金木犀を追って

作者 藍染乃 流

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 散乱へのコメント

    青色を散乱し尽くしたから、青い鳥が、絶滅した、っていうところは格好いいですね。

  • さみしい蕾へのコメント

    まがる、まがる、とあうイメージがすごいな、と思いました。まがる、から、まえ、であり、ふるえて、大声で、恥じている。でも、最後に、すっと一瞬だけ真っすぐになる、そこ、すごいです。

  • 炎色へのコメント

    確かにそうだった(いまは失われている)ことについて話すには、それは赤色が相応しい、そんな印象を持ちました。そういえば、赤は有り触れた色、けれど赤にしか話せない内容がある。そう言えば、以前の藍染さんの赤い作品も思いだしました。その時も反応してしまい。赤に反応したのかな。なんだか無責任なコメントですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そこに残るべき、まだ漂っているべき感情には、赤色がよく似合うように思います。
    感情についての話はいつも難しく、美しいです。太陽がすっかり沈んだあと、一条だけ残る赤い雲のような、あんなものを見ながら。

    2022年7月20日 21:00

  • 残光のころへのコメント

    君と鳥たちが同量の質量を持っていて、髪はみえるけれど顔はみえない、鳥は冷たい君(彼女?)の血は温かくながれている、そんな印象を持ちました。(作者の)寄せる思いがいいいですね。なんだろう。微かな悲しみがあるようにも。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    髪の揺れるさまを傍で見ながら、
    手首の血流に耳を当てながら、
    湿度を増していく夕暮れの森に、呼吸を苦しくしながら、
    きっと本当には触れることができないでいるのでしょうね。

    2022年6月26日 21:54

  • 翠雨へのコメント

    かえるの声を聞きながら飲む、水道水の味と、ヘッドホンを付けたまま飲む、水道水の味は、違うのか、なんて、妄想しながら、やはり聞こえるのは目の前のコップに注がれる、水道水の音。誰かがつくった音なんですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「透明さ」をつくる、というのは、あんまり自然に感じませんね。
    それなのに、私たちは「自然」に純粋さを求めてしまう。
    雑音も、色の雑じりも、ないことのほうが正しいように思ってしまう。
    味は違うのでしょうか。
    それとも、味を感じている私の脳が、透明を求めているだけなのでしょうか。

    2022年6月19日 00:44

  • そのそれへのコメント

    そのそれ、って言い切る声が、最初は強く、どっしりと感じたのですが、何回か読むうちに、果たしてほんとうは違うんじゃ、と、いまは、少しずつぐらつき始めている。そこが、この作品の肝なのかなあって、想像を膨らませています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    断言したい、という思いは、常々私を蝕みます。
    しかし、断言できる確かな事こそ、私の生命活動の煩雑さの中を生きていられない。
    まっすぐで重い、そんなものを、長く抱えては生きられません。

    丁寧によんでくださって、ありがとうございます。

    2022年6月19日 00:49

  • 翠雨へのコメント

    此の地では、最早、カエルの鳴き声がしていません。
    と、気付いたのは、この詩を読んだからでした。

    だから、
    いつ、カエルが鳴き止んだのか、定かではありません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    水道水がいつから透明だったのか、私は知りません。
    透明でない水を飲むことも、井戸水を汲むことも、たぶん、ありません。
    贅沢なことだと、誰かに言われることでしょう。
    カエルの声に気づくことだって、その色を緑と思うことだって、同じかもしれないと、思います。

    2022年6月19日 00:39

  • みどりの声へのコメント

    不思議な詩ですね。カエルのいない街から聞こえる、シュレーゲルの声だけが響く街。少しずつ声の個数が増えていく。まともに生きようとしても裏切られる。知らない間にミスマッチが起きている。何か大切なものに齟齬がある。そんな感覚を覚えます。個人的なものですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    古い幻想はゆっくりと変化して、あるいは唐突に殺されて、
    新しい幻想になっていゆく。
    現実というものはそこにしかなくて、救いもなくて、
    だれもが殺されつつある「あまがえる」の声の只中を生きている。
    隣の誰かとは、そもそも、なんにも共有していない。

    ということかな、と思っております。

    2022年6月19日 00:35

  • 終末論者たちの春へのコメント

    号令も、ピストルの音もない朝を、さざ波は待っているんですね。そういう朝がやってくることを心の底から願っています。作りだしたのは人なのだから。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    夏から秋へと変わる諸々すら、ぼくらが叙述したものであること。昨日と今日の違いさえ、ぼくらが創り出したものであること。
    忘れては思い出す、それさえも、ぼくらであって、ぼくらでないこと。
    順番に訪れます。どれだって。なんだって。

    2022年5月30日 03:48 編集済

  • 遠望遠望へのコメント

    こういう作品大好きです。出逢えてよかったと思います。君の目を通して、ぼくの奥底に眠る、希望が高らかに歌われている気がするから。奥底っていうところが、ミソなんですよ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    望み得ないほど遠くまでまっすぐ見つめる視線は、同じだけの距離で深く手の届かないところから、来ているのかも知れません。

    2022年5月29日 14:35

  • 小川はへのコメント

    手相のように/小川はとけて流れていく、でこの作品のステージがばっと決まっている、と思いました。生めかしさで、明晰、という言葉が生きるんでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    生物的な柔らかさ、曖昧さの中に、一見するだけでは分からない緊密な繋がりが、存在すること。
    時はあたかも春で、いちばん柔らかいこの季節に、これまでも永存してきた緊密な繋がりが、最も輝くこと。
    そんなことを書きたかったのですが、力不足が悩みどころです。素敵に読んでくださって、ありがとうございます。

    「生めかしい」という、素敵な表記を知れたことにも、感謝です。

    2022年5月2日 02:36

  • ろくろくへのコメント

    当たりまえ、と思っていた自由が、実は首がのびることだったなんて。抑えつけても、潰したと思っても、粉々に破壊したつもりでも、盲目的に四方八方にのびるものだったなんて。それが首なんですね。首は死なない。まさにいま、心の底から渇望していた言葉かもしれません。有難うございます。これでまた一日生き延びられる。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    妖怪のろくろ首に関して、「束縛された現状からの逃走」という考察を見たことがあります。
    現状肯定的な意見ですが、首が伸びる、それだけで良いじゃないか、と思います。自由、それだけで良いじゃないかと。
    自由というのは”当然そこにあるモノ”ではないと、思いはしますが、首が伸びる、それだけの自由、それだけのことで見れば良いじゃないか。
    椿事。首ごと、自由があるべきじゃないか、と。

    2022年4月25日 22:29 編集済

  • 白昼の楽音たちへのコメント

    花の一つ一つは小さいものですが花が語ろうとしているもののスケールは大きく、繰り返されてきているものとは何だろう、と読み込みましたが、小生の読解力ではここまで。全体的には難解で、他の方々が直ぐに反応し応援されているのには頭が下がります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    耳ばかりが鋭敏になり、聞くべきではないかもしれないことまで聞こえるときがあります。
    意味は分からずとも、己がそこに属していない、ということは分かってしまう。

    そんな意味不明の音たちを、書いてみたつもりでございました。

    2022年4月21日 21:57

  • 東京透明日常へのコメント

    真ん中の、めだまをつくこと、はじかれること、が傘の芯で、前半と後半は、傘をひろげて寝かせて横からみた、傘の部分にみえました、と言ったら、変な読み方でしょうね。無機質に集まる傘たちを吸い込むのはビル群が似合っている、のかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私の想定していなかった、とても興味深い読み方だと思います。
    捨てられた傘は上に向けられてはいませんから、横向きが似つかわしい。
    傘の構造というそれ自体が、倒れて転がるためにあるようなものですね。

    2022年3月27日 00:53

  • 東京透明日常へのコメント

    これは、印象として、ザ・東京、って感じがします。

    藍染乃さん、この >かむとける雨 ってどんな雨なんでしょう。
    この、かむとける、って感じがどんな感じなのかな、って。


    追記です。
    藍染乃さん、丁寧お答えいただきありがとうございました。

    酸性雨かどうかは別にして、>「神が溶け込んでいる」雨 なんて素敵です。

    >人間以外の大きな意思のようなものに包まれた東京
    って感じも、そんなに大げさじゃなく、すんなり受け入れられる感じがします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

     ご質問いただきました「かむとける雨」について、即興で詩を書いたときに現れた、音優先の造語です、ということを前置きにした上で、思うことを書きます。

     おおむねは、以前に書いた『かむとけ』という詩からの発展だろうと思います。「神解け」とは雷のことであるという辞書的な事実を知り、そこから「神がとける」→「空に溶ける」→「酸性雨」のように連想した結果が『かむとけ』でした。そのため、今回の「かむとける雨」も、物理的には酸性雨のことを含むと思われます。何かを溶かし入れて、降りかかるものです。
     雨の勢いはさほど強く感じません。恐らく「神が溶け込んでいる」ということが重要になってきて、雷自体や、雷雨であることにはこだわる必要がなくなったものと思われます。ただ、ビニール傘が捨てられていくということからは、台風の日のような風の強さを連想するところもあります。
     また、詩の中で既に崩れていますが、「かむとける雨の東京」までが最初のインスピレーションだったかと思うので、「かむとける雨」が「東京」に掛かっていたのが始まりでした。人間以外の大きな意思のようなものに包まれた東京、くらいの意味に取れるでしょうか。雨の様相ではなく、雨粒を含んだ東京の空気全体を指して、「かむとける」と言っているようです。

     思いついた範囲ではこのようなところですが、いかがでしょうか。追記など、お気軽にくださればと存じます。
     いつもお読みいただき、ありがとうございます。

    2022年3月26日 00:16

  • 清冽の翊へのコメント

    著名な監督が撮ったフィルムのようですね。それは大陸の奥の乾いた空気のなかで、透明になった自身がひとり列車に乗り、朝の空気に紛れていく。有難うございます。相変わらず、ピントは合っていませんが、読んでるだけで、紛れるだけで幸せです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    映画のワンシーンのように読んでいただけるとは、ありがたいかぎりです。
    無数にやり過ごさねばならない、朝が、清冽でなければならないと決められている。このことの哀しさは、時間経過と共にしか感得できないのかもと思います。

    2022年3月14日 02:57

  • 青なんだろうへのコメント

    指を絡めさせながらも迫ってくること、辛いですね。わたしは現実を、いまだに受けとめられていません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私も、どう言葉にするべきなのか、今も分からないでいます。
    とにかく書くべきだと思いはしましたが、中途半端な文になりました。

    2022年3月14日 01:58

  • 合皮へのコメント

    不思議です。硬い、という文字の下に、遠い春が固めて詰め込まれている、ような。そんなことあたりまえのりすたちは、ぐっすりと寝ているんですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私が「硬い」と思っているものは、ほんとうはそうではなくて、りすも、地面も、空も、海も、ただゆったりと春を待っているだけなのかもしれません。
    靴を履いて立っていなければならないのは、私だけ、というだけで。

    2022年3月14日 01:10

  • 音の踏切へのコメント

    おとの踏切、声の子どもら、文字の配置を変えただけで視えるものがまったく違いますね。音の正体に肉薄していく、というか。このわくわく感。嬉しいです。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    夕方、ざわざわとしだす駅前を、どうにか描いてみたいと思った詩でした。
    「音の正体」。音でも、目に見える物でもない、なにかを、
    錯視的にでも描けていればと思います。
    お読みいただき、ありがとうございます。

    2022年2月27日 18:58

  • 合皮へのコメント

    早く春が近づいて、柔くなるといいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    雨の降るごとに、木々が水を飲む音が聞こえるようです。
    春の湧水は、きっと柔らかく、川も海も薄めてくれるはずだと思います。

    2022年2月25日 01:46

  • くまへのコメント

    森の話しなんですが、あなたの身の周りで起きうることでもあるんですよ、っていう、警告が隠れているようにも読めて、書いてあることにとどまらない雰囲気がありますね。気になってまた戻ってきてしまう、というか。うまく言えませんが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    熊や鹿は、人間の生活圏ではあまり見かけませんね。関係が無い、という関係も、あらゆるところで生まれているように見えます。

    世の中にある全ての出来事は、ただそうあるだけなんだ、という思いがあります。そこに「未来」という寓意を感じてしまうのは、それ自体が、人の業かもしれません。

    2022年2月17日 17:48

  • やまゆりの味へのコメント

    布ずれの音までも感じさせる白い色。植物の青臭い匂いがゆりの濃厚な匂いに混ざって全体に感じられるのはさすがの力量と思います。それが乾いた墓石の感触と対比され、墓が祖母の墓であることも。森を象徴するゆりを噛じらざるを得なかった主人公の気持ち。膨らみますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ヤマユリの白は、生命力溢れる夏の山中において、不自然なくらいの脱生命感があるように思います。
    里山の宝石であるヤマユリが、祖母をつよく想起させる花だった場合、このように貪ることしかそれを殺害する術が無かったのだろう。
    そのように、好意的な一面には、思います。

    2022年1月28日 01:11

  • 君が鬼だからへのコメント

    君に語りかける詩とは思うんですが、いままでとは違う、鬼に語りかける現代って何なんだろうと思いながら、読んでいました。高層ビルの屋上からみえる一つ一つのビルに話しかけるように。一歩間違えば転落なんですけどね。深読み過ぎです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    新年明けてからこちら、鬼のことばかり考えております。
    「君」へ話しかけるべきなのか、「鬼」へ話しかけるべきなのか。
    「君=鬼」と言い切ってしまうには、ほんとうは裏付けが足りていません。

    鬼こもれりと聞くはまことか。

    尋ねる「ぼく」も、鬼でない証拠なんてありません。
    古代より、中世より、「人」と「鬼」との距離はゼロに近い。未来って、そんな時代だと思います。

    2022年1月11日 15:18

  • 君は片翼へのコメント

    学ぶことは孤独な作業。誰にもとどかない孤独な音が聞こえてくるようですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    誰かの耳に届いてしまったなら、それが孤独。
    誰にも届かない空気の震えは、たぶん孤独でも、音でもないのだと思います。

    2021年12月31日 21:43

  • はなればなれの双子たちへのコメント

    メンソールユーザー故、マイセンの味は、喉の奥で反芻しようとしても、もう、忘れてしまいました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    メンソール系、思えば吸ったことがございません。
    スゥッとするのでしょうか……。
    冬の夜空の下で吸ったなら、肺の縮まる思いをするのだろうか、と、勝手に思っております。

    2021年12月31日 00:40

  • 人世紀の詩へのコメント

    最後の1行が前の全部を受け止めているかのような面白さというか、啖呵を切っているというか。面白いです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ぐっちゃぐちゃな書き方なのですが、少なくとも、なにかブレない部分があるな、と投稿しました。
    ぜんぶの責任を知らない煙草へ、そして海へ。

    2021年12月21日 22:14

  • 朝を飲み込むへのコメント

    何故か解りませんが。遠く中原中也の朝の歌を思い出してしまいました。何が共鳴したのか。空かなぁ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    中也の「朝の歌」読んでまいりました。
    たしかに、どこか共通するところがあるように思いますね。どこなんでしょう……。

    「朝の歌」は、さまざまの風物を織り込みながら、忘却の感覚を見ている、と読みました。(恐れ多くも)単純に比較するなら、私の詩のほうは、要素少なく、より温度の上がらない言葉を選んでいるように思います。
    温度感はだいぶ違いますが、忘却を寝起きの時間に結びつける感覚が似ているのかも知れません。

    2021年12月21日 21:48

  • やまぶきの花へのコメント

    やまぶきの花が咲いているからでしょうか、この雨は天気雨に思えてなりません。降りどおしなのでそんなはずはないのですが。作者は横断歩道を渡れるのでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    明滅するものと続いているもの。横断歩道は、白黒の明滅ですね。
    道路の、あちらに居るべきなのかこちらで良かったのか、一つだけ浮いた山吹色に、拠り所を見たくなってしまいます。

    2021年12月18日 22:22

  • とぼとぼへのコメント

    とぼとぼ、という言葉が印象的というか、作品のスピードを決めている、そんな気がします。僕のメッセージ。半分は風か持っていってしまい、半分が君に届いたのか。とにかくコンビニに駆け込んだときの気持ち、なんですね。

    作者からの返信

    KIKI-TAさま

    コメントありがとうございます。
    返信を何か月もサボっていてすみません。
    モチベーションが下がって、予約投稿するだけのbotになっておりました。

    半分を僕が持っていて、もう半分が君に届かない。
    そういう寂しさを、当然としていかなければならないのなら、せめて、詭弁でも愛を歌っていたいのです。

    2021年12月17日 23:53

  • しえんへのコメント

    雨に打たれる傘のなかで煙草を吸っているのでしょうか。傘はビニール傘で透明の布から透ける上の景色は雨粒でぼやけて。空の雨雲と紫煙の雲が二層になっている。煙りに閉じこめられる。煙草のフィルターが伸びている。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    いろいろな条件によるのでしょうが、たばこの先から昇る副流煙は、青白く見えることがあります。もしかすると、私の精神状態もあってのことかも知れませんが。
    幽霊のようにも見えて、あんな煙に、私の選択の残滓が乗っているようにも、思えてしまいます。

    2021年10月17日 03:45

  • 投げ落としたらへのコメント

    橋で慌てるところを橋のたもとでもう1人、自分が見ている、何かそんな、デスマス調のせいなのか、少し乾いてユーモラスな詩ですね。でも、歩道橋が感じている重さは、案外見かけよりは重いのかも知れません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    もしかしたなら、ディズニー帰りの子どものような、何かを象った風船がその辺へ結んであって、それを心と呼ぶかも知れません。
    バッグを漁る背中から、風船が浮いていたら、間抜けで面白いでしょうか。

    なんにせよ、「わたし」と心とはどちらも歩道橋の上にあったのだと、そういった解釈は素敵ですね。

    2021年9月30日 08:54

  • アンマスクドへのコメント

    案外いつのまにか吸い込んでしまったものたちで 
    肺は汚れているのかも知れません。素敵なもの、素晴らしいと思って吸い込んでいたはずなのに。結局熱を出してささやかに免疫を造る。生きのびていくこと、について思いました。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    目には見えない、善くないもの。当然に多すぎて、例を挙げるのにも今更です。
    名前が変わったからなんだというのでしょう。
    においが変わったからなんだというのでしょう。
    現実肯定的な上っ面被せても、もはや私たちは吸い込んでしまっています。

    KIKI-TAさまが免疫と生存について想われたのなら、それは一番前向きな、この詩の読み方だと思います。

    2021年9月30日 08:48

  • 刃物じゃないかへのコメント

    なんだかグサグサきました。
    同じ刃物なら、何回もしつこく動かさなくてよい切れ味ある刃物にしたい、かな。
    でも、わからない、です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    日本刀のような、スッパリ斬ってしまう言葉を使えたら、かっこういいとは思います。
    でも、重くて振り回せないんだろうなぁ、とも思います。

    この詩はだいぶ痛そうな、切れ味の悪いノコギリを目指しています。

    2021年9月23日 12:58

  • 先輩へのコメント

    ご無沙汰しております。この作品、個人的にグッと来ました。「先輩」という言葉がすごくシャープに脱構築されているというか……明らかに妄執じみたものを描きながら、妄執の主体をきれいに取り払っている感じが、すごく巧みだなと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    おそらく、執着の育ちきった末路とは、対象を見つめる視線になることなのでは、と愚考します。己を無くして、見るという行為に成り切ること。
    この詩については、視野を狭く狭くしていった結果の産物ということになるでしょうが……。

    忠臣蔵さまのコメントには、毎度“ぐい”と引っ張りあげられるような心地でおります。ありがとうございました。

    2021年9月21日 20:14

  • 末法到来へのコメント

    最初にプラスチックという文字を見てしまったからなのか、全体がプラスチックのような軽さ、空気を含んでいるような軽さ、に感じます。君もリカちゃん人形のような可愛さ。だけど、まっぽーとーらい、の硬質さ。

    作者からの返信

    KIKI-TAさま
    いつも真摯に読んでくださって、ありがとうございます。


    わざわざ書くほどのことでもないのでしょうが、中世仏教史に関わる単語を多用した詩、になります。

    どんなにカワイイと言ったところで、「末法到来」のその時に、全ては正しくなくなってしまったような恐ろしさを感じています。
    プラスチックの安っぽさ、上滑りするカワイイは、何処にも無くなってしまった正しさの、何を表せるというのでしょうか。

    2021年9月4日 22:07

  • すあしへのコメント

    沼のようなものに踏み込む感覚から、帰ってこれないのではないかという怖れを抱いていたことを思いだしました。それは生物としての淡い思いだったのかも知れず、泥とともに生きる小さな生物たちへの共鳴だったのかも知れず。ジグザグに記された文字からそんなことを思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    泥の中には、見えないくらいに小さな生き物が、無限にも潜んでいるように思えます。
    それらが生きているのか死んでいるのか、ふつうに見ているだけでは判断などできないのでしょう。
    いずれ、長い長い時間が経って、化石になっても地層の奥深くへ隠れていることと、今泥の中を生きていること。区別など、する意味があるでしょうか。
    あんまりにも極論なのですけどね。

    2021年9月4日 21:49

  • 蟹のなかみが白色で、あなたのなかみが赤…へのコメント

    何かが複数同時に叫んでいる気がします。それが流れやまない生命の繋がりだとか、打ち寄せることをやめない波だとかを想起させて。蟹のなかみが白色っていうのが妙にリアルで。読みがいのある作品ですね。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    昔から、蟹という生き物への嫌悪感があります。
    白い肉のひくひくと動くこと。硬いとも軟らかいとも言い難い殻の中で、命らしきものが脚を動かす気配……。甲殻類恐怖ということになるのでしょうか。

    古い嫌悪感と、目の前の嫌悪感と。
    尽きせぬ波だと読まれたのでしたら、たしかに、ご慧眼です。

    2021年8月15日 22:47

  • あきらめたのですへのコメント

    光る港と光る島という光景が怪しく、そこに響く笑いが遠くから聞こえる。どのくらい遠いのだろうと、考えましたが、案外すぐ横の気もして。こんな乾いた笑いもあるんですね。もの凄く長い時間と一瞬が同時に記述されているのかなあ。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    書いた時にはそうでもなかったはずなのに、読み返してみればたしかに、「光る港の向こうに光る島が」の行は胡散臭さがあります。(いや、自分ではたどり着けない場所を、胡散臭いと思いたいのかも?)

    感情を単語で細切れにして、入れ替えて、そうしたらどんどん遠くなる。の、詩です。

    2021年8月15日 22:28

  • 翡翠へのコメント

    死ぬものと、死なないものの対比がいいですね。やはり腹をくぐらせるには、蛇くらいの体温、皮膚(ウロコ)がちょうどいいんだなあ、と妙に納得してしまいました。自然は絶妙な存在を組み合わせるものですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    蛇が獲物を飲み込むとき、うろこの隙間が少しづつ広がって、胴回りがゆっくりと大きくなっていきます。
    精密な作り物を見ているような気分で、やっぱり彼らに体温が乏しいことは、正しいことのようにも思えてきます。
    そして飲み込まれて消えてゆく獲物たちは、蛇の中でかたく無生物になる。

    翡翠、カワセミのキラキラとした美しさは、どこかへ隠れてしまうことによって完成するのかも、と思います。

    2021年6月14日 18:26

  • すすきへのコメント

    送電線を流れる電気はとても強く、その強力な何かが、といってもエネルギーなんでしょうけれど、それが風を、涙を上から見下ろしている、なんて勝手に想像してしまいました。それにしても、風はとても強く、揺れるすすきの穂は、せつないです。

    作者からの返信

    KIKI-TAさま

    コメントありがとうございます。
    とても大きな雨の予感が、立ち尽くすススキと僕を包んでいます。
    春の陽気の下で見れば、枯れススキだって結構力強く見えるんですけどね。

    2021年4月10日 17:08

  • おどるへのコメント

    この指のかたちは拳銃なのかなあって想像です。中指でとんとふれる、にクラッとしてしまい。こちらからは見ていませんが相手の視線に熱を感じて。縁があればどこかで。ふっと!がやってくる気がします。相変わらず諸事雑感です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    少数民族の祭だとかに、憧れます。
    どんな意味があるのか、どんな歴史があるのか。
    傍目からでは分かりませんが、見るだけで「いいなぁ」と思えるものがあります。
    それがどこかで行われている、それだけでも。

    2020年9月8日 15:33

  • わすれぐさに送る三十一字へのコメント

    わすれ草はユリ科の花で和歌にずいぶん詠まれているんですね。知りませんでした。鈴虫が絶えないとは切ないですね。どんな虫も突き動かされるように懸命に生きているから切ないのかも知れません。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     ワスレグサ、キスゲの仲間は、分類が見直されてユリ科ではなくなりました。花はユリにとてもよく似ているのに、不思議ですね。

     古来、嫌なこと、特に悲恋を忘れたいときなどに、花や蕾を摘んで食べたそうです。
     現代で、わすれぐさの名を聞くことは多くありません。まるで花そのものが忘れられてしまったようにも思います。それでもわすれぐさは海岸に、田の畔に、あるいは庭の隅にひっそりと、夏のあいだ咲いています。
     忘れたいことは、無くなってしまったのでしょうか。それとも、それを必要とする人自体が居なくなってしまったのでしょうか。
     もう明けるかも分からない夜に、すず虫の声が響きます。すず虫ばかりが、絶えずにいます。

    2020年9月2日 20:03

  • Naへのコメント

    海のことをこんなかたちで書くのは素敵ですね。Naと書いただけで何億年という月日の流れで。地球のまばたきに会えたのでしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「Na」と「な」の間にはいろんなものがありますね。
    海のことを書いた、というわけではないのですが、たぶん、間違いではない何かです。

    2020年8月26日 01:20

  • 嫌い、をなくしてへのコメント

    藍染様のなかではめずらしく愚痴っぽい語りで親近感が湧きます。丸くのマルと玉葱のカーブと涙の曲線が相似しているところが何とも素敵です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    小恥ずかしい語りになってしまいました。
    親近感、と仰っていただけるならそれも良かったのかもです……。

    もう一つ、と言ってはなんですが、涙越しの光は☆マークのようにとんがって見えた、ような気でいます。

    2020年8月26日 01:15

  • 河原にてへのコメント

    「排水口」は文字の配列が上下対称で、「河原にて」は三角形が見えますね。
    文章だけでなく、目でも楽しめます(^^)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    詩の場合、一目で引き込む/世界を作る、ことができるのも大切なのではないかと考えております。
    詰め込んだ四角い文字列でできること。コンクリートポエトリーやアスキーアートでできること。それぞれに表現の幅も隙間もあるはずだと思うのです。

    言語の差がそのまま詩の差になるのも、つまらないですから。

    2020年8月12日 20:49

  • はいずりへのコメント

    これは凄いですね!「螺旋星の夜」もそうでしたが、型に捉われない発想が素晴らしいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    カクヨムは基本横組み縦スクロールなので、長細いものと相性がいいかもしれないと思い作った詩でした。

    お褒めいただき、ありがとうございます。
    ……今はもう、ここまで柔軟にはできないかもですが( ̄▽ ̄;)

    2020年8月10日 11:01

  • ウォーキングシューズとうわのそらへのコメント

    自分の書く詩なんてシューズで踏む砂利の音程度かも知れない〜読みながら思いました。でもその音を聞きに外に出ようと思います。生まれては消えてしまう音こそが、とそんな気がします。

  • ファラオの詩へのコメント

    冷ややかにしか安らぎを共有できない。しかも、あなたの仮面はやわらかいと、痛烈にファラオに言われている気になりました。ピント外れかも知れません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ファラオの仮面(というか棺)は重く硬いものですが、私たちにはそこまでの物は必要なさそうです。
    表情を隠すのにも、病から逃れた気になるのにも、薄いマスク1枚で事足りますから。

    2020年5月8日 10:47

  • 桐の眼へのコメント

    源、という文字が入り口に見えてしまう。何の入り口、何処への入り口?本来は、源から此方へ流れてくるはずなんですが。源、の向こうに行きたい衝動。能舞台でも見ている感覚です。作者の力量でしょうね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    源から此方へ流れてくるはず……。
    本当にそうでしょうか。
    みずの始まる場所は、もしかすると森の彼方へ出ていく出発点かも知れません。何せ、源というのは何処にでもありますから。

    2020年5月2日 13:08

  • 鉄に似ているへのコメント

    身近なこと、人のことを書かれている、それと鉄をスライドされている、と思うのですが、どうしても地底のこと、マントルのこと、熱く溶けて動き回っていたいた頃のこと、やがて冷えて年輪となってしまったこと、から離れられません。離れられなくしてしまう処が作者のワザ?それは嬉しいこと?。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    うろ覚えですが、はじめはもっとケミカルというか物理的というか、KIKI-TAさまの書かれたような方向に寄った詩でした。
    それを「赤熱」の変形を挟んで人間らしくしたのだったと思います。

    地底の圧力下で固く冷たくなっていくことが、喜ばしいことかは分かりません。
    ただ、この「ひと」のように星空を足蹴にして沈んでいくという選択は、小気味いいものかも知れません。

    2020年4月30日 15:50

  • カーゴ・カルトへのコメント

    変わらずコメント魔ですみません。聞き流してくださいね。面白いな~と思って読みました。白黒つけようとする世のなかこういうクタクタした雰囲気、好きなんですね。夏はからだのなかに冷たいものが入り外は熱い。冬はからだのなかに熱がこもり外は冷たい。逆のことが書かれているように見えて、全体が8の字に見えて、面白いんです。失礼お許しを。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    正反対のことをごたまぜに書いてみました。
    白で薄まった色に黒を混ぜても、元の色に戻るわけじゃないですよね。彩度がなくなって、くたくたになるだけ。

    寒いなら家に帰ればいいのに、そうすると熱も分からなくなりそうなんです。

    2020年1月29日 17:53

  • 御使いへのコメント

    夜の中で確かに感じていた何かを、朝になると見失ってしまうような感覚が私にはあります。
    そして不安になるような…。

    だからなのか、この詩はどことなく身近に感じられました。

    前作の夜の散歩もですが、心に響く詩です。


    あと別件ですが「踊り詩〜」へ星を下さりありがとうございました。
    とても嬉しく、励みになります。

    今後ともよろしくお願いいたします。


    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    朝の忘却感って、ありますよね。
    なんだか、朝が来る前の夜がとても素敵なものだったような気がしてきて、そこにあったものがとても大切だったような気がしてくる……。

    素敵だったはずの夜を書きたくて、最近このモチーフを書きがちかも知れません。 (^^;


    『踊り詩』、読み返させていただいていたのですが、どうして自分が星をつけていなかったのか分からない作品です。確実に、理由なく忘れてただけですね。
    今後も楽しみにさせていただきます。

    2020年1月26日 15:04

  • 遵粋へのコメント

    コメント魔ですみません。■、純粋、が何を指すのか考えるのも楽しいですね。遠くから見ると、作品が全体が近代的なビルに見えるから不思議。考えすぎ?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    返信無精してまして申し訳ありません……。

    さほど深い意図は無いのですが、全体の形はビルっぽくしております。御慧眼です。

    縦読み交じりな辺りでお察しかと思いますが、上から順に読んでいくだけではない、縦横無尽な詩を書こうとしてみた実験作です。

    内容は……コンセプトとは逆かもしれません。

    2020年1月17日 22:26

  • へのコメント

    マンホール、恥、暗い人。ちょっと怖いイメージが重なるのですが、マンホールってどこに通じているんだろう、という気持ちが背後に流れていて、中断するような、ゴつん、という音。やっぱりすごい、感覚。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    マンホールを踏んだ音、その下の空間を感じてしまって、たまに怖くなります。
    落ちることがというよりも、そこに真っ暗な空間がある、その事実が怖いのかもしれません。

    大泥棒が世界中のマンホールを開け放してくれたら、照らされる場所はあるはずなんです。

    2020年1月17日 22:13

  • トウへのコメント

    スカイツリーから見ればわれわれは総て塵。塵の行き着く浜辺なんてあるのでしょうか。でも、あろうとなかろうと、塵は掃き寄せられますね、いつか、どこかで、ごそっと。塵。いいテーマですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私としては、浜辺のごみを見るたびに、川と繋げて考えずにいられません。砂浜の一面にこびりつくごみのいくらかは、街から川を通って流れ着いたものに違いないので。

    細長い流れの先の大きな海。そこからさらに、浜辺まで戻ってきてしまうものたちにはどのような意味があるのでしょうか。
    あるいは、意味などないのでしょうか。

    2019年12月27日 01:21

  • 君は怪物へのコメント

    透明ゆえ影もつかない存在、その輪郭は美しいでしょうね。周りの存在が汚れているから輪郭は不定形に動いていく。透かしてみえる景色。
    ps やっと最前列にたどり着きました。とても楽しかったです。有難うございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    夜にだけ目に見える、美しさの輪郭。そのはかなさ。
    読んでいただけて幸いです。

    2019年12月19日 22:38

  • 鳴き殻の冬へのコメント

    冬から夏(蝉)を眺める視点が新鮮で、冒頭2行で一気にスクリーンが広がり、広がっているからこそ、そこに雪が降る、と思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「広がっているからこそ」とはいいご感想をいただきました。
    漏斗を滑り落ちるがごとく凝縮した季節が、マリンスノーのような冬を降らせる……のかも知れません。

    2019年12月18日 21:06

  • 出立へのコメント

    何か大きなものが猛禽に象徴されている気がします。残ったものは確かに新しいのですが。我々は何を失ったのでしょう。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    去ってしまった猛禽は、わけが分からないくらい大きかったという気がします。
    鳶か、鷹か、鶚か、それともどれとも違うのか。

    しかし猛禽が森の王であることには変わりないのでしょう。

    2019年12月18日 21:02

  • ぎんいろの鉤へのコメント

    星がきんいろに輝いてそれが餌とは。初めての感覚です。考えてみると学舎に釣り上げられ続けていたのかも知れず。っったくよ~と吠えたくなりますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    他にもコメントいただいていたのにすみません!
    しばらくカクヨムを弄る気が無くなってしまっていました。読むだけはしていたのですが。

    学舎というのは、ある意味で私たちを盲目にしますね。餌しか見えない、まっしぐらな子どもに。
    でも振り返れば、学舎そのものも何処かの誰かに釣られていく最中であったのかも、知れません。

    2019年12月18日 20:57

  • ハレンブミへのコメント

    最高ですね。こんな詩を書けるものなら書いてみたい。と言うのも、前からも後ろからも上からも下からも突っ込める詩。アメーバのように動き回れる詩。楽しいんです。いくらでもどくだみの畑に突っ込みたい。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    一行一行の繋がりを薄めてみた、一種の試みの詩でした。

    青臭いどくだみの群は私にとって、文脈を亡きものにするかのような力があります。

    2019年12月1日 18:44

  • ぶりきの唄へのコメント

    余韻のある作品ですね。ページの裏で寝るところや秘密もなければホントもないところ、作品にアクセントが付いて素敵だと思います。 最後は玩具の本音でしょうか。うんざりしている相手は雨だけではなさそうです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    秘密にしているってわけじゃないのに、隠し事みたいになっちゃって、言い訳もうまくできなくて、はずかしくなってきちゃって、いっそ金属製の顔ならよかったのにって思ったりした。そういう詩です。

    2019年12月1日 17:17

  • 永遠の竜へのコメント

    想像と想像上の動物が重なり、クジラのように悠然と泳ぎ去る竜に会ってみたいですね。しかもそこは雨も雪も降らない想像上の土地。そこにはちょっと距離を感じる大きさと遠い時間が流れている気がします。何だかワケわからんコメントですね。陳謝。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    二重三重の空想、現実から浮きまくりのメルヘン。
    そんなものになりきることで、冬の寒さを忘れられるのかも知れません。

    2019年12月1日 17:05

  • 肌いろの月へのコメント

    背中に月を感じるところ、それも動きながら、面白いですね。青くなった空に燃え尽きたような月。 月を唄った詩歌は多いと思いますが、 灰となった空の月、この切り口、面白そうですね。
    ps 脱皮したてのコオロギたち、はタイトルでなく、「雨後」(カクヨム 詩の輪郭)のなかの1フレーズです。恥ずかしながら。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この月は生(なま)のようにして書いたつもりでした。
    しかし前提として、かつて燃え上がるような熱量を持っていた、ということは確かです。
    そこまで見透かされたのなら、もうKIKI-TAさまの読みに脱帽です。

    「雨後」再読させていただきました。思い出さなかったのは痛恨です。
    私の“ちいさな命たち”とは違って、あくまでひろがる展望といったように使われているのが新鮮です。私は無数の生に同じだけの死を描いてしまいがちなのかも知れません。

    2019年11月27日 22:48

  • 浅瀬のさかなへのコメント

    コメント魔のようで申訳ないですが、この作品好きです。難しい方程式を駆使する人間よりも単純に浅瀬を目指すさかなのほうが幸せなんじゃないかと。なんだか潮溜まりで小さなさかなたちを日がな眺めていたい気持ちになりました。有難うございます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    好きと感じていただけて光栄です。

    ひどく後ろ向きな詩なのですが、もしかしたら、取り残された海の魚はいろんなことの答えを持っているのかも知れません。

    2019年11月22日 22:14

  • 変幻へのコメント

    以前、脱皮したてのコオロギたちという詩を書いたことがありますが、あんな小さな ハネであの音の大きさは驚異です。オタマジャクシに乾いた悲しみというのも、アスファルトの上で干からびている彼らを想像させ、小さな生き物から見えるのは、何でしょう、私にはユニバース、無限に近い時間でしょうか。あたりまえに背負っている彼らに敬服なんです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    彼らの小ささはそれだけで私にとって驚きになります。その小さなものが何万何億の永遠を形作っていることも、また然り。

    そちらの詩も読んでみたかったです。(カクヨムには投稿されてない……ですよね?)
    そのタイトルからKIKI-TAさまがどんな詩をお書きになったのか、気になりますね。

    2019年11月22日 22:09

  • 庭園の蝶へのコメント

    人は、知り得ること唯一と思っているのでしょうが、蝶の世界の何処まで知っているのでしょうか。蝶が飛んでいく隣の部屋のドアを開けてみたい。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この「蝶」のモデルにしたのはアサギマダラという蝶で、沖縄・台湾などと本州の山々を行き来する、長い渡りをする蝶として知られています。
    しかし、その旅についてはまだ不明なことも多いようで、海に浮かんで休むとか、見えないほどの上空を飛ぶとか、色々な凄い話があります。

    行く道を知らずに、どうして目的地を知ったことになるでしょうか。さらにはその生き方すらも。

    人の決して行き着けない場所というのは、思っているより多いのかもと思います。

    2019年11月18日 00:16

  • へのコメント

    なんだか自分だけに見える街のようですね。嘘ばかりと言っていますが、本当と嘘の境界なんてこんな色に塗られている気がします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    赤、というのは不思議な色ですね。
    一日の始まる色でもあり、
    終わりの色でもあり、
    物事の盛りの色でもあり、
    そして血液の色でもあります。

    真っ赤な嘘、ということばの語源は不勉強なもので知らないのですが。昼と夜との境界が赤く染まること、だれもが見ているのにだれも知ってはいない気がします。

    2019年11月18日 00:01

  • 深夜三時の憧れへのコメント

    声の主が見えないんですよね。空間そのものそれも真っ暗な闇が叫んでくるようで怖いんです。見えないからこちらも声で探すしかない。でも言葉でなく意味でなく伝わるってこういうことかなと参考になります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    深夜の駅前で叫び声が聞こえるなんて、ホラーか、治安がよろしくないかのどちらかですよね。
    けれど、もしもその日、叫び声をあげたくて仕方がなかったとしたら。衝動を必死に押さえ込んで、体を丸めて家を目指していたのなら。

    闇の中の叫び声が、どこからか響き渡って来るものなのか、それとも本当は自分が叫んでいるのか、分からなくなってしまうかも知れません。

    2019年11月17日 07:31

  • すいか棄てられ穴もあきへのコメント

    棄てられたものには存外こんな風に思われているのかも知れせん。棄てる側は必死なんですが、棄てる側と棄てられる側の心理・立ち位置が婉曲に作品化されていて、感銘しました。相手にへらへら笑われたら喧嘩にならないんですよね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    棄てられた西瓜は中身が虚ろであっても、いやむしろ虚ろだからこそ、大きく口を開けて人間を見ています。
    誰何されてはじめて、人間は西瓜を意識するのかも知れません。あるいは西瓜をみている自分自身を。その後ろめたさを。

    2019年11月17日 07:21

  • ペットボトルの水と湿原へのコメント

    ちいさなカンマとピリオドがアクセントになっていて面白いです。ペットボトルの中から世界を見ようとしている?中の世界が本当なのか外の世界が本当なのか、ニュートラルな肌感覚に惹かれます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    凸凹していない円筒形のペットボトルは、透かしてみると世界が逆さまに見えますね。あの中に入ったら、どういう風に外が見えるのか、科学的なことではなく気になってしまいます。

    ピリオドとカンマ、そしてひらがなは、おっしゃるような、ニュートラルな感覚を意識したのだったと思います。
    心理学や科学系の論文でピリオドとカンマが使われているのを、「読みにくい」と感じたのが発端かもしれません。

    案の定、この詩もだいぶ読みにくくなっております(笑)

    2019年11月12日 12:22

  • 過つことの詩へのコメント

    なんか好きです。この詩。なにも奪わずに表せたらいいなあ。そんな重くも軽くもない表現。青い鳥じゃないけれどあなたが見つけられないだけだよ。だな。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    全ての言葉は「それ以外ではない」という否定の側面を持っているように感じます。
    であるならば、無為に言葉を積み上げるのは悲劇的で、バベルの塔のように愚かなことなのかもしれません。

    「重くも軽くもない表現。」いいですね。
    素晴らしいコメントに改めて感謝です。

    2019年11月9日 08:01

  • 未知へのコメント

    共感します。放っておくと踏み固められてしまうから言い続けなくてはいけない。紛争しかり、言動しかり、庭の植物微生物しかり。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「雑草という名の草はない」とは言いますが、野原の草のすべてが名も無き草であった頃のことを想うと、その頃にしか分からなかった物事もあるのだろうと感じます。

    誰もが枯れ尾花と知りたいわけではありませんよね。

    2019年11月9日 07:44

  • 転換へのコメント

    転落という言葉が強烈でノックアウトされた感じです。転落は後ろ向きに落ちる、雲に向かって堕ちるは前向きに落ちる、そんな違いがわたしにはあります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    後ろ向きに落ちるか、前向きに落ちるか。どちらにしても落ちているだけなのに、感じる違いはなんなのでしょうね。

    2019年11月2日 12:47

  • ゆるりささふねへのコメント

    思いは強いんだけど、受け止める笹舟はあまりにも儚い、でも、そこがこの作品の肝なのかも知れません。儚い笹舟は、氷山の一角で、水面のなかの何ものかに支えられているとしたら。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    運ばれていくだけの笹舟は、どうにもできない法則に従う、宇宙の物質的な側面といえるかも知れません。
    そこに乗る小さな人の感情が、何によって生み出されるのか。もしくは生み出されてなどいないのか。

    私の詩の「彼女」や「あなた」は、どうにも巨大になりがちですね( ̄▽ ̄;)

    2019年11月2日 12:45 編集済

  • はいずりへのコメント

    そうか、蛇は忍ぶ足がないんだと、改めて思いました。足がない蛇は忍べない、忍ぶ必要なんてない。いきなりの丸飲み。生きている獲物を飲み込むことが蛇なんである!なんて。温かくモゾモゾ動いているものを飲み込んでいく感覚ってどんななんだろう。またまた、愚問は繰り返す。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    しのぶあしなどないけれど……中身まで見ていただいてありがとうございます(笑)
    忍ぶ必要がない、というのは新たな気付きです! この“蛇”がものを食べるのかはともかく、きっと忍ぶことなく往ったのでしょうね。

    2019年10月23日 22:27 編集済

  • 過日の冒涜へのコメント

    仕事中、脳内を果実と過日が巡ってました。
    短詩なれども、巧みに深いです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    実は、タイトルがなかなかピンと来なくて投稿していなかった詩でした。
    私の頭の中で過去になっていったことで「過日」となり、詩自体にも深みをもたらす結果になったと感じています。

    2019年10月23日 11:54

  • へのコメント

    これすごいですね!今まで読ませていただいたものの中でもダントツにグッと来ました!!!
    まず、「まるで故郷の山々のように」から「私は思う」への静かな飛躍に〈!〉となりますね。そこから「涙」の「滴下」という流体のイメージが忍び込んできて、そのイメージが「嵐」=「涙」の集積に結びついていく感覚がとてもよいです。なおかつ「止めることが叶わない」という語句から、「嵐」にまとわりつく暴力的な、とどめようのない力のイメージがとてもスムーズに喚起されます。
    以降、ふたたび視点は「流れてゆく/涙の末」=流体に還元されるのですが、「嵐」を経ることで読み手はそれが単なる運動ではなく、とどめようのない力であることを知ってしまっています。だからこそ「見届けなければならない」という強い語句に、違和感なく説得されるような感覚があります。
    最後も素晴らしいです。これまでのイメージの流転が「彼女の手」という小宇宙にまつわるものであることが、歯切れよく、さりげなく明かされる展開が心地良いです。また、それを「見て」いる視点が「他人事のよう」である点も、想像力の帰結を静的に描出する役割を担っている感じがします。「嵐」にまつわる作品でありながら、むしろ全体の構成は静物として結実している印象があり、その往還に深く陶酔してしまいました。
    長くなってすみません……とにかく最高でした!ありがとうございました!

    作者からの返信

    “流れるもの”としての涙、深く読んでいただきありがとうございます。
    また、「嵐」という語と反するような詩全体の静けさ……特に意識して書いたものでしたので、注目していただいて感無量です。

    最後に、熱いコメントありがとうございます!! いただいた日はずっと小躍りしてました!

    2019年10月23日 11:50

  • へのコメント

    これいいですね!一連と二連のあいだの跳躍がビシッと決まっている感じがします。「こたえ/いらえ」で対になりつつ、「わたししかない/霧の中」で小さな矛盾を含意していくところもいいです。さらにこの矛盾が解釈のブレにもつながっていて、「遠い山道」を見晴るかす「わたし」の視点こそが、むしろ道の先の「霧の中」にあるのではないか?とか、思わずいろいろ考えてしまいます。とにかくいい感じです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ご指摘いただいた「小さな矛盾」、作者的にもこの詩のキモです。
    詩の解釈も、霧の中ということでいかがでしょうか?

    2019年10月23日 11:39

  • 滅亡しない地球儀へのコメント

    銀河に一つくらい甘美な惑星があってもいいのかも知れませんね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ほんとうに、そうですね。
    なかなか私たちの前に姿を見せてはくれませんが、何処かにあってくれればいいと思います。

    2019年10月21日 21:17

  • 咳とあんずへのコメント

    二つのあんずと猪の咳に挟まれた時間は神様の瞬きほどのものなのかも知れません。相変わらず、勝手な解釈百万遍です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    時間経過の感覚はありませんでした。しかし言われてみれば、たしかに。
    くらりと立ち眩みをした時のような、不思議な時間がありますね!

    2019年10月21日 21:15

  • へのコメント

    きっと、彼女の手の頂も、すべりおちる雫も綺麗だったでしょう。
    もちろん、見た目の綺麗さと彼女の心情は合致していないのでしょうが…

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    彼女の手は美しいはずのものですが、人の価値観や行動によって、その美しさは失われてしまうことになると思います。
    無粋ですので、涙の流れ出る先を見ていることしかできません。

    2019年10月15日 11:38

  • 波凪へのコメント

    厳しい詩ですね。虫は産まれることも書いてありますが、人は死ぬことしか書いてありません。おまけにプラスマイナスは平坦と言いきる。そうですよね。読みは決まっているけれど、意味には覚悟が必要なんですよね。力学的にとても参考になります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    大元は、イザナキイザナミの辺りの神話をもじったものになります。
    前向きに読むか後ろ向きに読むかで、だいぶん印象の変わる詩になったのではないかと思っていますが、どうなのでしょうね。

    2019年10月14日 15:30

  • 不理解の瞳へのコメント

    ある力学、というテーマで、ものごとの成り立ちを詩にできないかという無謀な試みを孤独に続けているので、この視点は惹かれてしまいます。見当外れだったらすみません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    私もそうありたいです。
    しかし、もしかすると、この詩はそんな「無謀な試み」を否定するための詩なのかも知れません。
    私は宇宙人がグレイ型をしているとは思っていませんから。

    2019年10月13日 12:34

  • 思春期喫煙へのコメント

    色々吐く、いや、時には吐きたい毒も、最後の一行が支えている。それが作者の生き方と自然にシンクロしていて含蓄があります。そんな言葉に出逢えたことに深謝。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    人は誰でも、いつでも青春であり思春期でありえるのだと思っています。
    作者の~、なんて言われると、照れてしまいますが。

    2019年10月13日 12:29

  • 桜花散るへのコメント

    くらくらと目眩 ~~、生きてるから散る ~~、心に染みる言葉です。桜も意思があるかのような情景!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「舞うように」読んでいただければと、書きました。

    2019年10月13日 12:26

  • ぬばたまのもりへのコメント

    譫言垂れる山伏の登場で作品が締まり生々しさが出ましたね。現代なのか、羅生門の時代なのか、筆力ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    月を探す山伏を出したこと、それを伝聞に任せたこと、正解だったかと胸を撫で下ろしています。

    2019年10月13日 12:24

  • へのコメント

    この少女は既に亡くなっていて、虫は死体を貪る何?でしょうか。銃口を向けさせた男の良心。それが生きるということの最後の砦なのかも知れません。いや違う。本当は虫こそが良心なのかも!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    三尸の虫をモチーフにした詩だったと思います。記憶もあやふやですが。
    「お茶の水博士」は、同じ顔のキャラクターからです。

    2019年10月13日 12:21

  • 閉まる扉にご注意くださいへのコメント

    作者の視点は扉に向いていますが、扉の隙間を往き来する空気にひとの無意識、或いは時間を感じます。考えすぎ?でしょうか。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    視覚のイメージを否定するなにかを、見えないものに託す。というのは結構好きです。
    考えすぎ、ではないと思いますよ。

    2019年10月13日 12:18

  • 流葬へのコメント

    火のついた骨、という言葉に惹かれます。なんだろうな~、この乾いた風景。カラッとしたのとも違うし、砂漠のような世界とも違う。生きてきた命がそのまま乾燥したような、うまく言えません。KIKI-TA。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この詩の内容は、ちょっと私にもよく分からないのです。いやはや。
    「たまご」からの5篇の内で一番水について触れた詩だとは思うのですが、乾いた世界観、たしかに私もそう思います。

    2019年10月13日 12:14

  • 愚者と黒煙へのコメント

    不思議な詩ですね。ペンギンという言葉の鋭さ~愚者とは~私とは~ 、言い放たれた内容だけが降り積もっていく。でも 不思議と遠くまで景色は見えそうですね。KIKI-TA

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「不思議と遠くまで景色は見えそう」
    たしかに!
    この人の言っていることはともかくとして、景色はきっと綺麗だったのでしょうね。

    2019年10月13日 12:11

  • たまごへのコメント

    生きていたものが 混ぜられていくという発想が新鮮です。その液体は地に染み込み 命に復讐していくかのような迫力! とても参考になります。 KIKI-TA

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    自分としては、命の逆回しのように考えて書いたのだったと思います。川の水も同じものとして、です。

    それが皮肉という形で命に復讐したのならば、さもありなん、と言いたいです。

    2019年10月13日 12:09

  • はいずりへのコメント

    蛇!!
    かわいいです!
    「ぐうねりぐうねり」がいいですね(〃▽〃)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「ぐうねり」で、ちょっとでも這いずってる感が増していたらいいかなと思っています(笑)

    2019年10月13日 12:03

  • ぎんいろの鉤へのコメント

    凄いです。詩に吸い込まれそうになる感覚です。

    作者からの返信

    ゆるくさま

    コメントありがとうございます。
    まっすぐにお褒めの言葉をいただいて、照れくさいくらいです。

    吸い込まれて、みなさんは釣り上げられてしまうのでしょうか。それとも、水底にいるのでしょうか……。

    2019年6月27日 11:59

  • へのコメント

    もしかしたら大変失礼にあたるかもしれませんが、中原中也はお好きですか?
    学生時代の懐かしい記憶が蘇ったもので。

    作者からの返信

    松生 小春さま

    コメントありがとうございます。なんもなんもですよ。
    中也は、中学生くらいの頃にちょこっと読んだきりですね……。
    もしかすると、そのへんに無意識の元ネタがあるのかもしれません。
    また読んでみることにしますね。

    2019年6月18日 19:05

  • 旅人語るにはへのコメント

    読後、方丈記の中の「ゆく河の流れ」の一節が意識の端を過ぎ去りました。
    白紙にぽたりと垂れたインクのように沁み入る、優しくも強い芯のある詩であると思いました。

    作者からの返信

    山咋カワズさま

    コメントありがとうございます。
    よどみのうたかたのつもりで書いている詩ですが、読んでいただいた方の中に何か生み出せるのなら、嬉しく思います。

    2019年3月12日 23:14

  • うつくしきものへのコメント

    たった2行なのに……
    とっても美しいことばです……

  • はいずりへのコメント

    すごいですね
    詩の表現にこんなやり方があるなんて驚きました

    作者からの返信

    @maturika12さま

     コメントありがとうございます。
     草野心平さんから詩に親しんだものでして、いまでも、詩の形式に限界はないと信じています。
     画像検索で出てくると思いますので、是非!

    2019年1月9日 15:24

  • はいずりへのコメント

    なんか、蛇文字のところ、Eテレの「にほんごであそぼ」を思い出しました(笑)
    しかし、よくできてますね~
    ひらがな文字も蛇にぴったり!

    作者からの返信

    橙 daidaiさま

     コメントありがとうございます。

     「にほんごであそぼ」ばっちり観ていました。自覚していませんでしたが、そういった所からの発想もあったのやも知れません。

     “蛇”の中身のひらがなをどうやって考えついたのか、今は思い出せません。こういう蛇の形にしよう、としたときにはもう中身が詰まっていたような気もするほどです。
     ですので「ぴったり」と言っていただけた功績は、もしかしたらNHKと小錦のものかも知れません(笑)

    2018年12月28日 08:08

  • ひとひとりへのコメント

    表現の仕方はそれぞれだろうとはいえ、この題材をオトコは書いてしまいがち、だと思います。かくいう私もそのひとりです(笑)

    作者からの返信

    橙 daidaiさま

     コメントありがとうございます。

     書いてしまいがち……確かにそうですよね(笑)

     幻の女性、とでも言うべきひとは、オトコの詩の何処にでもいて、読むオトコの中で誰にでもなってしまいます。
     この詩はどちらかというと言葉遊び重視ですが、そんなようなことも念頭に置いて書いた気がいたします。

    2018年12月21日 14:12

  • 心灰へのコメント

    初めまして。煙草は何となく淋しいイメージがありますね、どんよりした淋しさというよりは作中にあるようにぼんやりとした淋しさかなと私も思います。

    追記
    返信ありがとうございます。なるほど、少々難しいですがそういう風な考え方も確かにありますね。こちらこそ、新しい感性に触れることが出来てうれしかったです!ありがとうございました!

    作者からの返信

    翠幽月さま

     コメントありがとうございます。

     “どんより”と“ぼんやり”の違いは、感情が追いついているかどうか、ではないかと思います。
     「嫌だな」などといった感情がまだ、今日の僕には思い付けずにいます。そのために、“ぼんやり”としか不安を捉えられない。ということかと思います。煙草の煙にマイナスイメージを持っていない、という点も、関係してきそうですね。

     コメントいただけたおかげで、以前の私がどうしてこの言葉選びをしたのか考察することができました。
     ありがとうございます!

    2018年12月5日 15:17