15 約束

眞奈はまだ窓について考えていたが、マーカスは次の話題に移っていた。


「その過去と現在をつなぐ抜け道のことを聞いたのはヘレンからなんだ。君は用務員のミセス・ヘレン・ハドソンを知ってるかい?」


「何回か見たことあるわ」


 ミセス・ヘレン・ハドソンは花瓶の水を取り替えたり、先生たちのミーティングの準備をしたりしている七十歳ぐらいの無愛想な老年女性だ。いつも気難しい顔をしている。


 そういえば入学前、ママとパパと一緒に校長先生と面接したとき、ミセス・ハドソンに話しかけて無視されたっけ。そのとき彼女が老いた魔女みたいだと思ったものだ。

 眞奈は記憶を呼び起こした。


 そして、そうだ、校長先生が言っていた。ミセス・ハドソンも少女の亡霊を見たことがあると! 

 

 マーカスは言った。

「ヘレンは住み込みの用務員なんだよ。学校の正門のそばに門番屋敷があるだろう? 彼女はあそこに夫のジェムと一緒に住んでるんだ」


 眞奈はスクールバスでいつも前を通る、学校正門そばの門番屋敷を思い浮かべた。


 門番屋敷といっても日本でいうところの門番小屋ではなく、4LDKはありそうなとても立派な一軒家だ。


 家の窓にはレースのカフェカーテンがかけられ、窓の外側に備えつけられているプランターには、冬でも色とりどりの花が植えてあった。そのかわいらしい感じはとてもミセス・ハドソンの家とは思えなかった。


「僕やイザベルはずっと寮にいるだろ、ヘレンには小さなときから本当のおばあちゃんのようにかわいがってもらってるんだ。優しい、いい人なんだよ」


 マーカスはそう言うものの、眞奈にはミセス・ハドソンが子どもをかわいがるなんて想像できなかった。


 ミセス・ハドソンには最初に会って話しかけたとき無視されたし、その後、校内でたまに顔を見かけても、眞奈の挨拶を知らんふりしてジロリとこちらを見るだけ。眞奈は外国人なので、たいていの場合はイギリス人に親切にされたが(それがたとえ表面的であろうとも)、ミセス・ハドソンだけは例外であった。

 

 マーカスはまさか眞奈がそんな目にあっているとは思いもよらないのだろう、自分のおばあちゃんの話でもしているように、言葉には親しみが込められていた。


「ヘレンの家は三〇〇年前から代々ウィストウハウスの門番をしているんだ。だからウィストウハウスの歴史にも詳しい。あと、ヘレンの先祖は『予言者』だったっていわれていたそうだよ」、マーカスはいかにも意味ありげに言った。


「予言者?」


「未来にどんなことが起こるのかお告げがあったりするんだって」


「ミセス・ハドソンの先祖ならいかにもありえそう」


 眞奈は、悪い魔法使いのおばあさんが釜でぐつぐつと湯を煮ながら、呪いの大予言を唱えている図を想像した。


 煮炊き用の湯を準備しながら、せいぜい子どもを太らせておいしく食べられる日を待っているんだ。あのかわいらしい門番屋敷も、お菓子の家みたく呪いがかけられているにちがいない。


 眞奈がかなり毒された空想をしている横で、マーカスは説明を続けていた。

「ヘレンはいつも言ってた。ウィストウハウスには謎が多く残されているって。女の子の亡霊の話もその一つだし、過去と現在をつなぐ抜け道もその一つなんだ。過去への抜け道の場所は彼女のお母さんが大昔にちらっとほのめかしたことはあるけど、けっきょくどこにあるかわからないって言うんだ」


 眞奈はミセス・ハドソンの言うことなんて一言も信じなかった。


「私、ミセス・ハドソンは過去への抜け道のことも女の子の亡霊のことももっと知ってるんじゃないかと思う。知っているけど黙っているのよ。なんだかあやしそうだもん」


「でも知ってたら、僕に何か教えてくれると思うんだ」


「そうとも限らないわよ。自分に不利なことは言わないでしょ、きっと」、眞奈は言った。


「ヘレンに不利なことなんてあるのかな。だって単なる伝説だよ」、マーカスは驚いた。


 眞奈にミセス・ハドソンへの反感がむくむくとわいてきた。


「ミセス・ハドソンは亡霊のジュリアに会ったことがあるのよね?」


「会ったというより見ただけなんだって。でも僕がジュリアにまた会いたいって言ったら、『過去への抜け道』が見つかれば会えるかもしれないよって教えてくれたんだ。僕は小さい頃は絶対あるって信じてたけど……。ヘレンは当時子どもだった僕を喜ばそうと思って言っただけかもしれないだろ? 一緒に話を聞いたイザベルやフレッドは今はまったく信じてない。僕ももう信じていないんだけど、でも、なんだか探しちゃうんだよね」


「私は信じるわ」、眞奈はきっぱりと言った。

「だって私が体験したジュリアのことはどう説明するの? 夢なんかじゃないわ」


「少なくとも夢じゃないね。これではっきりしたよ。同じ夢を二人が見るわけがない。しかも何年も後に」


「そうよ。あのジュリアの生き生きとした感じが忘れられないわ」


 マーカスは言いにくそうに切り出した。

「でも……亡霊や過去の世界だなんて実際にはありえないよ。フィクションとしては楽しいけどさ」


「いいえ、絶対にありえるよ。だって周りの空気が違っていたもん。やっぱり私は自分が過去の世界に行ったんだと思う」


「でも……」、マーカスはなおも否定しようとした。


「もう建築図までつくっているのに、マーカスはどっちの味方なの!」、眞奈はふくれっ面になった。


 マーカスは吹き出した。

「だってこの話を信じる人に初めて会ったからさ。今度は僕が君を止めなきゃ、そんなバカなこと信じるなよって。僕を止めるイザベルやフレッドたちの気持ちが今初めてわかったぞ」


 二人は笑い出した。

 眞奈とマーカスの間にもう壁はなかった。いつのまにか二人は昔からの友達のように話していた。


 マーカスは言った。

「今度ヘレンと会って話してみないか? きっと彼女の方でも会いたがると思うよ」


「私も会いたいな」


 眞奈は間髪を入れずにそう言ってしまってから、今の言葉がマーカスと会いたいという意味に取られないか心配になった。ちらっとマーカスを見ると、彼は妙に考え込んでいて無表情だったから、そんな心配は全然必要なかった。


 自意識過剰だわ。眞奈は胸がぎゅっと苦しくなるのを感じた。

 眞奈は、ジュリアの病死という悲劇と、マーカスと二人きりの時間ももうおしまいに近づいているというさびしさ、両方の悲しい気持ちを断ち切ろうとして言った。


「ねぇ、今何時?」


 マーカスははっとした。「おっと、完全に遅刻だ」


 マーカスと眞奈は急いで二〇八号室に滑り込んだ。ステイブリー先生は用事で遅れてきていて、ちょうど点呼を取っているところであった。

 ギリギリだったねというように、マーカスは眞奈の方を見てにっと笑った。そのときのマーカスはウィルと同じぐらい普通の男の子だった。


 マーカスは眞奈が考えていた不思議な『窓の魔法使い』と少し違っているみたいだ。


 確かに正直に言うとちょっとがっかりした。

 でもそれがなんだろう! 本当のマーカスを理解する方がうれしいことだ。


 とっさに眞奈もマーカスに微笑み返した。


 眞奈の『イギリス式口角上げ微笑み』はだいぶん板についたものだった。

 しかし一方で、彼女の笑顔はそんな方式とはいっさい関係のない、世界共通の自然な微笑みの感情があふれていた。


 眞奈の微笑みはマーカスの心の中に残るものだった。

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