第13話 誰かこのシチュエーションを説明してください!
事務所に帰ったランマとソカ。夕日に照らされるソカの顔を、じっと見つめるランマ。
「……綺麗だ、ソカ」
「ら、らんまさん……」
「なあ、このまま、口づけしても、いいか?」
「は、はいっ……」
そう言って、ぎゅっと目を瞑ったソカが、ランマに向かい、唇を寄せていく。ランマもまた、扇情的な表情で、ソカの唇に近づいた――。
「——やっっっぱムリいいいい」
ぐいっとランマを押しのけ、「はあああ」と吐息を漏らすソカ。
「ああん! ソカさん! 今とっても良いシーンだったのにぃ!」
二語句のシチュエーションをソファから眺めていたシンエンが、ぶうぶうとブーイングする。
「す、すみません、シンエン先生。や、やっぱり、僕達には無理というか、心身共に受け付けないというか」
「なあ、シンエン先生よ。本当にコレがアンタが書きたい作品なのか? 初っ端と同じ、BLじゃねーか」
「何を仰るんですか! コレこそ、男同士の熱い友情を描いた、純文学作品なんです! 男同士のキスシーンだって、立派な純文学なんですから。偏見はよくないですよ、ランマさん!」
熱く、興奮気味に語るシンエンに、「あれ? 煩悩戻ってね?」とランマが訝しがる。
「ふふ。私は【意馬心猿】ですよ? 簡単に自らの〈意味〉が消えるワケないじゃないですか」
「そんなこと言ってっと、まあたチビ忍者に命狙われるぞ?」
「大丈夫ですよ。ちゃーんと私には、【心】があるんですから。自制心という言葉があるくらいなんですから、自らの煩悩も抑制出来ます。……人々の【心】の機微を描く。それが私の作家としての原点であり、大切にしていきたいものなんです」
「シンエン先生……」
穏やかに笑うシンエンに、ソカもそっと笑った。そのソカの首に手を回したランマが、ニッと笑う。
「おっ、なら一件落着だな。良かったな、ソカ。初めて単独で依頼を解決出来たじゃねーの」
「はあ。単独ではなかったと思いますが」
「何を仰っているんですか、ソカさん。あなたのお陰ですよ。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げたシンエンが、自らの胸に手を寄せ、そこから【意】の字を放出させた。
「契約通り、私の一字を差し上げます」
「シンエン先生、でも、その【意】は……」
「大丈夫です。【意】も【心】も同じ〈意味〉ですから。一つなくなろうが、私の情熱の前では、何も変わりません」
躊躇いながらも受け取った【意】の字を、ランマに手渡す。
「まいどあり……って、無理やり【結】にしようったって、そうは問屋が卸さねーよ。お前サンにはもう一つ、報酬を払う義務があるだろ?」
「あ、そうだ、忘れてました。僕の会いたい人——【韋編三絶】先生に会わせてくださるんですよね?」
「あっ……はい、そうでした。イヘンに会いたい……ですか?」
「もちろんです! 韋編先生は僕の憧れの〈語句〉なんですから!」
今度はソカが鼻息荒く、自らの欲望を爆発させた。
「わかりました。では、お会いできる場を設けますので、しばらくお時間をください」
「もちろんです! そう簡単に会えては、推しに会う楽しみがなくなりますからね」
「推しって、ただのコメンテーターのオッサンだろ?」
「あなたは黙っていてください! はあ~。憧れの韋編先生にお会いできるなんて、夢のようだな~」
シンエンが事務所を後にし、惚けたようにソカが紅茶を淹れに行った。ランマは【意】を持ち、奥の部屋へと入っていく。
『明正辞書』と銘打つ書物を取り出すと、【意】を表紙に流れ込ませた。ア行のページに、【意】の字とその〈意味〉が刻み込まれる。
その時、パラパラと辞書が開き、ハ行のとあるページで止まった。
【百八煩悩】——その〈語句〉が、真っ黒く塗りつぶされていく。
「なんだ……?」
訝しがるランマにも、この事態が把握できない。しかし、〈語句〉が塗りつぶされたということは、この世界では、死を表す。誰かが【百八煩悩】の命を奪ったということだ。
「まさか、あのガキんちょが……?」
忍びの恰好で、仏教派生組の煩悩に関わる〈語句〉を、その〈意味〉もろとも、この辞書界から滅すると宣言した、【色即是空】。彼が同胞である【百八煩悩】を滅したということか?
「ったく、オウショウに統監に【一】族にカイキ、それから謎の忍。アンタが作り出したこの世界、ほんっと、俺達の周りは敵だらけね。まさに、【四面楚歌】じゃねーか」
辞書の表紙に銘打つ『明正』という名前を擦りながら、そっとランマは呟いた。
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