第2話 【四面楚歌】

「――ああ~、マジでどーしよー」


 所長席で机に突っ伏したランマに、「アンタが大見得を切ったせいでしょうが」とエプロン姿のソカが冷静に言う。


「まったく、出来もしないことを出来るように言うなんて、後二日で借金全額返済するなんて、どう考えたって無理でしょうが」

「だってよ~、あの場じゃ、ああ言っとかねーと、カッコつかなかっただろー?」

「別に格好つける必要なんてなかったでしょ。まったく、いくら探偵事務所の開店資金を調達する為とは言え、闇金紛いから借金するなんてどうかしてますよ。しかも事務所の利益金から返済する訳でもなく、ランマさん個人で月々返済していくなんて、当然延滞して返済が滞るのは目に見えてたでしょうが!」

「にしし。俺なら出来っかな~と思って」

「バカですか! 月々元利金合わせて二十万なんて大金、返せる訳ないでしょ! アンタの給料月十八万ですよ!」


 事務所の経理もこなすソカが、声を張って現実を告げた。


「つっても、責任感から延滞分をちょいちょい返済してくれてんだよな~、ソカは。ホント、頼りになる相棒だぜ」

「今回は自分で解決してくださいよ。【快刀乱麻かいとうらんま】なんだから、こじれた借金問題も速やかに解決出来るでしょ、アンタ」

「でも、俺達の借金だし」

「アンタだけの借金ですよ! まったく、個人で返済するなんて契約するからこうなるんですよ。ああもう、どうにかして返済金を調達しなければ」


 ソカが頭を抱えながら自分の席に着いた。事務所の隅にランマの所長席があって、その隣にドアに対面するようにソカの席がある。秘書のような席に座っていた。


「僕も探偵なんだけどな……」これが、自分の席に着いた時のソカの口癖でもあった。


「うい~す」

 事務所のドアが開いて、間延びした声と共に男が入ってきた。

「ういーす、じゃないだろう、お前」

 入ってくるなり、ソファにどかっと腰かけた男に、ソカが呆れて言った。

「お? なんだよ、バン~。また徹マンだったのかよ?」

 

 ランマが愉快そうに、バンの前に座った。バンはソファの頭部分にもたれると、その一つに束ねた紫色の長髪を、左右に振った。


「ああー、アカンわ。一週間続けて徹マンとか、ホンマ割に合わへん」

「しゃーないだろ~? これはお前にしか出来ねー仕事なんだしな。ま、麻雀打つだけなら、俺が代わってやってもいいけどよ~?」

「アホなコト言わんといてぇな。散々人のことコキ使っといて、オイシイトコだけ掻っ攫うとか、ホンマ人でなしがするコトやで」

 そう悪態を吐くバンの前に、ソカが眠気覚ましのブラックコーヒーを置いた。

「お? 気ぃ効くやん? ちょうどソカちゃんのヒーコー飲みたい思っとったんや」

「ソカちゃん言うな。まったく、それ飲んだら中間報告出すように。いいな? バン」

「ほげえ、相変わらず同胞には厳しいなぁ、ソカちゃん。わしら、同じサ行仲間やん?」

「うるさい。こっちはアホな所長の尻拭いもしなきゃならないんだ。お前まで僕の手を煩わせるな」

「ほえーい」


 しょっぱい顔を浮かべて、バンが自分の席に着いた。ソカが淹れた温めのブラックコーヒーを飲みながら、言われた通り、パソコンで中間報告書を作成していく。


「なんだかんだでソカの言うことは聞くんだよな~、バンの奴」

「まあ、同じサ行で、僕の方が先に生まれましたからね。兄弟みたいなものですから」


 ソカが、眉間に皺を寄せながらも仕事をするバンに目を向けた。兄心から、そっと笑みを浮かべる。


「それに、あいつは怠惰的ではありますが、根っからの探偵業に適した〈語句〉ですからね。僕なんかよりも、ずっと解決率は高いですから」


 そうソカが小声で褒めるバンは、派手なピアスやネックレスをつけている。紫のTシャツに白シャツを重ね、瞳の色と同じ銀のポーラ・タイをだらしなく下げている。


「それよりも、僕達は【極悪非道】組に返す資金を調達しなければなりませんよ? 事務所の金だけじゃ、到底全額返済なんて出来ませんからね」

「つってもな~、利息込みで三百万だろ~? 新たに別んトコから借り入れるか、売れるモン売って金作るかのどっちかしかねーな」

「と言っても、銀行は僕達に融資はしてくれないでしょうし、他の闇金から暴利で借りるのじゃ、今の状況からさらに悪くなるだけですよ」

「つうことは、もう一つの銀行に行くしかねーか」

「それしかないでしょうね」


 ソカが顎に手を寄せて頷いた。その視線が、パソコンの前でうつらうつらし始めたバンに向いた。


「おいこらバン! 寝るんじゃない!」

「堪忍してぇな~。ホンマに不正調査でここ数日寝てへんねんて~」

 バンが顔からキーボードにダイブした。それにイラッとしたソカが、バンの首根っこを掴み、目を据えて言った。

「御託はいいからさっさと中間報告書出せ。休んでいいのはそれからだ」

「なっ!? なんやねん、そん言い方! それが身を粉にして働いとる従業員に対する言葉なんか!」


 カチンときたバンが、ここぞと言わんばかりにソカに噛みついた。


「そないな言い方するんやったら、もうソカちゃんが窮地に陥っても助けてやらへんからな!」

「僕がいつお前に助けられたと言うんだ! 寝言が言いたいのなら、さっさと報告書出して寝れば良いだろう!」

「お、おい、お前ら……」

 俄かに始まった兄弟喧嘩に、ランマが仲裁の手を伸ばすも、

「ホンッマ、なんでいつも上から目線なん!? ほんの少し先に記載されとるからって、兄貴ヅラすんのやめろや!」

「お前こそ探偵のくせに、クセのある喋り方するのをやめたらどうなんだ! 関西で生まれた〈語句〉でもないくせに、エセ関西弁使っててイラっとするんだよ!」 

「なんやて! そういう自分は不運熟語やろ!」

「はあ!? ならお前は――」

「もうやめろ、お前ら!」


 ようやくランマの制止が届いたのか、ソカとバンが、ぐっと喉の奥を鳴らして黙った。


「はあ。お互いイラついてんのは分かるが、兄弟喧嘩なら他所でやってくれ」

 頭を抱えたランマの言葉に、バンが無言でドアへと向かった。


「おいバン、報告書っ――」

「【四面楚歌】の堅物超絶不運野郎!」

「変な八字熟語を作るんじゃない! おいバン、聞いて――」


 勢いよくドアが閉まり、バンが事務所を出て行った。

「まったく、少し寝れてないからって……。すみません、ランマさん」

「いや、つーかお前も悪いぞ。もう少しバンのことも気遣ってやれ。アイツも大物からの依頼で、難しいヤマ抱えてんだからよ」

「ううっ……ハイ」

 改めてバンが抱えている状況を整理し、ソカが自省した。気持ちを切り替えて、ランマが腰に手をやる。

「んじゃ、俺らは資金調達に向かうか~。アイツのトコに行くのは久し振りだな――」


 事務所に飾ってあった絵画や彫刻、花瓶にソカお気に入りのアンティークポットやティーカップなど、高値で売れそうな品物を荷台で運ぶ二人の〈語句〉。屋台や出店が軒を連ね、商売人が多く商いを営む「娑婆シャバ」地区に目的とする店はあった。

 

 ランマとソカが、市松模様にマル質の赤字紋の暖簾を潜った。


「いらっしゃ~い。――おや、とんだ色男タチかと思ったら、快刀チャンと四面チャンじゃな~い。久し振りね、今日は瓜貝うりかいどちらかしら~?」

「相変らずシャレっけが強えーな~、ロク」

「お久しぶりです、【一六銀行いちろくぎんこう】さん」

「やだぁ、四面チャン。フルネームで呼ばないでよ~。堅苦しくなっちゃうじゃな~い」


 そう言ってうふふと女のように笑うのは、正真正銘、男である【一六銀行】。


■一六銀行(いちろくぎんこう)

一と六との和の「七」が、同音の「質」に通じるところから、質屋のこと。


 その格好は長い黒髪を右肩に垂らし、女物の着物に、暖簾と同じ市松模様の羽織を羽織っている。赤い瞳と同じ紅をさし、化粧をしていることから、店先でキセルを吸う彼を女性と見紛う客は多い。


「ワリーんだけど、今日は瓜の方なんだわ~。明日までに借金を返さねーとならなくてな~、昔馴染みっつうことで、コイツら高値で質入れしてくんねーか?」

 荷台で運んできた品物をロクの前に並べた。こじんまりとした店構えではあるが、江戸情緒溢れる店先で、ロクが腹に一物抱えて笑う。


「やあね~、アタシは一六(一足す六で七=質)の洒落から生まれた〈質屋〉よ? そんじょそこからの質草じゃあ、オニの角でも貸付ないわぁ?」


「そこを何とか頼むぜ、ロク~。こうして事務所のモン、わざわざ運んできたワケだしよ~」

「お願いします、イチロクさん! 流質期限までには必ずお返ししますので、どうか三百万で質入れしてくださいっ」と、二人の〈語句〉が必死に願い出る。

「と言っても、アンタらが持ってきたモン、ロクなモンがないじゃないの」


 質草を手に取って、フンと鼻で笑うロクに、


「なぁ、頼むよ、ロク~。今大物から不正調査依頼を受けてっから、それが終われば報酬ですぐに返せっからよ~」

「その大物ってダレよ?」

 しれっと訊ねるロクに、「探偵が依頼人の名前言えるワケねーだろーが!」とランマが捲し立てる。


「フン! 絵に石に土塊、どれも洒落っ気のないモンばかりで、三百なんて金、貸し付ける気になれないわ? アタシはね、商売よりも洒落に生きたいのよ。だから、もっと洒落の利いた質草持ってきなさいよ。それこそ洒落ならば、道に生えた草でも三百万貸し付けてアゲルわ?」


「草で三百万もですか?」

「アタシが満足出来るモンならね」

「分かった。んじゃ、サイッコーに洒落の利いた草、持って来てやるよ」

「はあ!? ランマさん、何言って――」

「行くぞ、ソカ」

 そう言って店から出て行くランマに、「待ってるわよ? 快刀チャン?」と、キセルを口に咥えたロクが愉快そうに笑う。


「――待って下さい、ランマさん! 洒落の利いた草なんて、そこら辺に生えている訳ないじゃないですか!」

 ランマを追いかけるソカが、「きっと揶揄われてるんですよ、僕達!」と更に言葉をぶつける。

「いや、あの【一六銀行】のコトだ。昔から洒落モンにはとことん金を積む性分だから、草だろーがそこら辺に落ちてるゴミだろーが、マジで大金貸し付けるヤローだぜ?」

「はあ、それじゃあ、本当に洒落の利いた草を探す気ですか?」

「たりめーよ。それとも、バンが今日中にカタを付ける方に賭けるか?」

「う……探しましょうか、洒落草を」

「俺は今夜辺りが臭いと思ってるんだがな~?」

「そうだとしても、寝不足なんかで癇癪を起こすような奴に、完璧な仕事が出来るとは思えませんよ」

 

 ふいっとそっぽを向いたソカの肩に、ランマが腕を回す。


「んだよ~、さっきは自分よりも解決率が高いって褒めてたくせに、ホンット、ツンデレ兄ちゃんだな~?」

「う、うるさいですよ。それよりも、さっさと洒落草探しますよ」

 二人の〈語句〉が懸命に道草を探し、それに洒落を見出せるよう、必死に頭を使う。だが思い付くのはダジャレばかりで、ロクが喜びそうな洒落なんてものには程遠い。そうして夕暮れとなっても、二人の〈語句〉は頭を抱えていた。


「ああー、くそっ! 何なんだよ、洒落の利いた草ってのは!」

「僕達が思い付いたのは、『腐ってる草』とか『臭い草』とか、最低なダジャレばっかしですもんね。はあ、どうしたものか……」

 

 溜息を吐いたソカの隣に腰を落とし、道草に手を翳すランマ。


「ちいっとばっかし、お前さんの〈意味〉を見させてくれな」


 そう言って、浮かび上がった【草】の字に、「うーん、やっぱし【草】は〈雑草〉や〈多くが一年以内に枯れる植物〉とかの〈意味〉だよな」と吐息を漏らす。こうして〈語句〉に手を翳し、その〈意味〉を読み取ることも、ランマの能力の一つであった。


「そんな【草】に洒落っ気を見つけるなんて無理ですよ。もう諦めて、持ってきたモノだけでも質入れしてもらいましょうよ」

 ソカがくるりと背を向けて、ロクの店へと戻り始めた。

「……いや、待てよ?」

「どうしたんですか? ランマさん」

 振り返ったソカが、ふむふむと【草】に見入るランマの背中を見た。


「こいつの読みは、『くさ』だけじゃねーよな。『そう』だと、どうなる?」


「そう?」


 ランマがもう一度【草】に手を翳した。「くさ」以外にも、他の〈意味〉が浮かび上がってきた。

「そうか、そういう〈意味〉もあったんだな、お前さん」

 その〈意味〉により、閃いたランマが笑みを浮かべた。


 店じまいをしようと、店先の暖簾を外したロクが、「ヨウ……」と市松模様のそれに、そっと呟いた。 

「よお、ロク。待たせたな」

「あら、今日はもう看板なんだけど?」

「まあそう言うなよ。とびっきり洒落の利いた草、持って来てやったぜ~?」

「まあ、それはシミ付き(楽しみ)だわ?」


 再び暖簾を掲げたロクが、「さて、ツノ(鬼)が出るかシタ(蛇)が出るか」と笑みを浮かべた。


「俺らの質草はこれだ」とランマが指さした先に、夕陽を背に、草笛を吹くソカが現れた。その姿に目を丸めたロクから、「ヨウ……?」と声が出た。


「ただの草笛だが、この光景には見覚えがあんだろ?」


 ランマの言葉に、自ずとロクの脳裏に遠い昔の光景が蘇った。それはソカと同じく、草笛を吹いて微笑む、和服姿の男だった。


「……成程ね。アタシの思い出を引き出させるなんて、洒落てるじゃないの。ケド、草笛だけじゃ、まだ弱いわね?」

「ああ。そう言うと思ってたぜ」


 ぽかんとするロクの前に、ソカが立った。草笛を唇から離し、その【草】をロクの前に差し出した。すると突然、ロクの記憶が見る見る遡っていった――。


 それはまだ、ロクが生まれて間もない頃。世界がまだ、ア行しか存在していない殺風景な中で、ほんの少し先に生まれた〈語句〉が、ロクの前で笑った。


『【一六銀行】だから、お前は今日からロクだ』そう言われて、混沌とする世界が徐々に出来上がっていく様を二人で見ながら、兄と慕った男にそっと寄り添う日々。〈冬が去って春が来ること〉――という〈意味〉を持つ兄との暮らしが何よりも幸せで、また〈不運の後によい運が向いてくる〉――という二つの〈意味〉を持つその〈語句〉に、最高の洒落心を抱いていた。だが、その兄はもういない。不運と幸運を繰り返す人生で、兄と慕った男、【一陽来復いちようらいふく】は不慮の事故で死んでしまったのだ――。


「……不思議ね。ただの草なのに、遠い昔の記憶が蘇ってきたわ?」

「ああ。【草】という〈言葉〉には、『そう』という読み方もある。『そう』には、〈ものごとのはじめ〉という〈意味〉もあるからな。この世界に生まれたお前さんのはじまりを、こいつが見せたんだろう」

「そう、ねえ……。洒落にしては、心が抉られるじゃないの」


 暖簾の市松模様は、一族の家紋であり、「イチ」を掛けてのことだ。


「すみません、イチロクさん。僕達、これしか洒落草が思い付かなくて」

「ナニを言ってるの、最高じゃない。久し振りにアニキの姿を見たようで、嬉しかったわ?」

 ロクがソカの頭を撫でた。その仕草に、「あにき……」とソカが、自分の弟分であるバンをそっと想った。


「――それじゃあ三百、草笛を質草に、アンタ達に貸し付けてアゲルわ」


 ランマとソカが歓喜の声を上げる。こうして〈質屋〉の【一六銀行】から、草笛と持参した品物を担保に、無事に借金返済資金、三百万円を借り入れることに成功した。


 ランマは上機嫌に、鼻歌混じりに【極悪非道】組へと向かった。借金返済に心躍る道中、ビルに入っていくバンを見かけた。


「ランマさん、ここって……」


 ソカが見上げたビルの5階には、ネオン色に輝く雀荘の看板がある。

「ああ。バンの奴が不正調査で出入りしてる、悪党共の巣窟だな」

「確か今夜辺りが臭いと」

「ああ。アイツの中間報告書には、しっかりとそう書いてあったぜ?」


 そう言って、印刷した報告書をマフラーから取り出したランマに、「いつの間に!? っていうか、そのマフラー、どうなってんですか!」とソカが声を張る。


「ソッチは今どうだっていーだろー? それよりも、もう少しアイツを信じてやれよ、ソカ。大事なコトは、こうしてちゃーんとパソコンに打ち込まれてたんだからよ」

「わ、わかりました。ちゃんと僕の方から謝ります」

「おお。……よし、俺らも乗り込むとするか」

 報告書をマフラーにしまい、ランマがビルを見上げた。

「今回のヤマは、あの大物からの依頼ですからね。最後まで油断出来ませんよ――」


 ビルの5階でエレベーターを降りると、そこはごく普通の雀荘であった。


「オキャクサーン、ハジメテデスカー?」


 すぐにチャイナドレス姿の若い娘に話しかけられ、「そうなんだよー」とランマが笑った。


「オニーサンタチ、オナマエハー?」


「名前……? ああ、『国士無双こくしむそう』と『四連太宝スーレンタイホー』だ」


 ランマが役満名を言ったことで、娘が一瞬真顔になったが、すぐに目が線のように笑って、「コッチネー」と一般客とは違う別室に案内された。


「ちょっと、どうして僕の名前がローカル役満なんですかっ」と、ソカがこそっとランマに抗議するも、「それがココのルールなんだよ」と案内された先に、ランマが顎を向ける。


「ヨウコソ、イラッシャ~イ、ココガウラジャンソウネー」


「ここが賭け麻雀の巣窟……」


 ビルの奥、薄暗いバーのような場所に、いくつもの麻雀卓が置かれている。そこに出入りしている客は皆、この場所で違法麻雀に興じていて、裏雀荘を統括している闇の組織のメンバーが、バーテンダーやボーイなどのスタッフとして働いている。


 ソカはすぐにバンの姿を探した。だが、どこにもそれらしい男は見当たらない。


「とりあえず、客のフリして相手が動くのを待つぞ」

「はい」


 難易度最高ランク、S級の依頼を一人で受け持つバンを探しながら、ソカが空いた麻雀卓に座った。違法ではあるが、実態調査の為、私費にて客の一人を装う。麻雀のルールはうろ覚えだったが、どうにかボロを出さない程度に打つことが出来た。一方ランマは、別の麻雀卓で「テンパ~イ!」と上機嫌に笑い始めた。


「ほんと聴牌てんぱい好きだな、あの男は」と騒がしい客の一人となったランマに呆れるソカに、ボーイの一人が声を掛けてきた。

「お客様、よろしければお飲み物などいかがですか?」

「あ、ああ……じゃあ、コーヒーで」

「かしこまりました。完徹デキる程濃いブラックコーヒーをお持ち致します」


 紳士的な態度のボーイに、ソカが訝しがる。一方ランマの麻雀卓では、彼の一人勝ち状態が続いていた。


「つ、つえーな、あんちゃん。アンタ何モンだよ?」

「俺か? 俺はただの『国士無双』だぜ?」

 

 類稀なる強運と勝ち数を重ねていくランマに、とうとう店を取り仕切る上層部の一人が顔を出した。男臭い雀荘には似つかわない程のスレンダー美女が、シルクドレス姿でランマの前に現れた。


「これはとんだべっぴんさんのお出ましだね~? ケド、出来れば顔見せてほしーかなー?」

 美女は鼻から下は露出しているが、目から上は花を散らばめた仮面で隠している。

「ふふ。ちょっと天が味方してくれたからって、調子に乗ってはダメよ、お兄さん」

「生憎生まれ持った運は使い果たしちまったんでね、天が俺に味方するなんてコトはもうねーんだわ。だから正真正銘、俺の実力だぜ? オネーサン」


 裏雀荘を取り仕切る美女に対する挑発に、周囲の客もざわつき始めた。ソカも内心ハラハラしている。


「ふふ。お兄さん、面白いわね。だったら、もっとオモシロイこと、しましょ?」


 そう言って、美女がボーイが運んできた梅昆布茶をランマの前に置いた。


「この裏雀荘では、統監組織が取り締まるギリギリのラインでレートを決めているけれど、たまにこうして粋がった客が来た時には、デカデカピン(1000点10000円)で勝負してもらっているの。どうかしら、お兄さん。あなたにその勇気があって?」


「やめとけ、あんちゃん! アンタこの店初めてなんだろ? この店は負け金の上限をきめねえから、デカデカピンなんてやった暁にゃ、10万20万の負けじゃねえんだぜ?」

「いいぜ。乗ってやるよ。ちょうどここに300万あるしな」

「はあ!? ちょっと何言ってるんですか!」

 それにはすかさず口を挟み、「すみませんっ、連れが調子に乗ってしまって……!」とソカが美女の前で謝った。

「あら残念。お兄さんが大勝ちするところ、見たかったのに」

「ほんと、勘弁してくださいっ! バカなんです、この人!」とランマを罵って、ソカがその場をなかったことにしようと躍起になる。

「んだよ~、俺は負ける気しねーぜ~?」

「アンタは黙ってなさいっ! このゴミ虫には僕からちゃんと言い聞かせますので、ほんと、調子に乗ってすみませんでした!」

「ソカお前、俺のことゴミ虫だと思ってんの……?」

 

 借金の取立て時と言い、ゴミ虫と言い、ランマは相棒の心内が気がかりで仕方なかった。


「そう。なら、ゆっくり遊んでいってね、お兄さん達」

 美女がそう言いながらも、その視線は、動き始めた黒服の男達に向いた。店の奥へと戻った美女に、「ついに動き始めたか」とランマが呟く。

「まったく、どういうつもりで苦労して得た返済金に手を付けようとしたんですか! ちょっとランマさん、人の話し聞いて――」

「俺らも行くぞ、ソカ」

「はあ!? アンタ全然人の話し聞いてないじゃないですか!」


 更に店の奥へと進み始めたランマの後を、ソカの小言も続いた。そんな二人の〈語句〉の動きをじっと見ていたボーイが、ホットコーヒーをトレイに乗せ、その後を悠々と追った。


 動き出した男達を追って、ビルの屋上へと辿り着いたランマとソカが、息を潜める。


「ここが奴らの取引場所、でしょうか?」

 煙草を吸い始めた黒服の男達に、倉庫の物陰に隠れるソカが息を呑んだ。

「恐らくはな。バンの報告書によれば、アイツら闇の組織が違法麻雀の裏で、更に不正取引を行ってるとのことだ。その取引内容を暴くのが、今回あの大物から受けた依頼だ。まあ、バンの能力があれば、アイツ一人でも余裕だろうが、事の次第によっちゃあ、アイツだけじゃ手に負えなくなっちまうかもしれねーからな。とりあえず俺らは様子見だ」


 ランマがマフラーに指を掛けた。その首筋に、【刀】の黒字が刻まれている。


「あっ、誰か来ましたよ」

 屋上のドアが開き、黒服の男達の前に、先程の美女に案内されてきた男が現れた。影から月光の下に足音が近づき、その正体が露見した。


「毎度毎度、ご苦労様ですねぇ、虎視サン」


 虎の顔で人の体を持つスーツ姿の男に、眼鏡を掛けた黒服の男が挨拶した。煙草を投げ捨てたその行動に、虎視とよばれた男の虎目が動く。


「ありゃー、組摘そてきの【虎視眈々こしたんたん】じゃねーか」

「組摘って、まさか統監組織の……?」

「ああ。裏組織との不正取引に、暗躍組織摘発課の捜査員サマが関わってるなんざぁ、驚きだな」

「まさか、そんなことっ……」


■虎視眈々(こしたんたん)

つけ込む隙を狙って、辛抱強く機会をうかがっている様。

「虎視」は虎が獲物を狙って鋭い目で見ること。

「眈々」はにらむ、見下ろすの意。


 驚きを隠せないソカに、ランマが「しっ!」と口を閉じるよう、指示する。取引現場では、黒服の男と虎視が向かい合っていた。


「それで、例のROMは?」


「コレのことですか?」

 黒服の男がにやけながら、虎視の前でCD型のROMを晒した。


「では約束通り、こちらに渡してもらおうか」


「いいですよ。ケド、アンタも例のブツ、渡してもらいますよ?」


「ああ」


 虎視が持っていたアタッシュケースを差し出した。二つの組織が、それぞれのブツを交換した。


「これで今回分含め、計五回だな。尻尾を出さないよう、十分気を付けるように」


 虎視が美女の顔に近づき、念を押した。尻部分から伸びた虎の尻尾が、美女の仮面に触れた。


「貴方に忠告されなくても、分かっているわ」

 気丈な態度の美女に、ふっと虎視が笑った。

「じゃあまた、機会があったらな」とドアへと向かう虎視に、物陰にて取引を見ていた二人の〈語句〉が息を呑む。虎視がドアノブに手を伸ばし、言った。


「ああそうだ。そこに隠れてる〈語句〉二人、ちゃんと始末しておくように。万一取り逃がすようなことがあれば……分かってるな?」


 虎視の金瞳が薄っすらと青くなった。

「俺の瞳が青くなった日には、ここにいる全員、噛み殺すからな?」

 ぎょっとした瞬間には、もうランマとソカは黒服の男達に取り囲まれていた。虎視がふっと笑って屋上から姿を消した。

「あんの虎野郎っ……」

「まずいですよっ、ランマさん……!」

「くっそ、毎度毎度この状況かよ! 一体ダレのせいだっつんだよ!」

「僕のせいだって言いたいんですか!」

「どう考えたって【四面楚歌】状態だろーが!」

「ごちゃごちゃうるせえぞ、てめえら!」

 いきり立った黒服集団から、虎視と取引をしていた眼鏡の男が前に出た。


「困るんですよねぇ、お客さん。ばーっちしワルイコトしてるの、見ちゃったでしょ?」

「ぼ、ぼくたち、なにもみてませんよ! ぼくたち、トイレにいこうとおもって、ね、ねえ、あいぼう」

「いや! ばっちし統監組織と不正取引してるの、見ちまったぞ!」

「バカヤローっ!」

「ふふ。お兄さん、ホント面白いのね」

 美女が笑った直後、間髪入れずに、その場にいる十数人から一斉に銃口を向けられた。焦り、慄くソカ。

「見られちまったからには、口封じしねえとな。正義の味方直々に、殺していい、とのOKサインもらった訳なんでね」

「こいつら銃をっ……」ぐっと噛み潰したソカの言葉に、

「ああ、俺達は【銃】や【弾】の字を持つ四字熟語なんでね。ソレを買うのも売るのも使うのも、俺達の専売特許なんだよ。ちなみに俺の名前は【弾丸雨注だんがんうちゅう】。〈弾丸が雨が降り注ぐような激しさで飛んでくること〉――が何を〈意味〉してんのか、分かるだろ? オニーサン達?」

「ランマさん……」

「落ち着けよ、ソカ。この中にゃ、俺らの味方もいるだろ?」


 ランマの小声に意表を突かれるも、「そうでした」とソカは落ち着きを取り戻した。


「さて、オトモダチとのお別れの挨拶は済んだかな?」

「お別れの挨拶をすんのは、てめーらの方だろ?」

 強気なランマの態度に眉間を動かした【弾丸雨注】が、眼鏡のブリッジを人差し指で上げ、「……死ね」と引き金を弾いた。その瞬間、倉庫の家根から飛び入りてきた男が自分の手を盾に変化させ、その銃弾からランマとソカを守った。


「なっ!? 貴様、どういうつもりだっ……」


 その男は裏雀荘で働くボーイで、闇組織の一員のはずだった。


「いえね、こちらのお客様に目が冴えるヒーコーをお持ちしたんですが、何やら命を狙われておいでだったので、こうしてお助けしたまでですよ?」

 

 そう言って、いい具合に冷めたブラックコーヒーをソカに手渡した。


「ふざけるなっ! 貴様、下っ端の分際でっ……!」

「ええ、今日は組織の下っ端ですよ? まあ、昨日は裏雀荘の客でしたケド。その前はオッサン客で、その前の前は若いオネーちゃん」


 ボーイが次々に姿を変えていく。


「こうして一週間、人を変え姿を変え、徹マンに明け暮れ、ようやく不正取引の情報を掴んだんや。いい加減、褒めてくれてもええよな? ソカちゃん」

「貴様っ、一体何者だ……!」


「わしか? わしは〈めまぐるしく、さまざまに変わる〉っちゅう〈意味〉を持つ、【千変万化せんぺんばんか】、……これでも、優秀な探偵やで? 気づかへんかったやろ?」


 ボーイから通常の姿に戻り、にっとバンが笑った。


■千変万化(せんぺんばんか)

 めまぐるしく変化する様子を表す。

「千」「万」は数量の多いことを表す。

「変化」が数限りなく起こるという意。


「なんなんだ、こいつは! どれが本当の顔だ!?」


「本当の顔……? ハッ、堪忍なぁ、それは自分でもよぉ分からんねん」


 気に障ったのか、冷淡な笑みを浮かべた。それを宥めるように、ソカが「バン……」と呼んだ。

「ったく、何しに来たんや、ホンマ。自分、不運なんやから、毎回こうなるって分かっとるやろ?」

「ああ。本当にすまなかった、バン。だかお前に助けられて、お兄ちゃん嬉しいよ」

「キッショ。自分で兄ちゃん言わんといて」

「仕方ないだろう? イチロクさんが大切なお兄さんとの記憶を思い出したのを見たら、僕だって可愛い弟のことを……」

 ごにょごにょと言葉を濁して赤面するソカに、「何やの、アレ?」と冷静なバンがランマに訊ねた。

「本人の前でデレるなざそうねーんだし、好きに言わせてやれ」


 そうこう言っている間にも、黒服達からの銃弾が雨のように降り注ぐ。両手を盾に変えるバンの後ろで、ランマが【刀】を手に取った。


「よっしゃ~、いっちょ快刀あそんでやるか!」

 

 【刀】片手に、銃弾の中、次々と敵を倒していく。


「ランマさん、今回は僕も戦いますよ!」

「は? お前まさか……」

 ホットコーヒーを飲み干したソカが、鼻息荒く倉庫の家根に飛び乗った。

「なんだアイツ! あの男からやっちまえ!」

 敵の攻撃がソカに集中するのを、彼の前でバンが腕を盾に変化させ、防ぐ。

「珍しいやん。アンタが好戦的になるやなんて」

「僕だって、優秀な弟に負けていられないだろう?」


 月光を背に、ソカの銀色の瞳が光る。両手を敵に翳し、左手の甲に【四】【面】の文字が、右手の甲に【楚】【歌】の文字が雪崩込んだ。そうして刻まれた【四面楚歌】の文字に、「東西南北、四面から取り囲んでやろう」とソカが能力を引き出す。


 敵の四面に青く光る壁が現れ、ブルドーザーの如く、一気に彼らを封じ込めた。肉団子状態で押し込まれた敵の中に、眼鏡の男と美女の姿はない――。 

「お前の技は逃げ場がないからな。しかもギリギリまで迫ってくるから、閉じ込められた方は恐怖だろーよ」

「へへ」と笑うソカに、「そりゃ項羽もトラウマになるで」とバンが冷静に言う。

「ケド、こういう状況をなんつーんだっけ? 正に――」


「【一網打尽いちもうだじん】」


 背中から上がった声に、ランマ達が振り返った。そこには、黒と赤の市松模様の上着を肩に掛けた、黒髪に大きな赤目の小柄な男が立っていた。子供のような顔立ちではあるものの、じっと前を見据えている。


「貴方は……?」

「私は統監本部暗躍組織摘発課課長、【一網打尽】と申します」


■一網打尽(いちもうだじん)

多くの悪人や犯人たちを、ひとまとめにして一人残らず捕らえること。


「組摘の課長?」

 訝しがるランマを他所に、

「組摘の課長さんですか!? なら貴方のところの【虎視眈々】という捜査員が、今回の不正取引に関わって――」

「どうした、ジン」

 そこに、先程まで闇組織と取引していた【虎視眈々】が現れた。

「てめー、虎坊。一体どういうつもりだ!」

 ランマが騒ぐも、「こいつらが何か言ったのか?」と虎視が課長のジンに訊ねる。

「いえ、何も」

 何の表情も見せることなく、ジンが部下に摘発した男達を連行するよう命じた。

「裏雀荘摘発のご協力、感謝いたします」

 裏雀荘という言葉に、ランマの眉間が動いた。


「違法麻雀なんかよりもずっとでっけーヤマが、すぐそこに転がってると思うんだけど?」


「我々が摘発したのは、違法麻雀にて利益を得ていた組織ですよ。それ以外の容疑はありません。では、我々はこれにて失礼」


 しれっと真相を闇に葬ろうとするジンに、虎視だけでなく、統監組織自体が闇組織と繋がっていることを察した。

「あっそう。まあ、俺ら探偵にはどーでもいーけどよ~? 今回のヤマについては、しっかりと依頼人に報告させてもらうぜ~?」

 本部に帰還しようとしていたジンと虎視に、ランマが言った。思わず瞳の色が青くなりかけたのを、「駄目です、トラ」とジンが抑制する。ランマに振り返り、「どうぞ、お好きに」とジンが会釈し、階段を下って行った。虎視がぎりっとランマを睨み付け、ジンの後を追っていった。

「ったく、可愛くねーな~、トラちゃんは」

「けど、相変わらず統監組織の〈語句〉は、何を考えているのか分かりませんね」

「んな、どうでもええし。そないなコトよりも、不正調査も無事済んだコトやし、もう帰って寝てもええやろ? ふわぁ~、ねっむ」

「まあ、今日はゆっくり寝て、明日また依頼人に提出する報告書の作成を頼むぞ、バン」

「ほえーい」

「俺らも帰るか。今日は草でシャレ作ったりして、疲れたしな~」

「そうですね。あんなに草と向き合ったのは初めてでしたね」

 帰路に着くランマとソカに、「ちょお待って。おたくらナニやっとったん?」とバンが呆れた目を向けた。


 雨が降り出した深夜、闇の組織、黒服の【弾丸雨注】が花の仮面を付けた美女を車に乗せた。

「自宅までお送りしろ」そう運転手に告げ、自分は雨の中、後部座席に座る美女を見送った。

 車内では、沈んだ表情の美女が目を伏せている。そんな彼女に、運転手の初老の男が言った。


「目を瞑って、耳を塞いでてくだせえな」

「え……?」

「いえね、ソッチの方が、アンタも楽だと思うんでさぁ」


 バックミラー越しに、雨の中で佇む【弾丸雨注】の姿を見た運転手が、意を含んで笑った。


 外では【弾丸雨注】が、「あなたは逃げ切ってくださいよ、花牌ファパイ」と雨に濡れる口元を緩ませた。その直後、背後から至近距離で銃撃された。


「いやっ……」何が起きたのか、すぐに分かった。美女が言われた通り、耳を塞ぎ、目を瞑る。運転手がバックミラー越しに、【弾丸雨注】にトドメを打ち込む男の姿を見た。


「――俺達こそ【正義】だ。【悪】をこの世界から排除することが、俺達統監組織に属する〈語句〉の使命だ」


 そう語る【虎視眈々】の隣で、銃を構える【一網打尽】が、無表情に自らが息の根を止めた【悪】を見下ろした。


 

 














 


   




 


 


 


 














 



 


 




 












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