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2022年6月17日 23:51
かえるの声を聞きながら飲む、水道水の味と、ヘッドホンを付けたまま飲む、水道水の味は、違うのか、なんて、妄想しながら、やはり聞こえるのは目の前のコップに注がれる、水道水の音。誰かがつくった音なんですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。「透明さ」をつくる、というのは、あんまり自然に感じませんね。それなのに、私たちは「自然」に純粋さを求めてしまう。雑音も、色の雑じりも、ないことのほうが正しいように思ってしまう。味は違うのでしょうか。それとも、味を感じている私の脳が、透明を求めているだけなのでしょうか。
2022年6月9日 23:01
此の地では、最早、カエルの鳴き声がしていません。と、気付いたのは、この詩を読んだからでした。だから、いつ、カエルが鳴き止んだのか、定かではありません。
コメントありがとうございます。水道水がいつから透明だったのか、私は知りません。透明でない水を飲むことも、井戸水を汲むことも、たぶん、ありません。贅沢なことだと、誰かに言われることでしょう。カエルの声に気づくことだって、その色を緑と思うことだって、同じかもしれないと、思います。
かえるの声を聞きながら飲む、水道水の味と、ヘッドホンを付けたまま飲む、水道水の味は、違うのか、なんて、妄想しながら、やはり聞こえるのは目の前のコップに注がれる、水道水の音。誰かがつくった音なんですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「透明さ」をつくる、というのは、あんまり自然に感じませんね。
それなのに、私たちは「自然」に純粋さを求めてしまう。
雑音も、色の雑じりも、ないことのほうが正しいように思ってしまう。
味は違うのでしょうか。
それとも、味を感じている私の脳が、透明を求めているだけなのでしょうか。