【意馬心猿】編

第10話 〈興奮する〉依頼人

 【四面楚歌】ことソカは、この「快刀乱麻探偵事務所」の専任探偵ではあるものの、彼が単独で探偵業に従事することはなく、ランマを中心とした誰かのアシスタント役が多かった。所々、記憶を失っているが、それでも前向きにこの辞書界で生きている。そんなソカには、憧れの〈語句〉がいた。


「うわぁ~、やっぱり【韋編三絶いへんさんぜつ】さんは素晴らしい御方だなぁ~」


 ソカがテレビのワイドショーに映る【韋編三絶】に向かい、惚けた視線を向ける。赤色の瞳に、栗色の髪の毛。歳は四十代くらいで、それでも若々しい見た目をしている。きっちりスーツを着て、清潔感溢れるイケオジだ。


「ああ、確かコイツもお前と同じ、故事上がりだったな。確かその〈意味〉は、〈勉学に熱心なこと〉だっけか?」


 同じく事務所でテレビを観ていたランマが、頬杖をつきながら、言った。その片手には、ソカが淹れた紅茶のティーカップが握られている。


「もう! 故事上がりなんて言わないでください! 差別用語ですよ、それ」

「わりーわりー。ケド、どっかの不運な誰かサンと違って、いかにも立派な先生サマって感じだな」

「すみませんね、不運な故事上がりで。けど、本当に韋編先生は、立派な方ですよ。こうしてテレビでコメンテーターをするなんて、そんじょそこらの知識熟語には出来ないことですから。流石は孔子に絡んだ故事様でいらっしゃる」


 テレビで政治やら経済やらの解説を行う【韋編三絶】に、ソカの憧憬の眼差しは止まらない。


「流石ア行の大先生。僕の憧れですよ」

「ア行がそんなに偉いかね~?」

「何を言うんですか。この辞書界では、『あ』から『ん』の順番に生まれたんですから、ア行の方々が偉いのは当然じゃないですか。かく言う華麗なる【一】族だって、この世界で並ぶものなしの富豪一家ですし」

「まあ、あいつらは、この世界の〈語句〉達を【一族郎党】と考えてるからな。この世に住まう全ての〈語句〉は、【一】族の【郎党】。つまりは、俺らみんな、【一】族の家来ってなワケ。そんな【一】族至上主義の世界をぶっ壊すために、俺ら『五体語』が選ばれたんだけどな」

「え? そうでしたっけ?」

「アレ? 違ったっけ?」

「んー? ……すみません、あんまり思い出せなくて」

 一瞬の沈黙がランマに走る。それでもニッと笑って、「今の全部ジョーダンよ」と笑って見せた。



 そんな昼下がり、探偵事務所のドアをノックする音が聞こえた。

「はい、どうぞ」とドアを開けたソカの目に、頭は馬、体は人……いや、スカートの尻部分から茶色い尻尾が出ていることから、「え? ……サル?」と思わしき姿の『四字熟語』が映った。


「えっと、ご依頼でしょうか?」

「ひゃ、ひゃ~」


 ソカに話しかけられた途端、馬の顔を真っ赤にしてその場にしゃがみ込んだ、女形の『四字熟語』。


「えっとー……、と、とりあえず、中へ……」


 ソカに促され、その『四字熟語』は事務所の中へと通された。

 ソファに腰かけた彼女が、目の前に座ったソカとランマに、ますます顔を紅潮させた。


「えっと、ソカ、……コイツは誰だ?」

「僕にも分かりません。けど、ここに来たということは、依頼人でしょう?」


 こそこそと話す二語句に、赤面していた『四字熟語』から、ものすごい鼻息が漏れ始めた。それは凄まじく、正しく興奮そのものである。


「あ、あのっ……! 落ち着いて! いきなり興奮しないでください!」

 さすがのソカも暴走する依頼人に、声色が強まる。

「……はっ! わ、わたし、またっ……」

 ようやく我に返った様子の依頼人に、ランマがおずおずと訊ねる。


「俺らに依頼があって来たんじゃねーの?」

「あ、そうでした。私は【意馬心猿いばしんえん】と申しまして、字のごとく、頭は馬、体は猿でして、職業は作家をしております」


■意馬心猿(いばしんえん)

強い煩悩や欲情によって、心が乱され、静まらない様。

「意」も心の意で、人間の煩悩を暴れる馬や騒ぎ立てる野猿にたとえていった仏教語。


「作家さんですか? へえ。すごいですね」

「いえいえ、作家と言っても、まだまだ駆け出しでして。それに私が書くのは、BL小説なので」

「は? BL?」

 ランマが思いっきり眉を顰める。

「ええ。男同士のチョメチョメを描いた作品で、美男子同士のあられもない情事を書いては、こうして一語句興奮しているのですっ……! ヒヒーン!」


 そう鼻息荒く立ち上がった【意馬心猿】が、バッとテーブルに手を叩きつけ、ランマとソカの目前で、興奮気味に言った。


「お二語句は、私の新作に出てくる探偵と助手にそっくりなんです! それはもう耽美で羞恥のベールに包まれた登場人物に色をつけるため、今日ここを訪ねた次第なのです!」


 その熱く弁を振るう【意馬心猿】に反して、ランマとソカは思いっきり不快な表情を返していた。


「あの、すみませんが、お引き取りを……」

 立ち上がったソカが、【意馬心猿】をドアへと向かわせる。彼女の背中を押し、一刻でも早く平穏な日常を取り戻す。


「えっ? 何故ですか? お二語句の日常を参考にさせていただくべく、今日一日貴方達と行動を共にしたい――。それが私の依頼ですよ?」

「すみません。こちらにも拒否権はありますので」


 淡々と述べるソカに、「報酬、はずみますから!」と【意馬心猿】も食い下がる。


「いえ、結構です。他を当たってください」

「わ、わかった! ア行特権を使って、貴方達の会いたい〈語句〉に合わせてあげるから! 女優でもグラビアアイドルでも、誰でも好きな〈語句〉を紹介してあげる! ね! 良い話でしょ?」

「……誰でも?」


 ピクリとソカの耳が動いた。俄かに動きを止めたソカに、


「おいソカ? 惑わされてんじゃねーぞ?」と嫌な予感がしてならない、ランマ。

「ふふ。やっぱり貴方にも会いたい〈語句〉がいるのね?」

「ええ、もちろんですとも……」

「お、おい、ソカ。まさか依頼を受けるとか言わねーよな?」

「ハハ。何を言っているんですか、ランマさん。アンタの好きなトラブルが【】たっていうのに」

 

 とびきりの笑顔で、ソカが顔を上げる。


「おおいっ! こんなトラブル、望んでねーわ! 何が悲しくて、BL小説のネタにされなきゃならねーんだよ!」

「うるさいですね。今日一日、僕達に密着するだけでしょ? これも未来の傑作のためなんですから、僕達も協力してあげないと」


 報酬に目がくらみ、取り付く島もないソカに、ランマが溜息を吐く。


「……ったく。わかったよ。ならこの依頼はお前に任せるから、お前が責任持って、依頼人の望みを叶えてやれよ?」

「僕の依頼人……? は、はじめて単独で依頼を受けますけど、良いんでしょうか?」

「お前が協力するって言ったんだろーが。ほら、こっからは事務手続きだろ? お前が最後まで面倒みろよ?」


 そう言うと、ランマは自分のデスクに座り、パソコン業務を始めた。


「あ、あの、ソカさん……」

「あ、えっと、すみません、【意馬心猿】さん。では契約いたしましょうか」


 不安げに見つめていた【意馬心猿】に、ソカが微笑みを向ける。報酬云々の話を取り付け、事務作業を終えたソカに、改まった口調で【意馬心猿】が訊ねた。


「それで、貴方のお会いしたい〈語句〉とは誰なんです?」

「僕が会いたい〈語句〉、それは……」

「探偵と依頼人、反対に見えるのは何でだろうな?」


 空笑いを浮かべて、ランマが呟く。


 ソカがテレビに映る〈語句〉を指さし、興奮気味に言った。


「コメンテーターの【韋編三絶】さんです!」

「はあ。だよなぁ、やっぱ」

 

 ランマが溜息を吐いたと同時に、「え? イヘンに……?」と【意馬心猿】の声色が変わった。


「あ……さすがに、無理がありましたか?」

「い、いえ! 分かりました。彼とは同じア行仲間だし、何とか取り付けますから」

「本当ですか! よぉし、そうと決まったら、僕達も協力しますからね。ねえ、ランマさん!」

「……お前の依頼人だろうが。俺を巻き込むんじゃねーよ」


 げんなりとランマが言うも、その視線は、繕うように笑う【意馬心猿】に向けられた。


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