Bridge

 みんみん

 ジンがカヅキと同居するようになり、ひと月が経った頃――。


「――きゃあ!」


 昼下がりのキッチンから、突然カヅキの悲鳴が上がった。


「カヅキ……!?」


 その日、たまたま休日で自室にいたジンが、慌ててキッチンに入った。


「ジンっ……」


「どうしたんですか、カヅキ。悲鳴が聞こえましたが……」


「分からないけど、冷蔵庫を開けた途端、白煙が上がってっ……」


 見れば、閉められた冷蔵庫の隙間から、モクモクと白煙が上がっている。


「何か冷蔵庫に破裂するようなものでも入れましたか?」


 統監語句らしく、冷静にジンが尋ねる。


「いいえ? そんなものは入れていないわ? それにこれだけの煙が出るなんて、破裂どころの話ではないと思うけど」


「そうですね。そうなると……」


 ゴクリと息を呑んだジンは、意を決し、冷蔵庫に手を伸ばした。


「まさか開けるつもりなの?」


「ええ。ちゃんと原因を確かめねば、対策も練れないので」


「さすが統監語句ね。分かったわ、確認しましょう」


「カヅキ、貴方は離れていてください。僕が開けますから」


「ええ」


 カヅキがジンの後ろに立ち、その決断を見守る。冷蔵庫を開けたジン目掛けて、男が転がり落ちてきた。


「なっ……?」

「きゃああああ」


 突然のことで、思わずジンも体を反らした。


 カヅキの悲鳴に、「うう……」と男が唸る。床に転がり落ちた、トレーナーにジーパン姿の華奢な男。ぼさぼさの黒髪で、目の下にはくっきりとクマができている。


「しっかりしなさい! 貴方は何者ですか? 何故うちの冷蔵庫から出てきたのです? 場合によっては今ここで逮捕しますよ!」


 矢継ぎ早な尋問に、「ううっ……お、おれは……」と男から声が漏れる。意識はあるものの、ぐったりとして、伸ばされる手が震えている。


「ジ、ジン、この男はいつから冷蔵庫の中に隠れていたのかしら? まさか泥棒? それとも私を殺しに来た暗殺語句かしら?」


「まさか! 『組摘』の課長である【一網打尽この僕】の家に侵入することなど不可能です! そんなことをすれば、この部屋を護っている縄の結界により、体が爆発するはずですから」


「え? その見た目で、えげつない罠を仕掛けているのね、あなた……」


 未だにジンを信頼しても良いか分からないカヅキにとって、その事実は聞きたくなかったような……。


「それよりも、まずはこの男の捕縛が先です。いつ貴方に危害を加えんとするかも分からないので」


「ええ」


 ジンが捕縛用の鎖を出現させた。その瞬間、「ま、まって……!」と男がその場に土下座する。


「身元を明かす気になりましたか? それから、ここに隠れていた理由も」


「か、隠れていたんじゃない! おれは今ここでこの体を与えられたんだ!」


「はい? どういうことです?」


 鎖で男を捕縛した状態で、ジンの取調べが始まった――。


「――貴方のお名前は?」


「おれは……み……」


「み?」


「みんみん……あれ? おれは誰だ?」


 男が首を傾げる仕草に、ジンの眉間が動く。


「みんみんときたら、セミ、かしら?」


 至極真面目に、顎に手を寄せるカヅキが考える。


「彼がミンミンゼミのはずがないでしょう、カヅキ。人の姿であるということは、僕達と同じ【四字熟語】。貴方もこの世界で人格を与えられた、れっきとした〈語句〉のはずです」


 ジンが男の正体に迫るべく、じっと見つめて逃さない。


「おれが【四字熟語】……? 分からない。気がついたらこの姿だったから。冷蔵庫にいた理由も分からないんだ。けど、【みんみん】という言葉だけが、おれの中にあって……」


 そう言って、男が頭を抱えた。「ふむ」とジンが考察する。


「貴方の供述通り、気がついたらその姿であったのならば、冷蔵庫の中にあったものが貴方であるということになります」


「冷蔵庫の中にあったもの? ちょっと待って、ジン。冷蔵庫に【四字熟語】のものなんて入れないわよ?」


「ええ、貴方の言う通りです。ですが実際、彼は冷蔵庫の中から出てきた。念の為、冷蔵庫の中を確認してみましょう」


 ジンが冷蔵庫を開け、その後ろからカヅキが中身を確認する。


「卵に野菜、お肉にお魚。他は調味料や飲み物だけど……。やっぱりどれも【四字熟語】とは無縁だわ?」


「そうですね。そうなると……」


 男に振り返ったジンが、その目の前に腰を落とした。


「やはり、犯罪語句として逮捕するしかないようですね」


「ま、まって! 本当に自分が何者か分からないんだ! 逮捕したところで、おれは何の供述もできない……」


 シュンと落ち込む男。


「なんか可哀想になってきたわ。鎖、外してあげても良いんじゃない?」


 男に同情するカヅキが、「ねえ、ジン」と胸に手を寄せ、ぎゅっと口を噤む。それに根負けしたジンが、張り詰めていた肩から力を抜いた。確かにこの男の正体を突き止めない限り、逮捕送検したところで何の解決にもならない。


「……分かりました。貴方を逮捕するかは一時保留といたします。ですが、その正体が分かり、それが犯罪に繋がっている場合は、すぐにまた捕縛しますからね」


「分かった。ありがとう」


 ジンが男を捕縛していた鎖を解く。そっと安堵したカヅキが、優しく笑った。


「あなたは自分の名前が【みんみん】、ということだけは覚えているのでしょう? なら、【みんみん】という言葉が入っている【四字熟語】を探す方が早いんじゃないかしら」


「確かにそうですね。では辞書を持ってきましょう」


 立ち上がったジンが、書斎から辞書を持って帰ってきた。リビングでは、ソファに座るカヅキの頬に手を伸ばす男の姿があって――。


「婦女暴行の現行犯により逮捕します」


「ちょ、ジン……!?」


 間髪入れず、男に向かい鎖を放ったジン。それを握る拳には、思いっきり怒りマークが浮かんでいた。


「待って待って! 違うんだって! おれはただ、彼女の頬についていたまつ毛を取ろうとしただけだってば……!」


「言い訳ならば統監本部で聞きます。やはりすぐにでも逮捕するべきでした」


 ぐいっと男の体を引くジンに、「勘違いよ、ジン! 彼の言う通りだから、その鎖を解いてあげて……!」とカヅキが男を庇う。


「まったく。油断しすぎですよ、カヅキ。貴方は美麗語句なのですから、もう少し警戒心というものを持たなければ……」


 小言を言うジンに、カヅキは面食らった。それでもクスクスと笑い、ふんわりとジンを見上げた。


「エリート捜査語句も、嫉妬するのね?」


「なっ!? ち、ちがいます! 僕はただ貴方がっ……!」


 顔を真っ赤にして視線を外すジンを、ニヨニヨと男が見つめる。さっと黒く笑ったジンが上から言う。


「逮捕送検実刑判決、【一】族である私ならば、すぐにでも即日で手続きを踏めますが?」


「ご、ごめんってば! ただ……良かったと思ったんだ」


「良かった? どういう意味です?」


 イラッとする表情で、ジンが訊ねた。


「んー、自分でも分からないんだけど、おれはずっと君を見てきた気がして……。あれ? おれはっ……ううっ」


 俄にその場に蹲った男に、カヅキが慌てて手を伸ばす。


「大丈夫!? しっかりして!」


「ううっ……! おれは、なにものなんだっ……」


 思い出しかけた記憶の断片を掴もうとするも、どんどんそれが遠くなっていく――。


 急転する事態に、ジンが慌てて辞書をめくる。


「急いで、ジン! 【みんみん】よ! 【みんみん】がつく【四字熟語】を探して……!」


「【みんみん】……いや、やはりそんな【四字熟語】はないですよ! せめて漢字だけでも分かれば良いのですが……!」


「うう……おれは、ずっと、冷蔵庫の中に、いてっ……」


 額を抑える男の呟きに、ジンにも焦燥感が走る。


「冷蔵庫、【みんみん】、ずっと僕を見てきた……まさか、貴方の正体は……!」


 ようやく解決の糸口を見出したジンが、慌てて冷蔵庫に走る。


「そうだ、何故気が付かなかったんだ! 彼は、彼の正体は……!」


 ジンが冷蔵庫を開けた先に見つけたもの――。


「ジン!? 彼の正体が分かったの?」


「……ええ。もっと早くに気がつくべきでした。彼は【四字熟語】ではありません」


「え? どういうこと?」


「彼の正体、それは……」


 ジンが冷蔵庫の奥から、一本の小瓶を取り出した。それをカヅキに向ける。


「それって、まさか……」


「ええ。僕が食事代わりに飲んでいたエナジードリンク――【眠眠◯破】ですね」


「【眠眠◯破】。確かに【四字熟語】ではないけれど、漢字四字で出来た商品名ならば、この世界では人格を与えられ、人の姿にもなれるってわけね」


「ええ、そのようです。しかし、彼がまさかエナジードリンクだったとは。確かに、ずっと僕を見てきたでしょうが……」


 カヅキと同居するまでは、食事にまったく興味のなかったジン。こうしてカヅキが毎食作ってくれるようになってからは、エナジードリンクを飲むこともなくなっていた。


 実際、そのエナジードリンクも食材の隅に追いやられ、一見しただけでは気づかなかったのである。


 何とも言えない感情になりつつも、リビングに残してきた【眠眠◯破】に真相を伝えに、二語句は戻った。


「あら? 彼はどこに行ったのかしら?」


「いない? まさか……消滅した?」


 ジンとカヅキが部屋中を探して回るも、【眠眠◯破】の姿はどこにも見当たらない。その時、玄関先でガタンという音がした。


「彼かしら……!?」

「貴方はここにいてください。僕が見てきますから」


 そう言って、ジンが玄関へと向かう。しかし、そこに【眠眠◯破】の姿はない。一応、玄関を出て、エントランスまで確認しに行った。しかし、どこにも男の姿などない。


「どういうことだ? 彼は【眠眠◯破】ではないのか? いやそれ以前に、辞書にない〈語句〉が人格を与えられ、人の姿として生まれることがあるのか? もしや、この推理は間違って――」


「いいや、間違ってはいないよ。ただ、少しだけ気づくのが遅かったかな」


 背中から聞こえた、怪しい男の声。振り返ったジンの目に、シルクハット姿でマントを纏う若い男が映った。


「お前はっ……――」


 一瞬の隙をつかれ、ジンの胸から一つの文字を取り出した男。


「……一人目、ミッションクリア。君の大切な【打】は、確かにこの怪盗――【複雑怪奇】がいただいたよ」


「ふくざつ、かいき……! 僕の【打】を返せっ……!」


 自らを造る文字を抜き取られ、ふらふらと足がもつれるジン。それでも目の前に姿を現した犯罪語句を捕縛するため、鎖を放つ――。


「おおっと! さすがは統監本部、暗躍組織摘発課課長、【一網打尽】。華麗なる【一】族なだけあるね。でも、残念。これから始まる怪盗対探偵のショーに、君の出る幕はないんだよ。ほら、予告状だ。君は精々せいぜい、恥晒しの統監語句として、【一】族の崩壊を指を咥えて見ているがいいさ」


 難なく鎖から逃れたカイキが、トランプサイズの予告状をジンの足元に突き刺した。そのままエントランスの天窓へと飛び移り、肩で息をするジンを高見から笑う。


「ふふ。この【打】を欠けた部分に埋め込めば、彼も本来の自分を取り戻すことが出来ただろうに。だけど、良い実験体になったよ。彼が目覚めたら、『ありがとう』と伝えておいてくれ」


 カイキがジンの【打】を握り、不気味に笑う。エントランスの隅に、気を失って倒れている【眠眠◯破】の姿があった。


「ジン……!」


 その後を追って来たカヅキに、ジンの制止の声が飛ぶ。


「駄目です、カヅキ! こちらに来てはいけない!」


「え?」


 思わずカヅキの足が止まった。


「ふふ。君のことはだいぶ前から見ていたよ。あの【一網打尽】が囲っている美女。君も、凶暴な虎に見つかる前に、ここから出ていった方が身のためだよ」


「何故それを? あなたは一体……」


「では僕はこの辺で失礼するよ。また会おう、【一】族の恥晒し君――」


 天窓を突き破り、姿を消した【複雑怪奇】に、ギリッとジンの奥歯が軋む。


「ジン……! 一体何があったの!? あの男は一体っ……」


 カヅキの問いかけには答えず、ジンが足元の予告状を手に取った。


「ジン、それって……」


 そこには、怪盗【複雑怪奇】からの予告が書かれていた。


〜予告状〜

『一生でただ一度の好機、その誕生日パーティにて【一】族の秘宝をいただきに参上する。それまで、何語句の【一】族が正常でいられるか、勝負と行こうか、――ランマ』




























  











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

快刀ディクショナリー ノエルアリ @noeruari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画