第21話 熟合度
イヘンに体中を弄られる中、ソカはぐっと恥辱に耐えながらも、先程の青年の捨て台詞が脳裏に浮かんでいた。
『――窮地を脱するに、自らの能力を活かせずして、何が探偵ですか。その『熟合度』の高さこそ、【四面楚歌】の最大の強みでしょう?』
「……っく! そう、だ……。この窮地を、脱せずして、何が探偵だ……!」
奮起するソカが、半裸状態で一語句興奮するイヘンを蹴り上げた。
「なっ……!」
ベッド上で咳き込むイヘンを、「はあはあ」と上がる息でソカは目を据えて見つめる。その銀色の瞳は、サ行語句の証。胸に大きく刻まれた【四面楚歌】の字が、銀色に光り輝く。
「ゴホッ……! も、もう、まあだ私に抵抗する気? まったく、可愛くないわね……!」
イヘンの瞳が真紅に燃え、一層の加虐性を持ってソカに襲いかかる。再びベッドに押し倒されたソカが、「うっ……」と苦悶に歪む表情でイヘンを見上げる。
「簡単に屈服しない〈語句〉を調教するのも愉しいけれど、その生意気な瞳は嫌いよ。サ行の分際で、なぁにア行に逆らってくれているのかしら? アンタらは何の特権も持っていない、平凡語句。ア行至上主義のこの世界で、アンタら弱者が生きる道は、私達ア行の道楽に従う他ないってのに」
「それが、アンタの本性かっ……!」
ぐっとソカがイヘンを睨みつける。
「ええ。私ね、気づいたのよ。差別される側から、差別する側へと変わるには、自分自身を変えなければならないことにね。だから心だけでも、男性語句から女性語句へと変わったの。でも、結果として良かったわ? 心が変わったことで、女だけでなく、男も愛せるようになったのだから。これが私が目指した愛溢れる世界よ。せっかくだから、私のコレクションを見せてアゲルわ?」
「コレクション?」
「ええ。私のコレクションは、貴方とシュウゲツを含め、全部で七つ。みんな、みんな私を満足させるに相応しい、美麗語句達よ?」
そう鼻高々に宣言するイヘンが、クローゼットの扉を開けた。するとそこに、五人もの見目麗しい〈語句〉達が鎖に繋がれ、猿轡で口を封じられている姿があった。男も女も、みな生気を失い、目を伏せている。
「もちろん全員、この私の従順たるコレクション達よ」
「クソ野郎……! それでも立派な〈意味〉を持つ故事由来の〈語句〉なのか!」
ソカの怒り凄まじく、今までこの〈語句〉を尊敬していた自分に腹が立った。
「ええ。かの有名な孔子由来の故事。それが私、【韋編三絶】よ。その〈意味〉も、貴方のような不運熟語とは違って、勉学に熱心なことを称えられてのものよ。そう、それはそれは熱心にこの世界の秩序を変えようとしたけれど、全部無駄だったと分かったわ? だからこそ、私は私の愛でもって世界を変えるの。私の愛がこの世界に住まうすべての〈語句〉達を救うのよ。そんな私のコレクションとして愛でられるのだから、もっと悦びなさい、【四面楚歌】」
「お前にフルネームで呼ばれると、虫酸が走る! 同じ故事由来として、お前を軽蔑するぞ、【韋編三絶】……!」
ソカが反旗を翻すため、四方に青い壁を出現させた。その『熟合度』の高さから、ソカの青い壁は鉄壁のブルドーザーのようにイヘンに迫りくる。だが両手を四方の壁に向けたイヘンによって、すべての壁が打ち砕かれた。
「なっ……! どうしてっ?」
「語と語を強く結びつけている『熟合度』が高ければ高い程、その〈言葉〉の持つ〈意味〉は大きくなる。確かに貴方の『熟合度』は高いわ? けどね、私も故事。その『熟合度』は私の方が遥かに上。私は書物の
ふふふと、イヘンが強気に笑う。改めてソカに馬乗りになった。
「……さて、君はテレビの中の私の方が好きだったね。ならば、君のご要望通り、男として君を愛でてあげよう。その方が君も興奮するだろう? ソカ君?」
女口調から男口調に変わったイヘンに、ソカが息を呑む。太い紐を出現させたイヘンによって、今度こそソカは身動きが取れなくなった。
もう一度シャツを脱がされ、その胸に刻まれた【四面楚歌】の字に、イヘンが触れる。
「……可哀想に。故事上がりだと差別され、不運熟語だとけなされ、その存在価値が見出されない〈語句〉が、どうしてこの世界に生まれてきたのだろうね?」
「う、るさい……! 僕は不運なんかじゃない……!」
「きっと項羽も、君が【四字熟語】として誕生したことに、絶望したことだろう。生まれながらにして、君は誰からも歓迎されていない〈語句〉なのだよ」
イヘンの言葉に、ソカは自らの記憶の片隅にある、誕生の瞬間を思い出した――。四方を漢軍に取り囲まれた項羽は、そこから聞こえてくる楚の歌に、自国が敗北したと絶望したのだ。
「だからこそ、私が君を愛そう、【四面楚歌】」
「……そうだ。ぼくはだれからも必要とされていない〈語句〉だ。人の不幸からうまれた、だれからもあいされていない、ごくだ……」
ソカの銀色の瞳から輝きが失われていく。自らの存在意義を見失った〈語句〉は、他のコレクション達と同じように、項垂れた。
「ふふ。その〈語句〉の存在意義を見失わせ、絶望させる瞬間の悦楽は、他の何にも代え難いものだ。この〈意味〉を持つ新しい【四字熟語】を、あの男ならば創ってくれるに違いない」
何の抵抗も見せなくなったソカ。その心を打ち砕いた快感に、イヘンが酔い痴れる。
「さあ、君の体も心も愛でさせておくれ、ソカ君」
イヘンがソカに口づけしようとした、その瞬間――。
「――失礼いたします。イヘン先生、ご報告したいことが……」
そこにノックと共に入ってきた、【春花秋月】。
「なぁに、シュウゲツ。私の愉しみを邪魔するならば、貴方であっても容赦しないわよ?」
女口調に戻ったイヘンが、興ざめしたように、ぐっとシュウゲツを睨みつける。
「ええ、申し訳ございません。ですが、緊急事態ですので、ご報告をと思いまして」
「緊急事態? なによ?」
「……近頃、先生の周りを嗅ぎ回っていた例の子犬を捕らえました」
「そう。ご苦労さま。それで、その子犬はどうしたの? ちゃんと処分したんでしょうね?」
「それが……。先生のお好みだと判断し、勝手ながら今ここに連れてまいりました。処分するかどうかは、先生のご判断にお任せ致します」
「そう……。どれどれ? 見せてちょうだい?」
イヘンがベッドから起き上がる。そして、ドア付近に立つシュウゲツが縄で縛り上げる〈語句〉へと近づいていく。
「あら、子どもみたいに小さいと思ったら、子どもじゃないの。正しく子犬ね」
イヘンが子犬だと揶揄するその〈語句〉の顔を持ち上げた。全身傷だらけのその〈語句〉が、ぐっとイヘンを睨みつける。
「……いいえ先生、侮ってはなりません。身なりは小さいですが、彼はただの子犬ではありませんよ。この〈語句〉は……」
ゴソゴソとシュウゲツがスーツの胸ポケットから、その〈語句〉の身分証を差し出した。その手帳型身分証を受け取ったイヘンが、ふむふむとそれに目を落とす。
「彼こそが統監本部、暗躍組織摘発課課長、【一網打尽】のようです」
「あら。これはこれは『組摘』の課長さんが、私に何の嫌疑があって嗅ぎ回っていたのかしら?」
「貴方には、美麗語句連続失踪事件の被疑者としての嫌疑がかかっています。大人しく統監本部に投降しなさい」
じっと正義の眼差しを向けるジンに、「ふっ」とイヘンが笑う。
「まったく、貴方は本当に私の意を汲むのが上手ね、シュウゲツ。彼をここに連れてきて正解よ。私はね、前々から貴方方【一】族には興味があったのよ。ちょうどいいわ? 今夜は二人まとめて可愛がってアゲル。でもその前に、やることが出来たわ? シュウゲツ、車を出してちょうだい。あの男の元へと向かうわ」
「かしこまりました」
イヘンがジンを縛る縄をベッドの端にくくりつける。その隣には、縛られたまま動かないソカの姿もあった。
「ぐっ……! こんなことをしても無駄です! すでに私の居場所は『組摘』の捜査語句達が把握していますから!」
「統監本部なんざ、私の敵じゃないわ? むしろ、味方よ。……それじゃあ暫くの間、二人で仲良く私を満足させる相談でもしていなさいな。一時間で戻るわ?」
そう言い残し、イヘンがシュウゲツを伴い、自宅を後にした。
冷静なジンの赤い瞳が、隣で項垂れるソカに向けられた。
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