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すいか棄てられ穴もあきへの応援コメント
棄てられたものには存外こんな風に思われているのかも知れせん。棄てる側は必死なんですが、棄てる側と棄てられる側の心理・立ち位置が婉曲に作品化されていて、感銘しました。相手にへらへら笑われたら喧嘩にならないんですよね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
棄てられた西瓜は中身が虚ろであっても、いやむしろ虚ろだからこそ、大きく口を開けて人間を見ています。
誰何されてはじめて、人間は西瓜を意識するのかも知れません。あるいは西瓜をみている自分自身を。その後ろめたさを。
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ペットボトルの水と湿原への応援コメント
ちいさなカンマとピリオドがアクセントになっていて面白いです。ペットボトルの中から世界を見ようとしている?中の世界が本当なのか外の世界が本当なのか、ニュートラルな肌感覚に惹かれます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
凸凹していない円筒形のペットボトルは、透かしてみると世界が逆さまに見えますね。あの中に入ったら、どういう風に外が見えるのか、科学的なことではなく気になってしまいます。
ピリオドとカンマ、そしてひらがなは、おっしゃるような、ニュートラルな感覚を意識したのだったと思います。
心理学や科学系の論文でピリオドとカンマが使われているのを、「読みにくい」と感じたのが発端かもしれません。
案の定、この詩もだいぶ読みにくくなっております(笑)
嵐への応援コメント
これすごいですね!今まで読ませていただいたものの中でもダントツにグッと来ました!!!
まず、「まるで故郷の山々のように」から「私は思う」への静かな飛躍に〈!〉となりますね。そこから「涙」の「滴下」という流体のイメージが忍び込んできて、そのイメージが「嵐」=「涙」の集積に結びついていく感覚がとてもよいです。なおかつ「止めることが叶わない」という語句から、「嵐」にまとわりつく暴力的な、とどめようのない力のイメージがとてもスムーズに喚起されます。
以降、ふたたび視点は「流れてゆく/涙の末」=流体に還元されるのですが、「嵐」を経ることで読み手はそれが単なる運動ではなく、とどめようのない力であることを知ってしまっています。だからこそ「見届けなければならない」という強い語句に、違和感なく説得されるような感覚があります。
最後も素晴らしいです。これまでのイメージの流転が「彼女の手」という小宇宙にまつわるものであることが、歯切れよく、さりげなく明かされる展開が心地良いです。また、それを「見て」いる視点が「他人事のよう」である点も、想像力の帰結を静的に描出する役割を担っている感じがします。「嵐」にまつわる作品でありながら、むしろ全体の構成は静物として結実している印象があり、その往還に深く陶酔してしまいました。
長くなってすみません……とにかく最高でした!ありがとうございました!
作者からの返信
“流れるもの”としての涙、深く読んでいただきありがとうございます。
また、「嵐」という語と反するような詩全体の静けさ……特に意識して書いたものでしたので、注目していただいて感無量です。
最後に、熱いコメントありがとうございます!! いただいた日はずっと小躍りしてました!
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閉まる扉にご注意くださいへの応援コメント
作者の視点は扉に向いていますが、扉の隙間を往き来する空気にひとの無意識、或いは時間を感じます。考えすぎ?でしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
視覚のイメージを否定するなにかを、見えないものに託す。というのは結構好きです。
考えすぎ、ではないと思いますよ。
はいずりへの応援コメント
なんか、蛇文字のところ、Eテレの「にほんごであそぼ」を思い出しました(笑)
しかし、よくできてますね~
ひらがな文字も蛇にぴったり!
作者からの返信
橙 daidaiさま
コメントありがとうございます。
「にほんごであそぼ」ばっちり観ていました。自覚していませんでしたが、そういった所からの発想もあったのやも知れません。
“蛇”の中身のひらがなをどうやって考えついたのか、今は思い出せません。こういう蛇の形にしよう、としたときにはもう中身が詰まっていたような気もするほどです。
ですので「ぴったり」と言っていただけた功績は、もしかしたらNHKと小錦のものかも知れません(笑)
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心灰への応援コメント
初めまして。煙草は何となく淋しいイメージがありますね、どんよりした淋しさというよりは作中にあるようにぼんやりとした淋しさかなと私も思います。
追記
返信ありがとうございます。なるほど、少々難しいですがそういう風な考え方も確かにありますね。こちらこそ、新しい感性に触れることが出来てうれしかったです!ありがとうございました!
作者からの返信
翠幽月さま
コメントありがとうございます。
“どんより”と“ぼんやり”の違いは、感情が追いついているかどうか、ではないかと思います。
「嫌だな」などといった感情がまだ、今日の僕には思い付けずにいます。そのために、“ぼんやり”としか不安を捉えられない。ということかと思います。煙草の煙にマイナスイメージを持っていない、という点も、関係してきそうですね。
コメントいただけたおかげで、以前の私がどうしてこの言葉選びをしたのか考察することができました。
ありがとうございます!
うつくしきものへの応援コメント
美しい‼
金糸雀への応援コメント
鳴きローラカナリヤの歌声は川のせせらぎの様に美しかったです!☆
永久桜への応援コメント
もの悲しく流転しますね。
桜/彼方への応援コメント
風光明媚!☆
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深夜三時の憧れへの応援コメント
声の主が見えないんですよね。空間そのものそれも真っ暗な闇が叫んでくるようで怖いんです。見えないからこちらも声で探すしかない。でも言葉でなく意味でなく伝わるってこういうことかなと参考になります。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
深夜の駅前で叫び声が聞こえるなんて、ホラーか、治安がよろしくないかのどちらかですよね。
けれど、もしもその日、叫び声をあげたくて仕方がなかったとしたら。衝動を必死に押さえ込んで、体を丸めて家を目指していたのなら。
闇の中の叫び声が、どこからか響き渡って来るものなのか、それとも本当は自分が叫んでいるのか、分からなくなってしまうかも知れません。