51 ジュリアの救出
眞奈とマーカスはシーツを抱えて屋根に向かった。計画では三階から屋根裏部屋に入り屋根の上に出るつもりだった。
しかし、まだ少ししか行かないうちに、「誰か来る!」と、マーカスは眞奈を引っ張って廊下にあったサイドテーブルの後ろに隠れた。
「エマだわ!」
「あれが?」、マーカスは衣擦れをさせながらこちらに向かってくる女性を見つめた。
廊下は暗くて細部は見えなかったが、まさしく『大きい肖像画』の女性だった。
エマの肖像画が他の人物の絵と比べてかなり大きかったので、マーカスはすごく大柄の女性を想像していたが、実際は小柄な女性であった。
冷酷な悪意に満ちたエマの表情が一瞬、楽しそうな微笑みを見せた。それはジュリアが閉じ込められている部屋の窓をちらっと見たからにほかならなかった。
財産が手に入った後のリッチな生活を想像して楽しかったのか、自分の気に入らない人間をいじめていることが楽しかったのか。眞奈はおそらく両方だろうと思った。
「エマ、絶対許せないわ」、眞奈は本気で怒りがわいてきた。
マーカスは初めてエマを見たのだが、エマの利己主義と残虐さを十分感じていた。
何の罪もないジュリアをお金とエゴイズムのためだけに殺そうとしているなんて、そんなことあってはならない。
たった今までマーカスにとってジュリア・ボウモントは伝説の謎の少女で、若く死んだとか殺されたとかいわれてもぴんとこなかったのだが、無邪気に微笑んでいる本物のジュリアと残酷そうなエマを間近に見たら、ジュリアが不幸になるなんて絶対間違っていると強く感じた。
マーカスは眞奈に言った。
「君がジュリアを助けるために過去の世界に行きたいと、あんなに願った気持ちが今初めてわかったよ」
エマ・ウェントワースが去ってしまうと、眞奈とマーカスはサイドテーブルの陰から這い出した。
ところが、あまり行かないうちに今度はメイドが二人、おしゃべりしながらこっちにやってくるのが見えた。眞奈たちは近くのキャビネットの後ろに隠れた。
「ねぇ、あれ見て」
眞奈はキャビネットのずっと向こうに古そうな甲冑が二体あるのを指さした。
「そうか、今の時代はまだステイブルブロックがまだできてないから、甲冑はこっちの建物に飾ってあるんだな」
「ウィストウハウスの二つ目の謎って『ひとりでに動く甲冑の騎士』よね」、眞奈は恐る恐る口にした。
「まさか、あれが動くってのはさすがにないんじゃないかな」、マーカスは笑った。
「そんな大きな声で笑わないで。メイドたちに聞こえちゃうじゃない」、眞奈は唇に人差し指をあてた。
メイドたちはおしゃべりに夢中だったので、二人にはまるっきり気がつかず素通りした。メイドたちが行ってから眞奈とマーカスはまた歩き出した。
眞奈は口をとがらせた。「『少女の亡霊』も『過去への抜け道』もあったのに、なんで『ひとりでに動く甲冑』はないといえるの?」
「まぁ、そうだけどさ。でも、あれが動くなんてありえないよ。ジュリアの亡霊や過去への抜け道は心霊現象とか次元のねじれとかでまぁ説明つきそうだけど、甲冑は『元々』動くものじゃないだろ」
「科学で説明できないっていう点ではどの謎も同じだわ」、眞奈は納得がいかないように言った。
「でも鉄のかたまりが動くなんて根本から考えてありえないよ、……あ! 動いた!」、マーカスは叫んだ。
「ええっっ!」、眞奈は息が止まるぐらい甲冑を凝視した。
「冗談だよ」、マーカスは本格的に笑い出した。
「……」、眞奈はその場にへたり込んだ。「もう、こんなときにふざけないでよ」と眞奈が文句を浴びせようとしたところで、マーカスが「あ、誰か来る!」と眞奈を止めた。
今度は冗談ではなく本当であった。
向こうから来るのはパリっとした燕尾服に身をつつみ、ティーセットをのせたお盆を持った老年の男性だった。誇らしげに胸をはった慇懃無礼な感じから、おそらく執事であろう、と二人は思った。
でも彼は足が悪いらしくよろよろしていた。おまけに目も悪いらしく、しょっちゅう壁にぶつかってはぶつぶつ言っている。その様子を見ると引退した元執事といったところかもしれなかった。勤め上げたお屋敷で隠居生活を送っているのだろう。
「ちょうどいい、あの、甲冑の後ろに隠れよう」
眞奈とマーカスは甲冑の後ろに回り込んだ。
元執事はぶつぶつ言いながら甲冑を通り過ぎた。ところが通り過ぎてすぐの廊下の交差で立ち止まってしまった。どうやらどっちに曲がるのかわからなくなってしまったらしい。
おじいちゃん執事が道をふさいだままなので、眞奈たちは困ってしまった。
「どうしよう、早くジュリアのところに行かなきゃ。でも彼があそこにいたら通れないわ」
「よし、このまま動こう。甲冑に隠れながら移動するんだ。甲冑、持てる?」
甲冑は重たかったが眞奈はなんとか抱えた。そしてそのまま少し移動して止まり、また移動しては立ち止まった。
ふと顔を上げたおじいちゃん執事が「はて、甲冑がだんだん近づいてきているように感じるのは気のせいであろうか」とひとりごとを言った。しかし、すぐそんなことは忘却の彼方であるがごとく、またどっちの廊下を行ったものか考え込み出した。
眞奈とマーカスはまた少し移動して止まった。ちょっと間をおいてさらにもう少し進んだ。
おじいちゃん執事が次に甲冑を見たとき今度はいぶかしがった。「はて、はて、わしもついに焼きがまわったかな」
またおじいちゃん執事が甲冑から目をそらすと、眞奈たちはちょっとずつ移動をし続け、そのまま廊下を右に曲がった。右に曲がったところで甲冑を置いて逃げた。
後ろで「おい、やっぱり甲冑がひとりでに動いているぞ、なんと不思議な……」と彼がうなっているのが聞こえた。
「まさか自分で甲冑を動かすとは思わなかったわ」、眞奈は重すぎて痛くなった腕をさすりながら不満げに言った。
おじいちゃん執事をけむにまいた後は、眞奈とマーカスは誰にも会わず順調に進むことができた。
マーカスは聞いた。
「『少女の亡霊』『過去への抜け道』『ひとりでに動く甲冑の騎士』が本当だったのは判明したけど、でも、『誰もいない音楽室から聞こえてくるピアノ』ってのもあるだろ、さっき、君が音楽室で怖がっていたのはそれ?」
「ええ、そうよ」
「けっきょく誰が弾いていたんだい? 音楽室には誰もいなかったじゃないか。呪われたピアニストって、透明人間?」
「いえ、そうね、透明ではなかったわね。なんか知っている人の姿で現れるみたい」、眞奈は言葉をにごした。
まさか『それはあなただったわよ』とも言えず、思わず「私のとき現れた姿はスノーウィよ! 巨大なスノーウィの顔が化け猫になって宙に浮かんでいたの。まるでアリスのチェシャ猫のように、スノーウィがニタニタ笑ってすーっつと現れるの!」
「うわ、それ嫌だなぁ」
「しかも顔半分はゾンビなの。それで引っ掻こうとして大きな爪でこちらに向かってくるのよ!」
「さっきの君の怖がり方は半端じゃなかったけど、それ聞いて納得だよ」、マーカスは合点がいったように何度もうなずいた。
スノーウィには後でちゃんと謝ることにして、眞奈は言った。
「残るは『棺から消えた死体』だわ」
「大丈夫、呪われたピアニストもいたし甲冑の騎士もひとりでに動いたんだしさ、棺だって絶対カラだよ、僕たちでそうできるんだ」
「そう願うわ」
眞奈とマーカスは三階から屋根裏部屋を通り屋根の上までたどり着いた。
「見張りが来ないうちに急がないと」
マーカスは屋根の上からジュリアが閉じ込められている部屋の窓を確かめると、ロープ代わりのシーツを煙突にしっかり結び、そのまま手早く下まで垂らした。
下の窓からはグラディスがときどき咳をしながら心配そうに上を見ていた。
「いったん、そこの部屋に行くから」
眞奈とマーカスは順番に三階の部屋に降りた。
「ジュリア!」
「マナ!」
眞奈が窓から部屋に入ると、ジュリアと眞奈は抱き合って再会を喜んだ。
「紹介するわ、マーカスよ。私の友達であなたを助けるために一緒に来たの」
「ありがとう。マーカス」とジュリアはにっこりした。
子どもの頃から好きだった肖像画の女の子が実在して、おまけに自分に向けられた微笑みがあまりにもかわいかったのでマーカスがぼーっとしていると、眞奈に肩をたたかれた。
「ほら、みとれてないで。早く下に降りましょう」
テーブルでは、グラディスに首尾よく睡眠薬で眠らされた家庭教師が、いびきをかいて眠っている。マーカスは彼女が持っていた懐中時計を失敬した。
マーカスはまずジュリアを抱えて降りることにした。
「落ちたら危ないから、ちゃんと僕をつかんで絶対離さないで」、マーカスはジュリアに注意した。
「大丈夫よ、私、ぎゅっと抱きしめるの得意なの」、ジュリアは無邪気に言った。
マーカスはかわいいジュリアにそんなことを言われて赤くなった。
そのまま二人は地上に無事たどり着いた。
「次はグラディスよ」、眞奈はグラディスに声をかけた。
そこへ突然部屋のドアが開いた。
「おい、グラディス……」
明らかに酔っぱらいの村人がアルコールのにおいを拡散させながら、ヨロヨロした足どりで入って来た。
「ピーター!」、グラディスは驚いて叫んだ。
突然のことでグラディスも眞奈もどうしていいかわからなかった。
「ここはお嬢様の部屋よ、早く出ていきなさい!」、グラディスは出口を指さした。
ピーターと呼ばれた大男はグラディスの手を無理やりつかんだ。
「俺は、グラディス、おまえに会いに来たんだ。守衛はトイレに行ったらしくてな」
眞奈がそっとドアを開けて外をみると二人いるはずの守衛の一人はおらず、もう一人はピーターに殴られたらしく床に伸びていた。
「酔っているのね」
「酔っているわけねぇじゃねぇか」、とピーターはよろけてグラディスの肩をつかんだ。
それを見た眞奈が勢いつけてドアから走って来ると、「グラディスに何するのよ!」と、ピーターの顔にまたしても右ストレートパンチを鮮やかに決めた。
「ぐほっ」とピーターは吹っ飛び床に倒れ込んだ。もがいて立ち上がろうとするので、眞奈は夢中で今度は左ストレートでピーターの右頬を殴り飛ばした。そのままピーターは気絶して動かなくなった。
「まぁ、マナ様!」、グラディスは開いた口がふさがらなかった。
「グラディス、大丈夫?」
「わ、私は大丈夫ですけど……」
グラディスがびっくりした顔でいつまでも眞奈を見ているので、眞奈はちょっと気まずくなって、「あ、いえ、酔っぱらいだったからパンチがうまくいっただけよ」と言いわけした。
「でも……」
「それに、現代の世界にウィルっていう練習台がいてね、こんなときもあるかなってさっき、ちゃんと練習しといたのよ」
そこへ、今度はグラディスを降ろそうとマーカスが三階に登り戻ってきた。マーカスは床に伸びている大男を見つけると、とがめるように眞奈を見た。
眞奈は口をとがらせた。
「だって嫌がっているのにグラディスに言い寄るんだもん」
マーカスは神妙な顔で言った。
「村人たちに警告した方がいいね。君を怒らせないために最大限の注意を払うようにって」
マーカスが今度はグラディスと一緒に降りて行ってしまうと、残された眞奈は手持ちぶたさでイスに座ったり立ったり、家庭教師が目を覚まさないかチェックしたりしていた。
そこへまたドアが勢い良く開いた。
今度はトイレから戻ってきた見張りが、床に倒れている相棒を見て、いったい何事かと部屋に飛び込んで来たのだった。
「おい、そこで何してる!」
眞奈ははっとして見張りを見た。見張りは木刀みたいなものを持っている。
「どうしよう、今度は酔っぱらってない!」
眞奈はそこに残っていた夕食の食器のテーブルナイフを二本、夢中でつかむと、「えいひゃっはっれぇー」と奇声をあげ村人に向かって投げた。
当時の田舎の村人にしてみれば、アジア人はまだまだ得体のしれない、何かしら悪魔的な存在であり、本当はかわいい(!)眞奈の顔もまた、まるで中国ギャングが敵を突き刺そうかという憤怒の形相をしているように見えたのだった。
そんなわけで、眞奈の投げたナイフは一メートル先にも飛ばなかったのに、見張りは「助けてくれぇ」と脱兎のごとく一目散、逃げて行った。
下にいたマーカスは何か奇声と「助けてくれぇ」という叫びが聞こえたので慌てて三階に戻ると、部屋のドアが開け放たれ、ナイフ投げのポーズで固まったままの眞奈がいた。
「今、助けてくれと叫んだのは男の声だったよね? 今度は何やったのさ」、マーカスは再びとがめるように眞奈を見た。
「ただナイフを投げただけなの。あ、ナイフっていっても食器のテーブルナイフよ。何よ、あの男。ずいぶん大げさに逃げちゃってさ。失礼しちゃうわ」
マーカスは大真面目な顔で言った。
「君と映画に行く前に護身術を習うことにするよ、ウィルとともにね」
そして「今の男はジュリアが部屋を抜け出たってバラすだろうからきっと追っ手がたくさん来るよ。さ、早く降りよう」と眞奈を促した。
地上で眞奈、マーカス、ジュリア、グラディスが一緒になると、ジュリアはみんなが隠れられるような部屋を知っていると言い、みんなを誘導した。
その部屋は床下に窪みがあって床板をかぶせることができるため、隠れるのにぴったりだった。
マーカスが家庭教師から盗んだ懐中時計をチェックすると十一時十五分だった。自分の時計を過去の世界の時間にきっちり合わせると、眞奈に懐中時計を渡した。
「あと、四十五分間、ここで待っていて、もし僕が戻らなかったら、こちらに向かって来るアンドリューを見つけてジュリアを引き合わせるんだ」
「マーカスはどこに行くの?」
「見張りの村人をなんとかしてくる」
「だめよ、危険するぎるわ!」
「アンドリュー様を待った方がいいのではないでしょうか?」
眞奈とグラディスの言葉にジュリアも同意した。
「そうよ、アンドリューは軍の少尉で東洋にも行ったことがあるしとっても強いの。私たちを護ってくれるわ、絶対よ」
「でも、二十人じゃ、いくらアンドリューの腕っ節が強くても無理だよ。少なくても十人ぐらいに減らさないと」
不安そうな眞奈たちを見てマーカスは言うのだった。
「ずいぶん信用ないんだな。大丈夫、なんといっても僕は魔法使いだからね、そうだろ?」
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