第12章 魔法使いになるとき
52 ツリーハウスでラヴ・アフェア
そのころ現代の世界のウィストウハウスでは、食堂に残ったレイチェルとフレディ、そしてようやく眞奈のパンチから回復してきたウィルが話をしていた。
「ウィルは今晩、寮に泊まったら?」
「そうだな。おい、歩けるか?」
「もう大丈夫だ。あーあ、マナのパンチは最高だぜ」
「まったくだ」、フレディも異論はなかった。
「マーカス、あいつちゃんとマナを連れて帰って来れるかな?」、ウィルは心配げに言った。
「それは請け合うよ。マーカスはああ見えてけっこう見どころがあるやつなんだ。なぜか決めるときはちゃんと決めるからな」、フレディは確信をもって言った。
そのとき、レイチェルの携帯が鳴り出した。
「クレアからよ。もしもし、え? ここにはフレディとウィルがいるわ。ええっ? そうね、大丈夫だと思うけど、ちょっと聞いてみるわ」
レイチェルは二人に聞いた。
「ねぇ、どっちか具合が悪いとかない? 気持ち悪いとか頭痛いとか、寒気がするとか」
ウィルとフレディは顔を見合わせた。
「確かに頭はガンガンするな。頬もズキズキするし赤あざになってるし……」、ウィルが真顔で言うので、レイチェルとフレディは吹き出した。
「クレア、こっちは大丈夫よ。マーカスも具合悪そうに見えなかったし、マナにいたっては絶好調よ。え?、なんで絶好調かって? あとで話すわ、笑えるわよ!」
そしてレイチェルは気がかりそうに聞いた。
「イザベルは平気なの? そう、よかった。OK、じゃ、待ってるわ」
レイチェルが携帯を切ると、フレディが「イザベル、何だって?」と聞いた。
「だいぶん良くなったって。でも今夜は念のため看護師さんと一緒に医務室に泊まるそうよ。クレアが今こっち来るって言ってるわ。それでイザベルのことなんだけど……、何か毒になる薬物を飲まされた可能性があるって」
「毒?」、フレディとウィルは同時に大声をあげた。
「でも、ほんの少量だから危険はないのよ」、レイチェルは急いでつけ加えた。
フレディは信じられないというふうに強い口調で言った。
「……つまり、『ヘレン』が夕食のときイザベルに何か具合が悪くなる薬物を飲ませたか食べさせたってことか?」
「ヘレン以外に誰がいるってのよ」
ウィルが舌打ちした。「あの女、そこまで狂っているのかよ」
「それで、私、思い出したんだけど、夕食前にヘレンがお茶を入れてたじゃない。それでマナがお茶を配るとき砂糖とミルクを入れてたでしょ。そのときイザベルとマーカスのカップを間違えたのを私見たのよ。きっと薬はカップに入っていたにちがいないわ。そうするとつじつまが合うもの」
「どうつじつまが合うんだよ」
「つまり、ヘレンが具合悪くしたかったのはマーカスなのよ、イザベルではなく」
ウィルがイライラして言った。
「なんでマーカスなんだよ、マーカスはあの女にかわいがられているだろ。ヘレン・ハドソンが狙っているとすればマナしかいないじゃないか、マナが危ないんだろ? バカな俺にもわかるようにちゃんと説明しろよ!」、
レイチェルは言った。
「そうよ、だからこそなの。大切なマーカスをマナに近づけたくなかったために、彼の具合を悪くしてまでも引き離そうとしたんだわ、特に今夜ね。ヘレンは予言者なんでしょ、いえ、亡霊がいるとは私は言わないわよ、でも予知夢ぐらいなら、科学で説明できないことはいっぱいあるじゃない。ヘレンの予言によれば、きっとマナに今夜何か起こるのよ、だからマーカスがそばにいないように」
フレディが納得したように言った。
「つまり今の状況は、マナが何か危険な目に遭う、かつマナと一緒にいるマーカスも一緒に危ない目に遭うってことだな」
「まったく、なんでこんなことになるんだよ」
二人に知らせようと携帯を取り出し、ウィルが眞奈に連絡し、フレディはマーカスに連絡したが両方とも留守電に切り替わった。
「マーカスのやつ何やってるんだ!、くだらない妄想からさっさとマナの目を覚まさせて、連れて帰ってこいよ!」、ウィルは怒りのあまり、携帯を壁に投げつけそうになった。
そこへクレアがやって来た。
フレディが心配そうに聞いた。「おい、クレア、なんともないか?」
「ありがとう、私は元気よ」、クレアはにっこりした。「イザベルも明日には良くなるっていうし、みんなも無事でよかったわ」
「これから無事じゃなくなるかも」、レイチェルは後悔した。「私、ヘレンのこと、単なる気の狂った女だと思ったのよ、精神的にはおかしいけど無害だと感じてたの。でも本当はかなり危険だったのね……。私としたことが、しくじったわ。ステイブリー先生に連絡する。今、誰か先生はいないか探さなきゃ」
ところが運の悪いことに今日は休日で時間は夜ときていた。
「ステイブリー先生は電話に出ないわ」
「守衛さんも出ないわね」
「寮母は男子寮も女子寮も出ないな」
「ちくしょう、誰もかれも連絡取れないじゃねぇか!」
「でも留守電に入れたからそのうち誰かしら返してくるでしょ」、レイチェルは言った。
「そうだ、私、ヘレンにも電話してみる」
何を思ったのか、レイチェルは携帯のヘレン・ハドソンの名前をタッチした。みんながびっくりしてもレイチェルは涼しい顔だ。
「あ、ヘレン、私、レイチェルよ。ううん、さっきはごめんなさい、突然帰っちゃって。私、眼鏡をどこかに忘れちゃって……、そこにないかなと思ったの。たぶんテーブルの上よ。そう、わかったわ、きっと違う場所ね、ありがとう。万が一見つかったら知らせてもらえるとうれしいわ」
レイチェルは電話を切った。
「ヘレンは携帯持ってなくて家の電話なの。つまり今電話がつながったってことは、とりあえず今は家にいて直接マナたちに手を下すことはないはずよ。ああ、マナたち早く戻って来ないかな、そしたら安心できるのに」
「きっと、マーカスがちゃんと連れ戻してくれるわよ。今は待つしかないわね」、クレアが言った。
レイチェルは肩をすくめた。
「そうね。ところで……、さっきヘレンがマナへの恨み節しゃべっていたとき、私、変だと思ったんだけど、ヘレンはやけに自信満々に『ウィストウハウスはマーカスのものになる』って言ってたでしょ、いくら気が狂っているとはいえ、そんなこと、おいそれと言えなくない?」
「そりゃそうだろ」、ウィルが苦笑いをした。「ウィストウハウスは公園も含めてヨークシャー州が持ってる。学校は校舎と校庭とグラウンド部分だけヨークシャー州から借りているはずだ。まぁ、マーカスの家族かヘレンがヨークシャー州から買い上げるってのはできるかもしれないけど、いったいいくらすると思ってるんだ、莫大な金額だぞ」
レイチェルはフレディを意味ありげにじっと見つめた。
「それで突然聞くんだけど、フレディ、あんたってどっかヨーロッパ某国の政府高官の息子だって言ってたでしょ? お父さんには上司がいないわよね?」
「それは、つまり……」、クレアが言いよどんだ。
フレディは、レイチェルにはもうバレているとうすうす感じていたので、「まぁな」とあっさり認めた。「でも、防犯上秘密なんだから誰にも言うなよ」
レイチェルは続けた。
「でも、ほんとに聞きたいことはそれじゃなくって、あんたの家で、つまり、あんたのパパの国で『ウィストウハウスを買う』っていう計画があるわよね?」
「な、なんで、おまえがそんな内輪のこと知ってるんだよ!」、フレディは今度こそ『ザ・トレイシー技』に度肝抜かれた。
「オースティン校長先生のメールのパスワードはいつも、古きよき映画作品を二つハイフンでつなぎ合わせたものなの」、トレイシーはペロっと舌を出した。
「おまえ、自分で何やってるのかわかっているのか!」
「ヘレンもきっとオースティン校長先生のメールを盗み見たにちがいないわ。用務員だもん、私よりもずっと簡単にできると思うわ」、トレイシーはフレディの責めるような視線を避けながら促した。
フレディはしぶしぶ話した。
「国で、というより、父さん個人で買おうとしているみたいだ。そのまま建物と建物周りの庭とグラウンドはウィストウハウス・スクールに貸し出し、ガーデン全体は今までどおり市民のための公園にしておきたいって言ってる。なんでそんな話になったかっていうと、母さんはイギリス人で実はウィストウハウス・スクールの出身なんだよ。オースティン校長先生は優秀だから経営はうまくいっているんだけど、問題はヨークシャー州の方で、ヨークシャー州は売りたがっているらしい。なんだか高級スパとホテルにして大きな収入源と村の活性化に利用したいとか。それでオースティン校長先生は困っていて、卒業生でもあり、友人でもある母さんのところに話が来たんだ」
「それで話はわかったわ」、トレイシーは言った。
ウィルはむっとして「つまり、どうわかったのか説明しろよ!」とわめいた。
「つまり、フレディはウィストウハウスを親からの贈与として受け取るのよ」
「でも、俺はマーカスじゃないぞ」
「当たり前じゃないの、でも、ヘレンがあんたを消せば、マーカスのものになるわ」
「は? ひっでぇ! なんで俺が消されるんだよ! それになんで俺が消されるとウィストウハウスがマーカスのものになるんだよ!」
「理由なんていっぱい思いつくわよ。例えば、あんたが酔っぱらっているときに『もし自分が死ねば財産はマーカスのものになる』ってふざけて遺書を書くとか。ああ、そうそうイザベルのハニートラップとかだったらイチコロじゃない! 『ウィストウハウスをイザベルに残す』っていうあんたの遺書があれば、イザベルはマーカスと結婚するんだから、あんたを消せば最終的にはマーカスのものになるでしょ」
「なるほどね」、クレアは感心したように言った。
「感心するより同情してくれよ」、フレディが弱々しく言ったが、レイチェルが傷に塩をぬった。「それにヘレンはレイシストだから、異国人と結婚したあんたのママを軽蔑してるだろうし、その子どもの王子もいわゆるイギリス人の純血じゃない。王族なんて身分にやっかみもあるし、ヘレンにとっては異国の王家を陥れて自分の思い通りの筋書きに利用するなんて、ちょうどしてやったりなのよ」
レイチェルはつぶやいた。
「ヘレンはこの計画を妄想しているとき心から楽しかったでしょうね。私、『狂気』っていうのに危うく憧れそうよ」
レイチェルはそこまで言うと、携帯をチェックしイライラをはき出した。
「もうどうして誰も折り返し電話してこないのよ! 私、ヘレンの家に行って、彼女とお茶してくるわ。先生か守衛さんから連絡あるまで彼女を引き留める。そしたら少なくてもヘレンがマナたちのところに行くのは防げるでしょ」
「あの女の家に戻るのは危ないな」、フレディは反対した。「ずいぶんひどいこと言われまくったけど、レイチェルが正しい気がしてきたぜ。おい、レイチェル、ヘレン・ハドソンを確実に引き留めるもっといい方法があるぞ」
「どんな?」
「レイチェル、俺といちゃつこうぜ、ツリーハウスで」
「は? 誰があんたなんかと!」、レイチェルはツンと横を向いたがすぐ思い直した。「ツリーハウス……、なるほど、そういうことね。そうね、それもいいわね。月夜でロマンティックだし。フレディ、私、あんたには一目置いていたのよ、しゃべらなきゃかっこいいし、上のいない『政府高官』の息子だしね!」
「いつも少なくても二言はよけいなんだよな」
「クレア、ヘレンに電話してたれ込んでくんない? マーカスとマナがツリーハウスでいちゃついているのを目撃したって」
「へ?」、クレアはレイチェルの言葉に目をまるくした。
レイチェルとフレディは一度男子寮の談話室に行き、懐中電灯とアウトドア用のロープを取ってきた。そして、月明かりの中、森のツリーハウスに向かった。
「あー、なんかワクワクしてきたわ!」
「俺は十年ぐらい年取った気がしてきたよ……。もう退屈な学校を卒業できるぐらいにね」、フレディはため息をついた。
夜の森の小道は確かにロマンティックで、こんな策略を胸に歩くのは本当にもったいない晩だった。ロマンティックに誘われるのはみんな同じらしく、レイチェルとフレディの他にも数組のカップルと行き交ったが、森の奥深くブルーベルの群生の辺りまで来ると、さすがに誰もいなかった。
レイチェルに懐中電灯を照らしてもらいながら、フレディはツリーハウスの裏側にロープを二本、下まで吊り下げた。二人はツリーハウスの上に登ると、身を伏せて待機した。
フレディは言った。
「こんなとこにツリーハウスつくるなんて、いちゃつく以外使い道ないよな。マーカスは最初小さいのをつくろうとしていて、でもそれだと一人しか上れないっていうから、絶対二人は上れる強度にしろって言ったんだ」
「本当よね。あーあ、せっかく舞台は完璧なのに、相手役が違うって感じ」、レイチェルは残念そうに言った。
「誰が相手だったら満足なんだよ」
「うーん、ステイブリー先生かな」
「よかった、ライアンとか言われなくって」
「なんで、ライアンなのよ!」
「いや、ライアンとか言われたら自分でも落とせそうな気がするから。ステイブリー先生だったら土俵が違うだろ。諦めがつくってもんさ」
「私のことは絶対落とせないわよ、それに落とすつもりもないくせに、よく言うわ」
「そうとも限らないぞ。本気で試してみるか?」
「しっ! 誰か来る。きっとヘレンよ」
一つの懐中電灯がゆっくりとこちらに向かってくるのが見えた。近づいてくると顔がはっきりした。ヘレン・ハドソンだった。クレアのニセの電話に騙されて慌てて来たのだった。
必死の形相で本人は急いでいるつもりなのだろうが、なにしろ七十歳過ぎなので、ツリーハウスの上から見ていると動きはゆっくりだ。
レイチェルはフレディの肩をつかんだ。
「フレディ、さっさといちゃつきましょう!」
「おまえにはムードっちゅうものはないんか」
「あら、照れてるだけよ」
「え?」
「しっ!」、レイチェルはフレディを黙らせた。
そして眞奈の声色とあやしげな英語の発音を真似して、「やめて、マーカス、何するの」と言ってみた。
「マーカス、あの女と何やってるんだい!」、しわがれた叫び声が森中に響き渡った。
老女は果敢にもツリーハウスに登ってきた。
レイチェルとフレディはすぐにでも降りたいところだったのだが、ミセス・ハドソンの動きが遅いので、彼女がツリーハウスの台座に登りきるタイミングまで待ってから、ツリーハウスの裏側のロープを勢い良く降りて、結び目の片方のロープを引っ張った。台座に結んであったロープは瞬く間にほどけた。フレディは正面に走るとミセス・ハドソンがたった今登ったロープも一気にほどいた。
「逃げろ!」
フレディとレイチェルは小道をダッシュした。
ミセス・ハドソンがツリーハウスの上に上がってみると、マーカスと眞奈はいないどころか誰もおらず、降りようにも今登ってきたロープはいつのまにか消えていて降りられない。
はめられたとわかったヘレン・ハドソンは悔しさに顔を醜くゆがめて、「覚えておくがいい!」と叫び、小道を逃げる男女の生徒が小さくなっていく姿をにらみつけるのだった。
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