第11章 ジュリアの救出
49 心の影
ウィルを殴って食堂を飛び出した後、眞奈はまっすぐウィストウハウスの本館へ向かっていた。
『過去への抜け道』の『行き』がどこにあるのか不明だったが、おそらく決まった道があるわけではなく、過去へ行くことが必要なとき、不思議な力で行きの道が開かれるのだろう、そう眞奈は考えていた。
そして、それは今夜にちがいない!
なんだかさっきから変な気持ちだった。ウィルやミセス・ハドソンのことがあったからではない。何か不思議な感覚、以前感じたジュリアと会える直前のような気持ち、過去の世界に通じているような直感があった。
きっとグラディスが自分を呼んでくれるはずだ。グラディスが呼んでくれればウィストウハウスの不思議な力が加わってそこに『過去への抜け道』が開かれるはず。
ウィルにされたことで心が傷つかなかったといえば嘘になるが、もうウィルなんてどうでもよかった。
ウィルになんて傷つけられる価値さえない人だもん。
ウィルやミセス・ハドソン、マーカスとイザベルのこと、何もかもこんがらがってこの絶望感はどこがどうなっているのか全然わからない。
でも、今は揉めごと大歓迎! だって、もう何も考えなくていいんだしね。むしろ、こっちの世界に残していける揉めごとが大きければ大きいほど、胸がすくってもんだわ。
だって、私はジュリアを助けるために過去の世界にに行くの、そしてこの現実の世界にはもう戻って来ないんだから!
もしジュリアを助けられなかったら、きっと私もエマに殺されるか、閉じ込められるかだし、もし助けることができたら、ジュリアとアンドリュー夫妻にメイドとして雇ってもらおう。グラディスにメイド技術を仕込んでもらうのよ。
眞奈は本館の入口を開けた。
イギリスの夏時間とはいえ、もうすっかり日が落ちて辺りは真っ暗だった。今日は月が出ているので青白い月光がウィストウハウスを弱々しく照らしていた。
眞奈は方向音痴ではあったが、何度もウィストウハウスをを探検していただけあり、ささやかな月明かりでもなんとか道のりに迷わず済んだ。
眞奈は三回目にジュリアを見つけた場所に行くつもりだった。
確か向こうの校舎の窓にジュリアの姿が見えたんだっけ。それともジュリアがいたはずの部屋の方に先に行くべきかもしれない。いいや、どっちにも両方行ってみよう。どうせ時間はたっぷりあるし……。
本館一階の東廊下を歩いているとき、ふと誰かがピアノを弾いている音が耳に入ってきた。どうやら音楽室から聞こえてくる。
このメロディはよく知っている……、ショパンのノクターンだ。忘れるわけないではないか。ウィストウハウスでこの曲を聴いたのは二回目。前はステイブルブロックでマーカスが弾いてくれた。
でもあのときと違って、今回の弾き手はとても上手だった。流れるような美しいピアノのメロディが聞こえてくる。
眞奈は吸い寄せられるように、音楽室のドアを開けた。
「マーカス……」、眞奈は声をかけた。
グランドピアノの音が止まり、マーカスが眞奈の方を見た。
「マナ! 探してたんだよ! ノクターンを弾いてればきっとここに来てくれるんじゃないかと思って」
「ずいぶん、うまくなったのね!」、眞奈は驚いて言った。
でもあんまり驚くのは失礼かもしれないと思い返して、「いえ、前のが下手だったってわけじゃないんだけど……」と言いわけがましくつけ加えた。
マーカスは得意そうに言った。「かなり練習したんだよ!」
「すごいじゃない」
そのとき、ミャオと猫の鳴き声がした。
どこからやってきたのか、真っ黒なスノーウィが影のように忍び寄ってピアノのイスに飛び乗り、マーカスのそばに座った。スノーウィが身を寄せたジーンズのポケットからナイフの柄が少し出ているのが見えた。
「スノーウィはいつも練習に付き合ってくれて、ずっと聴いてくれてたんだよ」
マーカスが言うと、スノーウィは眞奈の方を見て「ミャーオ」と鳴いた。そしてピアノの鍵盤に飛び乗ってそのまま寝そべった。
「スノーウィ、そこに寝たらピアノが弾けないじゃないか」、マーカスはスノーウィの背中を優しくなでた。
それを見ながら、眞奈はマーカスに打ち明けた。
「私、ジュリアを助けに過去の世界に行ってくるわ」
マーカスは眞奈に向かって顔を上げた。「僕も一緒に行くよ」
「でも私、もうこちらの世界に戻って来ないつもりなの」
「戻ってこないってどういうこと?」
「過去の世界に行ってそこに住もうと思って」
「へぇ、じゃ、僕もそうする。一緒にヴィクトリア時代のウィストウハウスに住もうよ、きっと楽しいんじゃないかな、ジュリアもいるし、グラディスもいるしね」
「マーカス、あなた、過去に行けるの?」、眞奈はびっくりして聞き返した。
「僕にとっては過去も現代も未来も関係ないよ、すべてつながってるんだ。窓を越えて時をかけるんだよ」
「え?」
「だって、僕はウィストウハウスの窓の魔法使いなんだから。それって君が言ったんじゃないか。ウィストウハウスの窓には不思議な力があって、窓を越えて向こうには違う世界が待ってるんだよ。今さら信じてくれないんだ」、マーカスは笑った。
「でも、だって……」、眞奈は言葉につまっていると、「魔法だって使えるんだよ。ほら」、マーカスは音楽室のフランス窓を指さした。
今まで月明かりが差し込んでいたフランス窓にはいつのまにか、ウィストウハウスの建物の姿が映っていた。眞奈は息をのんだ。
マーカスは言った。
「あれは過去の世界のウィストウハウス。ジュリアは今、閉じ込められているんだ、現代の学校でいうところの別館の三階だよ」
マーカスの言うとおりだった。
窓に映った建物はまるで映画のように別館三階の窓にクローズアップしていくと、ジュリアの姿が見えた。ジュリアは泣いている。そして隣にグラディスがいる。
「ジュリア、グラディス!」、眞奈は叫んだ。
グラディスもまた眞奈をじっと見つめて叫んでいた。
「マナ様!」
「グラディス、グラディス!」
マーカスは眞奈の腕をつかんで引っ張った。「早く助けに行こうよ!」、
「やめて、離してよ!」、眞奈はマーカスの手を振りほどこうともがいた。
「あなた、誰?」、眞奈はわっと泣き出した。「マーカスはスノーウィにとっても嫌われているの。ピアノ弾くのだってすごい下手なのよ。練習したってそんなにうまくならないはず。それにマーカスは窓の魔法使いじゃないの、それは私が空想していただけなの、単なる普通の男の子なのよ。あなたは誰? あなたは『音楽室の呪われたピアニスト』なんでしょ……」
ミセス・ハドソンにひどいこと言われても、親友だと思っていたウィルに裏切られても、感情にプロテクターがかかったように何も感じなかったのに、今、眞奈の感情は心からあふれ出し涙が止まらなかった。
そのとき、窓の外から自分の名前を叫ぶ声が聞こえた。
「マナ!」
眞奈は再びフランス窓の方を振り返った。
さっき映っていたウィストウハウスとグラディスたちの映像はいつのまにか消えていた。いつもどおりのフランス窓、窓に映っているのはいつものガーデン。空からは青白い月明かりが音楽室に差し込んでいる。
そして、もう一度聞こえた、「マナ!」と。
眞奈の涙でかすんだ目の焦点がゆっくり合ってきた。マーカスが外側でフランス窓をたたいているのだった。
「マーカス、助けて!」、眞奈は窓に走り寄りたい一心で、何者かから逃れようと必死にあがいた。
一方、窓の外のマーカスには音楽室の中で何が起こっているのかははっきりと見えなかったが、『何か』が起こっているのだけはわかった。
音楽室の窓はステイブルブロックのときと違って、ガラスは薄く透明であった。あのときは外が明るかったせいで中は見えなかったが、今夜は月明かりだったので暗い部屋の中も外側からおぼろげに見えた。
マーカスは窓にカギがかかり開かないとみると後ろに下がった。そしてポケットから取り出したナイフを窓のカギあたりを狙って勢いよく投げた。窓ガラスはあっけなく割れた。ガラスの破片をよけて中に手を入れ窓のカギを解除した。
眞奈は最後の力を振り絞って呪われたピアニストの腕を振り切ると、得体のしれない何者かがすっと消えるのを感じた。
眞奈がフランス窓へ走ると、ちょうどマーカスが窓を開け放って音楽室の中へ走った。
眞奈はマーカスの腕の中に飛び込んだ。
「マーカス!」
「マナ!」、マーカスは眞奈の肩を抱いて眞奈の後ろを見た。
眞奈の後ろに誰もいないことを確認すると、とりあえず危険ではないと感じて、今度は眞奈の目を見て言った。
「マナ、大丈夫? スノーウィがこっち来るのが見えたから、もしやと思って……」
眞奈は泣きじゃくっていた。「……平気よ、怖かっただけなの」
マーカスは眞奈がきっと亡霊が出てくる悪い夢を見たのだろうと思った。そしてそのきっかけをつくり、眞奈の空想をあおってしまった自分の過ちを改めて後悔した。
「マナ、本当にごめん。僕がもっとちゃんとしっかりしてればよかったんだ。亡霊なんかいない。亡霊なんているはずないじゃないか。ジュリア・ボウモントも、エマ・ウェントワースも、全員いない。だって一八〇年も前に死んでるんだ、みんな幻だよ。君は遠い日本から来て孤独だった。だから空想の世界へ逃げ込んだんだ。でも現実の世界だって楽しいことはいっぱいあるよ。もう僕たちは友達だし、丘歩きだってみんなと一緒に行ったろ。それに今度、映画にも一緒に行こう……、えーと、それはみんなと一緒にってことじゃなくて、僕と二人でってことだけど……、もし君がよければだよ、もちろん。僕はウィストウハウスしか知らないし、君は広い世界を知ってる。東京はすごい都会だよね、ネットで調べただけで本当のところは僕には想像つかないんだけどさ。二人が住んでた世界はまるっきり違うよね、でもきっと一緒にいたら楽しいんじゃないかなって思うんだ。だから、亡霊話なんてきっぱり忘れて、みんなのところに戻ろう。ウィルも心から悔いているし、向こう三ヶ月は君のしもべになって仕えるって言ってる。レイチェルもクレアもフレッドも君を待ってる、みんな食堂にいるんだ。あと、ヘレンのこともほんとごめん。ヘレンに嫌われているって君がちゃんと言ってたのに、僕が取り合わなかったせいであんなこと言われて……。ヘレンはおかしいよ。いつもはあんなにおかしくないんだけど。でもあんなこと思っているのはヘレンだけだし、気にすることないよ。僕もイザベルももう二度とヘレンの家なんて遊びに行かないし、それで……」
マーカスは眞奈に対してしたことの悔いもあったし、映画に誘う恥ずかしさもあったしで、一気にまくし立てていた。
眞奈は、マーカスが自分を映画に誘ってくれるくだりまでくると、このマーカスも絶対、音楽室の呪われたピアニストにちがいないと疑った。
しかしピアノの鍵盤の上に寝そべっていたスノーウィがマーカスを見ながら、あからさまに嫌そうな顔をしてフンと鼻を鳴らし音楽室の隅っこに退散するのを見たとき、眞奈は、信じられないことだがこのマーカスは本物だと思った。
いったいぜんたい何が起こったのだろう、どうして私のことなんて誘うのだろうか……。
いったい何を信じればいいの?
これ以上傷つきたくない。誰も信じたくない。傷つけられるってわかっているのに。そう、絶対傷つけられるって知ってるのに。
マーカスやイザベルへの今までのつらい思いもあったし、ウィルのひどい仕打ちのこともあったの、心の中では複雑な気持ちが交差し、眞奈はマーカスの言葉を素直に受け入れることはとてもできなかった。
しかし眞奈がそのことをちゃんと考える前に、音楽室のドアが静かに開き、グラディスがゆっくりとこちらに向かってくるのが見えた。グラディスは前の舞踏会のときと同じく思いつめたような青白い顔をしていた。
実はグラディスはさっきから部屋のドアの外にいたのだが、マーカスが眞奈に一生懸命しゃべっていて話の切れ目がないため、声をかけられず途方にくれていたのだった。
このままだとずっと終わらない様子なので、グラディスは申しわけなさそうに話に割り込んだ。
「マナ様、取り込み中にすみません……」
「グラディス」、眞奈はグラディスに会釈した。
ところが、マーカスには過去の世界のグラディスの姿が見えておらず、まだ話を続けていた。
「……それで、イザベルだって君のことを好きだっていってるんだよ。スノーウィとすぐ仲良くなる女の子は初めてだって。イザベルがそんなふうにはっきり好きだって言うのはめずらしいんだ。あ、そうだ僕はイザベルにも悪いことをして謝りに行かないといけないんだっけ。イザベルは体調が悪いんだ。クレアがついてくれているんで大丈夫だろうけど。君も一緒に行けばイザベルは喜ぶよ、だから一緒に行こう、それで……」
眞奈はひかえめに咳払いをしてマーカスの話をさえぎった。
「あの、ちょっと私が話してもいい? マーカス、ほんとにありがとう。それで私、これから過去の世界にジュリアを助けに行きたいの。それは私の使命なのよ。あなたはみんなのところに戻って、イザベルとレイチェル、クレア、フレディにありがとうって言ってね、あとウィルにも許してるって伝えてね、それでウィルにも今までありがとうって言ってほしいの。それって私にとって大事なことなのよ、だからマーカス、あなたにしてほしいの」
マーカスは眞奈の頑固さに負けまいともう一度言った。
「マナ、ジュリア・ボウモントなんてのはいない。だって一八〇年も前に死んだ女の子なんだから。君が過去の世界に行ってジュリアに会ったってのは君の空想だよ。僕は君を空想の世界から連れ戻すために来たんだ。それに……」
困ってしまった眞奈は、悪いなと思いながらもう一度さえぎった。
「ごめんなさい、マーカス。私、グラディスの話を聞きたいの。あなたには見えていないでしょうけど、実は、今、ここにジュリアのメイドのグラディスが来ていて、せっぱつまっていて深刻なの。ちょっとだけ私とグラディスに話をさせてね」
眞奈はマーカスにそう言ってグラディスの方を向いた。
「今夜、何か起こるのね、グラディス、私にはわかるわ」
グラディスは哀願した。
「ああ、どうか手伝ってください。部外者のマナ様を危険にさらすのは間違っていると何度自分を戒めたかしれません。でもジュリア様のことを考えると……、ジュリア様のためにご迷惑を承知のうえ、お願いに参りました。ジュリア様は舞踏会のすぐ後、部屋に閉じ込められてしまったのです……」、そう言ってグラディスは咳き込んだ。
グラディスは感情が高まるとよけい胸が苦しく、咳が止まらなくなるようだった。
眞奈はグラディスを力づけた。
「私もそのつもりだったの、グラディス。私、ジュリアのところに行くわ。私にできることはなんでもするからね」
そしてマーカスの方に向き直った。
「私、グラディスと一緒に過去の世界に行かないといけないの。ジュリアが殺されちゃうわ。ジュリアが私のことを待ってるのよ」
眞奈が一歩も引かないので、マーカスは普通に説得するのは諦めた。
これはマナと一緒に過去の世界に行く『ふり』をするしかない!、マーカスは決めた。
「そしたら僕も行くよ。『過去への抜け道』を通れば僕だって過去の世界に行けるはずだからね」
「だめよ、『過去への抜け道』の『行き』っていうのは存在しないのよ。ウィストウハウスの不思議な力が呼んでくれないと、『行きの道』は開かれないの。今ここにいるグラディスの姿が見えないんだし、あなたにはその資格がないはず。あなたは現実の世界でイザベルと一緒にいるのが一番いいのよ、運命の二人なんだから。それはヘレン・ハドソンの言うとおりなのよ。マーカス、今までありがとう。どうか、イザベルのことを大切にしてね」
ところが、眞奈の説得を無視してマーカスは思いがけないことを言い出した。
「僕に資格がないって? いや、過去の世界に行ける資格、大ありだよ。君はまさか、僕が窓の魔法使いだってことを忘れたとでも?」
「……」、眞奈はなんと言っていいかわからず黙った。
今まで窓の魔法使いなんてバカにされてたのに、今日は窓の魔法使いに立候補する人が多いわね。といっても『のべ一人か』。
「え、なんか言った?」、マーカスは聞き返した。
「ううん、こっちの話。でもそんな調子のいい理屈、私、信じないわ。だって、ずっと魔法使いじゃないって言い張ってたでしょ。そう言われるのすごい嫌がってたじゃないの!」
「それは僕が本物の魔法使いだから、君から皆にばらされるのが嫌でわざとバカバカしいって態度を取ったんだよ」、マーカスは言った。「それを証拠に、いいかい、君は『過去への抜け道』はないなんて言ってるけどさ、実は僕は知っているんだよ、過去への抜け道は『窓』なんだ。ウィストウハウスの窓を通ることで過去に行けるんだ」
「だって、窓を通ると外に落ちちゃうでしょ、前にあなたがそう言ったじゃない」
「君は忘れているよ、ドアにも窓がついていることを」
眞奈は目をまるくした。「ドアって?」
「防火扉だよ。ウィストウハウスの廊下中にあるだろ。防火扉には向こうが確認できるように小窓がついているじゃないか」
「おかしいわよ、防火扉は現代のものだもん。ヴィクトリア時代にはないじゃない」
「いや、ガラスだよ。小窓のガラスは昔の窓ガラスの一部を使っているんだ。いわゆるアンティークガラスだよ。なるべくウィストウハウスの建築資産を活かそうということで、学校に改築したときアンティークガラスをはめ込んだんだ。だからドアをくぐれば窓ガラスの向こうにくぐったことになる。窓が現在と過去の世界をつなぐかけはしなんだよ」、マーカスはこれ以上はないというくらい、きっぱり言い切った。
「まさか」、眞奈は取り合わなかった。
「そうだろ? グラディス」、マーカスはグラディスがいるであろう場所に向かって同意を求めた。「グラディス、絶対、僕も一緒だ。窓の魔法使いを連れて行かないなんて、それって絶対間違ってるよ!」
マーカスは音楽室のドアを開けて廊下に出ようとした。
「じゃ、僕は防火扉をくぐって過去の世界に行くから、君たちはちょっとだけ待っててくれる?」
「ちょっと!」、しかたなく眞奈はマーカスについて行った。
マーカスは必死だった。
眞奈が過去の世界へ行こうと本気なのを感じたし、今、ここで眞奈のことを絶対に離してはいけないし、離したくないことがよくわかっていた。
彼は廊下の防火扉のところまで来ると、ゆっくりと扉を開けてくぐった。
ああ、どうかマナが僕も一緒に過去の世界に来たと信じてくれますように! そう心から願いながら眞奈の濃褐色の目を見た。
眞奈の目を見たとき、不意にマーカスは眞奈の言っていることは真実だということが理解できた。過去の世界はちゃんとあって、ジュリアもちゃんといる、そしてジュリアはこのままでは殺されてしまう、だからジュリアを助けに過去の世界へ行く……と。
そのとき眞奈が震えながら彼に手を差し出した。
マーカスはその手が消えてしまうんじゃないかと怖くて、急いで眞奈の手を取り強くにぎった。
突然、マーカスの耳にグラディスの声が響いた。
「そうですね、窓の魔法使いを連れて行かないのは間違っているかもしれません」
眞奈の横に忽然と現れたグラディスが目に入り、マーカスは「き、君は?」と息が止まるぐらい驚いた。
まさか、本当に過去の世界に来たとか……。絶対ありえない! でも、マナが真実を言っていて、さらに突如現れたグラディスの姿を見た以上、今、この場所は過去の世界なのではないか……。
マーカスはすぐ我に返り、ハッタリをかましている以上、ここはけっして驚いてはいけない場面だということを思い出した。そして「いや、君はもちろんグラディスだよね」と、なんとか言葉をつないだ。
「そしたら二人とも準備ができたようですね。ジュリア様が閉じ込められているところをお教えします。一緒に来てください」、グラディスは眞奈とマーカスに言った。
眞奈はグラディスに声をかけた。
「ちょっと待って、私、音楽室のスノーウィを外に出してくるわ。なんだか音楽室にそのまま置いて行くのは不安だから」
眞奈がいったん音楽室に戻っていなくなると、マーカスはグラディスにささやいた。
「僕はほんとに過去の世界に来たのかな?」
「そうです」、グラディスは微笑んだ。
マーカスはにわかには信じられなかったが、ひとまずグラディスに感謝した。
「グラディス、僕と話を合わせてくれて、あと過去の世界に連れてきてくれてほんとにありがとう」
「いいえ。私にそんな力があるわけじゃないんです。ウィストウハウスが呼んでくれたんですよ。でもいったい何を言い出すのかと思ったら……。窓には実は魔法使いがいたんですね、しかもあの変てこな防火扉の小窓に!」、グラディスは笑った。
「ほんとは僕だって嫌なんだよ!、窓の魔法使いだなんて。でもマナにそう言われたことがあって、彼女、そう思うのが好きみたいなんだ。それに今は過去に来れるんなら何だってOKだったんだ」、マーカスは言った。
グラディスは言った。
「でもあなたは子どもの頃過去の世界に一度来たことがありますし、元々素質があったのではないでしょうか。資格がまったくゼロってわけでもないと思います」
「そうだね、いつのまにか大人になって、その資格を失ってたんだと思うよ。でも過去の世界が本当にあるとは……」、マーカスはまだ真実とは思えなかった。
「ほんとは君は演劇部の生徒とかじゃないの? メイド衣装とか着てさ。でも、なぜメイドの服なんて着てるんだい?」
グラディスはマーカスの質問に困ったように答えた。「なぜメイド服って……。それはメイドだからです」
「ああ、そうだよね、もちろんだよね」、マーカスはまだ頭が混乱していた。
「ごめんなさい、過去の世界が本当にあるなんてずいぶんショックでしたよね?」、グラディスは心配そうだった。
「いや、それほどでもないよ。マナがウィルを殴ったときよりはショックじゃなかったよ」、マーカスは負け惜しみを言った。
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