48 華麗なる右ストレートパンチ
眞奈とウィルは食堂に着くと力なく座った。眞奈はズキズキする頭を両手でおさえた。
ウィストウハウス・スクールの日曜日の夜の食堂……。
眞奈は学校の休みに食堂に来るのは初めてだった。
「ずいぶん人が多いのね」
寮生はここに宿泊しているのだから、学校が休みの日でも食堂で食事をするのは当たり前だが、眞奈はものめずらしげに周りを見回した。
眞奈とウィルが座っているテーブル席へ、ウィストウハウス・スクールの番長だと噂が
ある強面のライアンと、ライアンの彼女で派手な女子グループの女王様・ジャスミンがこちらに向かってきた。
いったい何の用だろうか。
眞奈は上級生のライアンなんて面識はなかったし、派手グループのジャスミンともしゃべったことはなかった。
眞奈の隣でウィルがそわそわしはじめた。
「トイレ行って来ようかな」、ウィルが席を立とうとすると、ライアンがウィルに声をかけた。
「よぉ、ウィル」
「おう、ライアン」と応えつつ、ウィルは明らかに声をかけてもらいたくない様子だった。
ライアンは感じ悪く含み笑いしながら隣の眞奈を見て、ウィルに言った。
「おまえ、あれだけ威勢いいこと言ったわりには、けっきょく中国彼女と付き合ってんじゃねぇか」
「そんなんじゃねぇよ」
ウィルは迷惑そうな態度を露骨に見せたが、ライアンたちは去らなかった。
ライアンは眞奈にからむように言った。
「中国ではウィルみたいのがモテるのかよ。あんた、ウィルにぞっこんなんだろ」
「え?」、眞奈は意味がわからず聞き返した。
「どういうことですか?」
眞奈はからかわれているのはわかったが、どうからかわれているのかが理解できず、相手は上級生でしかも番長なんて噂のある生徒なので困り切ってしまった。
そんな眞奈の態度を見て、「あれ、やっぱりウィルの嘘か」、ライアンはにやりとした。
「ウィルの嘘って?」、眞奈はウィルの方を見て言った。「どういうことなの、ウィル?」
「いや、その……」、ウィルは言いよどんでおまけに目が宙を泳いでいる。
「あの、私、わからないんです。ライアン先輩、教えてもらってもいいですか? ウィルの嘘ってどういうことですか?」、眞奈はライアンに聞いた。
ライアンは大声で笑い出した。
「ウィルが前に自慢してたんだ。中国女が自分にぞっこん惚れてんだけど、自分は相手にしない。ちょっと優しくするとこの手の女はすぐカンチガイするから困るぜってな」
眞奈は目の前が真っ暗になるのを感じた。
「ちょっと、どういうこと、ウィル!」
ウィルはしどろもどろになった。
「お、俺、本気で言ったんじゃないんだ。ただジェニーと別れてから自信をなくしていて……」
「ジェニーと別れた!」、眞奈の声が一段大きくなった。
「何も言ってくれなかったじゃない。いつ?」
「二ヶ月前ぐらいかな……」
「二ヶ月前?」、眞奈は呆然とした。「で、でもずっとジェニーとデートだって言って、学校さぼりまくっていたじゃない」
ウィルは下を向いた。
「なんか、振られたって言うのがかっこ悪くてよ、黙ってたんだ。それであんまり学校をさぼらなくなるとおまえにバレるだろ、だからときどきはわざとさぼってたんだ、そのうち学校に行くのが面倒になって……」
「それでタバコ吸ったり、先生にはむかったりして荒れてたのね。それで私があんたにぞっこんってのは?」
ウィルはためらっていたが、ここまで言ったら全部正直に言った方がいいと思ったのだろう、素直に話した。
「それが……、マナ、怒らないで聞いてくれよ、俺、つい……。おまえが俺にぞっこん惚れてるんだけど、俺は相手にしないって言ったんだ。いや、もちろん相手にするさ、そうじゃなくって、俺にも好きになってくれる女がいるけど、俺の方からお断りするぐらいなんだぜっていう、見栄っていうか、優越感っていうか……。俺、ジェニーにひどい振られ方で自信なくしてたんだ、だからプライドが許さなくって、つい……、それで……」
ウィルがそこまで言ったところで、眞奈の怒りは頂点に達した。
眞奈は大声で叫んだ。
「なにが『俺の親友はマナ、おまえだけでいいんだ』よ、この自意識過剰オトコ!」
そう叫ぶ と眞奈は華麗なる右ストレートパンチでウィルの顔を殴り飛ばした。
よっぽど当たりどころがよかったのだろうか、いや実際は当たりどころが特によかったからというわけでなく、普通に素晴らしいパンチだっただけなのだが――、後に眞奈がこのエピソードで誰かにからかわれるたび、『いやだ、たまたま当たりどころがよかっただけなのよ』と言いわけするようにしていた――、ウィルは見事に後方にすっ飛ぶと、食堂のイスにガラガラガシャーンと勢いよく衝突し床に伸びてしまった。
「おおおーっ!」
食堂中の生徒たちは一斉にどよめいた。
眞奈はその場にいる生徒たちの驚きと興奮で食堂の空気が上下に揺れるのを感じた。
ちょうどその瞬間、食堂のドアを開けて入ってきたマーカスとレイチェル、フレディは叫んだ。
「ウィル!」
眞奈は次にライアンをジロっと見た。
「わ、悪かったよ、中国カンフー娘なんてゲームの中だけだと思っていたんだよ。謝るよ、だから俺を攻撃しないでくれよ……」
ライアンが情けなく逃げて行くと、ジャスミンが眞奈に言った。
「あんたって素敵! でもどうせだったらライアンも殴ってほしかったわ。あいつ浮気者でむかついているのよね。今度私の代わりに殴っておいてくれる?」
「ええ、喜んで」、眞奈は口角を上げてイギリス式に微笑んだ。そして「ああ、すっとしたわ。それじゃ、さよなら」とジャスミンに言うと、マーカスとレイチェル、フレディの前を素通りして食堂を出て行った。
「ウィル、ちょっと、起きて! いったいあんたマナに何したのよ……」
レイチェルは床に伏せっているウィルの両頬を容赦なくひっぱたいた。
しかし、なかなかウィルの意識が戻らないので、横にいるジャスミンに事の次第を聞いた。三人は本当は笑いたいところだったが、今日はいろいろあったし事情が事情なので、眞奈の気持ちを考えるととても笑えなかった。
レイチェルは舌打ちした。
「もう。ウィルもマーカスも、揃いも揃って正真正銘の大バカなんだから! 私、マナを追いかけてくる。ウィルをお願いね」
フレディはウィルの両肩を揺すった。
「おい、ウィル、大丈夫か?」
マーカスは水を買ってきてウィルの横に置くと「自分よりバカの上がいるとは思わなかったよ。マナも厄日だな、かわいそうに……」と深いため息をついた。
ウィルの意識が徐々にはっきりする頃、レイチェルが一人で戻ってきた。
「探せなかったの、外も建物も暗くて」
マーカスが立ち上がった。
「きっと僕の方が探せるから、僕が行くよ。マナに口聞いてもらえないかもだけど。僕だったらウィストウハウスの見取り図が頭の中に入っているし、センサーで自動点灯する通路も知ってるからさ。それにマナの行きそうなところもわかる。きっとジュリアを助けに行ったんだよ。彼女が『過去への抜け道』だろうって考えている場所もだいたい想像つくし……」
ウィルが朦朧(もうろう)とした頭を抱えながら言った。
「マーカス、よけいなことするなよ。ジュリアも『過去への抜け道』ももうたくさんだ。おまえがウィストウハウスの伝説の謎なんかをあおらなければ、マナはこんなことにならずに済んだんだよ。ヘレン・ハドソンなんかと無関係でいられたんだ。おまえはオカルトみたいで興味本位で楽しいだろうけど、マナにとっては違うんだ。マナは遠い国から来た転校生で孤独だったから、その妄想に逃避したんだ。マナは本気なんだよ。異常の境界線を越えちまったら完全な精神病だろ。マナがミセス・ハドソンみたくおかしくなったらどうするんだよ!」
レイチェルが言い返した。
「ウィル、あんたのマナに対する気持ちは感動的だけど、今はあんまり説得力ないわよ。だいたい、あんたは兄貴ぶっていて肝心のときに……」
マーカスはレイチェルをさえぎった。
「ウィル、わかってるよ、ほんとごめん。ウィルの言いたいことはもっともだ。完全に僕が悪かった。でも同じ過ちを繰り返さないよ。もう亡霊ジュリア・ボウモントも『過去への抜け道』もなしだ。ちゃんとマナを連れ戻してくる、現実の世界にね。……それで映画にでも誘ってみるよ」
「よーし、よく言った」ウィルはうなずいた。「そしたら、俺が本当に悪かったと謝っているってマナに伝えてくれないか。向こう三ヶ月、マナのしもべになって仕えるからって」
「OK、伝えるよ」
レイチェルはウィルとマーカスが揉めなかったのでほっとした。
「さぁ、あんたたち、せめてバカはバカでもいいバカになってちょうだい、悪いバカじゃなくってね」
「いいバカって悪いバカとどう違うんだ?」、ウィルは真顔で聞いた。
「もう、そんなの自分で考えなさいよ、ほんとバカね!」、レイチェルは耐えきれず声を震わして叫んだ。
もう一人のバカが質問した。
「なぁ、マナと僕はどんな状況だと思う?」
フレディは答えた。
「そうだな、バカにも理解しやすくサッカーでたとえると、夕方からの雨でフィールドがぬかるんでる。雨あしが強くなってきた。1対2、後半・三十六分、敵の致命的なミスで相手ゴールのコーナーキックをゲット、最終局面を迎え、正真正銘、最後の挽回のチャンスだ、って場面だな」
「すっげぇ、わかりやすいな」、マーカスは感心したように言った。「でももしそのコーナーキックが……」
「いいから、早く行け!」、フレディは食堂のドアを指さすのだった。
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