが新鮮です。私は無数の生に同じだけの死を描いてしまいがちなのかも知れません。


  • 編集済

    浅瀬のさかなへの応援コメント

    コメント魔のようで申訳ないですが、この作品好きです。難しい方程式を駆使する人間よりも単純に浅瀬を目指すさかなのほうが幸せなんじゃないかと。なんだか潮溜まりで小さなさかなたちを日がな眺めていたい気持ちになりました。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    好きと感じていただけて光栄です。

    ひどく後ろ向きな詩なのですが、もしかしたら、取り残された海の魚はいろんなことの答えを持っているのかも知れません。


  • 編集済

    変幻への応援コメント

    以前、脱皮したてのコオロギたちという詩を書いたことがありますが、あんな小さな ハネであの音の大きさは驚異です。オタマジャクシに乾いた悲しみというのも、アスファルトの上で干からびている彼らを想像させ、小さな生き物から見えるのは、何でしょう、私にはユニバース、無限に近い時間でしょうか。あたりまえに背負っている彼らに敬服なんです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    彼らの小ささはそれだけで私にとって驚きになります。その小さなものが何万何億の永遠を形作っていることも、また然り。

    そちらの詩も読んでみたかったです。(カクヨムには投稿されてない……ですよね?)
    そのタイトルからKIKI-TAさまがどんな詩をお書きになったのか、気になりますね。

  • 庭園の蝶への応援コメント

    人は、知り得ること唯一と思っているのでしょうが、蝶の世界の何処まで知っているのでしょうか。蝶が飛んでいく隣の部屋のドアを開けてみたい。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この「蝶」のモデルにしたのはアサギマダラという蝶で、沖縄・台湾などと本州の山々を行き来する、長い渡りをする蝶として知られています。
    しかし、その旅についてはまだ不明なことも多いようで、海に浮かんで休むとか、見えないほどの上空を飛ぶとか、色々な凄い話があります。

    行く道を知らずに、どうして目的地を知ったことになるでしょうか。さらにはその生き方すらも。

    人の決して行き着けない場所というのは、思っているより多いのかもと思います。

  • への応援コメント

    なんだか自分だけに見える街のようですね。嘘ばかりと言っていますが、本当と嘘の境界なんてこんな色に塗られている気がします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    赤、というのは不思議な色ですね。
    一日の始まる色でもあり、
    終わりの色でもあり、
    物事の盛りの色でもあり、
    そして血液の色でもあります。

    真っ赤な嘘、ということばの語源は不勉強なもので知らないのですが。昼と夜との境界が赤く染まること、だれもが見ているのにだれも知ってはいない気がします。