第37話 統監語句と犯罪語句

 統監本部、暗躍組織摘発課には、多くの捜査語句が所属している。その中でも、課長【一網打尽】のチームには、有能な二人の捜査語句がいた。

 その名も、【撥乱はつらん反正はんせい】と【飛耳ひじ長目ちょうもく】である。


■撥乱反正(はつらんはんせい)

 乱れを正し治安を保つこと。

「撥」は治めるの意。

「反」は「返」と同じで返す、戻すの意。


■飛耳長目(ひじちょうもく)

 優秀な情報収集力と判断力をいう。

「飛耳」は遠くのことを早く聞ける耳。

「長目」は遠くまでよく見通せる目の意。


 どちらもハ行語句の特徴である青色の瞳をしている。「組摘」内では、ハツラン、ヒジと呼ばれているハ行コンビで、橙色のツンツンとした髪型で、軟派な印象が強い方がハツラン。眼鏡に長い銀髪を一つに束ねた、表情筋の硬い方がヒジ。


 二語句のデスクは隣同士で、彼らの上手かみて側に課長であるジンの席はある。いつもは誰よりも早く出勤するはずのジンが、今朝はまだその姿を見せていない。


「――そう言えば、一網課長、今日は珍しく昼から出勤だそうだ。昨日の帰り、課長からチームの皆に伝達するよう頼まれた」

 捜査資料に目を通しながら、思い出したようにヒジが言った。

「え? そうなの? めっずらしー! あのチビタンが午前休取るなんて、今日は槍でも降ってくるんじゃね?」

「……お前、間違っても課長の前でチビタンなんて言うんじゃないぞ。捕縛されたら最後、――『ふふ、ハツラン。今日一日、木の枝にぶら下がってなさい』とか何とか言って、お前を折檻する課長の姿しか思い浮かばないからな」

「まあ、その時はその時だろ! そうなりゃ、ヒジも道連れに――」

 そこまで言ったところで、「組摘」の副課長――【虎視眈々】が部下を連れて姿を現した。


 二語句は立ち上がると、「おはようございます」と挨拶し、自席に座った。ハツランが小声でいう。

「見ろよ、ヒジ。今日も虎視副課長が秘蔵っ子と一緒に出勤してきたぜ? あの二語句、デキてるって噂、マジなのかな?」

「俺が知るか。虎坊に聞くのは怖いから、掘られる側に聞いてこい」

「……お前も結構なこと言ってんぞ。あの虎視副課長のことを虎坊なんて、間違っても本人の目の前で言うなよ? 言ったら最期。青瞳の虎は理性が切れた怪物同様だからな」

「その時はお前も道連れだな」

「おおいっ! それはシャレになんねーって!」

 ハツランのツッコミに、ギロリとトラの金瞳が向けらた。

「す、すみませんっ……」

 小声で謝ったハツランに、【虎視眈々】のチームに属する秘蔵っ子――【不惜ふしゃく身命しんみょう】が嘲笑を浮かべた。


■不惜身命(ふしゃくしんみょう)

 捨て身で事に当たる決意を表す。

「身命を惜しまず」とも読み、自分の命もかえりみず、命がけで事に当たること。


 こちらもハツランとヒジと同じハ行語句。青い瞳でハーフアップにした萌黄色の髪。中性的な見た目ではあるものの、上司の命令こそ絶対の男性語句である。


「シンミョウの奴、絶対オレらを下に見てるだろ! くそう、オレらの方が先輩なのに……!」


「まあ、検挙率は俺達ジンチームよりも副課長達トラチームの方が上だからな。あんな凶暴な虎の下にいたら、嫌でも性格なんて歪むだろう」

「ある意味、被害者だな」

「ある意味な」


 二語句が憐れむようにシンミョウを見つめた。それに対し、不本意そうなシンミョウがいる。彼らは統監語句らしく、スーツ姿だ。それぞれが事件を抱え、日々捜査にあたっているのだった――。


 ◇◇◇

 午前中のみ時間休を取ったジンは、花牌ファパイこと【花鳥風月】の退院手続きを済ませると、足早に彼女を車に乗せ、自宅へ向かった。

 車内では終始、【花鳥風月】は俯き加減で黙ったままでいた。ジンもまたハンドルを握りながら、その気持ちに寄り添う姿勢は見せなかった。


 ジンの自宅は高級マンションの一室である。他の【一】族がそれぞれ豪邸に住んでいることに比べれば、ジンの住まいは地味だった。


「――今日からここに住んでもらいます。基本、私は仕事で何日も帰らない日がありますが、好きに使っていただいて構いません。食事も睡眠も入浴も、いちいち私に許可を取る必要はありませんので」


 冷たくも聞こえるジンの言葉に、【花鳥風月】は「……分かったわ」と、こちらも覇気のない返事で頷いた。ソファに腰掛けた彼女の俯き加減の横顔は、さすが美麗語句らしく、見るものを惹きつける可憐さがある。桜色の長い髪を一つにまとめ、耳端から後れ毛がくるくると伸びている。伏し目がちの金瞳に小さな唇。今は化粧をしていないとはいえ、裏雀荘を取り仕切っていた「壟断会ろうだんかい」の頭目――花牌の素顔に、ジンは自分の小さな掌を見つめた。


「……このような風体をしていますが、私とて一端の男です。込み入った事情があって、この姿であることは、貴方も覚えていてください」


「込み入った事情?」


 その時初めて、【花鳥風月】はジンを見上げた。


「ええ。詳しくは話せませんが、この姿は本当の私ではないのです」

「それじゃあ、本当の【一網打尽】は、もっと大人ということ?」

「ふふ。こう見えても【一】族です。本当はヨボヨボのおじいちゃんかもしれませんよ」


 ジンの言い草に、【花鳥風月】は面食らった。


「貴方も冗談が言えるのね」

「さて、冗談か本気かは、貴方の目で確かめるしかありませんが……」

 そこまで言って、ジンは口を閉じた。


「とにかく、私と貴方は統監語句と犯罪語句の関係。今もまだ、裏雀荘事件の捜査は終わってはおりません。凶暴な虎に食い殺されたくなければ、貴方はここで大人しくしていなさい。とは言え、外出を禁ずることはありません。買い物などに行かれたい時は、しっかりと変装するように」


「……ええ。分かったわ」


「はじめに言った通り、貴方の身は私が匿います。その代わり、貴方には、私の捜査に協力してもらいますよ」


 その言葉には、【花鳥風月】は何の返事もしなかった。彼女の強張こわばる表情に、ジンもまた、それ以上の強要は示さなかった。そうして午後になる前には、何食わぬ顔でジンは出勤していったのである。






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