第35話 花の名
統監本部直下の病院に入院していた、美麗語句連続失踪事件の被害者達。その中の一語句、女形の――は、自らの身に起きた忌まわしい悲劇がフラッシュバックし、頭を抱えた。
彼女は仕事中の【韋編三絶】のコレクションとして、テレビ局の控室まで連れてこられては、そのクローゼットの中で恥辱を受けた。あの日も同じく辱めを受けていたが、来客があると知り、マネージャーである【春花秋月】により、一階の窓から【韋編三絶】の自宅へと連れ戻されたのであった。
忌まわしき過去を払拭するため、彼女は顔を上げた。心身ともに疲弊状態ではあるものの、いつまでもここにいるわけにはいかなかった。
彼女は立ち上がると、身の回りの物を鞄に詰め込んだ。そうして病室から姿をくらませようとした、その瞬間――。
「どちらへ行かれるおつもりですか?」
一人の統監語句と鉢合わせになった。その〈語句〉は小さく笑うと、後ずさった彼女を追い詰めるように病室へと入ってきた。
ペタンとベッドに腰を落とした彼女を、無情な赤い瞳で見下ろす、【一網打尽】――。
小さく震える体を抑えるように、彼女は身を縮めた。
「貴方は美麗語句連続失踪事件の被害者。【韋編三絶】のコレクション6ですね」
「……っ」
顔を伏せる彼女を、ジンが更に追い詰めていく。
「私が協力者である【春花秋月】から報告を受けていた被害者の数は、彼とソカ君を除いて、全部で五語句。その内の四語句は、失踪者としての届け出がありました。ですが、貴方だけはその届け出がされていない。しかも、自ら名を告げることは、決してなかったようですね。報告によれば、【韋編三絶】は貴方のことを特別な名で呼んでいたとか。その名を聞いた時は、まさかと思いましたが、貴方を見た瞬間、すぐに本物だと分かりました」
核心を突くため、ジンが相手の〈語句〉をじっと見つめる。
「【韋編三絶】も、貴方のことは特別執心していたようですが、その体に貴方を表す名はなかったとのこと。我々【四字熟語】は、体のどこかにその名が刻まれていますが、貴方にはそれがない。自ら消し去ったのか、はたまた最初からなかったのか」
ジンの追及に、その〈語句〉は、ぎゅっと左腕を握った。
「……失礼」
その様子を伺っていたジンが、彼女の左腕を取った。その服を捲り上げ、そこに刻まれた花の刺青をじっと見つめる。その刺青に隠れるように、彼女を表す名前は刻まれていた。
「……【花鳥風月】、それが貴方の本当の名前ですね」
「……っ」
■花鳥風月(かちょうふうげつ)
自然の美しい風景や風物。
詩歌や絵画の題材ともされてきた。
「ようやく見つけましたよ。貴方が『
花牌と呼ばれた女性語句の脳裏に、忌まわしい過去に繋がる、その発端がフラッシュバックした――。
◇◇◇
『――自宅までお送りしろ』
統監本部の『組摘』に裏雀荘を摘発された後、【弾丸雨注】によって、花牌は難を逃れるも――。
『――目を瞑って、耳を塞いでてくだせえな』
運転手である初老の男が言った。
『え……?』
『いえね、ソッチの方が、アンタも楽だと思うんでさぁ』
その直後、背後で銃撃音が鳴り響いた。
『いやっ……』
何が起きたのか、すぐに分かった。1番信頼していた【弾丸雨注】が誰かに銃撃されたのだ。
花牌はそのまま気を失った。そうして気がついた時には、度々裏雀荘を訪れていた上客――【韋編三絶】の自宅に連れ込まれていた。
あの初老の運転手の正体こそ、この世界の暗躍ヒーローを騙る【暗中飛躍】であったのだ。二語句の企みにより、花牌はその後、【韋編三絶】のコレクションとされ、恥辱の限りを尽くされたのである。
◇◇◇
「――いやぁ……!」
手で顔を覆い、泣き叫ぶ花牌に、ジンの無情な赤い瞳が淀む。
「……貴方は犯罪語句です。統監本部暗躍組織摘発課課長として、貴方を見過ごすことなどできません。……ですが、捜査に協力してくださるのであれば、貴方の身は私が匿いましょう」
ジンの提案に、花牌が顔を上げる。その美しい素顔が、ジンの赤い瞳を不安げに見上げた。
「ここは【一】族である私を信用するのが、貴方のためでもあるのですよ」
そう花牌の耳元で囁いた、ジン。俯く彼女がやがて出した答えに、そっと口角を上げた。
統監本部へと帰還したジンは、自らの席に着いたのと同時に鳴った内線に、ぐっと前を見据えた。
暗躍組織摘発課課長【一網打尽】を呼び出したのは、統監本部のトップ、本部長――【安寧秩序】。
本部長席で白髪の後ろ姿を見せる【安寧秩序】は、背中に掲げられた「あんねい」という毛筆体を見上げていた。
「……お呼びでしょうか」
ジンが真っ直ぐに【安寧秩序】の背中に向かって言った。そのままの体勢で、【安寧秩序】が口を開く。
「……【韋編三絶】を逮捕したそうだな」
「はい。美麗語句連続失踪事件の被疑者として、私が逮捕いたしました」
「そうか。伏せ字はどうした?」
「いえ。今回は伏せ字扱いでの逮捕ではありません。【韋編三絶】のまま逮捕送検いたします」
「そうか……」
くるりと椅子を回した【安寧秩序】が、ぎりっと赤い瞳でジンを見下ろし、言った。
「今回の事件は、連続失踪事件だ」
「はい。ですから被害者を拉致監禁していた【韋編三絶】を――」
「私は失踪事件だと言ったのだ」
圧を掛けるような言い回しに、ジンの眉間が動く。
「いいか、一網課長。今回の事件は、単なる美麗語句による失踪だ。誘拐事件ではないのだよ。そこをはき違えるな。彼らは勝手に消え、勝手に見つかった。ただそれだけのことだ」
どこまでも、どこまでもア行特権を護ろうとする、統監本部の行き過ぎた正義――。それを正すために、ジンは目の前のアから始まる至高語句と対峙する。
「……これ以上、ア行特権に蔓延る犯罪語句を増やしては、やがてこの世界の根幹は崩れ落ちる。この世界の秩序は、ア行語句によって、都合の良い筋書きに書き換えられてしまったのですから」
「他人事のように話すな。その都合の良い筋書きは、お前達【一】族によって作られたものだろう? 身内を斬る覚悟がないのなら、お前は何も考えるな」
ぐっと険阻な表情を浮かべるジンに、【安寧秩序】が穏やかに笑う。
「お前は正しいことをしようとしている。だがな、その正しさが多くの命を奪わんとしていることに、いい加減気づくのだ、ジン。お前にはもう、死んだように生きる道しか残されてはいないのだからな」
ジンは何も答えなかった。
その後、【韋編三絶】は秘密裏に釈放され、姉、【意馬心猿】の死を知った。その後の彼の行方を知るものは、一語句たりともいなかった。
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