第3話 【千】と【心】
借金返済期日最終日、ランマは【一六銀行】から借り入れた三百万を持って、朝から【極悪非道】組の屋敷へと向かった。
一方事務所では、裏雀荘を取り仕切っていた闇組織の不正調査で得た情報を、バンが報告書に纏め終えるのを、ソカがコーヒーを淹れたり、掃除をしたりして待っていた。
ふうっと満足げに自分の席に着いたソカが、はっとした。
「僕だって探偵なんだ……」
エプロン姿の自分が急に恥ずかしくなったのか、顔を隠すソカに、「もう事務員でええやん」と冷静にバンがツッコむ。お菓子のホランを口に咥えてキーボードを打つバンは、妙に色っぽかった。「うるさい……」と落ち込むソカを、事務所のドアの隙間から、ボーっと惚けながら覗く男がいた。
「はあ。アイツかい」
嫌気が差したようにバンが吐息を漏らし、勢いよくドアを開けた。
「ほげっ……」
ソカを覗いていた黄髪の男に、バンが蹴りを入れる。
「何しとんねん、アホ。さっさと入れや」
「アホとは何だ! ぼくは天才だぞ!」
「うっさいわ、アホ! 半分引きこもりのくせして、何が天才じゃ、ボケっ!」
ぎゃあぎゃあ騒がしい外の様子に、ソカがドアへと向かう。そこに、左目を前髪で隠し、金色の瞳で、黄色地に青蓮華の長着、細帯の着物姿を着流す男がいた。
「アンさんじゃないですか!
「当然だろう? この天才が直々に内部調査して、論文に掲載されていた実験値の不正を暴いてやったんだ。ほら、ここにその報告書もあるぞ」
完璧に仕上げてきた報告書の内容に、「わあ、やっぱりアンさんは凄いですね」とソカが褒める。
「ふっふーん。そうだろう? ソカ。S級依頼が来たらぼくに頼っていいんだぞ? なんたってお前はこの天才を尊敬する、ぼくの可愛い崇拝者だものなぁ」
「いえ、断じて僕はアンさんの崇拝者ではありませんよ」
「ブフッ」と噴き出したバンに、「おいこら
「ダレが欺瞞男やねん!」
「お前以外の誰がいるって言うんだ! 変身能力で本当の自分も分からないような男が、相手に嘘ついたり、騙しているんだろうが!」
「はあ? 人を疑うことしか知らへんようなお前に言われとうないわ!」
「ちょっと二人とも! 一応お互いに相棒なんですから、喧嘩なんかしないでください!」
そう仲裁したソカに、間髪入れず、ぎゅっと抱き付くアン。
「困った顔も可愛いぞ? ソカ」
「やめてくださいっ、気色悪い!」
目を瞑って、サブイボを立てながら全力で拒絶するソカを、バンが自分の方に引き寄せ、「ソカちゃんに触れるなや、【疑心暗鬼】!」とアンを蹴り飛ばした。
■疑心暗鬼(ぎしんあんき)
何でもないことまで疑う状態を表す。一度疑い始めると、何でもないことまで不安や恐ろしさをかんじたり、人に根拠のない嫌疑をかけたりする意。
「暗鬼」は暗がりに潜む鬼の意。「暗」は「闇」とも書く。
「ああこらバン! 弟がすみません、アンさん」
兄であるソカがアンを起こし、謝る。バンが冷めた目で、
「ホンマもんの弟やないやろ」とそっぽを向く。
「くそっ! ぼくもソカと兄弟になりたい! おい欺瞞、お前の【千】をぼくに寄越せ!」
そう言って、アンがバンのポーラ・タイを引っ張る。
「ナ、ナニ言ってんねん! 寝言は寝て言えや、アホっ!」
「何だとっ、ならぼくの【心】をくれてやるから、お前は黙って【千】を寄越せっ」
「せやからアホなコト言うなや! お前の薄汚い【心】なんぞいるか、アホ!」
そうバンが言い放った直後、急にアンが静かになった。二人の語句から表情を隠し、俯いている。
「ア、アンさん? どうしました?」
「……仕方ない」
ボソリと呟いた後、ばっと顔を上げたアンが、いつの間にか用意されていたスタンドマイクの前に「ハイどうも~」と拍手しながら向かって行った。
「アンさん!?」
「くっ、まさかアレにそないな力があるっちゅうんかっ! このわしが引き寄せられるやなんてっ……」
「バン!?」
そうして二人で即興漫才を始める、【疑心暗鬼】と【千変万化】――。
「いやぁ、ぼく達、こう見えても探偵なんですよー。ぼくが【疑心暗鬼】で、この胡散臭いのが【千変万化】って言ってね、コイツがまたケッタイな奴なんですよー」
「わしのどこがケッタイやっちゅうねん!」
「何言ってんだ。ならお前の能力、言ってみろ」
「わしか? わしは読んで字のごとく、千にも万にも変化出来る、探偵には申し分ない変身能力やないかい。それのどこがケッタイやねん! 言うてみぃ!」
「なら聞くが、怪盗ルパンの特技は?」
「そりゃ変装やろ」
「なら怪盗キッドは?」
「それも変装やな」
「なら怪盗ジバコは――」
「全員怪盗やないか! それに怪盗ジバコって、若い子わからへんやろ!」
「そんなことはどうでもいい。ぼくが言いたいのは、探偵のくせになんで変身能力を得意げに語っているのかってことだ。探偵と怪盗、相反する敵同士、ここは変身能力じゃなく、演技力で勝負したらどうだ?」
「演技力って、蝶ネクタイで声色変えて、誰かしらをチクッと眠らせてから、真相語れっちゅうんか?」
「やってみろ、ぼくがチクッとされた誰かしらをやるから」
「ほなわしが蝶ネクタイボーイやな。……ほないくで、チクっ」
「うわああああああ! なんか刺されたああああ!」
「そない大げさにせんでええやろ! はよ寝ろや!」
「スースー」
「寝息うっさ! 寝てんのバレてますよー?」
「犯人はー……トンカチだっ!」
「トンカチって、凶器やないか! 寝言で言っとるやないか! ええから黙って寝とけ!……ええー、今日みなさんをここにお呼びしたのは、真犯人の正体が分かったからで――」
「だめだ! 全然なってない!」
「はあ!? 今からええとこやろ! 黙って寝てろや!」
「お前はホントになんっにも分かってないんだな。いいか、演技ってのはな、上辺ッツラでするものじゃないんだ。演技ってのは、心でするものだぞ?」
「はあ? 心?」
「そうだ。試しにぼくの【心】をやろう。ほら、お前も【千】を解放し、心を持った誠実な探偵になれ」
「なんやろ、こんキモチ。フワフワしてて、なんや開放的なキブンや」
「そうだろう? ほら、お前はもう【千変万化】ではなく、【心変万化】だ。どうだ? 新しく生まれ変わった気分は?」
「せやなぁ、なんや、【心】って、こない重たいモンなんやな」
「そうだろう? ナントカの動く城の魔法使いも、最後には心を取り戻しただろ? お前もそうだ、【心変万化】。そしてぼくは、【千疑暗鬼】。千を疑い、何でもないものまで怪しく訝る、天才探偵だ」
「って、その手には乗るか、アホ探偵がっ!」
「っち!」
大きく顔を反らし、アンが舌打ちした。
「あの、僕は一体何を見せられたんでしょう?」と困惑するソカに、「危ないとこやったわ。まさかスタンドマイクに引き寄せられるやなんてな。これも関西語句の悲しき習性や」
「いや、だからお前は関西発祥の語句じゃないだろ」とソカがツッコむ。
「それにしても、息ピッタリでしたね。さすがは相棒」
「相棒って、ぼくはこんな奴の相棒になった覚えはないぞ。今までだって、ほぼ一人で依頼を受けてきたしな。それに、変身能力しか取柄がないような語句が、ぼくのような崇高な語句の相棒になど、なれないと思うがな?」
「誰が崇高な語句やねん。ただの仏教派生組なだけやろ」
「ふん。ぼくもソカも、どこでどのようにして生まれてきたかも分からない語句とは違うんだ。お前はその由来も分からないんだ。本当の自分の姿も分からなくて当然だと思うがな?」
アンが見下すようにバンを笑った。
「ちょっと、アンさん! そんな風にバンを言わないでください!」とソカがバンを庇う。その真剣な表情に、アンが抱き付いた。
「怒った顔も可愛いぞ? ソカ」
「もう早く帰ってきて、ランマさん!」
困り果てた顔で、ソカが天井高く助けを求めた。
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