第9話 【疑心暗鬼】

 事務所に帰ると、バンの姿はなかった。アンもまだ帰って来ておらず、恐らくはまだシリと共に外出しているのだろう。


「くそう。バンの奴、逃げやがったな」

「まあ、アイツも休みなしで働いてるしな。何だかんだで、アイツが一番ワーカーホリック気味よ? だからそうカリカリしなさんな、おにーちゃん」


 ランマに宥められ、ソカが「はあ」と溜息を吐く。テーブルに置かれたアンのメモ書きに、ランマが目を通した。


『この世界の【神】は、我々【四字熟語】に人格を持たせ、世界の終末戦争に向け、それぞれに【武器】を与えた。【神】は我々【四字熟語】に争いを強要している。明らかな【神】の欺瞞である。正義こそ、我らに在り。辞職しない政治家も、財を独り占めする金持ちもいらない。書き残された物語は、あの男が黒塗りし、この世界の真実を隠してしまっている』


「……へえ。これがアイツの言う【神】ってやつか。おもしれーな、【支離滅裂】」

「え? ランマさん?」

「ま、今回はアイツの案件ヤマだしな。俺らは静観と行こうぜ」

 そう言うと、ランマはドカッとソファに腰かけた。そのまま天井を仰ぎ見て、何やら呟いたように見えたソカが、何も言わずに首を傾げた。


 一方、アンは依頼人である【支離滅裂】ことシリと共に、彼が言う【神】の下へと向かっていた。


 先導するように前を歩くシリの背中に、アンが疑いの眼を向ける。


『ターゲットの下へとご案内します』


 そうシリに言われてから、互いに何も言葉を発しない。ただ歩き続けるアンが、ようやく口を開いた。


「ここは……典雅てんが大学か」

「ええ。貴方が以前、この大学に内部調査に潜入し、論文に掲載されていた実験値の不正を暴いたことは、その界隈では有名ですから」

「その界隈? あれを報道各社にリークしたのは、大学職員の【破邪顕正はじゃけんしょう】だ。ぼくじゃない。ぼくは奴の依頼を受けたに過ぎないからな。それにも関わらず、どうしてぼくの仕事をお前が知っている? お前、本当は【支離滅裂】なんかじゃないだろう? いい加減、お前の正体を明かせ」


 じっとシリの背中を見つめ、アンが凄む。


「ふふ。流石は【疑心暗鬼】——。なんでもないことまで疑うその〈意味〉は、正しく探偵に相応しい〈語句〉ですね。ですが、貴方はあの探偵事務所で唯一、『五体語』ではない〈語句〉だ。行方知れずの一語句を除く四語句で始めた、『快刀乱麻探偵事務所』。貴方だけ、除け者だというコトに、いい加減気づいたらどうです?」


 さっと振り返ったシリが、思惑宜しく笑う。対峙する二語句。ふんとアンが鼻で笑った。


「……お前こそ、いい加減ぼく達の罠に気が付いたらどうなんだ?」

「なんの――」


 音も気配もなく、瞬時にシリの首筋に刃物が光った。背後をとられ、今にも首を掻っ切られそうな状況に、ごくりとシリが息を呑む。アンが高みから笑って、言った。


「……ワシらが入れ替わっとったん、気付かへんかったやろ」

「いつからっ……」


 対峙するアンが、次の瞬間にはバンの姿となった。


「さて、いつからやろうな?」

「っく、【千変万化】っ……! ということはっ――」


 自分の首筋に刃物を向ける背後の相手に、シリがきっと視線を向ける。


「ああ。ぼくこそが『快刀乱麻探偵事務所』で一番の解決率を誇る、天才探偵——【疑心暗鬼】だ」


 本物のアンが、薄気味悪く笑う。


「お前が言う『五体語』に、ぼくのような天才が劣るはずないだろう? 揺さぶろうとしても無駄だ。ぼくはそんなものに興味はないからな。それよりも、お前こそ正体を明かしたらどうなんだ?」

 アンが向ける刃物——それは自らの爪を変化させた、。暗殺術に長けたその能力に、バンもある程度の信頼を寄せている。

 

 二語句に挟まれ、シリがガクンと首を落とした。

 

 俄かに口角を上げたシリの表情に、二語句が警戒する。

「……ふふ。流石はランマ君が信頼を置く探偵達だ」

 

 次の瞬間、ぶわっと辺りが白煙に包まれた。


「なっ! くそうっ……」

 思わずシリを離したアンが、咳き込みながらも辺りを見渡す。

「おいエセ関西弁! あいつを逃がすなよ!」

「うっさいわ、ボケ! お前こそアイツから手ぇ離すなや!」


 互いに罵り合いながらも、咳き込む二人が目前に相手の姿を捉える。


「くそ! あいつは何処に行った!」


「——ふふ。ここだよ、アン君」


 声がした真上を見上げると、そこに、月夜を背に、姿形が変わった一語句が笑っていた。全身黒ずくめのシルクハットにマント、桃色の蝶ネクタイと青色の瞳。銀髪の長髪を風で靡かせ、秀麗な面持ちで、口元を手の甲で隠している。


「お前は……?」


「僕の名前は【複雑怪奇】。君達の所長、【快刀乱麻】の永遠のライバル――怪盗さ」


■複雑怪奇(ふくざつかいき)

物事の事情が複雑に入り組んでいて、不可解なこと。奇妙奇天烈。

「怪奇」は、怪しく不思議な様。


「怪盗だと? なら、今回お前が依頼した殺人はっ……!」


「ああ。この世界——明正めいせい辞書を創った【神】。『只呉明正ただくれあきまさ』を殺し、次なる【神】の地位を奪う――それが僕の最大の目的さ」


「怪盗が【神】になるやと? そもそも、この世界に【神】の概念はないはずや。その概念ごと、明正あきまさは消えはったんやからな」


 バンの追及に、ふふっと【複雑怪奇】が笑う。


「この世界を創った『只呉明正』は、ある日忽然と姿を消した。この世界の【神】とも呼べるその男は、その概念ごと、どこかへと姿をくらませた。そうランマ君から聞かされているんだろう? だけど、残念。『只呉明正』は、今なおこの世界のどこかに隠れているのさ。その証拠に、僕達はまだ、【神】である『只呉明正』のことも、その概念のことも、綺麗さっぱり忘れてはいないからね」

 

 的を射た【複雑怪奇】の言葉に、アンもバンも何も言えない。


「あと、君達が最初から入れ替わっていたことくらい、怪盗である僕は気づいていたよ。互いに互いの名を呼んだあの時から、君達は入れ替わっていた。その変身能力は流石だね、バン君。他の〈語句〉をも変身させる能力持ちとは思っていなかったけれど。さっきのアレは、君達に花を持たせてあげただけさ。今回、君達の所に来たのは、久々にランマ君の顔を見たかったから。これから先、この世界は、【魔王】と【勇者】による二分された大乱がはじまる。さて、君達は一体、どちら側につくことになるのかな? この世界の存続を賭けた大乱の行く末に、【神】となるのが誰か、愉しみで仕方がないよ。まあ、その【神】になるため、僕は『只呉明正』を殺すんだけど」


 長々と目的を話す【複雑怪奇】が、ぽかんと口を開く二語句に、ふふふと笑う。


「ああ。話が【支離滅裂】だったかな? ごめんね、僕の相棒の話口調が移ってしまったようだ。ランマ君にも、この件は伝えておいてくれ。今日のところはここでおしまい。また逢おう、探偵諸君」


 そう言うと、マントを翻した【複雑怪奇】が夜の闇に紛れ、彼らの前から姿を消した。


 すっかり【支離滅裂】に化けていた【複雑怪奇】にしてやられた、バンとアン。どっと疲れたように、二人が吐息を漏らした。


「ホンマ、かなわんで。所長が好きな【転】【結】が揃ってもうたやん」

「クソ怪盗の名と共に、あいつの口に詰め込んでやれ。ったく、この天才を伝言役に使うとは、今度会ったら、その首、掻っ切ってやる」


 苛立つアンが、事務所への帰路に着く。その隣に立つバンが、徐に口を開いた。


「……んで? 天才探偵サマは、【複雑怪奇】の話を信じるんか?」

「はあ? んなこと、ぼくには関係ない。ぼくはただ、愛すべきソカが傍にいればいいからな」

「きっしょ。そないソカちゃんがええんや」

「当然だろう? なんたって、あの〈語句〉こそ、僕のつがいとなる運命なんだからな」

「きっしょ。なんや、それ。きしょすぎて、思わずソカちゃんになってもうたわ」

 

 そう言うと、バンがソカの姿となって、アンに微笑む。


「ソカあああ! かわ……ぶっ――」

 抱き着こうとしたアンの顔面を、バンの靴底が拒絶した。

「きっしょ。……ほら、さっさと事務所帰るで?」

 その場に倒れたアンの前に、不機嫌に立つバンの姿があった。


 今回の依頼内容とその結末について、アンから詳細を聞いたランマは、大きく溜息を吐いた。


「ったく、カイキめ、余計な混乱を生じさせるマネしやがって」


「【複雑怪奇】って、何者ですか? それに『只呉明正』って……」


 ソカは何か大切なことを忘れている。『五体語』としての役割を担っていることは覚えていても、事務所の奥の部屋にしまわれている明正辞書の存在理由が、どうしても思い出せない。


「明正はこの世界を創った【神】で、わしら〈語句〉の生みの親でもあるんやで」


 存外、明るくバンが説明した。二人とも同じ銀色の瞳をしているが、ソカの瞳が黒みがかったところで——。


「難しい顔をしているソカも可愛いぞ♡」

 

 間髪入れず、アンがソカに抱き着く。


「うげええ」

 アンを押し返すソカが本来の姿に戻ったことで、ランマが疲れたようにソファに腰かけた。


「まあ、【魔王】やら【勇者】やら言われても、すぐに何かが起こるわけじゃねーだろ。俺らは探偵として、依頼人からの仕事を粛々と解決すればイイ」

 

 そう言うとランマは大股を開き、「ソカ、紅茶淹れてくれ~」と強請ねだった。


「まったく、アンタは緊張感というものがないんだから。仕方ないですね、美味しい紅茶を淹れてきてあげます」


 ソカはエプロンを付けると、「バンとアンさんも飲みますよね?」と訊ねた。


「ああ。あっつあつの紅茶を頼むぞ、ソカ♡」

「ワシは猫舌やから、ちょい温めで頼むわ」

「はいはい。淹れてきますので、大人しく待っていてくださいね」


 そう言って、ソカが給湯室へと向かった。しんと静まり返った事務所内で、ランマが頬杖をつきながら、呟いた。


「……今日、【一】族の奴らから警告を受けた。アイツらも動き始めたんだ。そろそろ俺らも動くぞ」


 ランマの言葉に、アンとバンは視線を外しながらも、やがて小さく頷いた。



◆◆◆お知らせ◆◆◆

今回登場しました、【支離滅裂】、【複雑怪奇】のキャラクター設定につきましては、高谷様より貴重なアイディアを頂戴致しました。数多ある四字熟語よりキャラクター設定するのは大変ですが、この世界観に合いそうな四字熟語がありましたら、コメントなどで教えて頂ければ有難いです!


高谷様

https://kakuyomu.jp/users/udonymd

「テンプレ」

トラックに轢かれて死ぬはずだった主人公は、死神のうっかりミスでトラックを回避し生き長らえてしまう。大変面白い作品です!私はこの狂ったような主人公が大好きです!おっと、ネタバレになってはいけないので、主人公の名前は伏せておくことに致します!






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