第38話 共にある時間
およそ150センチメートル程の身長で、少年のような顔つきではあるものの、統監本部の暗躍組織摘発課で課長を務める、【一網打尽】。華麗なる【一】族として、衣食住に何ら問題もないと思っていた彼であるが……。
ジンに匿われ、共に暮らし始めた【花鳥風月】は、日々彼が時間に追われ、不規則な生活をしていることを目の当たりにした。
初めてジン宅の冷蔵庫を開けた時には、絶句した。食べ物らしいものが一つもなかったのだ。入っていたのは、エナジードリンクのみ。しかも数日間徹夜が出来るという謳い文句の、超強力なエナジードリンクであった。だからすぐさま変装して、近くのスーパーで色々な食材を買ってきた。
朝、早々と出勤するジンに、玄関先で【花鳥風月】が言う。
「あの、朝食を作ったけど……」
「いえ、結構です。朝は何も食べないので」
「そう……」
「・・・」と【花鳥風月】が瞬きする。
「では行ってきます」
「あの、お弁当も作って――」
「お昼も食べませんので」
「そ、そう……」
ただの居候では心苦しいと思い作った朝食と弁当だったが、ジンには無用だったようだ。
夜も夜で――。
「お帰りなさい。夕食を作っているけど」
「いえ、必要ありません。空腹でもありませんから」
そう言ってシャワーを浴びたジンは、自室に引きこもった。部屋の前で聞き耳を立てた【花鳥風月】だったが、カタカタとパソコンを叩く音と、電話で捜査情報を話す声が聞こえ、彼が帰宅後も仕事をしていることを知った。
翌朝、出勤したジンは、その後数日間帰宅することはなかった。
「死にたいのかしら、あの〈語句〉……」
もう何日と帰ってこない統監語句に、【花鳥風月】はソファの上でクッションを抱きしめた。部屋の様子は飾り気がなく、必要な家具家電しかない。女性の影を思わせるものは皆無で、ここに居候してからというもの、自宅を訪ねてくる〈語句〉もいなかった。
「たしかに見た目は子供だけど、元の姿に戻れば、女性だって放っておかないだろうし」
本当のジンがどういった風貌なのかはわからない。けれども、裏社会の女帝として名を馳せた、花牌こと【花鳥風月】は、ジンがモテないことはないと確信していた。
その時、玄関先で音がした。すでに時刻は夜の10時過ぎ。数日ぶりに帰宅してきたジンの疲れた表情を見た時、【花鳥風月】の中で何かが弾けた――。
「ここに座って」
「はい? 私はもう、シャワーを浴びて寝ますか――」
「いいから座って!」
テーブルに着くよう、【花鳥風月】が指示する。
「わかりました……」と従うジンであるが、何も分かっていない。
あっという間にワンプレート作り上げた【花鳥風月】が、ジンの前に夕食を並べていく。
「――さあ、召し上がれ」
「えっと……」
(ハンバーグにオムライス、スパゲッティとは……。完全にお子様扱いされているな……)
見るからにお子様ランチと野菜スープ、それからまさかのオレンジジュースを前に、ジンは冷静にこの状況を分析した。
「あの、せっかく作って頂いた手前、大変申し上げにくいのですが……」
「しっかり食事は摂らないとダメよ」
母親のような【花鳥風月】に、ジンは根負けした。
「いただきます……」
ハンバーグを口に運んだジンが、「うっ」と目を見開く。
「お、おいしい……」
ごっくんと飲み込んだジンに、【花鳥風月】は安堵の表情を見せた。綺麗に全部食べきったジンが、「ごちそうさまでした」と微笑みながら手を合わせた。
「ありがとうございました。久しぶりにちゃんとした食事を摂りました」
「今まで食事はどうしていたの?」
「ええっと、朝と昼は抜いて、夜は……エナジードリンクを飲んで……?」
曖昧な回答に、「それは食事とは言わないわ」と【花鳥風月】が苦言を呈す。
「うーん、あまり食べることに興味がないというか、仕事をしていれば、私はそれで生きていけるので」
「馬鹿じゃないの? そんな生活を続けていたら、いつか死んじゃうんだから」
「はは。確かに貴方の言う通り、いつかは死ぬでしょうね。ですが、私にはこの生き方しか出来ませんので……」
統監本部長、【安寧秩序】の言葉が蘇った。
『――お前にはもう、死んだように生きる道しか残されてはいないのだからな』
ぎゅっと拳を握るジンに、「……ねえ」と俯く【花鳥風月】が口を開いた。
「どうしました?」
「私のこと、貴方っていうの、やめて欲しい」
「では、『花牌』とでもお呼びすれば宜しいですか?」
「花牌もやめて。アイツに捕まる前は好きな名前だったけど、さんざん弄ばれて、虫酸が走るようになったから」
「それは失礼。貴方の気持ちも顧みず、無神経なことを言いました」
ジンが頭を下げて、謝罪した。
「では何とお呼びすれば?」
「……カヅキ」
「カヅキ? ああ、【花鳥風月】ですものね。分かりました、カヅキさん」
「さん付けもしないで。カヅキでいいから」
そう言って、カヅキはジンから視線を逸らした。ほんの少しばかり、頬が紅潮している。その表情にジンはぎょっとするも、そっと微笑んだ。
「分かりました。ではカヅキ、私……いや、僕のことは、ジンとお呼び下さい」
「……ん。分かったわ、ジン」
決して二語句の間に甘い空気が流れている訳ではない。お互いに境界線を引くも、ほんの少しばかり共にある時間を、今はただ、楽しいと感じているだけだ。
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