第17話 裏の顔

 イヘンの打ち合わせに同席したソカは、仕事中の彼の紳士的な応対に、熱狂的なファン心が再燃した。


「――ああ、やっぱり韋編先生は格好いいですね! 今日はプライベートな先生に驚いてしまいましたが、僕は韋編先生のファンですよ! 今日は本当にありがとうございました」


 打ち合わせも終わり、夕食に予約したレストランへと向かう車の中で、惚けるソカが助手席でイヘンを褒めた。


「うふ。ありがとう、ソカちん。私も貴方に出会えて嬉しいわ」


 女性のように笑うイヘンが、上機嫌に運転する。



 レストランに到着し、車から降りたイヘンが、ソカと腕を組みながら店へと入っていく。


「いらっしゃいませ、韋編様。お席はこちらです」


 高級レストランでギャルソンの男性に、二語句が席まで案内される。緊張するソカの横顔を見下ろしながら、イヘンは「うふふ」と笑った。


 店の奥、個室の席に着いたソカは、場違い過ぎる高級レストランのマナーを何も知らないことに焦った。


「す、すみません、韋編先生。僕、こういう高級なお店は初めてでして、マナーとか何も知らないんですがっ……」

「大丈夫よ、ソカちん。私以外、誰も見ていないわ? マナーなんて気にせず、食べたいものを食べれば良いのよ」

 

  ア行語句としての堂々とした振舞いに、ますますソカは感銘した。


「ありがとうございます。先生のお顔に泥を塗らないよう、最低限のマナーは守りますので」

「本当に良い子ね、ソカちん。貴方が【四面楚歌】とは思えないわ?」

「え? いやぁ、これでも毎回不運な目に遭っていまして、四方を敵に囲まれることもしばしばですよ」

「あら。やはりその〈意味〉が貴方を苦しませ ているのね?」

「んー、まあ、仕方ありませんよ。僕達のような故事由来の〈語句〉は、他の〈語句〉よりも、その意味合いが強く出てしまいますからね。周りが敵だらけになるのも、もう慣れました」

 

 自虐的に言うも、その顔には笑顔が浮かんでいる。


「そう……。でも、私は貴方のような〈語句〉には、幸せになってもらいたいと思っているのよ? 私達故事由来の〈語句〉を故事上がりと差別する風潮があるけれど、それを撤廃するためにも、私は今の立場になることを選んだのだから」

「イヘン先生……。ええ、ご立派です。同じ故事由来として、先生を誇りに思っています」

「ありがとう、ソカちん」


 そこまで話したところで、コース料理が運ばれてきた。


「さあ、お腹いっぱい召し上がれ。夜は長いのだから」


 そう促すイヘンの口元が、小さく笑った。


 一方、ソカの青い壁から脱したアンは、二語句の行方を追った。片っ端らから、レストラン街の店を尋ね歩く。その後をシンエンも続いたが、どの店も空振りに終わったことに、人知れず不安を抱く。


「――くそ! どの店にもいないなんて、あいつら、どこで夕飯食っているんだ?」


 苛立つアンの視線がシンエンに向けられる。


「おい、お前の弟なんだろう? あいつがよく使っている店を知らないのか?」

「ええっと、すみません。イヘンとは長らく親交がなかったもので。彼が有名になってからは、ほとんど食事も共にしてこなかったんです」

「っち! 使えないな!」


 フンッと鼻息を漏らしたアンが、「……それよりも、執筆の方はいいのか?」と、一応の気遣いを見せた。


「大丈夫です。私もソカさんが心配なので……」

 俯くシンエンに、アンの疑いの目が向けられる。

「おい、お前、何か隠しているだろう?」

「え?」


 驚いたようにシンエンがアンに目を向けた。


「ぼくは天才探偵【疑心暗鬼】だ。〈語句〉が表立って見せているものを疑い、その真実を探ることに関しては、他の追随を許さない。【意馬心猿】、お前が人の【心】の機微を描くことを得意としているように、ぼくも相手の【心】を読み解くことは得意だ」

「アンさん……。さすが仏教派生組の中でも天才と謳われる〈語句〉ですね。同じ仏教派生組で、なおかつ同じ【心】を持つ者同士、貴方に隠し事は出来ないようです」


 シンエンが覚悟を決め、言葉を紡いでいく。


「私の弟、【韋編三絶】には、裏の顔があります」

「ああ、オネエキャラだろう? 確かに裏の顔だが――」

「いいえ、それもまた表の顔です。彼の裏の顔は、決して誰にも見せないものです」

「誰にも見せない? それはどういう意味だ?」

「裏の顔のイヘンは、大いなる罪を犯しています。誰かが止めなければ、被害者は増えていく一方です」

「なんだと? 【韋編三絶】は一体何の罪を犯しているというんだ? あいつが隠している裏の顔とはなんだ?」


 逸るアンに、シンエンは真実を語る口を開いた。


「イヘンは、美しい〈語――」


 そこまで言ったところで、シンエンの言葉が止まった。そのままアンに倒れ込むような形で、苦痛に歪む表情を浮かべた。


「おいどうした! 【意馬心猿】、しっかりしろ!」


 抱き込むシンエンの背中に、何本ものナイフが突き刺さっている。


「これはっ……! くそう、気づかなかった! 一体誰がっ……」


 辺りを見渡すも、シンエンの背中にナイフを放った者の正体は掴めない。周辺を歩いていた〈語句〉達が悲鳴を上げるも、アンは冷静にシンエンの応急処置をしていく。ナイフを抜き去り、止血するアンに顔を向けるシンエン。


「……わ、たしの、【意】を……み、て……」


「い? おい、そのいとはなんだ? お前は一体何故っ……」


 なおも追求するアンの目に、意識を失ったシンエンが映った。


「くそ! 一体誰がこいつの口を封じたっ……」


 怒りのままに、アンが拳をぶつける。救急車が到着し、アンもまた、病院へと付き添う。車内で耳に手を寄せたアンは、探偵用の超小型携帯でランマに連絡を取った。



「――ああ、分かった。お前はそのままシンエンに付き添っていてくれ。こっからは、俺らの出番だ」


 事務所でアンから報告を受けたランマが電話を切った。


「なんやの。やっぱし、不運な目にうたんか?」


「ああ。だが、あいつらじゃなく、シンエンの方だがな。まあ、一刻を争う事態だが、どうやら今回の手がかりは、あいつから貰った【意】にあるらしい」


「い? なんやの、それ」


「まあ、【意】はあいつからの報酬だからな。お前らは知らなくて当然か。けど、まさかこれを見越しての、報酬だったとはな。流石は作家先生。大掛かりな【起承転結】には恐れ入るぜ」


 立ち上がったランマが奥の部屋へと進んでいく。その後をバンも続き、明正辞書を開くランマの横に立った。


 ア行はイのページを開くと、赤字の【意】が浮き出てきた。


「さて、お前さんに託された本当の〈意味〉を見せてくれ」


 【意】に向かい、ランマの手がかざされた。









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