34 変化のうねり

 イザベルは急に真面目に言った。

「私、心配なの。広い世界へ行けるような変化が必要なのはわかるわ、でも同時に変化が怖いっていうか……。私は、マナやマーカスやフレディたちのような友達がいてスノーウィもいて、ウィストウハウスの四季折々があって……、それだけでいいの。今暮らしている居心地いい世界が、新しいうねりにおそわれて何もかもすっかり変わってしまったら、って心配なの」

「変化かぁ。私が日本からイギリスに来たのも変化よね。世界は広がったかもだけど、イザベルの言うとおり変化はやっかいかもね」

「でも、マナは乗り越えたじゃないの」

「私? とても乗り越えたなんていえないわ」、眞奈は思いっきり否定した。「いっつも、常に、毎日、迷走中よ」

「私、ただ不安なだけなの、マナ。だって……」

 イザベルが言いかけると、窓をコンコンとたたく音がした。

 眞奈とイザベルが窓の外を見ると、フレディが『カギを開けろよ』というジェスチャーをしていた。


 イザベルがカギを解除すると、「よぉ!」と声をかけるフレディに続いてマーカスも談話室に入ってきた。

「あれ、マナ、来てたんだ」

「いつも窓から入るの?」、眞奈は目をまるくした。

 フレディがシャツのほこりを払いながら言った。

「一応、寮は異性禁止だしな。ま、誰も守ってないけど」

 マーカスは斜めがけバッグから本を三、四冊、どさりと出した。

「イザベル、言ってた本を持ってきたよ」

「ありがとう、読みたかったのよ。そうそう、見て、スノーウィを。きれいでふわふわになったでしょ。さっきお風呂に入れたの」、イザベルは抱いているスノーウィをマーカスとフレディに見せた。

 スノーウィは男の子二人を見て、フンと鼻を鳴らしふくれっ面になった。

「俺たち、スノーウィに完全に嫌われているからな」

 フレディがあまりにしみじみ言ったものだからイザベルはぴんときた。

「もう、あなたたち、またスノーウィになにかしたんでしょ?」

「な、なんにもしてないよ」、フレディは慌てて言った。

「フレディ?」、イザベルは目を細めてフレディを見た。

 惚れた弱みを持つフレディはかわいいイザベルに逆らえず、「マーカスが狙ったかのように爆発させたから悪いんだよ」と白状しはじめた。

「さっきザカリー先輩との化学実験でバックドラフトを再現しててさ」

「バックドラフトって?」

 イザベルと眞奈が同時に質問するとマーカスが答えた。

「バックドラフトは火事の爆発現象の一つなんだ。例えば密閉された部屋で炎があがると、ほら密閉されてるからすぐ酸素がなくなるだろう? そうすると部屋の空間が不完全燃焼になる。そんなとき火を消そうとしてドアをいきなり開けると、急に酸素が入り込んだことに反応して部屋が大爆発する。それで何人もの消防士が亡くなったりしてるんだよ」

 眞奈たちにはバックドラフトの理解はあいまいだったが、深刻そうな事態なのはわかったので青ざめた。マーカスは安心させるように急いで付け加えた。

「再現したのは部屋じゃなくってガラス瓶の密閉容器でだよ、もちろん」

「それでちょっと爆発させすぎちゃって、瓶の一部が壊れてガラスケースの敷居も越えちゃってスノーウィのところに飛んでいったんだ」

「まぁ! 当たらなかったんでしょうね?」

「まさか、当たるわけないじゃないか」

 そこへスノーウィは「ミャーオ」とだみ声で鳴いた。

「ほとんど当たるところだった、って言ってるみたい」、眞奈は思わず通訳した。

「しっぽをかすめたぐらいだよ」、マーカスは肩をすくめた。

 スノーウィはもう一度だみ声で「ミャーオ」と鳴いた。

「まだ、他にも言いたいことがあるみたいよ」、眞奈は言った。

「他にもスノーウィになにかしたのね?」、イザベルは問い詰めた。

「な、なんにもしてないって」、マーカスは首を横に振った。

「マーカス?」、有無を言わせないよう、イザベルはマーカスに返答を促した。

 きれいなお姉さんにはやっぱり逆らえないマーカスは仕方なく答えた。

「昨日、ナイフ投げの練習をしてたとき、ほら、やっぱり動く標的で練習したいだろ、そしたらたまたまスノーウィがいて、冗談で、いいか冗談でだよ、『スノーウィを標的にしたらどうなるかな?』って笑い合っていたら、あいつピューマのような鋭い目で僕らを非難して、今にも飛びかかってきそうだった。ジョークの通じないやつだよ、まったく」

 スノーウィはイザベルの優しく平和な腕の中から、敵意に満ちた目つきで男の子たちをにらんだ。


 話題を変えることが急務だと感じたマーカスは無理やり、「で、スノーウィの風呂入れはどうだった?」とイザベルに質問を投げかけた。

 イザベルは言いたいことは百もあるといった様子だったが、眞奈の前なのでそれ以上は追及せず、代わりに言った。

「マナはすごいのよ。マナがお風呂入れを手伝ってくれたらスノーウィはすっかりおとなしくなって全然暴れなかったの。それにマナったらスノーウィとおしゃべりしているみたいなの」

「うん。マナはすごいよ。猫だけじゃない、亡霊のジュリアともおしゃべりできるしね」、マーカスは意味ありげに眞奈を見た。

 眞奈はとがめるようにマーカスを見た。

「え、亡霊? 亡霊のジュリアって何?」、イザベルがびっくりして聞き返した。 

「いや、なんでもないよ、単にそれくらいマナがすごいってことだよ」マーカスはにっこり笑った。「スノーウィ、キレイでフワフワでよかったじゃないか!」

 イザベルは亡霊については腑に落ちない様子だったが、けっきょく話をスノーウィに戻した。

「そうね、マナがいなかったら、スノーウィのお風呂入れはこんなにうまくできなかったと思うの」

「うん、そうだね。それより、この本ってさ、イザベルが言っていたようにやっぱり映画の原作だったよ。面白かった」、とマーカスはさっき出した数冊から一冊をイザベルに投げた。

 イザベルは本をキャッチしながら言った。

「でしょう? だと思ったわ。だいぶん原作と違うけど、原作も映画もよくできていると思うの。だって……」

 イザベルとマーカスは二人で本と映画の話に熱中しはじめた。


 眞奈はマーカスの『それより、この本ってさ』という言葉を聞いて傷ついた。

 もちろん「『マナよりも』本の話が大切」という意味ではなく、「『スノーウィよりも』本の話が大切」という意味だということは眞奈にもよくわかっている。

 感情とはなんとやっかいなものなのだろう。そしてそんなことぐらいで傷つく自分にうんざりした。

 日常のなんでもない会話でいちいち傷ついたりしてたら、友達としてやっていけないではないか!


 眞奈はマーカスやイザベルたちと友達になれただけで満足だった。多くを望んでイザベルと波風を立てるつもりは毛頭ない。むしろそんなことをして、せっかくの友情を壊される方が怖かった。

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