9 魔法使いの本当の姿

 自分の空想の魔法使いではなく、本物のマーカス・ウェントワースと一緒にいることを感じはじめると、眞奈はますます混乱してきた。


 しかし、彼はそんな眞奈の気持ちには全然感づいていないようだった。


 マーカスは突然合図した。

「あ、そこからは身をかがめて! こんなふうに」、マーカスは手本を見せた。


 眞奈は慌ててわずかにかがんだ。


「その部屋はステイブリー先生の部屋で、先生の机は窓に面しているから見つからないようにね。昔、屋根の上を歩いているのがバレてメチャメチャ怒られたことがあるんだ」


 眞奈は担任のステイブリー先生に怒られているマーカスを想像しておかしくなった。


 今のマーカスは教室で見るマーカスとは少し違っている。無邪気ないたずら好きの男の子みたいで楽しそうにしている。教室ではいかにも優等生で、静かで地味な感じなのに。そしていつも窓の外を見ている不思議な男の子なのに。


 マーカスの新たな一面を見て、眞奈は少しだけ彼に近づいた気がした。


 マーカスは屋根が続くつきあたりを指さして言った。

「あそこの教室は二〇八号室の向かいの教室だよ。あそこの窓から部屋に入って通り抜けよう」


「でも窓にカギがかかっていて入れないんじゃない?」、眞奈は心配した。


「大丈夫。一番右の窓のカギは壊れているんだ。そこの教室は物置部屋だから誰も直さなくて、いつでも開くんだよ」、マーカスは自信たっぷりに言った。


 眞奈は一瞬彼の顔を見てから思わず笑い出してしまった。

「ほんとに窓のことなら何でも知ってるのね!」


 マーカスは眞奈が笑っているのを見て少しびっくりした。眞奈がそんなふうに大きな声で笑うところを今まで見たことがなかったのだ。


 眞奈は授業中も放課後もとてもおとなしくて、眞奈の声をほとんど聞いたことがなかったし、遠い国から来ている女の子という特徴以外で、彼女の存在を特に気に留めたことはなかった。

 マーカスが眞奈をちゃんと面と向かって見たのは、今が初めてといっていいほどだった。


 普段、おとなしい眞奈が笑うとその落差は魅力でもあったし、眞奈の黒いつややかな髪や優しげな顔立ちはかわいい愛らしさを持っていた。


 マーカスはちょっと照れて言った。

「屋根の上を歩くなんてやっぱり子どもっぽいかな。イザベルやフレッドにいつも呆れられるんだ」


 笑いながら眞奈は否定した。

「違うのよ。私が言いたいのは、『窓』のことなの。ほんとに窓のことだったらなんでも知ってるんだもん。やっぱりあなたは『窓の魔法使い』なんだなって思ったの」


「窓の魔法使い?」、マーカスはけげんな顔をした。


 あ、言っちゃった!

 眞奈は口にしてしまってから後悔したがもう遅かった。


 いったいどう説明したらいいのだろう、『窓の魔法使い』なんて……。マーカスはバカげた考えだと思うにきまっている!


 眞奈はしどろもどろになった。

「えっと、窓の魔法使いっていうのは、うーんと……、『魔法使い』といってもいわゆる一般的な魔法使いじゃなくって……、ほら、呪文を唱えて炎を出すとかあるでしょ、でもそうじゃないの。私の言っている魔法使いは不思議な精霊みたいなものなの。窓の精霊とでもいうのかな、窓を開けて別の世界に行けるような……」


 少なくても十秒は間があった。


「僕が? それは……」

 マーカスは突発的に大笑いしたかったが、すんでのところで笑うのを我慢した。


 相手は遠い外国から来ている女の子だ。多少変なことを言ったとしてもしかたがない。それにマーカスはそういったことをユーモアとして受け入れたり、むしろ積極的にユーモアを見出したりするだけの心の豊かさを持っていた。


 また、どういう表現にしろ褒められているのを感じ取ったので、そこは礼儀正しく否定せずに、「でも、どうして?」と、続けた。


 眞奈は答えた。「だってあなたはいつも窓のそばにいるでしょ」


 マーカスは首をかしげた。

「僕が? 窓のそば? そうかなぁ、特に意識したことなかったけど。でも外の景色を見てるの好きだし……、そういえば窓のそばにいるかも」


 マーカスは自分が窓好きだとかいつも窓のそばにいるだなんて考えたこともなかったが、眞奈をがっかりさせないようにすぐ同意した。


 眞奈はマーカスが『窓の魔法使い』に呆れきっているのを感じたが、なぜかあまり悲しくはなかった。それは呆れられてはいるけど、バカにはされていないことを感じたためだった。


 そして眞奈はすごく妙な気がした。


 眞奈にとってマーカスは、いつも窓の外、丘の向こうを見つめて不思議なことを考えていそうな『窓の魔法使い』なのに、当のマーカスは自分がそんな風に思われているなんて意外らしい。

 そのことが眞奈にとっては大きな驚きだった。


 マーカスは眞奈が気を悪くしないように優しく言った。

「窓のそばにいるのは確かに君の言うとおりかもしれないけど、だからといって僕が『窓の魔法使い』ってわけじゃないと思うよ」


「違うの?」


 眞奈が半ば本気で質問しているのを見ると、マーカスはこらえきれなくて、ついにひかえめながら少し笑った。


「違うよ、絶対にね! 頼むからそれ他のみんなに言わないでほしいな。一生笑われるネタになっちゃうから」


 マーカスは自分が魔法使いだということは遠慮したかったが、世界の国々の文化には大いに興味あったので、「でも君の国には『窓』に魔法使いがいるんだ?」と、好奇心いっぱいに聞いた。


 眞奈は自分が英語で説明できるとも、内容を理解してもらえるとも思えなかったが、おずおずと口を開いた。


「うーん、そうね……、さっき言ったように私の考える魔法使いは精霊とか妖精みたいなものなのよ。私の国でいうと『親しみやすい神様』っていうか……」

 眞奈は一生懸命話した。


「日本にはいろんな神様がいるの。『あらゆるものに神様が宿る』って考え方があって、例えば、山や川や風には、それぞれ山の神様とか川の神様、風の神様がいるっていわれてるのよ。神様といってもキリスト教やイスラム教の神様と違ってもっと親しみやすいもので、たぶんイギリスでいうところの精霊とか妖精とかで、私は魔法使いの意味合いに似ているんじゃないかなって思うわ」


「なるほど、アニミズムだね」、マーカスは言った。


「ふーん、それってアニミズムっていうんだ」、眞奈は言葉を覚えるように繰り返した。


「でも、動物とか植物とかはよく聞くけど、アニミズムに『窓』が入るとは思わなかったよ。君はさすがによく知ってるね」、マーカスは感心した。


 その様子を見ると、嘘を教えて褒めてもらったようで、眞奈の良心が痛んだ。


「そうね。厳密にいえばアニミズムじゃないかもしれないわ。だって『窓の魔法使い』ってのは、えーと、それは私が勝手に考えたものだから」、眞奈は白状するはめになった。


「それにイギリス限定なの。私、イギリスの窓って不思議な雰囲気があると思うのよね。それにイギリスでは洋服ダンスが別世界につながっていたり、電話ボックスがタイムマシンだったりするでしょ? だから窓に魔法使いがいてもちっともおかしくないわ。特にウィストウハウスの窓にはね。だってウィストウハウスは素敵な場所だもん」、眞奈の声はさらに小さくなってほとんどささやいていた。


 マーカスは眞奈の他愛ない空想に微笑まずにはいられなかった。


「僕もウィストウハウスが好きだよ。よく小さな頃校舎や敷地の隅々まで探検した。だからどこの屋根がどこの部屋につながってるのか、どこの窓やドアのカギが壊れているのか知ってるんだ。ま、ここに魔法使いがいるってのは知らなかったけどね!」


 マーカスは急に真面目くさって言った。

「でも、僕はイギリスの代表として君に謝らなきゃ」


「へ? なんで謝るの?」、眞奈はきょとんとした


「だって、せっかく夢と魔法の冒険を期待して遠い国から来たのに、現実のイギリスがこんなにありきたりでつまらない生活で悪いなぁと思って」


 眞奈は屋根の上なのも忘れて思わず叫んだ。

「まさか! ジュリアのことは十分過ぎるほど夢と冒険だわ!」


 言ってしまってからマズイと口をふさいだが、時すでに遅しだった。

 またよけいなことを言ってしまった。しかもジュリアのことを、亡霊のことを!


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