36 ジュリアの舞踏会
眞奈はどうしたらいいものか、急いで頭の中で考えた。
とりあえず今夜はこの舞踏会に出よう!
エマやリチャードに会えるだろうし、ひょっとしたら陰謀がどんなふうに計画されているのか手がかりがつかめるかもしれない。
そして大事なことは、助けになってくれるであろうアンドリューに警告することだ。
眞奈は最初、ジュリアに直接警告しようと考えていたが、ジュリアは普通の女の子、しかもお嬢様なのだから、彼女自身はどうすることもできないにきまってる。むしろジュリアに警告すれば隠すことができず、下手にエマたちにバレてよけい悪い方向になりかねないだろう。
それにもし『過去への抜け道』は決まった道があるわけじゃなくて何か不思議な力の加減で開かれるというものなら、眞奈だって次、いつ来られるかわからない。運が悪ければもう来られないかもしれない……。
そう考えるとアンドリューが頼みの綱だ。
アンドリューは軍の将校で東洋にいた経験もあるとジュリアは言っていた。もし当時そういう経験があるのなら、彼はただのお坊ちゃん貴族というわけではないだろう。おそらく頼りになる男性なのではないだろうか。
眞奈はそこまで考えると、ひとまずパーティ準備に集中するようにした。
ドレスは、幸いなことになんとか眞奈にも着ることができた(通常と比べて裾はずいぶん長く、胸周りはさびしいが)。グラディスに髪をアップに結ってもらって、最後にドレスのサッシュを結ぶと、ジュリアとグラディスは歓声をあげた。
「とってもきれいよ! 中国のプリンセスみたい」
眞奈は姿見をのぞき込んでびっくりしてしまった。そこには見知らぬ自分が立っていた。
ひかえめに言っても美しい、少し大人な自分だ。
さすがは東洋ふうのデザインというだけあって、黒髪のアジア人の顔立ちにもなかなか似合う衣装だった。
ああ、写真を撮って、レイチェルとクレアに見せたい! ウィルに見せたらちょっとは見直してくれるかな。いやきっとコスプレだって笑うだろう。それにマーカスに見せたらなんて言うかな……。
眞奈がそんな想像で一人にやけていると、グラディスの発作的な咳で現実に引き戻された。
グラディスの苦しそうな咳はなかなか止まらなかった。
「グラディス、大丈夫?」
ジュリアがグラディスの背中をさすってやると、グラディスは「申し……わけありません……」と絶え絶えに言った。
「マギーにはちゃんと言っておくから、パーティの間ここのソファで休んでいてね。メイド部屋よりここの方がいいわよ。マギーにもいじめられないし」
「でも……」
ジュリアと眞奈は躊躇しているグラディスを抱き支えて半ば強引にソファに運んだ。
グラディスはぐったりと横になった。
「マギーって誰? 嫌な人なの?」、眞奈が小声で聞くと、「家政婦頭なの。厳しい人なのよ」とジュリアは答えた。
ジュリアは眞奈にささやいた。
「グラディスの病気のこと、他の人に言わないでね。辞めさせられちゃう」
「わかったわ」
眞奈は心配げにグラディスを見た。
「ところで、マナはイギリス式のダンスって踊れる?」、ジュリアは聞いた。
「へ? まさか!」、眞奈は思いっきり首を横に振った。
「パーティでは弦楽四重奏団がきてみんなダンスするのよ。きっと楽しいわ!」
「そんな、ダンスなんてやったことないから、私は遠慮するわ」
「だめよ、マナ、ぜひ踊らきゃ。最初の相手はアンドリューがなるはずよ。でも、きっと中国のプリンセスがそのドレスで踊ったらみんなの注目の的で、あなたと踊りたいっていう男性が次々並ぶわよ」
ジュリアは強引に眞奈の手を取ると、自分は男役になってあれこれダンスの指導を始めた。
「ちょ、ちょっとジュリア」
尻込みしている眞奈に有無をいわせず、ジュリアはダンスの特訓に熱中した。
眞奈は「そんな気持ちになれないよ」と心の中で半泣きになりながらも、ジュリアがあまりにうれしそうだったのと、パーティに潜入するには多少は覚えておくのもいいかもしれないと思い、しかたなくジュリアに調子を合わせた。
そのうちウィストウハウスにやってきた一台目の馬車の馬の蹄が響き渡り、人々が到着するざわざわとした音が聞こえてきた。
ジュリアは窓から正面玄関を見下ろして、「アンジェラ大祖母様だわ、それにサー・トーマスよ」と言った。
眞奈もジュリアの隣で外をのぞき込んだ。
二台目、三台目と次々馬車が到着する様子を二人は窓から見ていた。
「それにラッセル一家だわ。あの家の子たちうるさいの。私は嫌いよ」、ジュリアは顔をしかめた。
「ミスター・トンプソンだわ。一緒に来たのはキャサリン・ファインズよ」
ジュリアは続々と訪れる人たちの名前を読み上げたり、ちょっとした感想を言ったりした。
ジュリアによれば、舞踏会は本格的なものではなく田舎暮らしの気晴らしに行うカジュアルなもので、知り合いやご近所ばかりの簡易式パーティということだった。しかし、眞奈から見ればかなり大がかりなものに感じる。
「そろそろ下に行きましょう!」、ジュリアは眞奈に微笑んだ。
大丈夫かな……。眞奈は胸がドキドキしてきた。
眞奈の危惧をよそに、舞踏会は滞りなく進んだ。
ウィストウハウスの大広間では軽食や飲み物が出され、弦楽四重奏団は舞踏曲を休みなく奏でていた。
広間はドレスを着飾ったきらびやかな老若男女でいっぱいだった。
食べ物やワイン片手に談笑する人、紹介する人される人、噂話が止まらないマダムたち、ダンスに興じるカップル、テラスで風にあたり休んでいる女性……、そしてダンスの申し込みをしようと彼女に近づく男性……。
パーティは多くの人間ドラマを織りなしながら、華やかな雰囲気につつまれていた。
眞奈は大広間から居間に退散した。グランドピアノの弾き手を囲んで戯れる男女グループのそばに立っていると、ジュリアが飲み物を取ってきてくれた。
「アンドリューは少し遅れているらしいわ。着いたら、適当なときを見はからってみんなに伝えることになっているの」
「それは婚約発表するってこと?」
「ええ」
ジュリアの微笑みは希望と喜びに輝いていた。眞奈は動揺を隠せなかったが、二人を止めることは難しそうだ。
不意にジュリアは眞奈の腕をつかんだ。
「あ、お兄さまとお姉さまがあそこにいるわ。紹介するわね」
ああ、ついに黒幕と対面するのだ。
眞奈は緊張のあまり血の気を失っていくのを感じた。
「お姉さまのエマと、お兄さまのリチャード・ウェントワースよ」
「初めまして」と眞奈がかすれた声で言うと、エマは「お会いできてうれしいですわ」とまったくちっとも全然うれしくない調子で応えた。
エマ・ウェントワース伯爵夫人は、眞奈の想像どおり、冷酷を絵に描いたような女性であった。背が高くほっそりとしていた。鷲鼻さえなければかなりのクールビューティといえるだろう。しかし、彼女の目……、エマの目はガラスの破片のごとく冷たく鋭い。
エマは疑惑のまなざしで眞奈を探った。眞奈は心の奥底までも見透かされたように寒気を感じた。
「やぁ、お嬢さん」
リチャード・ウェントワース伯爵の方がまだ人好きする容姿であった。彼は頭の禿げ上がった気のいい紳士だった。
リチャードとジュリアは連れ子どうしの血のつながらない兄妹だそうだが、ジュリアの言うとおり、かなり年が離れていた。
「マナは中国のプリンセスなのよ。アンドリューと親しいの」と、ジュリアは眞奈を紹介した。
眞奈は焦って、「いいえ、中国の近くの日本という国の者です」と、言いかえた。
もうジュリアったら、誰か他に中国人が来てたらバレちゃうじゃない!
でも眞奈の主張は完全にスルーされて、二人には眞奈の名前も日本という国の名前も覚えてもらえず、中国のやんごとなき貴族の娘ということで話は勝手に進んだ。そしてその後は眞奈を完全に無視した。エマに無視されて眞奈はむしろほっとした。新米の潜入捜査官としては疑う価値もない雑魚と判断された方が好都合だ。
元々パーティはかなりオープンなもので誰が招待されていてもおかしくなかったし、幸いなことにエマやリチャード、招待客たちは中国や東洋について詳しくなさそうである。眞奈の心配をよそに、誰も眞奈のことは気に留めず、ことさらあやしんだりはしていなかった。
驚いたことに、眞奈と踊りたいという好奇心旺盛な青年たちが何人も眞奈を取り巻いた。
「どうしよう」と、眞奈が困っていると、ジュリアは「踊った方がいいわよ!」と強引に勧めた。
「無理よ、踊ったことないもん」
「誰だって最初はあるんだから」
眞奈とジュリアが押し問答しているところに、やっと到着したアンドリューが挨拶しに来た。
「ジュリア!」
「アンドリュー!」
アンドリューはジュリアの手の甲に口づけた。ジュリアは可憐なバラ色の微笑を浮かべた。
彼女は眞奈をアンドリューに紹介した。
「マナ、アンドリューよ。アンドリュー、私の友人のマナよ。中国のプリンセスなの」
アンドリューは眞奈に微笑みかけた。
「畏れ多くも申し上げます。ジュリアの大切な友達ということは、私にとっても大切なお方です、プリンセス」
眞奈は恥ずかしさと嘘をついている申しわけなさで真っ赤になった。
なんだか良心が痛みつつも、ちゃんと彼を観察して、アンドリューがジュリアよりも年上で、背も高く逞しそうな男性だということ、そして誠実で優しい人柄を感じ取った。
彼なら私の言うことをわかってくれるし、ジュリアを護れるだろう!
弦楽四重奏団の音楽がちょうど一曲終わったとき、アンドリューがよく通る声で「紳士淑女のみなさん!」と聴衆に声をかけた。
それまでざわざわしていた場が急に静かになり、アンドリューに注目が集まる。
「突然のお知らせなのですが、私アンドリュー・バートラムと、ジュリア・ボウモントは婚約いたしました!」
エマとリチャードの表情や仕草を追っていた眞奈は、彼女たち二人が驚き、一瞬だったが憎しみの表情をするのを見逃さなかった。
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