【支離滅裂】編

第5話 〈滅茶苦茶な〉男

 【快刀乱麻】——ランマ不在の昼下がり、探偵事務所に新たな依頼人が訪れた。眼鏡の奥の銀色の瞳と、くすみがかった茶髪の青年。Tシャツにジーパンと、ラフな格好をしている。瞳の色からして、ソカやバンと同じ、サ行仲間であろう。


 応対したのは、勿論【四面楚歌】——ソカである。残り二語句の探偵、【千変万化】ことバンと、【疑心暗鬼】ことアンは、それぞれの報告書を作成するため、パソコン業務を行っている。


 ソカがソファに腰かけた依頼人の前に、紅茶を置いた。


「ようこそ快刀乱麻探偵事務所にお越しくださいました。それでは、ご依頼の方をお聞かせください」

「あ、えっと、そのっ……」

 

 依頼人はしっかりとした人型であり、何らかの〈四字熟語〉であることは確かだった。それでも、依頼内容を話そうとするその様子は、焦りに焦っている。落ち着こうとして、依頼人が目の前に置かれたティーカップを手に取るも、案の定、口から紅茶が零れ落ちていく。


「あ、あつっ! す、すみませんっ、美味しい紅茶なのにこぼしてしまってっ……」

「あの、ゆっくりで構わないので、一回落ち着きましょうか」


 依頼人を落ち着かせようと、ソカがゆっくりと呼吸をするよう促す。


「吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐いてー」

 ようやく落ち着きを取り戻した依頼人に、バンがデスクから「ぶふっ」と笑う。


「こらバン! ご依頼人だぞ! 笑うんじゃない」

 バンを諫めたソカが、「すみません、弟が失礼な態度を取ってしまいまして」と依頼人に謝った。


「だから弟言わんといてや」

 デスク上でつんとした態度を取るバンに、「ならぼくがソカの弟になろう」と、目の前のデスクに座るアンが「ぐふふ」と気味悪く笑う。


「きっしょ。お前はガ行やろ。蛾とでも兄弟やっとけや、変態ストーカー」

「なんだとっ! このぼくに向かって、変態とはなんだ、変態とは! ぼくはなぁ、この辞書界ではお前よりも先に生まれた〈語句〉だぞ! もっと尊敬しろよな、ぐうたれエセ関西弁野郎!」


「ちょっと! 依頼人の前ですよ! 二人とも静かに出来ないのなら、事務所から追い出しますからね!」


 いきり立つソカに、「うっ、ごめんなさい、ソカ」とアンがしおらしく謝る。


「バンもだぞ! ちゃんとご依頼人に謝れ」

「……堪忍なぁ」

 バンも素直に謝り、ようやく事務所内が静かになった。


「すみませんでした。それでは、改めてご依頼内容を」

 ソカに促され、依頼人が一呼吸置き、ゆっくりと口を開いた。


「……僕はある日、この世界に生まれました。しんどいこの世界で、ある男と出逢いました。理解不能な僕は、何かをずっと探しています。滅茶苦茶にしたい衝動に駆られるも、その何かを見つけ出せないまま、死んでいくのでしょう」


「……ん?」

「つまり、どうして僕はこの世界に生まれたのでしょうか? 歴然としない僕が生まれた〈意味〉は? つまらない僕は誰のために生き、誰のために死んでいくのか?」

「あ、あの、すみません……」

「ほらやっぱりだ。この問いに答えてくれる存在などいないんだ。僕は独りぼっち。生まれてはいけない〈語句〉なんだ」

「ストーップ」

 ソカが両手を差し出し、依頼人の一人語りを止めた。


「え?」と驚いたように、依頼人がソカを見つめる。


「あのですね、話がさっぱり見えてこないのですが。すみませんが、一から順に話していただけませんか?」

「えっと、だから、僕はある日突然この世界に生まれて、それから――」

「分かりました。メモを取るので、少しお待ちください」


 慌ててソカがメモ帳を取り出し、依頼人の言葉を書き記していった。そのメモを再度読んでみても、何を言いたいのか、さっぱり分からない。ズーンと落ち込むソカの両隣に、バンとアンがドカッと腰かけた。


「ふむふむ、なるほどな」

 ソカが書いたメモを読みながら、アンが顎に手を寄せ、考える。

「おい【疑心暗鬼】、あまりソカちゃんに近づくなや」

「うるさい、【千変万化】。お前は黙っていろ」


 珍しく二人がお互いの名前をフルネームで呼んだことに、ソカが訝しく首を傾げた。


「あの、僕の言いたいこと、皆さんに伝わりましたか?」

「えっと、すみませ——」

「ああ、もちろんだ。この天才にかかれば、お前の言いたいことくらい、分かって当然だ」

 不遜な態度で、アンが自分の胸を叩く。

「え? 僕にはさっぱりなんですが。バン、お前は分かるのか?」

「当たり前やろ。こないな簡単な言葉遊びも分からんで、ホンマに探偵なんてやっていけるんか、ソカちゃん」

「うっ、分かっていないのは、僕だけなのか?」

 

 またもやズーンと落ち込むソカの隣で、アンが足を組む。着崩した着物を着ているため、露となった膝が依頼人に向けられた。上からの物言いで、アンが依頼人の正体に迫る。


「お前の正体は、【支離滅裂】。そうだろう?」

「【支離滅裂】? って、〈文章や言葉が滅茶苦茶で、訳が分からない〉という〈意味〉を持つ、あの【支離滅裂】? 確かに言っていることは滅茶苦茶でしたが、それだけで?」

「ほら、メモ書きを見てみぃ、ソカちゃん。ちゃんと自分で名乗っとるやろ?」

 そう言って、バンがメモ書きに書かれた一文目に、それぞれ赤丸を付けていった。


んどい、解不能、茶苦茶、まり、然、まらない」


「あ、ほんとうだ。『僕は支離滅裂』ってなる。すごいなぁ、バン! アンさんも! よく気が付きましたね」

「まあな。もっと褒めていいんだぞ、ぼくの可愛いソカ♡」

「うげえ」

「あほやなぁ、ソカちゃん。こんなん、メモ書きにせんでも、一回聞いただけで分かるやろ」

「え? お兄ちゃん、全然分からなかったよ」

「はあ。探偵やなく、事務員の方がぴったりやろ、アンタ……」


「——ふふ。やっぱり、噂通り、優秀な探偵さん達なんですね」


 俄かに声色が変わった依頼人——【支離滅裂】に、三人の目が向けられた。


■支離滅裂(しりめつれつ)

文章や発言などが滅茶苦茶で訳がわからず、筋道立っていないこと。

「支離」は、分かれ散るという意。

「滅裂」は、破れ裂けて形がなくなる意。


「試すような真似をして、申し訳ございませんでした。僕のことは、どうかシリとお呼びください」

「シリ、さん。僕やバンと同じ、サ行仲間ですね。【支離滅裂】ということは、僕の方が少しだけお兄さんというか……」

 照れるソカに、「きっしょ。嬉しいんやったら、素直に喜べや」と冷めたバンの視線が向く。

「ふふ。僕も貴方方と同じサ行で嬉しいですよ、ソカお兄ちゃん」とシリが調子づかせたものだから、「わわわ! 僕のこと、お兄ちゃんって……!」とソカが両手で口を隠し、ぶわっと感激した。


「もうええわ。それで、依頼の内容は何ですの?」


 喜びに浸るソカを他所に、淡々とバンが訊ねた。


「ああ、依頼内容。優秀な探偵さん達であれば、お任せ出来るでしょう。折り入って貴方方にお願いしたいのです。——僕の代わりに、ある男を、殺していただきたい」


「え? ある男を殺してほしい? い、いやいやいや! 僕達は探偵であって、暗殺者ではありませんよ! そういうことでしたら、裏家業にご依頼ください! 【極悪非道ごくひ】組とか! 【悪逆非道ぎゃくどう】組とか! 【残虐非道ざんひ】組とか!」

「どれもこれも〈アウトレイジ〉な連中だな」

「ちょい待て。なんでそないに〈アウトレイジ〉に詳しいんや、ソカちゃん」

「それは……ちょっとだけ、そういう世界に憧れがあるというか、何というか」

 もじもじと恥ずかしそうにソカが言う。


「不運熟語が何言うてんの? 【四面楚歌】なんやから、周り敵だらけになって、死ぬだけやで、アンタ」


「なっ、僕だってやる時はやるんだぞ! この間だって、裏雀荘の連中を一網打尽にしたしな。まあ、その手柄は、彼らのものになったけど」


「【一網打尽】……」


「え? シリさん? 統監の【一網打尽】さんをご存じなんですか?」

「あ、ああ、いや。それよりも、僕の依頼を受けてはいただけませんか。今回の件を裏家業に依頼したくはないのです」


 改めて、シリが依頼を受けてくれるように願い出る。困ったようにソカがバンに目を向けた。


「……殺しの依頼なら、ぼくが受けよう」

「え? アンさん?」

 思いがけない返答に、ソカの目がアンに向く。足を組んだ状態で頬杖をつき、アンの視線が窓の外に逸らされた。


「ここに来る前は、そういう仕事をしていたしな」とアンが呟いた。それにはバンも目を反らし、「ふん」と自嘲に似た鼻息を漏らした。


「ありがとうございます、【疑心暗鬼】さん。では、改めて依頼をお伝えしますね。ターゲットは、この世界の【神】と呼ばれており、【魔王】マクベスを千年の眠りに就かせた、【勇者】リア王の娘婿の流れを汲む男です」


「はあああ?」


 ターゲットの滅茶苦茶な設定に、三語句の探偵達が思いっきり眉を顰める。


「や、やっぱり【支離滅裂】ですね。さてさて、どうなることやら」


 ソカが頬を掻きながら、依頼人【支離滅裂】の前で、思いっきり溜息を漏らした。


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