第18話 シンエンの【意】
前回、シンエンから得た報酬である【意】から、その〈意味〉が浮かび上がる――。
【意】とは、〈心に思っている事/物事に込められている内容〉という〈意味〉を持つ。
「心に思っている事、ねえ。シンエンはアンに何を伝えたかったんだ?」
顎に手を寄せながら、ランマが考える。その隣でバンがもう一つの〈意味〉に視線を向けた。
「いや、どう考えてもコッチの方の〈意味〉やろ? 物事に込められている内容、つまりは、この事件の裏に隠されとる事実を伝えたかったんやろ」
「にしし。わーってるよ。所長として、部下が自分の意見を言えるかどうか確かめただけだろー?」
そう言って、ランマがバンの肩に手を回した。
「ホンマかぁ?」と疑いの目を向けるバンが呟く。
「ホンマホンマ。んじゃ、シンエンからの【意】を伝えてもらおうじゃねーの。お前さんが俺達に伝えたかったことを教えてくれ」
ランマの言葉に呼応するように、【意】の字が光り輝いた。
◇◇◇
世界がまだ、ア行しかなかった頃――。
【
誰かが詠んだ、この世界の至高を褒め讃えた、一首。アから始まりオ゙で終わる、ア行の〈語句〉らを讃えたそれは、いつしか世界の基盤作り上げるものとなった。
私、【意馬心猿】の弟として生まれた、【韋編三絶】もまた、愛を語る〈語句〉であった。
「――この世界に溢れるべきは、愛である」
生まれながらにして【愛】を語る〈語句〉は、故事由来として、素晴らしい〈意味〉を持っていた。
「だからこそ、僕は熱心に勉学を積まなければ」
彼の熱意はア行語句の中でも、飛び抜けてその優秀さを物語っていた。
しかし、ア行語句は、その後に続く数多の〈語句〉らよりも自分達が秀でていると示すために、彼らの身分を保障する特権を作り出した。ア行特権である。そうしてあからさまな身分差別をすることで、さらなる至高の存在となる道を選んだのである。
彼らは故事由来の〈語句〉を侮蔑し、故事上がりなどと呼ぶようになった。ア行にもごく僅かに故事由来の〈語句〉がいたが、彼らも例外なく、故事上がりとして侮蔑の対象となった。ア行の中でも、ヒエラルキーが生じるように仕向けたのである。誰かを下に置くことで、自らの身分を絶対的なものにする。そういった考えの下、【韋編三絶】も故事上がりとして、差別の目で見られるようになっていった。
それでも、彼は差別に敗けなかった。どんなに侮蔑の対象として見られようが、勉学を続け、自らを高めたのである。
「――ねえさん、僕は故事由来の〈語句〉だ。けれども、同じく故事上がりとして揶揄されるすべての〈語句〉のためにも、僕がその風習を撤廃しなければならない。僕が堂々とこの世界で振る舞えば、いつかこんな馬鹿みたいな差別もなくなるだろう。差別をなくし、愛が溢れる世界に戻すこと。それが僕の使命だ」
彼はそう言って、笑った。しかし、【一】族がこの世界の中枢として権力をふるい、ア行語句がさらなる横柄さを見せるようになると、彼もまた、変わり始めた。
「――この世界には、自らが持つ〈意味〉のせいで、虐げられる者たちがいる。彼らを救うためにも、僕が彼らの御旗とならなければならない」
「御旗……?」
「ああ。彼らもまた差別され、搾取されている。愛に飢えているんだ。僕の掲げた御旗に集えば、もう辛い思いをしなくてすむ。僕がこの世界の不条理から、彼らを護るんだ」
「その考えは立派だわ。だけどイヘン、それは貴方が本当にすべきことなの?」
「この世界の〈語句〉達は、自らの〈意味〉に囚われている。本当はこう生きたいと思っても、それを許さない何かの存在に、僕達は翻弄され続けているんだ」
「何か……」
「その何かから脱することが出来れば、僕はこの世界の……」
イヘンはそれ以上のことは口にしなかった。やがて学問を修め、立派なコメンテーターとして世の中に広く知れ渡っていった。ア行としての権勢はなく、ただ【韋編三絶】として、この世界の不条理に立ち向かっている、そう思っていた。
「――いつも執筆ばかりじゃ、気が滅入るでしょ? たまにはお出かけでもしましょう? お姉ちゃん」
ある日突然、〈語句〉が変わったように、イヘンが女口調で話しかけてきた。
「え? イヘン?」
「ああごめんね、お姉ちゃん。私ね、本当の自分に気がついたの。今日から妹として、お姉ちゃんに接するわね」
うふふと笑った弟は、もはや私の知る弟ではなくなっていた。
それから後、イヘンはプライベートで若い男性語句を傍に置くようになった。マネージャーだという【
「――こうしてコレクションを職場に同行させるようになって、私のモチベーションも上がったよ。彼女は最高に麗しい〈語句〉だ」
「それは何よりです。では先生、今宵の相手は……」
「そうだな。プライベートでは私は完全に女性語句だ。ゆえに、……今宵の相手はコレクション3にするわ? お前は先に帰り、彼の身支度を整えておきなさい」
「分かりました。先生のご随意のままに」
その日は偶然、テレビ局で打ち合わせの仕事があった。ちょうどイヘンが出演する報道番組の生放送前であったことから、控室に遊びにいったとき、偶然2人の会話が耳に入ってきたのだ。
(コレクション? 同行……?)
私が疑問に思っていると、控室から【春花秋月】が出てきた。
「おや、シンエン先生、こんにちは。イヘン先生ならば中におられますよ」
そう爽やかに挨拶してきた【春花秋月】は、何事もなかったように、テレビ局を後にした。
「お姉ちゃん? お姉ちゃんもお仕事でテレビ局に?」
「え、ええ。それよりもイヘン――」
マネージャーだという【春花秋月】の行方を追っていた視線を、控室のイヘンに向けた。
「彼はとても優秀で麗しい〈語句〉なの。私の一番のお気に入りよ」
そう言って、クローゼットをパタンと締めたイヘンが、怖い顔で私を見ていた。これ以上踏み込むな、そう言っているようでならなかった。
私は二人の会話から、イヘンが裏でとんでもない罪を犯しているのではないかと疑った。それでも確かな証拠はなく、可愛い弟であるという情から、統監本部に相談することも出来ないでいた。それでも彼らの会話から、弟の罪が許されるものではないと結論付け、巷で話題となっていた探偵事務所に依頼をしようと思い立った。
彼ら探偵が、本当に信頼できるかどうか、それを確認するために、まず私自身の依頼をお願いした。彼らは見事私の長年の悩みを解決し、煩悩語句を滅する考えを持つ仏教派生組の過激派からも、私を救ってくれた。報酬の一部として、【四面楚歌】の会いたい〈語句〉がイヘンであったことには、至極驚いた。しかし、これも運命のめぐり合わせだと思い、いつか訪れるであろうその時に向け、私は自分の一字である【意】にすべてを託し、報酬として彼らに手渡したのだ。
だからこの【意】を見た探偵さんへ。
どうか【韋編三絶】の罪を暴き、然るべき償いをさせてください。
彼はコレクションだという〈語句〉を監禁し、自らがその〈語句〉を愛でる愚行を繰り返しています。確証はありません。ですが、彼のマネージャーである【春花秋月】ならば、彼の罪を明るみにすることが出来るでしょう。私はそう長くは生きられないかもしれません。私が自らの【意】に、彼の罪を告発する旨を秘めていることに、イヘンならば気がついているでしょう。だからどうか、この私の【意】を汲み、【韋編三絶】の悪事を暴いてください。貴方方、「快刀乱麻探偵事務所」の探偵さん達であれば、この事件の裏に潜む悪を絞り出し、無事に解決することが出来るはずです。だからどうか……、どうか私の弟を救ってあげてください。報酬として、私の【心】を差し上げます。たとえ私が死んでも、それだけはお約束致します。
【意馬心猿】
◇◇◇
光っていた【意】の字が赤字に戻り、そして黒字となって、辞書に戻っていった。
「……馬鹿だな、シンエン。作家であるお前から【心】を取ったら、何が残るってんだよ」
しっかりと目を据えて、ランマが言った。
「せやけど、
「……フン。大掛かりな【起承転結】は俺の大好物よ。だが、あの【韋編三絶】が危険なヤローだったとはな。こりゃー、今頃ソカも、奴さんのコレクションにされて、愛でられてる頃じゃねーか? 奴さん、プライベートじゃ男を愛でる趣味があるそうじゃねーの。弟としては、おにーちゃんの貞操の危機に、黙っちゃいられねーよな、バン?」
「せやなぁ。腸煮え返りすぎて、……思わずソカちゃんになってもうたわ」
そう言って、ソカに変わったバンがおちゃらけるも、その目は、ぐっと大物コメンテーターの罪を見据えている。
「まったく、ソカちゃんは安定の不運やし、保護者気取りの変態ストーカーヤローは使えへんし、所長は無能やし」
「おい! 俺は今回カンケーねえだろ!」
「関係あるわ! ……せやから、あの依頼はわしの方が適任言うたんや。いくらなんでも、ひよっ子探偵には荷が重すぎるやろ。奴さんに正体バレて、アイツも今頃……」
「まあ、そう言うなよ、バン。若者の可能性を潰しちゃ、老害扱いされるぞ?」
「誰が老害や。わしはこう見えて、ピチピチのサ行【千変万化】やで?」
「サ行は辞書界では立派な老人枠なんだわ。まあ、今はアイツを信じるしかねーだろ。俺達の弟分にして、五人目の探偵――【
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