フル・ムーンに少し足りなかった夜への応援コメント
あなたの顔の表情は見えなくて、そのことがわたしと言葉との位置関係を、辛い気持ちでもって伝えているように思えました。決然と立ってはいるのだけれど、月あかりは仄暗く、なかなかつかめない、もどさかしさ。
水の沙漠への応援コメント
水でみたされているのだけれど、泳ぐのではなく歩いていく。それは、そこが沙漠だからか、歩くというひとの性なのか。足音のしない靴をえらんでまでも。なんだか、一つの風景以上に、そんな、時間までも感じさせてくれる詩篇でした。一つの思いのなかに展開する風景のような。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
歩くことを選んだのは、おそらく、旅人の執念のようなものなのでしょうね。旅人は、旅人でなければならなかったのだと、勝手ながら考えております。
沙漠と旅人を映すカメラをどう動かすか、というところに、癖が出てしまった詩だと思います。素敵に読んでいただき、ありがとうございました。
編集済
嫌っているからですへの応援コメント
難しいですよね。こういうテーマって。色々な人がいるから。そこには、色々な理由があって。それぞれに正義がある。でも、どこかで、なにか小さくても小さなひとなりに発しなきゃ始まらない、とも思います。
色々なことは、相対的なんだろうな、と、いつも思います。相対的なんだけど、思いは通じるはず、と。楽観的ですね。
感想になっていません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
どうにも厳しいところで、詩になりきらないままに投稿をしてしまいました。
他人の正義だとか、共感だとかを、気軽に見ることのできる世の中になりました。
それらが行き過ぎてしまったとき、私たちはどこでそうと気付かなければならないのでしょう。正義や共感は、どこで止まるべきなのでしょう。
編集済
見なくていい日への応援コメント
だんだん強くなっていく世界。最後に見るのは君の黒目のような月。優しく想像していった先にバチンと黒い月なんて。うわっ。っていう感じです。なにかが違うんだっていうことはしっかりと伝わりますね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「だんだん強くなっていく世界」とのご感想、私も納得してしまいました。
目を逸らしたはずのその先に、変にドメスティックというか、生々しいというか、そんなものが見えてしまって、本当に見たくなかったものってなんだったのか分からなくなって、しまう。
どんどん近づいてきてしまう「見たくもなかったもの」というイメージでしたが、「強くなっていく」は、同じ事の視点違い、という気がいたします。
朝以前への応援コメント
あなたが太陽でその向こうにまた太陽がある。そのイメージがおもしろいな〜と思いました。わたしとあなたと太陽が直列する線上にあってわたしの迷いがある。やっぱりそのやり取りが面白いです。自分だったらどうするかなと。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
手塚治虫の「火の鳥」から来たイメージだと思うのですが、大きいものの認識できる世界にはさらに大きいものがあり、さらにその大きいものの認識には……のような、無限の入れ子構造が好きです。
自分の矮小さを認めたくなくて、でも誰かに「矮小だ」と言って欲しくて。
ほんとうは、「ぼく」のいる世界だって、無限の中のどこかでしかないはずなのに。
編集済
でえだらぼっちの独白への応援コメント
でいだらぼっち、から見たせかい、さいこうです。わたしはかぜになって、お供をしたい。置いてけぼり、は、嫌ですよ。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
かぜ! いいですねぇ。不可算で、大きさも小ささもなさそうで。
いつか、巨大な足跡などが、歴史を語らなくなるまで、でいだらぼっちの肩のかぜとなりましょう。
編集済
水摩礫への応援コメント
ものすごいという表現は感情が入りすぎていてこの作品には合わないと思いますが、他に適当な語彙が?そうですね、大幅に、がいいでしょうか、大幅な喪失感で、いま、をとらえられていて、見事、と思います。いま、を生きていく、ってこういうことなんだ、と改めて思いました。結局、最後かどうかわかりませんが、最後は欠けた自分をただ見つめるしかないんだなって。時間が必要なんですが、まるで、生物がもう一度進化し直すくらいの時間が必要なのかも、です。
長々とすみません。これでも書き足りないくらいでしょうか。時間が進むのがあまりに遅くて。うまく言えなくてすみません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
流れに晒された転石のように、全てのものは外側から削られることしかできないように思います。生きものは、同時に内側から膨れ上がる、というだけで。
削られることに対しての感覚は、痛みとは限らないはずです。排泄にある種の快感が伴うように、生きものはそれに適応して来たはず。どのようにも、慣れてきたはずなのです。
意図したものだったかは曖昧なのですが、この詩は触覚に重きをおいて書かれています。
痛みではなく、快感でもない、「削られる」ことそのものの感覚が、どこかにあればいいと思っております。
編集済
インペーシュへの応援コメント
最後まで読み切るのが大変でした。息ができなくて。笑。ほんとうです。でも我々って、名前をもらってはじめて息をすることのできる生き物なのかなって。でもそれってどうなのかなっ、て思いましたが、いいもわるいもなく、色々なことがギザギザと進んでいきます。コメントになっていません。すみません。正直な気持ちではあるのですが。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
また、返信が遅くなり申し訳ありませんでした。
息苦しさ、体感していただきありがとうございます(笑)
自分を表す言葉を知ったとき、ようやく息ができた気分になって、初めて、それまで息苦しかったことに気がつきます。それまでの生活を貶めるような罪悪感は、たぶんこれからも少しづつ喉を締め付けるのでしょうね。
編集済
ぴいひょろうへの応援コメント
確かに、トンビさんもハンググライターさんも上昇気流を捕まえたら旋回して昇っていきますよね。案外、ピーヒョオロロロ、と言って空をみあげているのは、わたし一人ではないのかもしれません。森のあちらこちらから聞こえてくる、そんな気がします。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
真理であるからこそ、真理であるのならば、真理であるためには、
自分以外の視点というものは想定に入れねばならないのでしょうね。
たまたまそれが、自分の身体を持ち上げるほどの大きな力を持っていたとしても、その大きさにかまけて思考を止めて仕舞えば、弱った鼠や屍肉を啄むことしかできなくなります。
思考を続けるのならば、私たちも、ぴいひょろうなのでしょうね。
瘡蓋の月への応援コメント
月食の夜、家にあった小型の望遠鏡をのぞいたときは、月の円周より大きな影がずんずんひろがっていくのを見て地球の大きさを思いましたが、月を汚していくとはまたあらたな発見でした。確かに、いまの地球からみればおおきなことは言えない。どこか狼狽えた夜だったのでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
あの夜、私は焼酎など片手にベランダへ出ておりました(笑)
陰になってゆく月の暗いところが、案外赤くて驚いたのを覚えております。
私たち、老人も子どもも、鳥も獣も虫も魚も含む私たちの影が、確かに月へと落ちている。
科学的な知識から来た先入観であるかもしれませんが、私たちから投射されるそれは、あまりにも汚れに見えたのです。
編集済
あいのしょうめいへの応援コメント
ものの愛はちかく濃くしめっていて、いきものの愛はとおく淡くかわいている。それをいきものの作者が語ることに寓意を感じ、順番として、前者が先で後者が後であることに、宿命的なさびしさも感じたと言ったら、意訳のしすぎでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「とにもかくにも」と「あっけらかんと」の差異、深く読んでいただきありがとうございます。
同じように愛を語るはずなのに、身体をすり合わせることができる生き物たちは、語る言葉を脇に置いてしまいがちに感じます。
身体でくっつき合って、狭く小さく愛し合うことのできる生き物は、そうでないモノたちよりも、愛の言葉は乾いているのかも。
Damreyへの応援コメント
熱量が、何故一頭の象なのか、はわからないんですが、ただ、熱量は作品全体から伝わってきます。作品は言葉でできているのですが、もはや言葉以前のものとなり、作品全体が一頭の象みたいです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
蛇足ながら元ネタを書かせていただくと、台風の名前です。
あらかじめ140個用意されている、台風のアジア名リストの、一番始めに「Damrey(クメール語で”象”の意)」があります。
これを元に想像を膨らませていった結果、インドの神話や、どこかで読んだ詩と結びついて、こうなりました。
砂埃やスコールの只中を去って行く、あまりにも熱い象の背中が、私の脳裏にはあります。
編集済
ブラウン・スポットへの応援コメント
茶色という色からはpmに親和を覚えていましたが、これは、主役で、amで、しかもmorning。更にマグカップに彼女に(あなた、とありますが、わたしには彼女、女性に思えます)静寂とは。静寂という言葉が効いている。彼女が立ち去った後に残る、何というか、失礼でなければ、生き物としての体温?気体というか、何だろう、それが作品を支えている。というか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
茶色とp.m.の親和性。目から鱗の落ちるようです。私の内にも、そのようなイメージがあったかも知れないと、納得する思いです。
そうだとすれば、恐らくそれは「疲労」や「痛み」などと近しくなって、一日の気怠さを家に持って帰る色なのだとも感じてしまいます。
けして、バナナの甘さを可視化するための色などではなく。
編集済
プラネタリウムの夜はへの応援コメント
失礼な言いかたかもしれませんがこういった思いを抱きながらプラネタリウムの星々をながめている作者はとても可愛らしいと思います。そしてそんな光景を提供している都会?も。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
可愛らしい! なるほど……!(笑)
偽物に憤るとき、”私”はどれほどまで”本物”を求めてしまっているのでしょうか。求めているということに気が付かないままだとすれば、傍から見て、どれほどに滑稽な姿でしょうか……(笑)
たぶん、隣にあってもよかったはずの熱量は、失われてしまったのでしょうね。
編集済
みどりの声への応援コメント
不思議な詩ですね。カエルのいない街から聞こえる、シュレーゲルの声だけが響く街。少しずつ声の個数が増えていく。まともに生きようとしても裏切られる。知らない間にミスマッチが起きている。何か大切なものに齟齬がある。そんな感覚を覚えます。個人的なものですが。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
古い幻想はゆっくりと変化して、あるいは唐突に殺されて、
新しい幻想になっていゆく。
現実というものはそこにしかなくて、救いもなくて、
だれもが殺されつつある「あまがえる」の声の只中を生きている。
隣の誰かとは、そもそも、なんにも共有していない。
ということかな、と思っております。
編集済
ろくろくへの応援コメント
当たりまえ、と思っていた自由が、実は首がのびることだったなんて。抑えつけても、潰したと思っても、粉々に破壊したつもりでも、盲目的に四方八方にのびるものだったなんて。それが首なんですね。首は死なない。まさにいま、心の底から渇望していた言葉かもしれません。有難うございます。これでまた一日生き延びられる。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
妖怪のろくろ首に関して、「束縛された現状からの逃走」という考察を見たことがあります。
現状肯定的な意見ですが、首が伸びる、それだけで良いじゃないか、と思います。自由、それだけで良いじゃないかと。
自由というのは”当然そこにあるモノ”ではないと、思いはしますが、首が伸びる、それだけの自由、それだけのことで見れば良いじゃないか。
椿事。首ごと、自由があるべきじゃないか、と。
編集済
東京透明日常への応援コメント
これは、印象として、ザ・東京、って感じがします。
藍染乃さん、この >かむとける雨 ってどんな雨なんでしょう。
この、かむとける、って感じがどんな感じなのかな、って。
追記です。
藍染乃さん、丁寧お答えいただきありがとうございました。
酸性雨かどうかは別にして、>「神が溶け込んでいる」雨 なんて素敵です。
>人間以外の大きな意思のようなものに包まれた東京
って感じも、そんなに大げさじゃなく、すんなり受け入れられる感じがします。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ご質問いただきました「かむとける雨」について、即興で詩を書いたときに現れた、音優先の造語です、ということを前置きにした上で、思うことを書きます。
おおむねは、以前に書いた『かむとけ』という詩からの発展だろうと思います。「神解け」とは雷のことであるという辞書的な事実を知り、そこから「神がとける」→「空に溶ける」→「酸性雨」のように連想した結果が『かむとけ』でした。そのため、今回の「かむとける雨」も、物理的には酸性雨のことを含むと思われます。何かを溶かし入れて、降りかかるものです。
雨の勢いはさほど強く感じません。恐らく「神が溶け込んでいる」ということが重要になってきて、雷自体や、雷雨であることにはこだわる必要がなくなったものと思われます。ただ、ビニール傘が捨てられていくということからは、台風の日のような風の強さを連想するところもあります。
また、詩の中で既に崩れていますが、「かむとける雨の東京」までが最初のインスピレーションだったかと思うので、「かむとける雨」が「東京」に掛かっていたのが始まりでした。人間以外の大きな意思のようなものに包まれた東京、くらいの意味に取れるでしょうか。雨の様相ではなく、雨粒を含んだ東京の空気全体を指して、「かむとける」と言っているようです。
思いついた範囲ではこのようなところですが、いかがでしょうか。追記など、お気軽にくださればと存じます。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
編集済
編集済
君が鬼だからへの応援コメント
君に語りかける詩とは思うんですが、いままでとは違う、鬼に語りかける現代って何なんだろうと思いながら、読んでいました。高層ビルの屋上からみえる一つ一つのビルに話しかけるように。一歩間違えば転落なんですけどね。深読み過ぎです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
新年明けてからこちら、鬼のことばかり考えております。
「君」へ話しかけるべきなのか、「鬼」へ話しかけるべきなのか。
「君=鬼」と言い切ってしまうには、ほんとうは裏付けが足りていません。
鬼こもれりと聞くはまことか。
尋ねる「ぼく」も、鬼でない証拠なんてありません。
古代より、中世より、「人」と「鬼」との距離はゼロに近い。未来って、そんな時代だと思います。
はなればなれの双子たちへの応援コメント
メンソールユーザー故、マイセンの味は、喉の奥で反芻しようとしても、もう、忘れてしまいました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
メンソール系、思えば吸ったことがございません。
スゥッとするのでしょうか……。
冬の夜空の下で吸ったなら、肺の縮まる思いをするのだろうか、と、勝手に思っております。
アンマスクドへの応援コメント
案外いつのまにか吸い込んでしまったものたちで
肺は汚れているのかも知れません。素敵なもの、素晴らしいと思って吸い込んでいたはずなのに。結局熱を出してささやかに免疫を造る。生きのびていくこと、について思いました。有難うございます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
目には見えない、善くないもの。当然に多すぎて、例を挙げるのにも今更です。
名前が変わったからなんだというのでしょう。
においが変わったからなんだというのでしょう。
現実肯定的な上っ面被せても、もはや私たちは吸い込んでしまっています。
KIKI-TAさまが免疫と生存について想われたのなら、それは一番前向きな、この詩の読み方だと思います。
先輩への応援コメント
ご無沙汰しております。この作品、個人的にグッと来ました。「先輩」という言葉がすごくシャープに脱構築されているというか……明らかに妄執じみたものを描きながら、妄執の主体をきれいに取り払っている感じが、すごく巧みだなと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
おそらく、執着の育ちきった末路とは、対象を見つめる視線になることなのでは、と愚考します。己を無くして、見るという行為に成り切ること。
この詩については、視野を狭く狭くしていった結果の産物ということになるでしょうが……。
忠臣蔵さまのコメントには、毎度“ぐい”と引っ張りあげられるような心地でおります。ありがとうございました。
末法到来への応援コメント
最初にプラスチックという文字を見てしまったからなのか、全体がプラスチックのような軽さ、空気を含んでいるような軽さ、に感じます。君もリカちゃん人形のような可愛さ。だけど、まっぽーとーらい、の硬質さ。
作者からの返信
KIKI-TAさま
いつも真摯に読んでくださって、ありがとうございます。
わざわざ書くほどのことでもないのでしょうが、中世仏教史に関わる単語を多用した詩、になります。
どんなにカワイイと言ったところで、「末法到来」のその時に、全ては正しくなくなってしまったような恐ろしさを感じています。
プラスチックの安っぽさ、上滑りするカワイイは、何処にも無くなってしまった正しさの、何を表せるというのでしょうか。
編集済
すあしへの応援コメント
沼のようなものに踏み込む感覚から、帰ってこれないのではないかという怖れを抱いていたことを思いだしました。それは生物としての淡い思いだったのかも知れず、泥とともに生きる小さな生物たちへの共鳴だったのかも知れず。ジグザグに記された文字からそんなことを思いました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
泥の中には、見えないくらいに小さな生き物が、無限にも潜んでいるように思えます。
それらが生きているのか死んでいるのか、ふつうに見ているだけでは判断などできないのでしょう。
いずれ、長い長い時間が経って、化石になっても地層の奥深くへ隠れていることと、今泥の中を生きていること。区別など、する意味があるでしょうか。
あんまりにも極論なのですけどね。
編集済
蟹のなかみが白色で、あなたのなかみが赤色でへの応援コメント
何かが複数同時に叫んでいる気がします。それが流れやまない生命の繋がりだとか、打ち寄せることをやめない波だとかを想起させて。蟹のなかみが白色っていうのが妙にリアルで。読みがいのある作品ですね。有難うございます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
昔から、蟹という生き物への嫌悪感があります。
白い肉のひくひくと動くこと。硬いとも軟らかいとも言い難い殻の中で、命らしきものが脚を動かす気配……。甲殻類恐怖ということになるのでしょうか。
古い嫌悪感と、目の前の嫌悪感と。
尽きせぬ波だと読まれたのでしたら、たしかに、ご慧眼です。
編集済
編集済
翡翠への応援コメント
死ぬものと、死なないものの対比がいいですね。やはり腹をくぐらせるには、蛇くらいの体温、皮膚(ウロコ)がちょうどいいんだなあ、と妙に納得してしまいました。自然は絶妙な存在を組み合わせるものですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
蛇が獲物を飲み込むとき、うろこの隙間が少しづつ広がって、胴回りがゆっくりと大きくなっていきます。
精密な作り物を見ているような気分で、やっぱり彼らに体温が乏しいことは、正しいことのようにも思えてきます。
そして飲み込まれて消えてゆく獲物たちは、蛇の中でかたく無生物になる。
翡翠、カワセミのキラキラとした美しさは、どこかへ隠れてしまうことによって完成するのかも、と思います。
編集済
わすれぐさに送る三十一字への応援コメント
わすれ草はユリ科の花で和歌にずいぶん詠まれているんですね。知りませんでした。鈴虫が絶えないとは切ないですね。どんな虫も突き動かされるように懸命に生きているから切ないのかも知れません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ワスレグサ、キスゲの仲間は、分類が見直されてユリ科ではなくなりました。花はユリにとてもよく似ているのに、不思議ですね。
古来、嫌なこと、特に悲恋を忘れたいときなどに、花や蕾を摘んで食べたそうです。
現代で、わすれぐさの名を聞くことは多くありません。まるで花そのものが忘れられてしまったようにも思います。それでもわすれぐさは海岸に、田の畔に、あるいは庭の隅にひっそりと、夏のあいだ咲いています。
忘れたいことは、無くなってしまったのでしょうか。それとも、それを必要とする人自体が居なくなってしまったのでしょうか。
もう明けるかも分からない夜に、すず虫の声が響きます。すず虫ばかりが、絶えずにいます。
編集済
ウォーキングシューズとうわのそらへの応援コメント
自分の書く詩なんてシューズで踏む砂利の音程度かも知れない〜読みながら思いました。でもその音を聞きに外に出ようと思います。生まれては消えてしまう音こそが、とそんな気がします。
編集済
鉄に似ているへの応援コメント
身近なこと、人のことを書かれている、それと鉄をスライドされている、と思うのですが、どうしても地底のこと、マントルのこと、熱く溶けて動き回っていたいた頃のこと、やがて冷えて年輪となってしまったこと、から離れられません。離れられなくしてしまう処が作者のワザ?それは嬉しいこと?。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
うろ覚えですが、はじめはもっとケミカルというか物理的というか、KIKI-TAさまの書かれたような方向に寄った詩でした。
それを「赤熱」の変形を挟んで人間らしくしたのだったと思います。
地底の圧力下で固く冷たくなっていくことが、喜ばしいことかは分かりません。
ただ、この「ひと」のように星空を足蹴にして沈んでいくという選択は、小気味いいものかも知れません。
編集済
カーゴ・カルトへの応援コメント
変わらずコメント魔ですみません。聞き流してくださいね。面白いな~と思って読みました。白黒つけようとする世のなかこういうクタクタした雰囲気、好きなんですね。夏はからだのなかに冷たいものが入り外は熱い。冬はからだのなかに熱がこもり外は冷たい。逆のことが書かれているように見えて、全体が8の字に見えて、面白いんです。失礼お許しを。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
正反対のことをごたまぜに書いてみました。
白で薄まった色に黒を混ぜても、元の色に戻るわけじゃないですよね。彩度がなくなって、くたくたになるだけ。
寒いなら家に帰ればいいのに、そうすると熱も分からなくなりそうなんです。
御使いへの応援コメント
夜の中で確かに感じていた何かを、朝になると見失ってしまうような感覚が私にはあります。
そして不安になるような…。
だからなのか、この詩はどことなく身近に感じられました。
前作の夜の散歩もですが、心に響く詩です。
あと別件ですが「踊り詩〜」へ星を下さりありがとうございました。
とても嬉しく、励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
朝の忘却感って、ありますよね。
なんだか、朝が来る前の夜がとても素敵なものだったような気がしてきて、そこにあったものがとても大切だったような気がしてくる……。
素敵だったはずの夜を書きたくて、最近このモチーフを書きがちかも知れません。 (^^;
『踊り詩』、読み返させていただいていたのですが、どうして自分が星をつけていなかったのか分からない作品です。確実に、理由なく忘れてただけですね。
今後も楽しみにさせていただきます。
編集済
肌いろの月への応援コメント
背中に月を感じるところ、それも動きながら、面白いですね。青くなった空に燃え尽きたような月。 月を唄った詩歌は多いと思いますが、 灰となった空の月、この切り口、面白そうですね。
ps 脱皮したてのコオロギたち、はタイトルでなく、「雨後」(カクヨム 詩の輪郭)のなかの1フレーズです。恥ずかしながら。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
この月は生(なま)のようにして書いたつもりでした。
しかし前提として、かつて燃え上がるような熱量を持っていた、ということは確かです。
そこまで見透かされたのなら、もうKIKI-TAさまの読みに脱帽です。
「雨後」再読させていただきました。思い出さなかったのは痛恨です。
私の“ちいさな命たち”とは違って、あくまでひろがる展望といったように使われているのが新鮮です。私は無数の生に同じだけの死を描いてしまいがちなのかも知れません。
編集済
変幻への応援コメント
以前、脱皮したてのコオロギたちという詩を書いたことがありますが、あんな小さな ハネであの音の大きさは驚異です。オタマジャクシに乾いた悲しみというのも、アスファルトの上で干からびている彼らを想像させ、小さな生き物から見えるのは、何でしょう、私にはユニバース、無限に近い時間でしょうか。あたりまえに背負っている彼らに敬服なんです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
彼らの小ささはそれだけで私にとって驚きになります。その小さなものが何万何億の永遠を形作っていることも、また然り。
そちらの詩も読んでみたかったです。(カクヨムには投稿されてない……ですよね?)
そのタイトルからKIKI-TAさまがどんな詩をお書きになったのか、気になりますね。
庭園の蝶への応援コメント
人は、知り得ること唯一と思っているのでしょうが、蝶の世界の何処まで知っているのでしょうか。蝶が飛んでいく隣の部屋のドアを開けてみたい。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
この「蝶」のモデルにしたのはアサギマダラという蝶で、沖縄・台湾などと本州の山々を行き来する、長い渡りをする蝶として知られています。
しかし、その旅についてはまだ不明なことも多いようで、海に浮かんで休むとか、見えないほどの上空を飛ぶとか、色々な凄い話があります。
行く道を知らずに、どうして目的地を知ったことになるでしょうか。さらにはその生き方すらも。
人の決して行き着けない場所というのは、思っているより多いのかもと思います。
恥じて明けゆくへの応援コメント
探しもとめていたものかが、やさしさで、それは夜の暗がりにあり、いや、夜そのもの?そして、陽のあたらない陰として、電信柱の片隅に残る。そこにしかない情景の描写として沁みました。
恐らくは、この心象に共感する(とくに若い)ひとはけっこういるんじゃないか、と。そんな気がします。